ビルの屋上に出ると、夏の夜のむわりとした熱気が体を包む。隅にあるベンチに彼は座り、私を手招きした。
「ほら、乾杯しよう」
 せめてもの威嚇のようにヒールを鳴らして近寄る私に、彼はビニール袋から発泡酒を出してにこやかに手渡した。少し間を開けて隣に座り、ありがとうと呟く。お礼も言いたくないような相手だけれど。

 プルタブを起こす軽快な音が、夏の夜空に響く。
「乾杯」
 缶同士を合わせると、かつんと鈍い音がする。もし私たちの心がぶつかり合う音が聞こえるとしたら、きっとこんな感じなんだろう。決してグラスで乾杯するような澄んだ音ではない。
 遠くで、雷鳴のような音が轟く。
「花火大会があるらしいね、見えるかな」
 ビールを一口飲んだ彼は、遠くに目をやり呟いた。二重の目、薄い唇、少し伸ばした顎髭。こっそりと盗み見た横顔は、昔と全然変わらない。あれからもう5年も経っているのに。
「どうしてビルの屋上なの」
 視線を無理矢理彼から引き剥がすようにして、私は前を向いて問う。
「今夜花火大会があるから、見えるかと思って。人も来なくて密会にはもってこいでしょ」
「……普通はバーとか、喫茶店とか……そういう場所にするもんじゃないの?」
 ホテルとか、とも言いそうになって慌てて自制した。そういうことを期待していると思われたくはなかった。
「俺の会社がこのビルを買い取ったから。責任者俺だし、取り壊すまではどう使ってもバレないよ。ここなら仕事って言って位置情報誤魔化せるし」
「GPSでも持たされてるの?」
 私が訊くと、彼は曖昧に笑ってビールをあおった。恵に関することは、私に気を遣っているのかあまり語らない。
 そういうところが嫌い、と私は顔をしかめて安い発泡酒をあおった。

 ***

 
 葬儀の日に連絡先を聞かれ、渋々仕事用の名刺を渡し、彼から連絡があったのは数日後。
『会いたい いつ会える?』
 真夜中、そんな短い文がメールで送られてきた。
『もう会いません。会う理由がありません』
 そう返すと、即座に携帯に電話がかかってきた。
「会いたい、は会う理由にならないの?」
 開口一番そう言われてため息をつく。
「彼氏彼女なら理由になるけど、私たちは違うでしょう」
「でも、会いたい。瑠璃子」
 彼は捨てられた子犬のような声を出す。私はぐっと唇を噛んだ。息を吸って、吐く。声が震えないように気をつけながら、口を開いた。
「……あなたには、恵がいるでしょう。大事な娘も」
 しばらくの沈黙。永遠にも感じる時間。息をするのも苦しくて、私はぎゅっとスマホを握りしめた。
「……でも、俺は瑠璃子に会いたいんだ」
 絞り出すような、小さな震え声が電話の向こうから聞こえる。そんな声を出されたら、心臓を鷲掴みにされたように息ができなくなる。
 ああ、ダメだ。私はまた、この男から離れられない。
 私はまた――親友を裏切ることになってしまう。