太陽の眩しさを感じて、段々と意識が覚醒する。ぼうっとしたまま、奏澄は目をぱちぱちと瞬かせた。

「起きたか」

 声をかけられて、反射的にがばっと身を起こす。

「そう慌てなくても、まだ時間はあるぞ」
「おはよう、ございます」

 先に起きていたのだろうメイズは、すっかり身支度を整えていた。髪がぐちゃぐちゃになっていないか、変な顔をしていないか気になって、何となく隠しながら挨拶をする。しかし、今更な気もしていた。なんだかんだで随分な姿を見られている。
 衝立を挟んで、奏澄も身支度を済ませる。ぐっすり眠れたので、幾分顔色もいい。最後にナイフを差し、よし、と軽く頬を叩いて気合を入れた。今日からはいよいよ、旅に出るのだ。

「お待たせしました」

 衝立を片付けて、メイズに声をかける。今日の予定を確認し、朝食は船で取ることにして、宿を出た。船着き場に向かうと、商船の乗組員たちが騒がしく準備をしていた。

「わぁ……」

 思わず口を開けて眺めてしまう奏澄。初めて目にする光景に興味を惹かれるが、あまりじろじろ見ても失礼だろう、と視線を外す。それでも、隠し切れない好奇心から、ちらちらと窺ってしまう。

「商船にも、武装した人たちがいるんですね」
「あれは護衛だな。乗組員が兼ねていることもあるが、この船は割と真っ当な商船だから、外部の者を雇ったんだろう」
「真っ当な……。ちなみに、真っ当でない商船というのは」
「海賊」
「ですよね」

 船長に挨拶を済ませ、ハッチから船内に乗り込む。邪魔にならないスペースに腰を落ちつかせると、大きな声がして船が動き出した。どうやら出航したようだ。揺れで落とさないように注意しながら、簡単な朝食を取る。

「そういえば、船に乗った経験はあるのか」
「短時間なら。でも、帆船は初めてです」
「そうか。慣れない内は酔うかもな。吐く時は言え、上の甲板に連れてってやる」
「アリガトウゴザイマス」

 つまり吐く時は海に吐け、ということだろう。あまり見られたい姿でもないから、吐きそうになったら自力でトイレに行こう、と奏澄は心に決めた。
 とはいえ、酔わないに越したことはない。食後だし、船内にいるより外の空気を吸った方が幾分ましだろうと考え、奏澄は立ち上がった。

「上に出ても大丈夫ですかね」
「邪魔にならない範囲ならいいんじゃないか」

 揺れる船内をおっかなびっくり歩いて上甲板に出ると、心地いい海風が肌を撫でた。海が太陽の光を受けてキラキラと光っている。新鮮なような、懐かしいような気持ちになって、奏澄は目を細めた。

 ――世界が違っても、やはり海は美しい。

 海に突き落とされ、溺れかけ、見知らぬ世界に飛ばされた。我ながら海が嫌いになってもおかしくない境遇だと思うが、そうはならなかった。きっと、自分はずっと海と共にある運命なのだろう。
 そんなことを考えて、思わず笑ってしまった奏澄を、メイズが訝しげに見た。何でもないというように首を振って、端の方を歩き出す。
 視線を感じて甲板を見渡すと、こちらを見ている者や、視線を逸らす者が見てとれた。少し後ろをメイズがついて歩いているから、メイズに対するものかもしれないが、どうも見られているようだ。

「やっぱり部外者がうろちょろしてると気が散るんでしょうか」
「いや、定期船の無い島では商船に人が同乗するのは珍しくない。単にお前が珍しいんだろ」
「私が?」
「役人でも商人でもない女が島から出るのは珍しい」
「あ、そういう感じの」
「あとはまぁ……組み合わせだろ」

 ブエルシナ島でも奇異の目で見られたことはあったが、確かにメイズと奏澄の関係性は不思議に思えるだろう。それを踏まえてもう一度乗組員の様子を見てみると、心配そうに窺っている者がいる。
 少し考えて、奏澄はメイズの手を取った。

「おい」
「仲良しアピールしておきましょう。誘拐じゃありませんよって」
「あのな……それだけじゃ」
「わかってますよ」

 そう答えると、メイズは口を噤んだ。わかっている。下世話な視線は無視すればいい。そういう目で見るものは、何を言ったところで面白可笑しく取るのだから。とりあえず、被害者ではないと伝わればそれでいい。

 暫く手を繋いで上甲板を散歩していたが、急にメイズが何かに反応した。

「メイズ?」
「中に戻るぞ」
「え?」

 強く手を引かれ、足早に船内へ戻る。すぐに後ろが騒がしくなった。何かあったのだ。
 聞きたいが、説明しないということは、聞かない方がいいのかもしれない。ハッチから離れた部屋に入ると、メイズは奏澄を部屋の奥へ押しやった。

「隠れてろ。少し外の様子を見てくる」
「ま、待ってください。この船にも護衛はいるんですよね? 何かあれば、その人たちが」
「念のためだ。心配するな」
「でも、まだ怪我だって完治してないでしょう」
「カスミ」

 聞き分けのない子どもにするように、メイズがくしゃりと頭を撫でた。これでは、もう何も言えない。

「……怪我、しないで」
「ああ」

 短く返事をして、メイズは外へ出ていった。
 奏澄はその場で蹲った。結局、何も説明してくれなかった。何があったのか。どうして行ったのか。どうするつもりなのか。
 まだ自分は、話すに足る器ではないのだ。



*~*~*



 外の喧騒に怯えながらも、奏澄は息を潜めて部屋の隅に隠れていた。
 どれだけそうしていたかわからない。長い長い時間が経ったように感じたが、実際はそれほどでもなかったかもしれない。
 部屋のドアがノックされ、びくりと肩を震わせた。心臓が大きな音を立てる。

「カスミ、俺だ」
「……メイズ?」

 奏澄の返事を聞いて、メイズが遠慮がちにドアを開けた。その姿を視認して、奏澄は勢いよく飛びついた。

「待て、カスミ、汚れる」

 ぐいと引き剥がされてよく見れば、服が血で濡れていた。

「怪我!」
「違う、俺のじゃない」

 言われてみれば、確かにメイズは大きな怪我はしていないようだった。顔には、血を擦ったような跡がある。おそらく、奏澄に姿を見せる前に血を拭ったはいいが、服まではどうにもならなかったのだろう。ほっとして、涙が滲んだ。

「無事で良かった」
「……ああ」

 縋りつく奏澄の頭を、メイズはおそるおそる撫でた。

「そうだ、いい知らせがある。船が手に入った」
「え? 船が?」

 上甲板に移動しながら話を聞くと、この船は海賊に襲われていたらしい。商船が海賊に襲われるのはよくあることで、だから護衛を雇っているそうだ。
 メイズが気づいたのは見張り台の様子が変わったことだった。その時点では海賊かどうかはわからなかったが、何かを見つけたことは間違いないだろうと、用心して奏澄を隠したらしい。
 海賊が海賊旗を掲げているとは限らず、商船に成りすましている場合もある。何事もない可能性もあるため、不安にさせないように黙っていたようだった。何も説明が無かったことで、奏澄は余計に不安になったのだが。

「それで、どうして船が手に入ることに?」

 上甲板に上がると、ざわめきが聞こえた。何事かと見渡せば、乗った時とは打って変わって、怯えた表情でこちらを見ている。視線の先は、メイズだ。奏澄はメイズの横顔を窺ったが、そこからは何も読み取れなかった。

「あれだ」

 メイズが示した先には、二本マストのブリガンティン船があった。商船と繋げられ、乗組員が数名向こうの船に乗り込んでいる。

「あれは……」
「海賊が乗ってきた船だ」

 乗ってきた船。ということは、あれは海賊船だ。だが、海賊の姿はどこにも見当たらない。
 緊張で喉が渇く。それでも、聞かないわけにはいかない。あの船に乗るというのなら、尚更。奏澄は努めて平静を装って、メイズに尋ねた。

「あの船に乗っていた人たちは……どうしたんですか?」
「ああ……まとめて海に放り出した。心配するな、ああいう奴らは図太いんだ」
「そう、ですか。良かった」

 ほっと息を吐く。その様子を見て、メイズも心なしか安堵したようだった。

「船って戦利品ですよね。商船の人たちと山分けとかにならないんですか?」
「働きに応じた分配だ。中に積まれていた荷は商船の奴らに渡す」

 働きに応じた、ということは、メイズはそれなりの活躍を見せたということだ。
 彼が所持しているマスケットは、本来の武器ではないという。奏澄は武器に明るくないが、銃でこれほど血を被るとも思えない。いったいどのようにして戦ったのか。
 マスケットの柄についた血を見ないようにして、奏澄は船の話を続けた。

「でも、私たち二人で船、というのは……動かせるものなんですか?」
「無理だ」
「えぇ……なら何故(なぜ)船を……」
「暫くは要らないと思っていたんだがな……貰えるなら貰っておいて損はない。通常の船が出入りしない場所に行くなら、いずれ必要になる。買うと高くつくしな」

 船の値段はわからないが、決して安くないことくらいは奏澄にも想像がつく。いざという時に買えないくらいなら、持っておいてもいいのかもしれない。

「アルメイシャまでは商船の奴らが運んでくれる。中の整理もな。島についたら、乗組員を探すなり雇うなり考えよう。どうにもならなければ売り払ってもいい」
「わかりました」

 何となく、ずっと二人で旅をするような気がしていた。しかし海を渡っていくとなると、そうもいかないのだろう。それは少し寂しい気もするが、必要なことならば、奏澄が頑張らなければならない。これは奏澄の旅なのだから。
 船を見つめて、奏澄は気合を入れ直した。