午後の日差しを浴びながら、奏澄は上甲板の隅で大きく溜息を吐いた。その表情は、天候に似つかわしくない顰め面だ。
 晴れてメイズと恋人になれたとはいえ、問題はまだまだ山積みだ。気持ちを伝えて、受け入れてもらって、それでハッピーエンドではない。人生は続く。この先彼の手を離さないためには、お互いの価値観をすり合わせていく必要がある。
 恋人になる前は、メイズは奏澄の意見を優先することがほとんどだった。身の危険に繋がらない限りは、文句を言われることもなかった。それを思えば、今こうしてわがままを言ってくれているのは、実のところ嬉しい。わがままを言ってもいい相手だと、思われているのだ。それは彼にとって成長とも言えよう。
 だからと言って、それをそのまま丸ごと受け入れるわけにはいかない。このままではダメンズメーカーになってしまう。言い方は悪いが、多少は教育をしていかなければ。やりすぎたらちゃんと怒ると、本人とも約束をしているのだ。絆されてはいけない。

「何かお悩みですか?」
「ハリソン先生」

 浮かない顔をしている奏澄に、ハリソンが声をかけた。柔和な笑みを浮かべる老人には、何もかも吐き出してしまいたくなる雰囲気がある。しかし、仲間内の恋愛事情など、聞かせるものでもないだろう。

「ちょっと、個人的なことで」
「そうですか。私で良ければ、いつでも話を聞きますよ」
「ありがとうございます。今のところは大丈夫です」

 この人は、あまり人の事情に深入りをしてこない。ここで話は終わりかと思われたが、ハリソンは珍しくためらう様子を見せつつ、周囲に人がいないことを確認して、言葉を続けた。

「私から言うのも不躾な話なのですが……大切なことなので、確認させてくださいね」
「……? はい」

 なんだろうか。船医である彼が大切な話、などと。奏澄は知らず身構えた。

「メイズさんは、ちゃんと避妊してくれていますか?」

 奏澄は思わず咽た。まさか、そんな話題が出るとは。というか、今その話をするということは、まさか、昨夜の。

「や、あの」

 呼吸を整えながらも、行為を連想してしまい、顔に熱が集まる。動揺した気持ちのまま、正直に答えてしまった。

「……して、ない、ですね」

 奏澄の回答に、ハリソンは眉を下げた。医者としては、見過ごせない問題だろう。

「メイズさんの場合は、カスミさんから伝えた方が効果的かと思いますが……。言いづらければ、私から注意しますよ」
「ああいえ、いいんです。わざとなので」

 ハリソンが目を丸くした。その反応に、奏澄は苦笑する。妙な誤解を与えないためにも、ハリソンには、伝えておいた方が良いだろう。

「私、メイズとの子どもが欲しいんです」

 穏やかに微笑んだ奏澄に、ハリソンは探るように問いかける。

「それは、メイズさんの了承を得て?」
「いえ、メイズには言ってません。言ったらきっと、要らないって言うから」

 メイズが避妊をしなかったのは、最初からだ。最初の一回こそ、勢いで忘れたのかもしれないと思ったが、その後一度もしなかった。ということは、おそらくそもそも避妊するという発想が無い。今のままだと子どもができるかもしれない、と気づかせてしまったら、やめてしまうだろう。だから黙っている。

「メイズは、自分が人の親になれると思っていません。だからこそ私は、彼に家族を与えてあげたい」

 奏澄とて、自分が人の親になれるかと問われれば、自信が無い。けれど、この世界に残ると決めたからには。自分とメイズの二人だけで、完結させたくない。残して、繋いでいきたい。かつて自分と同じようにこの世界に流れ着き、家族を持ったサクラのように。
 あまり考えたくはないが、万が一の可能性もある。サクラ亡き後、ダビデにはレオナルドが残った。もしも、奏澄に何かがあったなら。メイズを支える存在が、残ってほしい。彼をこの世に繋ぎとめる楔が。

「メイズは、こういうことには臆病ですから。事前に確認したら、ダメなんです。きっと踏み出せない。でも、出来てしまった後なら、覚悟を決めてくれると思うんですよね。卑怯かもしれないけど」

 褒められた手段ではない、という自覚はある。だから奏澄は、きまりが悪そうに笑った。医者であるハリソンからしたら気分が悪いだろうか、と不安になったが、ハリソンは苦笑しつつも、気分を害した様子は無かった。

「メイズさんのことは、カスミさんが一番わかっていますから。荒療治だとは思いますが、あなたが判断したことなら、私は協力しますよ。体調に変化があれば、すぐに言ってくださいね」
「ありがとうございます」

 ほっとして、奏澄は微笑んだ。
 とはいえ、今すぐにどうしても欲しい、ということでもない。奏澄とメイズの関係は、変わったばかりだからだ。子どもは授かりものだから、自然にできればそのタイミングで受け入れたいとは思っているが、積極的に子作りに励みたいわけではない。
 だから今はまだ、お互いの欲求をすり合わせることの方が先だろう。
 自分の決めたルールを思い返し、二度目がありませんように、と内心で祈りつつ、今後を想像して頭を悩ませるのだった。