大地が燃えている。人が燃えている。全てを焼き尽くす業火の中、耳をつんざくような悲鳴に混じって、楽しげな高笑いが響いた。

「あっはっはっは!」

 ()()は高い岩の上に胡坐(あぐら)をかいて、愉快そうに地獄絵図を見下ろしていた。
 夜の闇を溶かしたような長い黒髪に、血の色の瞳。(わら)う口元からは、牙と言えるほど尖った犬歯が覗いていた。
 それは若い男の姿をしていたが、人間ではない。彼は、悪魔と呼ばれていた。

「た、たすけ、て」

 炎に体の半分を焼かれながらも、枯れた声で助けを求める女が、悪魔のいる方へ手を伸ばした。ほとんど目が見えていないのだろう。届くはずもない距離に、人の形をした何かがいる、という認識のみで、ただただ縋った。
 それを耳にした悪魔は、ついと指を動かした。その指に従うように、炎の中から黒い塊が飛び出した。

「ぎゃあああ!!」

 黒い塊は、獣の形をしていた。狼によく似た姿をしているが、毛並みは針鼠のように硬く尖っている。それは魔物と呼ばれる生物だった。
 鋭い牙で女に噛みつき、切り裂いた。あっという間に女だったものは、ただの肉片となった。
 悪魔は、虫を潰す子どものような無邪気さで、更に指を振った。それに応えるようにあちこちで黒い塊が動く。僅かに残っていた息のある人間たちが、次々と悲鳴を上げて食い殺されていく。
 断末魔の音楽を目を細めて聞いていた悪魔だったが、近づく気配に眉を顰め、舌打ちを零した。

「目障りなのが来やがった」

 炎が、遠い箇所から順に消されていく。粉雪のようなものがちらちらと舞って、徐々に勢いを失っていった。地を這う赤が落ちつくと、散乱する死体が目立って見えた。
 悪魔がぎろりと睨み上げた先には、白い翼を持つものたちが浮かんでいた。純白の髪と瞳を持ち、人の形ではあるが、女性とも男性ともつかない体をしていた。天使と呼ばれる存在である。
 天使は悪魔に向かって光の球体を次々に飛ばした。しかし悪魔が手を払うと、指先から黒い弦がしゅるしゅると伸び、絡み合い、悪魔の身を守るように半球状に広がった。黒い盾に光の球体がぶつかり、周囲を照らして弾け飛ぶ。
 光が収まるよりも早く、黒い弦が素早く天使たちに伸び、その首に絡みついた。ぎり、と弦が締まり、刃物のような鋭利さで首を落とす。切断面からは血が流れることもなく、落とされた首と、分断された体は、さらさらと灰になっていった。
 それを悪魔は、つまらなそうな目で見つめていた。



 神殿にて。一連の様子を映した大鏡を、天使たちが囲んでいた。

「このままでは、人間の数は減少する一方です」
「天使の力では、悪魔には敵いません」
「神よ、ご決断を」

 神、と呼ばれた存在は、天使たちよりも高い位置にある壇上の椅子に腰かけていた。
 白銀の髪は美しく、金の瞳は光を集めたように煌めいている。体は男性体のようだった。
 神は大鏡を見つめ、暫く沈黙していた。やがて重い腰を上げると、立てかけてあった杖を手に取った。
 自身の身長よりも長いそれを、神は一度掲げた後、地面へと突き立てるように振り下ろした。
 コォン、という音が波状に広がっていく。その音は、世界の隅々まで響いた。



「……なんだ?」

 奇妙な感覚に、悪魔が周囲を見渡す。途端、地面が揺れ出した。ゴゴゴゴ、という地響きが鳴り、次々に亀裂が走っていく。
 大地が、割れていく。
 地上にあったものが、亀裂に呑まれていく。死体が滑り落ちて、奈落の底へと消えていく。
 悪魔の座っていた岩もたちまちひび割れ、彼は体勢を崩した。

「ッちィ!」

 悪魔は舌打ちをして、黒い弦を伸ばした。別の岩に巻きつけたものの、その岩もすぐに崩れてしまう。
 悪魔は()()()()()()。地の底から生まれた彼は、空で活動することができない。それは彼が使役する魔物たちも同様だった。魔物には様々な種類がいるが、翼を持つものは一つもない。

「クソ野郎が……!」

 恨み言を吐きながら、悪魔は亀裂の間へと落ちていくのだった。