ひとまずの方針も決まり、マリーの部下たちにもきちんと話をしておきたい、と乗組員全員を上甲板に集め、奏澄は改めて事情を簡潔に説明した後に頭を下げた。
「未熟な私を、これからも助けてほしいです。どうか、よろしくお願いします」
マリーは受け入れてくれたが、皆が同じかどうかはわからない。渋られたらどうしよう、と内心震えていたが、乗組員たちの反応は実にあっけらかんとしていた。
「何を今更。『はぐれものの島』に行こうなんて時点で、普通の航海になるとは思ってないっすよ」
「そもそもマリーさんと一緒にいて、何も問題が起きなかったことの方が少ないし」
「それな」
「今どさくさ紛れにあたしの文句言ったやつ誰だい?」
マリーが拳を握りしめるが、当人たちは空笑いでごまかした。
「俺たちもついにおたずね者かぁ」
「それは気が早くないか?」
「でもメイズさんは元々指名手配されてるし、今回の件で船長も確定だろ」
「もはや海賊だな」
笑いながら言った乗組員の言葉に、ライアーが反応した。
「それだ!!」
「えっ!?」
妙にきらきらとした目で、ライアーが奏澄にずいと近寄った。
「海賊! 海賊やろうぜ!」
「え……えぇ?」
「オレやってみたかったんだよ~!」
何故ライアーはこんなに楽しそうなのだろうか。男のロマン的なものがあるのだろうか、と奏澄は戸惑った。そもそも海賊とは、名乗ったり、やろうと思ってやり始めるものなのだろうか。
「この船だって元々海賊船だったんだし、海賊旗掲げれば、それっぽくなるって!」
「いやでも、海賊を自称するなんて、面倒ごとが増えるんじゃない?」
止めてくれ、の意でメイズの方に視線をやると、メイズは溜息を吐きつつライアーを奏澄から引き剥がした。
「止めておけ。海賊なんてロクなもんじゃない」
「えぇ~! でもほら、なんか『一つの団』って感じがするじゃないすか! まとまりって言うか!」
「まとまり……」
その言葉は、少しだけ奏澄を揺らがせた。現状は人数の関係もあるが、奏澄が自分で仲間に引き入れた面々とドロール商会の面々では、一線あるような気がしている。
最初こそ『マリーの部下』でしかなかったため、その隔たりははっきりと感じられたが、航海を続ける中で、自惚れでなければそれなりに距離は近づいたと感じている。
彼らが『マリーの部下』ではなく、『奏澄の仲間』として船に乗ってくれるのであれば。一つの船団として、名前くらいはあってもいいのではないだろうか。
そこまで考えて、首を振った。さすがにそれは自惚れが過ぎる。協力してくれることに同意しただけで、彼らは奏澄を長として認めたわけではない。あくまでマリーがいるから、一緒にいてくれるだけに過ぎないのだ。
「じゃぁ団の名前考えます? 何がいいすかね」
「あれ!?」
考え込む奏澄をよそに、意外なところから意外な提案が出てきた。商会メンバーのポールだ。
垂れ目でいつも気だるげな雰囲気なので一見やる気が無さそうに見えるが、年長者だからか仕事はでき、他の商会メンバーからも頼られている。だからこそ、商会寄りの立場だと思っていたのだが。
「え、あの、名前とかって……いいんですか?」
「何かダメです?」
「いえ、その。ドロール商会の名前に、拘りとか、そういう……」
「別に、ここの団員になったからって、商会辞めるわけじゃないし」
奏澄は面食らった。それはそうだ。当たり前だ。別の名前を持ったとしても、彼らはドロール商会の人間だ。ドロール商会の人間であって、奏澄の船団の仲間。それでいい。複数の団体に所属するのはおかしなことじゃない。そもそも商会長のマリーが乗っているのだ。
何故かそんな簡単なことに気がつかなかった。視野が狭いというか、ゼロイチ思考というか。奏澄は自分の頭の固さを反省した。
「でも海賊というのは……」
「俺らマリーさんと一緒で、面白ければ大体オッケーなんで。別に気にしないっすよ」
ノリが、軽い。
思ったが、口にしなかった。さすがはドロール商会の人間だ。フットワークが軽い所以を見た気がする。
「メイズ……」
「……好きにしろ」
海賊というのは置いておくにしても、船団としての名前はあってもいいと思った。止めてほしいと頼んだ手前気が引けたが、メイズにそれを視線で訴えかけると、溜息と共に許可が下りた。
「ライアー!」
「お、カスミなんかいい案ある?」
「あのね、船団の名前はライアーが決めてほしいの」
「オレ?」
びっくりしたように、ライアーは自分を指さした。
「一つの団って言ってくれたの、嬉しかったし。それに、ライアーは最初に仲間になってくれたから」
メイズも仲間と言えば仲間だが、ライアーのそれとは違う。メイズと奏澄は、一蓮托生だ。
ライアーは、何の特別な事情もなく、ただ真っすぐに奏澄を見て、力を貸してくれると言った。いつだって離れられるが、離れずにいてくれた。ライアーがいなければ、この船団は存在しなかった。だからこそ、この集団に名前をつけるとしたら。彼以上にふさわしい人間はいない。
「そりゃ、責任重大だな」
ライアーは照れたように笑って、目を瞑って考えた。
「んー……よし、『たんぽぽ海賊団』で!」
出てきたのは、およそ海賊団の名前としては緩すぎる名前だった。養護施設か何かだろうか。
「……ちなみに、理由を聞いても?」
「なんか、カスミのイメージっぽいじゃん?」
「どのへんが?」
「こー……なんつーか、ふわふわしてる感じ?」
ライアーがそう言うと、数名の乗組員が「あー」と同意を示した。
「えっ待って私そんなに地に足ついてないイメージなの。っていうか、それ花の方じゃなくて綿毛だよね?」
「まぁほら、細かいことはいいじゃん!」
笑顔でごまかして、ばしばしと肩を叩かれた。全然細かくないのだが。
「団名は決まったとして、船の名前は奏澄がつけなよ」
「船の名前?」
奏澄は首を傾げた。船団の名前があるのに、船に名前が必要なのだろうか。
「あ、それあたしも思ってた。この船名前ないよね?」
「えぇと……奪った船だから、元の名前もわからないし」
「元の名前はどうでもいいさ。海賊船なんてだいたい略奪品だし」
「えっ」
「まぁ便宜上あった方がいいってのもあるんだけどね。この船だって、この先一緒に航海をする仲間だろう? つけてやってもいいんじゃない」
マリーの言葉に、奏澄はなるほどと頷いた。自転車や車に名前をつけるのは一部の人なので、船も特別愛着のある人だけがつけるものだと思っていた。けれど、ライアーもマリーも気にしていたということは、おそらく名前を付ける方が一般的なのだ。であれば、特に拒否する理由も無い。
「船の名前ってルールとかあるの?」
日本の船では『丸』をつけるのが習わしになっていたなぁと思いながら尋ねる。できれば奇抜と思われることは避けたい。
「特にないけど、出身海域の色を頭につけることが多いね。わかりやすいし。けどあんたはここの出身じゃないから、いらないんじゃない?」
確かに、そのルールでいくと奏澄はどこの海域出身でもない。自由につけていいことはわかったが、名づけセンスに自信は無い、どうしよう、とちらりとメイズを窺う。目が合って、ふっと浮かんだ。
「……コバルト号」
「お、いいじゃん」
にんまりと笑ったマリーは何かを察したようで、奏澄は照れて俯いた。
「よし! 無事に団名も船名も決まったな! オレ海賊旗描こっと」
うきうきした様子のライアーに、思わずつっこみを入れる。
「待って、船団の名前を決めてほしいとは言ったけど、海賊やるとは言ってない。海賊旗は待って」
「たんぽぽの海賊旗とか可愛いっすね」
「ポール!?」
「じゃぁ今夜は海賊団発足ってことで、宴やりましょうよ宴! 海賊はやっぱ宴でしょ!」
わあ、と声が上がった。これはもう、止められないのでは。
そういうつもりではなかったのに、とおろおろする奏澄の肩に、ぽんとマリーの手が乗った。
「諦めな」
「マリーまで……」
「なんだかんだ、騒ぐ理由が欲しいんでしょ。ここまではあいつらにしちゃ、割と真面目にやってきたしね」
「あ……気をつかわせてた?」
「そんなこともないけど。セントラルで結構酒や食料も仕入れられたし、ぱーっとやるにはちょうどいいタイミングかな。あんたも一回、ガス抜きしたらいいよ」
「……うん。そうする」
心身が削られるような出来事で疲弊しきっていたが、皆の楽しそうな姿に、どこか心が浮き立つのを感じた。
さて、宴の準備には何が必要だろうかと指折りやることを確認していると、メイズが腕を引いた。
「夜まで少し休んでろ。もたないだろ」
「大丈夫だよ。大変だったのはみんな同じなんだし。私調理担当だから、準備しなくちゃ」
笑顔で告げたが、渋い顔をしている。顔に似合わず心配性だ。
それ以上言い募ることはしないが、黙っていても目が心配の二文字で埋まっている気がして、奏澄はくすぐったい気持ちで思わず笑った。
「……なんだ」
突然笑われて、怪訝そうにメイズの眉が寄る。
「ううん、なんでもない」
奏澄は、自分を映すその目を、真っすぐに見返した。
メイズの瞳は、光の加減で青の深さが変わる。明るい陽の下で見ると、青の鮮やかさが増す。
どうかこの人の瞳に、いつも光があるように。
コバルトブルーの瞳を持つ人よ。
「えー……それでは、『たんぽぽ団』の結成を祝して」
「『たんぽぽ海賊団』でしょ、船長!」
「私はまだそれ認めてないので! とりあえず、乾杯!」
『乾杯!!』
わぁっと歓声が上がり、一斉に騒がしくなる。
広い空の下、あるだけの明かりを灯して、上甲板での宴会となった。何だかんだで鬱憤も溜まっていたのかもしれない。むしろここまで飲み会のようなことをやってこなかったので、配慮が足りなかったかと、奏澄は内心反省した。
それなりに交流は図っていたが、もっと早くに懇親会でもやるべきだっただろうか。しかし、ライアーは元々商会とは馴染みであるし、メイズは積極的に交流するタイプには見えない。自分が馴染むために酒の席を用意するのもどうだろう、という気がしていたのだが、いやしかし。
「船長、またなんか余計なこと考えてるでしょ~!」
「エマ、ローズ」
「どうも」
開始早々に奏澄の元へ来たのは、数少ない女性乗組員のエマとローズだった。
エマは明るく好奇心が旺盛で、奏澄にも最初から興味津々で話しかけてきていた。
ふわふわとした赤毛がチャームポイントで、奏澄は羨ましく思っているが、本人は広がりがちな癖毛は悩みの種らしい。目はぱっちりと大きく、興味のあるものを見つけると爛爛と輝く。
ローズは落ちついているが芯が強く、エマがはしゃぎすぎるとストッパーの役割をしている。身長差があるので見た目は凸凹だが、いいコンビだ。
「船長! せっかくだし、あっちで女子会しましょ、女子会!」
「あ、はい。是非」
「メイズさん、船長借りていきますね」
「あまり飲ませすぎるなよ」
「気をつけます」
何故かメイズに許可を取るローズを不思議に思いながら、奏澄はエマに引っ張られ、マリーのいる所へ連れていかれた。
「お、いらっしゃい」
「どうも、お邪魔します」
「マリーさん、準備できてます?」
「ああ、何種類かやってみたよ」
そう言ってマリーが出したのは、カラフルな中身のグラスだった。
「これ、カクテル?」
「そ。変わった酒が手に入ったから、混ぜてみたんだよ。男どもは飲めりゃ何でもいいんだろうけど、せっかくだからちょっと試してみたくてさ」
見た目はどれも綺麗な色をしていて、美味しそうに見える。物珍しそうに眺める奏澄に、マリーはにぃと唇を吊り上げた。
「カスミ、最初に選んでいいよ」
「いいの? じゃぁ、これにしようかな」
オレンジとピンクが層になっているグラスを一つ、手に取った。元の世界のカシスオレンジのようなものだろうか、と思ったからだ。
「あたしはこれ!」
「私はこれで」
「んじゃ、あたしはこれにしようかな」
一人一つグラスを選んで、各々掲げる。
『乾杯!』
掛け声の後、皆が口をつけるのに倣って、奏澄もそれを口に含んだ。途端、口内に強い酸味が広がる。
「~~~~!?」
「あっはっは! 船長、ハズレだ~!」
「やっちまったねぇ」
おかしそうに笑うエマとマリーを、涙目で見つめる奏澄。
「な、なにこれ、すっぱ!」
「金の海域で取れる珍しい果実の酒だってさ。甘そうなやつと混ぜたらいけると思ったんだけど、配合が悪かったか」
悪びれることもなく言うマリーに、さては適当に混ぜたのか、と恨みがましい視線を送る。
「大丈夫ですか、水どうぞ」
「ローズ~」
「マリーさんの趣味なんですよ。適当に混ぜて人に飲ませるの。諦めてください」
「なんてはた迷惑な趣味……」
「でもこれで色々実験して、いい組み合わせができたら売り出したりもしてるので。実益兼ねてるんです」
「さすが商人……」
しかし自分で味見をしながら調合するのではなく、まず人に飲ませるというところがマリーらしい。
「ごめんごめん。ちょっと直してみたから、ほら。飲んでみな」
疑いの目を向けながら再度口をつけると、まだ酸味が強いが、先ほどよりはぐっと飲みやすくなっていた。
「うん、すっぱいけど、これくらいなら」
「なるほどなるほど。メインにするより、ちょっと加えるくらいがちょうどいいかな」
「先に試してから飲ませてよ……」
「それじゃつまらないじゃないか」
楽しそうなマリーに、奏澄もついつい顔が緩んでしまう。
そう、こういう時間を。楽しいと思うのだと。楽しいと、感じることができる自分に、ほっとした。
「船長! あたし、船長に聞いてみたかったことがあるんですけど!」
「なんですか?」
「船長って、メイズさんとデキてるんですか?」
「デキてないですよ?」
「即答だ!」
何故かショックを受けた風なエマに、奏澄は首を傾げる。つまらないかもしれないが、ショックを受ける要素はどこにも無いのではないだろうか。
「じゃ、じゃぁ、どういう対象として見てるんですかー!?」
「食い下がるねぇ」
「だってお酒の席でもないと聞けないじゃないですかこんなことー!」
一応普通に聞いたら失礼だという自覚はあるのか、と、それこそ失礼だが思ってしまった。奏澄も酒が回ってきているのかもしれない。何せ、この世界に来て初めて摂取するアルコールだ。
元々奏澄はそれほど酒に強いわけではない。かといって極端に弱いということもないが、飲むと眠くなるので、外ではあまり飲まない方だった。特に人と接している時は、余計なことをしでかさないように気を張っているし、量もセーブする。
しかしここは自分の船の上で、すぐに部屋に帰ることもできるし、一緒に飲んでいるのは仲間だけだ。とはいえ、酔い潰れても良いというほど気心知れた仲でもない。加減が難しいなと、既にぼんやりする頭で考えた。
「メイズは、しいて言うなら……家族、が近いですかね」
「家族?」
「しいて言うなら、ですけど」
この感情を、枠組みに嵌めるのは難しい。神様だ、と言っても、理解はできないだろう。奏澄自身、人にうまく説明できる自信は無い。
この話題からどう逃げるか、と思っていたところに、ちょうど良く助け船が入った。
「ここだけ華やかでずるい! オレもうむさくるしい中にいるの無理! 混ぜて~!」
「ライアー」
女性だけで固まっている中に、果敢にも一人で入ってきたのはライアーだった。
「ライアーてめぇずるいぞ!」
「戻ってこい! 筋肉の良さを教えてやる!」
「ぜってーお断りだね!」
先ほどまでいた場所から飛んでくる野次に、ライアーは舌を出して答えた。
「そうだカスミ! 海賊旗の下絵描いてみたんだけどさ、こんな感じでどうよ」
「器用だよねライアー」
図面を描くのが上手いと、絵も上手いものなのだろうか。紙に描かれたデザイン案は、髑髏があるのはともかくとして、たんぽぽをモチーフにしており、なかなかに可愛らしかった。
「いいじゃん! かわいい」
「海賊旗が可愛いってのもどうなのかね」
「いいじゃないですか。私も結構好きですよこれ」
女性陣からは概ね好評のようだった。それはそれとして、まず海賊旗を許可していないのだが。
「私、他の海賊旗って全然知らないんだけど。有名な海賊とかっているの?」
「あれ? メイズさんから聞いてないんだ」
驚いた顔をした後、ライアーは紙を裏返し、四つの海賊旗をさらさらと描いて見せた。
「有名な海賊団はいくつかあるけど、まず覚えておいた方がいいのはこの四つ」
こつ、と鉛筆で海賊旗を示しながら説明するライアー。
最初に指したのは、燃えるような鳥をモチーフにした海賊旗。
「赤の海域を拠点にしてるのが、朱雀海賊団。船長はロッサ、主船はレッド・フィアンマ号」
次に指したのが、竜をモチーフとした海賊旗。
「緑の海域を拠点にしてるのが、青龍海賊団。船長はアンリ、主船はグリーン・ルミエール号」
次が、蛇の巻きついた亀のようなものをモチーフとした海賊旗。
「青の海域を拠点にしてるのが、玄武海賊団。船長はキッド、主船はブルー・ノーツ号」
最後に指したのは、虎をモチーフにした海賊旗。
「金の海域を拠点にしてるのが、白虎海賊団。船長はエドアルド、主船はゴールド・ティーナ号」
それぞれのモチーフに既視感を覚えながら、奏澄はそれらを目に焼き付けた。
「この四つの海賊団は四大海賊って言われてて、それぞれの海域の顔役みたいなことをしてる。セントラルでもうかつに手は出せないほど力がある」
「海賊が、顔役? 縄張りみたいにしてるってこと?」
「それはそうなんだけど、無理に上納金むしり取ってるとかじゃないよ。義賊……は言い過ぎかなぁ。ま、揉め事の仲裁とか、セントラルの行き過ぎた行為を諫めたりとかね」
「へぇ……」
あのセントラルに物申せるということは、武力面でもかなりの力があるということだろう。大規模な船団なのかもしれない。
「この四つの海賊団って、仲いいの?」
「そんなこともないけど……なんで?」
「名前が統一性あるから。揃えてつけたのかなって」
朱雀、青龍、玄武、白虎とは、中国の四神の名前だ。奏澄の耳にはそう翻訳されているだけで、実際は違う言葉かもしれないが、少なくとも関連性のある名前ではあるのだろう。
「ああ、別に本人たちが名乗ったわけじゃないからね」
「……そうなの?」
ワントーン下がった奏澄の声に気づかず、ライアーはそのまま続ける。
「それぞれが目立ってきた頃に、誰かが言い出したんだよ。古い文献で読んだ守り神みたいだって。それが四方を司る幻獣だったから、ちょうどいいって浸透して、そのまま定着した感じ」
「つまり……通り名みたいな……」
「まぁそんな感じかな。みんなが元々海賊ってわけじゃないし、指名手配された時に勝手につけられたりとか……あっ」
奏澄の言わんとしていることに気づいたのだろう、しまったというようにライアーは口を手で塞いだ。
「やっぱり海賊って自分から名乗るものじゃないんじゃない!」
ライアーに詰め寄る奏澄に、マリーがからからと笑った。
「やっちまったねぇ、ライアー」
「い、いいじゃん! カスミも名前欲しかっただろ!?」
「それは……っそうだけど、でも、海賊団は名乗らないからね!?」
わかったわかった、と宥められるが、そのうち勝手に名乗られる気がしてならない。
気をとり直して、奏澄は海賊旗の描かれた紙を見た。
「四大ってことは、白と黒の海域には、そういう顔役? いないんだ」
「白の海域はセントラルのお膝下だからね。黒の海域には……あー」
言いづらそうにしながら、ライアーは頭をかいた。
「黒弦海賊団が、いる」
「黒弦……」
それは、何度か耳にした名前だ。メイズが、奏澄にあまり聞かせないようにしている名前。
「黒弦は、四大の人たちみたいに、顔役ってわけじゃないの?」
「んー……黒弦は、悪い意味で海賊らしい海賊、っていうか。まぁ、詳しいことは気になるならメイズさんに聞いた方がいいよ。オレが勝手に喋ったら、あんまりいい気しないだろうし」
苦笑するライアーに、奏澄は俯いた。
それはおそらく、メイズが踏み込まれたくないことだ。しかし、奏澄はそれを知らないままでいいのだろうか。
「あーあ、ライアーが船長落ち込ませたー」
「オレのせい!?」
「ここは責任を取って、何か面白い余興をすべきなんじゃない?」
「えぇ……急な無茶ぶりするじゃん……もー」
仕方ないな、と言いながら、ライアーは海賊旗を描いた紙をくしゃくしゃと丸めた。
「カスミ、見てて」
それを手の中に収めて、数回握る動作をすると、ぱっと手を開いた。
「わ……」
ライアーの手に乗っていたのは、小さな砂糖菓子だった。
「はい、どーぞ」
「ありがとう。すごい、どーやったの」
「秘密」
に、と笑って指を立てる姿が大変サマになっている。
しかしそれはマリーのつっこみにより数秒ももたなかった。
「どーせ女にモテるために習得したとかしょうもない理由でしょ」
「いいじゃん! ウケるじゃん手品!」
理由は合っているのか、と苦笑しながら、奏澄は砂糖菓子を口に含んだ。優しい甘さに、心が解ける。
「さて、じゃぁ次はカスミの番だ」
「え、私余興なんて」
「歌ってよ、カスミ」
驚いて、ごくりと菓子を飲み込む。
「船長、歌えるんですか?」
「歌えるっていうか……歌えはするけど、別に上手くは」
「いいからいいから。上手いとかじゃないんだよ」
それは間接的に上手くはないと言っているのでは。
奏澄は複雑な気分になった。自分でも上手いとは思っていないが、ライアーは奏澄の歌に惚れたと言っていたはずなのに、それはそれでなんだか納得いかないものがある。
「余興なんだから、気にすることないよ。あたしも聞いてみたいし、歌ってみなよ」
「えー……もう。どんなでも笑わないでね?」
「おかしかったら笑わせてもらうよ」
「もー!」
そういうところは素直だから、おかしかったら本当に笑うだろう。でも、それもいいかもしれない。
力を込めて立ち上がると、足元が少しふわっとした。今ならお酒が入っているから、羞恥心も少なくて済むかもしれない。
「一番、奏澄、歌いまーす」
わざと余興っぽい名乗りを上げて、大きく息を吸った。立ち上がった奏澄に、何事かと他の乗組員も視線を向けた。それを気にしないようにして、声を出す。
できれば伴奏が欲しかったなぁと思いながら、波の音を伴奏にして、海の唄を。
あの時とは状況が違うのに、歌っていたら、やはりメイズを想った。海の唄だからだろうか。海を浮かべると、メイズが浮かぶ。それが気恥ずかしくて、歌っている間、メイズの方は見られなかった。
「ありがとうございましたー」
一曲終わってお辞儀をすると、皆が拍手をくれた。指笛をくれる者もいて、照れくさくて、愛想笑いを向ける。
「なるほどねぇ。ライアーの言ってること、何となくわかったわ」
「え?」
「うん。上手くはないけど、あたしは好きだよ」
「ありがとう。でもその前置きいる? いるかな?」
「船長! あたしも好きですよ! 上手くはないけど!」
「ありがとう! エマはわざとかな!」
「気にしないでください。上手い下手はともかく、私も好きです」
「ローズ~……!」
これは完全にからかっているだろう。リクエストに答えたのに、当のライアーは満足げにするだけで、フォローしてはくれない。
いたたまれなくなって、奏澄はメイズのところに戻った。メイズの近くには他の乗組員がいたが、奏澄が戻るのと入れ替わりにいなくなった。
「メイズ、楽しめてる?」
「カスミ。向こうはいいのか」
「うん、充分話せたし。メイズは? 私邪魔しちゃったかな」
「いや、あいつらは……まぁ、気にするな」
言葉を濁したメイズを不思議に思いながらも、奏澄はメイズの隣に腰を下ろした。
「さっき、なんで歌ってたんだ?」
「う……この距離なら聞こえてたよね。ライアーにリクエストされて」
「ライアーが?」
「一回、アルメイシャで歌ったんだ。それがきっかけで、ライアーは仲間になってくれたの」
「へぇ……」
感情の読めない声で返事をされて、奏澄は戸惑った。あの歌で、と思ったのだろうか。それとも何か、気にかかることでもあったのだろうか。
「メイズはああいうの、嫌いだったかな」
「いや、いいんじゃないか」
「でも、下手だったでしょ」
「下手ってほどじゃないだろ」
それはつまり、メイズからしても上手くはない、わけだ。さすがにこうも連続で上手くはないと言われると、何やらすごくいたたまれない。いっそ下手だと笑ってくれた方がまだ良かったかもしれない。
飲まなきゃやってられない、とばかりに手近な瓶を掴んで、奏澄は自分の杯に注ぎながら喋った。
「あはは、お耳汚しを、失礼しました」
「いや、俺は――っておい、お前それ」
ぐ、と呷った瞬間、喉に焼けるような熱を感じ、咳き込んだ。
「大丈夫か」
「っげほ、これ、強……っ」
「よく見ないで飲むからだ」
頭がくらくらとするのは、アルコールのせいか、恥ずかしさで血が上ったのか。咳き込みすぎて涙が浮かんできた。
「ちょっと待ってろ、水持ってくる」
「すみません……」
面倒をかけてしまった。申し訳なさと羞恥心で、奏澄は蹲った。酒で人に迷惑をかけないことを信条としてきたのに。いや、吐いてないし絡んでもいないから、まだセーフか。
目が熱くて、瞼を閉じた。頭がふわふわとする。暑い。これはもう、水を飲んだら部屋で寝よう。
「――い、おい。――ミ」
ぼんやりとした意識の中で、声が聞こえる。起きなければならない、と頭では思うのに、瞼が開かない。奏澄が思い通りにならない体に力を入れようと奮闘していると、力強い腕に抱きあげられた。そのことに安心して、力を抜く。この腕に任せていれば、大丈夫だ。
暫く心地良いリズムに揺られていると、柔らかいものの上におろされた。きっとベッドに寝かせてくれたのだろう。
「あ……りが、と」
絞りだすような掠れた声で礼を告げた奏澄に、メイズは少し驚いた様子で返した。
「起きてたのか」
「今、起き、た」
起きたと言いながら、その様子は起きているとは言い難い。呂律は回っていないし、無理やり開けた瞼は閉じたり開いたりを繰り返して、気を抜けばまたくっついてしまうだろう。
「いいから、そのまま寝てろ」
「や……ほったらかして、きちゃったし」
「気にするな。多分朝まで飲んでるぞ」
「寝る支度も、してない」
「起きたらやれ」
「甘やかす……」
「……そういうつもりはないんだが」
困惑した声から、本当に自覚が無いことがわかる。こういうところも、扱いに慣れていない印象を受ける。力の強い人が小動物を苦手とするのに似ている。加減を、線引きを、まだ量っている最中なのかもしれない。
「とりあえず、俺はもう戻るぞ」
「もう少し……」
「俺の戻りが遅いと、また色々言われるんじゃないか」
「それは別にいい……」
と言うより、もう手遅れな気がする。勘違いはされるかもしれないが、幸いにもこの船にはそれを悪し様に言うような者はいない。なら、二人のことは、二人がわかっていればいい。
「何かしてほしいのか?」
「んー……そうだ。子守唄、歌って?」
ちょっとした意趣返しのつもりだった。上手くはない、上手くはない、と言われすぎて、だったら他の人の歌も聞いてみたい、と。
言われたメイズは、不機嫌そうに眉を寄せた。
「子守唄なんぞ知らん」
「だったら、知ってる歌なんでもいいよ」
「……俺は歌は苦手なんだ」
苦虫を噛み潰すような声に、奏澄は逆に興味を持った。メイズがこんな反応をするのは珍しい。
「私の歌も聞いたんだし、おあいこでしょ。ここなら私しか聞いてないよ」
「…………笑うなよ」
メイズは少しの間むっつりと黙った後、そう前置きをしてから小さく歌を紡いだ。
低い声は心地が良かったが、何故か絶妙に音が外れていて、本人もそれをわかっているのだろう、眉間に皺を寄せて歌っているのがおかしくて、奏澄は小さく吹き出した。
その反応は予想通りだったのだろう、特に怒ることもなかったが、メイズは照れ隠しのように軽く奏澄を睨んだ。
「笑うなって言っただろ」
「ご、ごめん、だって、そんな苦しそうな顔で歌う人初めて見た」
「だから苦手だって言ったんだ」
「ごめんって。でも私、メイズの声好きだよ」
「……そりゃどうも」
それが世辞でないことは、多分伝わっているだろう。ぶっきらぼうに答える様子がなんだか可愛く思えて、奏澄は笑った。
「お前は楽しそうに歌うよな」
「そう?」
「ああ。それになんだか――懐かしい感じがする」
「懐かしい?」
奇妙な感想だった。奏澄の歌う曲は全て元いた世界の曲だから、こちらの世界の人間に馴染みがあるとは思えない。懐かしいと思うような要素が、何かあっただろうか。
「なんだろうな。記憶の何かに似ているわけじゃないんだが……しいて言うなら、暖炉の火に似ている」
「それは――……」
暖炉の火。それは、人を温めるもの。家を温めるもの。揺らめく炎。それそのものなのか、あるいは灯す人か、照らされる人か。
メイズの語彙では出てこなかったが、その懐かしさが、例えば母親の温もりだとしたら。
「……子守唄、歌おうか?」
「いいから早く寝ろ」
「うん……おやすみなさい」
「おやすみ」
奏澄の頭をひと撫でして、メイズは部屋を出ていった。
*~*~*
「お、メイズさんおかえりー」
「ライアー、お前それ何杯目だ」
「覚えてないし数えてもいない! 明日のことは明日考える!」
その返事を聞いて、メイズは頭を抱えた。泥酔している様子はないが、セーブしている様子もないので、このまま放っておけば明日は使いものにならないかもしれない。
「ほらほら、メイズさんももっと飲みましょう」
「呑気だなお前は……」
「いやー、だって色々めでたいじゃないですか!」
「めでたい?」
「手掛かりが掴めたこととか、セントラルから逃げ切ったこととか、海賊団になったこととか!」
「ライアー、お前セントラルから逃げ切れたと、本気で思ってるのか」
「え」
メイズの言葉に、ライアーは一気に酔いが冷めた様子で聞いた。
「どういう意味です?」
「あのオリヴィアが本気で追手をかけたのだとしたら、ろくな被害もなく逃げ切れたのは出来過ぎている」
「そんな……考えすぎなんじゃ」
「だといいんだがな」
難しい顔をして、ライアーは酒を呷った。それはつまり、泳がされているということだ。何の目的があるのかはわからないが。
「それ、カスミには?」
「言ってないし、言うなよ」
「船長なのに?」
「確証の無いことで、不安にさせる必要も無いだろう」
「アンタほんと、カスミに甘いですよね」
「……そう見えるか」
本気でわかっていなさそうなメイズに、ライアーは信じられないものを見る目を向けた。
「無自覚とかやめてくださいよめんどくさい」
「どういう意味だ」
「いやほんと……なんかオレの未来が見えるんで……」
急に沈み始めたライアーを訝しみながら、メイズも酒を呷った。
「カラルタン島が見えたぞー!」
島が見えた、という見張りの報告に、甲板が沸き立った。はしゃぐような男たちの様子に、奏澄は首を傾げた。
「なんか、やけに嬉しそう?」
「緑の海域は全体的に食糧が豊富で、中でもカラルタン島は美食の島とも言われている」
「なるほど。美味しいものは世界共通で人を幸せにするものね」
日本人は食にうるさい。真面目な顔で頷く奏澄を、メイズは不思議そうに眺めた。
ひとまずコンパスに従い、緑の海域へと進路をとった奏澄たちは、カラルタン島に船を寄せた。
島に降り立つと、奏澄は蒸し暑さに顔を扇いだ。
「ここ、湿度が高いね」
「雨が多いからな。スコールに気をつけておけ」
緑の海域というだけあって、鮮やかな緑が一面に広がっている。この森林は、豊富な雨によるものなのだろう。赤の海域ではカラリとした気候が多かったので、余計に湿気を感じる。
「船長、あの、俺ら」
「ああ、はい。どうぞ、各自自由行動で」
「よっしゃー!!」
そわそわと落ちつきのない乗組員に声をかけられ、奏澄が許可を出すと、わっと歓声を上げて方々に散った。元々ドロール商会とは、島では自由にしていいという契約だ。本来なら奏澄に許可を取る必要も無いのだが、船長を立ててくれているのだろう。
「いいのか?」
「とりあえず指してる方向に来たけど、この島を指してるってわけじゃなかったし。全員で調査することもないかなって。みんな楽しみにしてたみたいだし、好きに過ごしてもらおう」
「まぁ、ここに何かあるとは考えにくいしな。俺たちも腹ごしらえするか」
「そうだね」
美食の島だけあって、あちこちに店が構えてある。ガイドブックがあるわけでもなし、どこが良いのかはさっぱりなので、適当に決めた店に二人で入る。
メニューからは中身が想像できなかった奏澄は、店員におすすめを聞いていくつか注文し、一息つく。すると突然、厨房の方から何かが割れる音と怒号が飛んだ。
「てめぇ邪魔なんだよ! でけぇ図体しやがって!」
「す、すみません!」
思わず身を竦ませる奏澄。謝罪の声が聞こえたが、その後も文句は続いているようだった。ホールの店員が「失礼しました」と一言入れていたが、それも耳に入らなかった。
「出るか?」
「え!? い、いや大丈夫! ちょっとびっくりしただけだから」
奏澄が怯えたことに気をつかったのだろうが、奏澄としては注文も済ませてしまった店から居心地が悪いというだけで、一口も食べずに出るという選択肢は無い。周りの客も一瞬ざわついたが、それほど気にしている様子は見られない。よくあることなのかもしれない。
「お待たせしました」
料理が運ばれてくると、ふわりと食欲を刺激する香りが鼻をくすぐった。
「いただきます」
手を合わせ、食事に口をつける。まず最初に温かなスープを口に含むと、じゃがいものような優しい甘さが口に広がった。
「わ、これ美味しい」
「さすがカラルタン。食に関しちゃ外れがないな」
スープの後にも、肉や魚、果物を使った料理など色々口にしたが、奏澄は最初に食べたスープの味が忘れられなかった。おそらくあれはじゃがいもだと思うのだが、土地特有の芋だったりするのだろうか。口当たりが非常になめらかだったが、自分で作るとなると普通に裏ごししたのではああはならないだろうか。もう一度食べておきたい気もするが、せっかくなら他店も色々食べてみたい。
非常に悩ましいが、今すぐにこの島を発つわけでもない。また後で考えようと、奏澄はメイズと店を出た。
さてどうしようかというところで、ぽつぽつと水滴が降ってきたかと思うと、あっという間に強い雨に変わった。
「タイミングが悪いな」
店に戻れば雨宿りくらいはさせてくれるだろうか、と視線を巡らせたところで、奏澄の目が人影を捉えた。
「カスミ?」
「メイズ、ごめんちょっと」
店の裏手の方に駆け出した奏澄の後を、メイズが溜息一つ吐いてから追いかける。
「大丈夫ですか!?」
奏澄が声をかけた大柄な男は、野菜の入った籠を抱えたまま振り返った。
「え……!? え、あの」
「これ、中に運べばいいんですか?」
言いながら、奏澄はスコール用に持っていた防水布を地面に置かれた籠にかけた。
「そ、そうだけど、あの」
「濡らさない方がいいんですよね。手伝います」
「お、お客さんにそんなことさせられないよ!」
「早くしないと水びたしになるぞ」
籠を抱えあげたメイズを見た男はぎょっとして、少し逡巡した後、頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
無事店のバックヤードに全ての籠を運び込み、男はその大きな体を丸めるようにして頭を下げた。
男から店の備品であろうタオルを渡されて、二人は雨に濡れた体を拭く。
「いえ、食材が無事で良かったです。何だか無理に割り込んでしまって、すみません」
「いや、そんな、助かりました」
「良ければ、スコールが止むまでここで雨宿りできると助かるのですが」
「は、はい。そのくらいは……多分、大丈夫だと、思います」
おどおどとした会話のテンポに、奏澄はなんだか自分と似たものを感じた。
「あんた、ここの店員だよな」
「そ、そうです。ここの厨房で働いている、アントーニオといいます」
アントーニオと名乗った男は、二メートルはあろうかという身長に窮屈そうにコック服を着こんでいた。体全体に厚みがあり、熊のような体格をしている。しかしその見た目に反して気は弱そうで、遠慮がちに背を丸めている。
「何で外で作業なんかしていた? ここいらはスコールが多いのはわかり切っているだろう」
「あ……そ、それは」
彼はどうやら、外で皮むきの作業をしていたようだった。そのままの野菜なら多少雨に濡れても問題は無かっただろうが、皮のむかれた野菜が雨ざらしというのはいただけない。慌てて運び込んでいる姿が見えたので、奏澄は手伝いに向かったのだった。
俯いてしまったアントーニオに、奏澄がフォローを入れる。
「メイズが不躾なことを、すみません。名乗り遅れましたね。私は奏澄、彼はメイズです」
「ど、どうも」
「その……違っていたら、すみません。もしかして、先ほど厨房で怒鳴られて……?」
彼の声に聞き覚えのあった奏澄は、おそるおそる尋ねた。何か事情があるのかもしれない。
「あ……き、聞こえていたんですね。恥ずかしいなぁ」
から笑いをしながら、アントーニオはますます俯いた。
「ぼく、体がこんななので。でかくて邪魔だとか、ウドの大木だとか、言われて。ついに厨房から追い出されちゃって、それで外で作業してたんです」
「それは……」
職人の世界でよくある、いじめのようなものなのだろうか。店の内部のことに、奏澄が口を出すべきではない。それがわかっていても、奏澄の胃はキリリと痛んだ。
「ぼくは、前の料理長に誘われて、この店に入ったんですけど。二代目に、嫌われていて。もうずいぶん、前菜のサラダやスープしか作らせて貰えなくて」
「あ……もしかして、今日のスープも、あなたが?」
「え? はい、そうですけど」
「あのスープ、すごく美味しかったです! どうやって作ったんだろうって、また食べたいってずっと考えてました」
「ほ、ほんとですか!」
先ほどまでの落ち込んだ様子とは一変して、アントーニオの瞳がきらきらと輝きだした。
「わぁ、嬉しいなぁ。二代目になってから、お客さんの前に出ることもほとんどなくなって……味の感想を聞くこともなかったから」
少年のような笑顔に、奏澄の顔が綻ぶ。アントーニオは、本当に料理が好きなのだ。
「待遇が不満なら、辞めたらどうだ」
「メイズ!」
窘める奏澄に、メイズは何が問題なのかわからない、という顔だった。
おそらく、メイズのような意志のはっきりした人にはわからない。ここに居たいわけじゃない。それでも、いざ離れるとなると、不安がつきまとう。辞めると言ったとして、うまく辞められるのか。次は見つかるのか。悪い噂を流されたりしないか。これ以上悪くなるくらいなら、現状を耐え忍んだ方がまだましなのではないか。知らない恐怖よりは、知っている恐怖の方が、体が慣れている。
そういう、黒く渦巻く負の感情に取りつかれ、身動きのできなくなる状態が。わからない人には、わからない。
ただでさえアントーニオには、初代の時には上手くいっていた記憶が残っている。この店に思い出もあるだろう。そうすぐに決断できることではない。
しかし、いわゆるブラックな職場なのだとしたら。思考力を奪われるほど、長居するのも良くはない。
「私たち、しばらくはこの島にいるので。何か力になれることがあったら、言ってくださいね」
「あ……ありがとう」
力なく笑ったアントーニオに、奏澄も感情を飲み込んで、笑みを返した。歯痒さはあるが、無責任なことも言えない。
雨も上がり、二人は店を後にした。
「気になるのか」
「アントーニオさんのこと? うん……ちょっとね」
「あまり、よその事情に首をつっこむな」
その言葉に、奏澄は少しだけ微笑んだ。心配してくれているのだろう。それはわかる。けれど、そうやって首をつっこまなければ、メイズに出会うことはなかった。
厄介ごとには近づかない。力になれないなら踏み込まない。それも一つ正しいのかもしれないが、それでは何も得られなかったから。
今は違う生き方を、試したい。
「そうなんだけど。なんか、自分に似てる気がして」
「……お前も、ああいう経験があるのか」
「うーん、まぁ、それなりに? だからかなぁ、自分に向けられてなくても、怖いんだよね。怒鳴り声」
「そうか」
何気なく話したつもりだったが、相槌の声が低くなったのを聞いて、まずい話題だっただろうか、と奏澄は内心焦った。
「あ、む、向こう騒がしいね。何かあったのかな」
あからさまに話題を逸らしたが、騒ぎの方へ目を凝らすと、ドロール商会の男性陣が見えた。対する相手も複数人の男たちだ。
「あれは……うちの乗組員では……?」
「何やってるんだあいつら」
近くまで行くと、何やら言い争いをしているようで、幸いお互い手は出ていない。
「メイズはちょっと控えてて。止めてくる」
「あ、おい」
奏澄は昔読んだ本を思い出していた。こういう男同士の意地の張り合いみたいな喧嘩は、実は止められるのを待っているのだと。お互いに引くに引けず、落としどころが必要なのだ。そういう時は、女の方が都合がいいらしい。
殴り合いの喧嘩に発展していたら一も二もなくメイズに任せるが、口喧嘩で済んでいるのなら、交渉の余地があるかもしれない。
自分の乗組員を背に庇うように割って入り、奏澄は相手のリーダー格と思われる男を睨み上げた。
リーダー格の男はがっちりとした体をしており、いかにも武闘派という風体だった。赤銅色のざんばらな髪に吊り上がった目をしていて、堅気には見えない。年齢はメイズより上だろう、頭の風格がある。後ろに控える仲間と思われる男たちも皆体格が良く、鍛えられていた。元の世界だったら確実にヤのつく集団にしか見えない。
「私が、彼らの船長です。何か、ご迷惑をおかけしましたか」
「あぁん……? なんだぁ、嬢ちゃん。女の出る幕じゃねぇんだよ」
「聞こえませんでしたか。私が、船長です。彼らの行いは、私が責任を取ります」
手足が震えている、自覚がある。しかし、船長として、下手に出るわけにはいかない。奏澄は決して目を逸らさなかった。相手の男は、その姿を品定めするような目で数秒見つめていた。
「船長!」
「ダメっすよ船長弱いんだから!」
背後から緊張感を削ぐような声が飛び、奏澄の力が抜ける。庇っているのだから、応援してくれないものか。そもそも、商会の面々とて戦闘員ではない。
「弱いとか今関係ないでしょう! 普通こういう時は船長が責任取るものですよね!?」
「いや、でもうちの場合はそれ適応されませんから」
しれっとポールが口を挟み、奏澄の自信が揺らぐ。
「う、うちだけ違うなんて変じゃないですか! ね!?」
後ろには味方しかいないはずなのに不安になって、メイズの方に助けを求めると。
「よそはよそ、うちはうちだ」
「メイズまで!?」
味方に裏切られた気分だ。ガーン、と効果音が頭の上に乗っている気がする。
ぎゃあぎゃあと身内で言い争う奏澄たちに、相手方は毒気を抜かれた様子だった。
「なーんかしまらねぇなぁ。お前ら本当に海賊なのか?」
「えっ!? いえ、私たちは」
「そうだ! 泣く子も黙る『たんぽぽ海賊団』だぜ!」
「泣く子をあやしてそうな名前だなおい」
否定しようとした奏澄を遮って、乗組員が名乗りを上げてしまう。こうなればもう否定は難しい。どうしたものか。
「なぁ、船長さんよ。あんた、名前は?」
「奏澄です」
「そうか。俺はラコット。後ろにいんのは舎弟みたいなもんだ。で、あんたが責任を取ってくれるんだよな」
「その前に、経緯を教えてくれませんか。うちの乗組員と、何があったんですか」
「ああ。あんたんとこの野郎はな、同じ男として、やっちゃあならねぇことをした」
その気迫に、ごくり、と唾を呑む奏澄。場合によっては、自分では手に負えないかもしれない。緊張感に汗が伝う。
「そいつはなぁ……そいつは、俺の狙ってた店の看板娘を盗りやがったんだ!!!!」
ラコットがびしっと指さす先を見ると、乗組員のルイが、てへっと言わんばかりの顔をしていた。
「…………帰っていいですか」
非常に馬鹿馬鹿しい喧嘩の気配を察知した奏澄は、途端にやる気がだだ下がりし、表情を無くした。
「待て待て、話は最後まで聞け!」
「すみません、冷静な話が聞けそうにないので、こちらからも事情を聞きます。ポール」
「そこのガチムチ男が粉かけてた店員の女の子が、たまたま店に入ったルイを見るなり一目惚れして、更にルイが拒否しなかったので絶賛逆恨みを買ってるとこです」
「ありがとう、だいたいわかりました」
ルイは見た目だけなら王子様然とした正統派の美青年だった。さらさらとした金の髪、端正な顔つき、柔らかな物腰。年頃の女の子ならば、一目で恋に落ちてしまうこともあるだろう。それでも彼の中身が紳士であれば丁重にお断りしただろうが、ルイは自分の容姿を自覚しているタイプの女好きなので、どうしようもない。さぞラコットの神経を逆なでしただろう。
「俺は!! リリーナちゃんのために!! 店に一週間通いつめたんだ!!」
「アニキ……!」
「可哀そうなアニキ!」
「あの女見る目がねぇよ……!」
「リリーナちゃんを悪く言うな!!」
「すいません!!」
涙ながらに訴えるラコットに、後ろの舎弟たちが慰めの言葉をかける。
「そっちが勝手に玉砕したんだろ!」
「暑苦しいオッサンのアプローチなんて効くわけねぇだろ」
「悔しかったらうちのルイ並みのイケメンになって出直しなぁ!」
対するドロール商会の男性陣は、呆れたり、煽ったりしており、どうもこれで喧嘩が続いているようだ。
「珍しいですね、みんなでルイの味方をしているなんて」
「あー……おこぼれがあったもんで。あとは成り行きで」
「なるほど。ちなみにルイ、そのリリーナちゃんはどうしたの?」
尋ねれば、それはもう美しいにっこりとした笑顔で答えた。
「キャッチ&リリースしました」
「うーん……。どっちの味方をしたらいいかわかんないなこれ……」
ルイは上手く立ち回る方なので、女の子から恨みを買うことはあまりない。その容姿は商談にも生かされているし、今までは大きな揉め事に発展することは無かった。
男女間のことは自由だと思っているし、特に風紀の規定は設けていない奏澄だが、よそと喧嘩になったとなると、なんとか場を収めなければなるまい。
「うちの乗組員が、ご迷惑をおかけしてすみません。それで、ラコットさんは、私に何をお望みですか?」
「おう、話が早くていいな。あんた、ちょっと俺に付き合えよ」
まさかそうくるとは思わなかった奏澄は、面食らった。
「リリーナちゃんの代わり、ということでしょうか?」
「ばっかお前、リリーナちゃんの代わりになれると思うなよ!? ただまぁ、あんたにはちっと興味が湧いたからな。一日俺に付き合ってくれたら、それで許してやるよ」
「まぁ……一日くらいなら」
面倒ではあるが、それで事が済むなら安いものか、と承諾しかけたところで、ぐいと腕を引かれる。
「却下だ」
「メイズ」
奏澄の言いつけ通り事態を見守っていたメイズだったが、痺れを切らしたのか奏澄とラコットの間に割って入ってきた。
「おいおい、頭同士で決めたことだぜ。割って入るのはヤボってもんじゃねぇか」
「俺は副船長だ。船長の判断が誤っている場合は口を出す権利がある」
ラコットを睨み上げるメイズの袖を、奏澄は軽く引いた。
「メイズ、私なら大丈夫だから」
「何を根拠に言ってるんだ」
「えっと……悪い人じゃなさそうだし、一日付き合うくらい」
「それで何をされるかわからないだろう。お前は甘すぎる」
強い語気で言われ、奏澄は怯えたように肩を揺らした。それを見てメイズははっとしたが、何も言うことは無かった。
奏澄とて、何の根拠も無いわけではない。ラコットからは、自分を害そうとする者、特に性的な意志を持つ男性特有の、じっとりとした視線や、肌のざわつきを感じない。
これは男性にはなかなか理解されないのだが、何となく、空気でわかるのだ。例えば、前から歩いてくる男性がわざとぶつかってきそうだ、とか、横に立った男性が触ってきそうだ、であるとか。
ただ、そう感じるだけでまだ何もされていないので、あからさまに避けると逆に反感を買ったり、関係によっては角が立ったりすることがあり、被害を防げるかどうかはまた別問題である。
女性同士でこの感覚について話すと、高い確率で経験がある。しかし、論理的に説明できないため、根拠として提示することは難しい。
どうしたものか、と考えた結果、奏澄は折衷案を出すことにした。
「じゃぁ、保護者同伴ということで。メイズも一緒に過ごすのはどうでしょう?」
「それこそ却下だ却下! こんなガラの悪い男に見張られてデートも何もあったもんじゃねぇ」
「ガラが悪いのはお互い様だ」
剣呑な空気に、途方に暮れそうになる奏澄。このままでは平行線だ。
「どうしても嬢ちゃんを渡したくないってんなら、力尽くで守ってみせろや」
「何?」
「俺とタイマン勝負しろ! お前が勝ったら、大人しく引いてやる。俺が勝ったら、嬢ちゃんを一日借りる。それでどうだ?」
「……わかった」
「メイズ!」
どうしてそんな話になるのか。咎めるように声を上げたが、メイズは意に介さなかった。
「攻撃手段は素手のみ。相手の動きを封じるか、まいったと言わせたら勝ちだ」
「それでいい」
「メイズ!!」
このまま決まってしまいそうな対決に、奏澄は声を張り上げた。
「何勝手に決めてるの。これじゃ仲裁した意味がないじゃない」
「意味はあるだろ。堂々巡りの状態からは脱した」
「怪我したら意味ない!」
「俺が負けると思ってるのか?」
そう返されて、奏澄は言葉に詰まった。メイズのことは信頼しているが、それとこれとは話が別だ。
「メイズ、ガンマンなんでしょ。相手どう見ても格闘タイプなんだけど」
「素手は得意じゃないが、並みよりはできる」
「並みよりは、って」
「いいから」
言葉を募らせる奏澄の頭に、メイズが手を置いた。
「信じろ」
ずるい。そんな風に言われたら、これ以上何も言うことはできない。
ぐっと黙った奏澄は、最後に一言だけ告げた。
「絶対、勝って」
「了解」
銃を奏澄に預けたメイズがラコットと向き合うと、周囲が一斉に騒がしくなる。野次を飛ばしているのは主に互いの仲間だが、どうやらギャラリーも湧いてきているようだ。
ラコットはギャラリーがいると盛り上がるタイプなのか、嬉しそうに拳を鳴らしていた。
「最近強い奴と戦えてなくてな、ちょうどいいぜ」
「そうか。後悔するなよ」
互いが構えの姿勢をとったのを見て、舎弟の一人が合図を下した。
「ファイッ!!」
合図とほぼ同時に、ラコットが先制してメイズに殴りかかる。
真っすぐ向かってきたその腕を弾くようにしていなし、メイズは懐へもぐりこむ。
そのまま腹へ一撃叩きこむが、相手は倒れることもなく、逆にその腕を取られた。
掴んだ腕を捻るようにして投げ飛ばされ、受け身を取るメイズ。
間髪入れずに上から振り下ろされた踵を飛び上がって避け、一度距離を取る。
「おーおー、ちょっとはやるじゃねぇか」
「でかい図体のくせに、よく動くな」
今度はメイズから仕掛ける。
数回打撃を打ち込むも、ラコットは軽い調子でそれを受ける。
「どしたどしたぁ、拳が軽、っとお!?」
打撃に混ぜて急に飛んできた目つぶしを、顔を逸らせ避けるラコット。
上体が不安定になったところで、メイズは膝に蹴りを入れる。
体勢が崩れ、受け身を取ろうとするラコットを上から足で地面に叩きつけるように押さえ込み、そのまま喉に一撃入れようとメイズが振りかぶった時。
「そこまで!!」
響いた声に、両者の動きが止まる。
「……まだ、勝負は」
「ついた。文句ないですよね、ラコットさん」
不満そうなメイズを遮り、奏澄はラコットに視線を向ける。
ラコットは深く息を吐いた後、降参を示すように、地面に倒れたまま両手を上げた。
「もうちょっとやってたかったが、ま、この辺かね。女を泣かせる趣味もねぇしな」
まいったまいった、と言いながら身を起こすラコット。
勝敗が決し、周囲がどっと沸く。
「メイズさんさすがっす!」
「一生ついて行きます!」
「アニキいぃ~~!!」
「それでもアニキが最強なんだー!!」
寄ってくる乗組員を適当にあしらい、真っすぐ奏澄の元へ向かってくるメイズ。
奏澄は俯いたまま、顔を上げられなかった。
顔の見えない奏澄に、どうしたものかと困惑しているのが空気でわかった。
「勝っただろ」
「そう、だね。ありがとう」
「……泣くなよ」
「泣いて、ない」
泣いては、いない。泣いてはいないが、まだ心臓がうるさい。
大怪我をしているわけでもなしに、メイズを心配する必要は無いだろう。そこではない。
目つぶしも、喉への攻撃も、これが『試合』なら反則だ。
そうでは、ないのだ。
殺し合い、というほど殺伐としたものではなかったが、ここではこの程度『遊び』の範疇なのだ。
メイズとて殺意があったわけではなく、体格差から打撃が有効でなかったから、搦め手を使っただけだ。
少なくとも、ラコットは楽しそうだった。その価値観を、否定してはならない。
ぐっと腹に力を入れ、顔を上げて、努めて明るい声で預かっていた銃を返した。
「お疲れ様でした」
「……ああ」
奏澄自身がわかるほど、作られた笑顔だった。
それでも。メイズの行動は奏澄のためだ。それもまた、否定してはならない。
「よっし決めた! なぁ、俺らをあんたらの船に乗せちゃくれねぇか?」
「え!?」
ラコットからの予想外の申し出に、奏澄はひどく驚いた。
「俺がこの島にいるのは、外から来る強い奴と手合わせするためだ。ついでに、美味いモンが食えるのと、美人が多いのもあるがな。しかし、一所に留まるのもそろそろ飽きてきたところだ。嬢ちゃんの船に乗れば、いつでもそこのメイズと戦えるだろ!」
「えぇと……うちの船では、基本的に乗組員同士の戦闘行為は禁止なんですけど……」
「なんだぁ? 堅ぇなぁ。別に喧嘩しようってんじゃねぇよ。海賊なら他の船との戦闘だってあるだろ。訓練みたいなもんだって」
それはそうだろうが、奏澄たちの船の目的は通常の海賊とは異なる。それらの事情を、果たしてラコットに説明して良いものだろうか。
それに、ラコットの目的はメイズだ。メイズが嫌がるようなら、奏澄としても承諾しかねる。
どうしたものか、と奏澄は窺うようにメイズを見た。
「お前の好きにしろ」
「メイズは大丈夫なの? あの感じだと、毎日手合わせを申し込まれるかも」
「うっとおしいが、戦闘員が増えるのは賛成だ」
「え?」
「今のうちの船には、戦力が少なすぎる。一度でも海賊を名乗った以上、今後戦闘行為は避けられないだろう。セントラルの件もあるしな」
「あ……」
奏澄は自分の甘さを恥じた。メイズが怪我をしなければいい、とそればかり考えていたが、そもそも戦闘をメイズに任せきりにしていることが問題だ。最初は商船も同然だったからそれでも良かったが、セントラルでの出来事を思い返せば、当然戦力の確保は考えるべきだった。それは船長の仕事だろう。
落ち込む奏澄に、メイズは困ったように頭をかいた。
「お前の中には、まだ戦闘が日常として落とし込めてないんだろう。こればっかりは慣れだ」
「うん……ごめん。気をつける」
何も言わなかったが、奏澄が何に落ち込んでいるのか、メイズはわかったようだった。奏澄の考えを察せるようになってきたのだろう。それが嬉しくもあり、恥ずかしさもあり、不甲斐なくもある。
落ち込んでばかりもいられない。気持ちを切り替えて、奏澄はラコットに向き直った。
「私たちの船は、ちょっと変わった目的があって旅をしているんです。それでも良ければ、是非こちらからお願いします」
「変わった目的ぃ?」
奏澄は、ラコットとその舎弟たちに、旅の目的が奏澄の帰郷であること、そのために『はぐれものの島』を目指していること、その過程でセントラルに追われていることを説明した。
「あのセントラルを敵に回すたぁ……さすが、俺が目をつけただけはある」
「メイズは強いですからね」
「違う違う、嬢ちゃんのことだよ」
「私?」
てっきりメイズのことを褒めているのだと思った奏澄は、ラコットの指摘に目を丸くした。
「俺たちとそっちの野郎どもが喧嘩してた時、あんたは真っ先に自分の乗組員を庇っただろ」
「庇った……というか……そうですね、船長ですから」
結果を見ればなんとも情けないことになったので、歯切れが悪くなってしまう。
「そのちっこいナリでなぁ、俺の前に立つのは、さぞ度胸が要るだろうよ。喧嘩慣れしてる風でもないしな」
「それはもう、お察しの通りで」
「だからな。仲間のために、自分の恐怖を押してでも矢面に立てる。そういう船長のためになら、この拳を振るってもいいと思ったんだよ」
ぐ、と拳を握ってみせたラコットに、奏澄は目を見開いた。
「ま、一番はやっぱメイズと戦いたいんだけどな! そういう事情なら喧嘩も多いだろうし、飽きなくていいぜ!」
そう言って、ラコットは自分の舎弟たちを見渡した。
「お前らも、文句ねぇよなぁ!? 女守るために海に出るなんて、男のロマンじゃねぇか!」
『応!』
豪快に笑って見せるラコットと、声を揃えて応えるラコットの舎弟たちに、奏澄は少しだけ涙の滲む目で微笑んだ。
「歓迎、します。ようこそ、『たんぽぽ団』へ」
差し出された奏澄の手を握り返したラコットは、不思議そうに首を傾げた。
「あ? 『たんぽぽ海賊団』じゃなかったか?」
「そ、そのあたりは、追々」
往生際が悪いかもしれないが、奏澄はまだ海賊団というのを了承した覚えは無い。しかし、このままでは事実上海賊となっていくだろう。そろそろ諦めた方がいいかもしれない。
「しかしやわこい手だなぁ。武器を握ったことも無いんじゃねぇか? 教えてやろうか?」
握った手をぶんぶんと上下に振られて、奏澄の体が揺れる。
奏澄が何かを言う前に、メイズがラコットの手を無理やり離した。
「放せ」
「なんだよ、親睦を深めてただけだろ。男の嫉妬は見苦しいぜ」
軽口を叩くラコットを、メイズはじろりと睨んだ。
「メイズ、あのくらいなら自分でなんとかするから」
「あまり気を許すな」
「入団に賛成してたから、てっきり誤解は解けたんだと思ってたんだけど」
「手合わせすれば、性根が腐ってないことくらいはわかる。が、それとこれとは別だ」
戦闘員として信頼はしているが、人間としては微妙ということだろうか。確かに、悪気無くセクハラをかましてきそうな気配が無くはない。しかし本気で拒否すればしてこないだろう。引き際は心得ているタイプだと奏澄は推察している。
むすりとしているメイズの心配も、わからなくはない。奏澄はどう見ても押しに弱いタイプだ。そして、今までコバルト号に同乗していた男性陣はメイズと奏澄が恋仲だと思っているから、必要以上に奏澄に接触するようなことはなかった。ラコットのような人種に対して、対応できないと思っているのかもしれない。
「わかった。じゃぁ、何かされたら真っ先にメイズに報告するから。それでいい?」
「おいおい、信用ねぇな!」
大人しく会話を聞いていたラコットが悲痛な声を上げた。
「ごめんなさい。信用はしてますけど、メイズが不安がるので。何もなければいいだけですから」
「ぐぬぅ……」
そこで不満げにしてしまうから、何かする気だと思われてしまうのではないだろうか。
メイズがすっと目を鋭くしたのを見てしまった奏澄は、心の中で息を吐いた。
しかし、奏澄にとってはメイズの不安を払拭するほうが優先順位が上なので、特にフォローはしない。
「それにしても、一気に人数増えたなぁ。備品とか、食糧とか、考えないと」
そう呟いて、奏澄はあることに思い至った。
「人数が増えたら、調理大変だよね。料理人、いたら、助かるよね」
メイズに視線を向けて発言したが、それは質問ではなく、確認だった。もう奏澄が心を決めているのを見て、メイズは静かに息を吐いた。
「好きにしろ」
何度目かになるお決まりの言葉を聞いて、奏澄は微笑んだ。
商会メンバーにラコットたちの案内を任せ、奏澄はメイズと共にアントーニオのいる店へと戻った。もしかしたらまた外で作業をしているのではないか、と思ってのことだったが、店周辺に姿は無かった。おそらく中に戻ったのだろう。
客として訪れたわけではないので、店の営業時間中は迷惑になるだろうと考え、奏澄は店が閉まる頃に出直すことにした。
時間が空いたため、奏澄はカラルタン島を散策することにした。島を広く歩いて回ることで、何かがあれば、セントラルの時のように感じ取れるかもしれない。
店が立ち並ぶ開けた場所から奥へ奥へと進めば、緑が深まっていく。ジャングルと言っても差支えないだろう。見たこともない虫が横切るのを目にした奏澄は、大きく肩を揺らした。
「カスミ、そろそろ引き返した方がいい」
「確かに、足場がだいぶ不安定になってきたかも。でも、気をつけて歩けばいけないことも」
「それだけじゃない。このあたりまで来ると、毒のある虫や生き物も」
「痛ッ!」
「カスミ!」
声を上げ、しゃがみこんだ奏澄にすぐさまメイズも膝をついた。
「どうした」
「なんかに……噛まれた……」
「言った側から」
「面目ない……」
なんて見事なフラグ回収、と言わざるを得ない。
ふくらはぎのあたりを押さえる奏澄を、メイズは有無を言わさず抱えあげ、近くの岩場に座らせた。
「何に噛まれたのかわからないから、念のため血を吸いだしておくぞ」
「吸いだす……って」
それは、フィクションでよく見る、あの。
認識した途端、ぶわっと顔に血が集まり、直後に下がっていく。いや、恥ずかしい、のもあるがそれ以上に。
あれはただの民間療法で、口は粘膜だから、吸い出す方法は推奨されていなかったはずだ。
「あ、だ、大丈夫! 自分でやるから」
「自分じゃ無理だろ」
裾を捲り、傷口の上あたりを布で縛りながら至って冷静にメイズが言う。
「そうじゃなくて、これで」
自分のナイフを取り出した奏澄に、メイズはぎょっとした。
「しまえ」
「いや、これで傷口を切って、血を」
「わかるが、しまえ。傷が広がる」
「でも……ッ」
奏澄が引かないのを見越したのか、メイズは奏澄の抗議を無視してふくらはぎの傷口に吸いついた。
「~~~~ッ」
痛いやら恥ずかしいやら心配やらで奏澄は声にならない声を上げた。
ロング丈だったのに。まさか裾から入ってくるなんて。今後のために裾まで入るロングブーツを買わなければならない、早急に。などと取り留めのないことを考えることで、何とか意識を逸らした。
メイズは数回吸っては吐き捨ててを繰り返し、最後に傷口を水で洗い、自身も口を濯いだ。
奥地に入るからと水を持ってきていて正解だった。
「戻って一度医者に見せるぞ。痛みや熱が出たらすぐに言え」
「あ、ありがとう。メイズこそ、大丈夫? 口の中痺れたりとか、してない?」
「問題無い」
言って、メイズはカスミの前にしゃがみこんだ。
「ほら」
「え……え?」
「歩けないだろう、背負っていくから」
「あ、歩ける歩ける! 全然歩けるよ!」
こんな足場の悪い所を背負わせるなんてとんでもない。それに、足を折ったわけでも切ったわけでもなく、噛まれただけだ。そんな大げさな傷じゃない。
「万が一毒だったら、歩くと回るだろう」
「いや、そんなすぐには」
「これ以上問答するなら抱えるが」
「……オネガイシマス」
セントラルで一度抱えられている奏澄は、大人しく背負われることにした。
「お手数おかけします……」
「慣れてる」
「ぐうの音も出ない」
奏澄は申し訳なさから、重いよね、と言おうとして、止めた。重いと言われてもショックだし、軽いと言われても比較対象はおそらく成人男性だろう。参考にならない。自分で自分の首を絞めるだけな気がした。
首を、絞める。
ふっと思い立って、奏澄はメイズの首に回した腕に、少しだけ力を込めた。
ぴくり、とメイズは反応したが、何も言うことは無かった。
この人の、首を絞められる位置に、自分はいる。
当然そんなことを実行しようものなら即座に落とされるだろうが、急所を晒していることに変わりはない。
そのことが、何故だか少し、奏澄に優越感を与えた。
*~*~*
「この噛み痕なら、毒の無い種ですね。傷口の消毒だけしておきましょう」
島の診療所にて好々爺然とした医者からそう言われ、奏澄はほっと胸を撫で下ろした。外で待っているメイズにも早く伝えてあげたい。きっと心配していることだろう。
「でも奥地に入るなら、もっとちゃんとした装備で行かないと駄目ですよ。袖口や裾、襟なんかも詰めないと」
「気をつけます……」
当然のことを諭され、恥ずかしくなる。いい大人が、情けない。
「あんな方まで、何をしに? 食材を探しにって風にも見えないですが」
「あ……えっと、探索、というか。その、この島に、何か変わった場所ってないですかね?」
「変わった場所……ですか」
「ざっくりしていてすみません」
医者は少し考えるそぶりをしたが、首を振った。
「特に変わった場所は無いですね。変わった食材ならありますが、それだってほとんどはどこかの店が見つけていて、提供されてますから」
「そうですよね……。ありがとうございます」
そううまくはいかないか。少々気落ちした様子の奏澄に、医者は気をつかったのか、言葉を続けた。
「観光だったら、西の海岸近くにある『トラモント』というダイニングバーがおすすめですよ。夕日が綺麗に見えるとかで、カップルに人気みたいです。時間的にもちょうどいいんじゃないですか」
奏澄は一瞬きょとん、とした後、すぐに気づいた。おそらく、メイズと恋人同士だと思われているのだ。
「あ、ありがとう、ございます」
わざわざ訂正するのも変な気がして、照れ笑いでごまかした。メイズがこの場にいなくて良かった。
メイズが、いない。
そう思うと、ふつふつと好奇心が湧き上がる。その疑問を、奏澄は思い切って口に出した。
「その……どうして、カップルだって、思ったんですか?」
「おや、違いましたか? それは失礼を」
「ああ、いえ、その……結構歳が、離れているので」
「そうでしたか? 私くらいになると、多少の年齢差は同じに見えてしまうので」
なるほど。奏澄の年代からすれば、五つも離れていればそれなりに上に見えるが、歳を重ねてしまえば、十や二十は大差ないのかもしれない。
「それより、随分とあなたのことを心配していたようでしたから。親密な関係なのかと」
「そんなに、心配、して見えました?」
メイズのことだから、心配はしていただろう。しかし、奏澄の目には、人から言われるほどわかりやすく心配しているようには見えなかった。うろたえたりもしていなかったし、至って普通に奏澄を預けていたと思ったが。
「長く医者をやっていればね、わかりますよ。特に男なんて口下手なものですから。大丈夫かの一言もかけられないくせに、奥さんから片時も離れられない旦那とかね」
それを聞いて、奏澄は思わず笑った。
「それ、先生のことですか?」
「さぁ、どうでしょうね」
治療費を支払い礼を告げて、奏澄はメイズの元へ戻った。
「お待たせ」
「大丈夫だったか」
「うん。無毒だって。傷の手当てだけ」
「そうか」
ほっとした様子のメイズに、奏澄は微笑んだ。自分のことで一喜一憂してくれるということが、不謹慎かもしれないが嬉しかった。
空を見ると、もう日暮れ時だった。先ほど聞いたおすすめの店が脳裏を過ぎったが、奏澄は首を振った。興味はあるが、おそらく今その店に行けばカップルだらけだ。確実にその空気に萎縮する自信がある。
結局、普通の食事処で夕食を済ませ、コバルト号で時間を潰した後にアントーニオの店に出直した。
店には閉店の札がかかっていたが、明かりがまだついていたので、外で出てくるのを待つことにした。しかし、一向に出てくる気配が無い。
「……遅いね」
誰も出てこない、というところが奇妙である。片付けに相当時間がかかるのだろうか。
すると、メイズが無言のまま店の前まで行き、扉に手をかけた。
「え、ちょっと、黙って入ったら」
奏澄の静止を無視して、メイズは扉を開けた。すると、そこには誰もいなかった。
「あれ……?」
「人の気配が殆ど無いと思ったが、やっぱりな」
「でも、明かりが」
「一人はいるんだろ」
その言葉の意味を奏澄が聞こうとしたところで、足音が聞こえた。
「ごめんなさい、営業はもう終わっていて……って、あれ?」
「アントーニオさん」
厨房の方から駆けてきたのは、奏澄が待っていたアントーニオだった。
「良かった、まだいらしたんですね」
「えと、ぼくに何か……?」
「はい。ちょっと、お話があって。でも、まだ作業中ですよね。終わるまで待たせていただいても?」
「あ、その……時間、かかっちゃうので。先にどうぞ」
「え? でも、他の方をお待たせしてしまうのでは」
「それは、その」
言いにくそうに言葉を濁すアントーニオに奏澄が首を傾げた時、メイズが言葉を挟んだ。
「他の奴はどうした」
「メイズ?」
「あんたしかいないんじゃないのか、今」
「え……っ」
奏澄がメイズからアントーニオに視線を戻すと、暗い表情で俯いていた。
「それ、って」
「ち、違います違います! その、閉店後に厨房を自由に使わせてもらう条件で、ぼくが自分から」
いじめではないのか、と思った奏澄の考えを察したようで、アントーニオは手を振って否定した。
「でも普通、厨房スタッフなら、条件など無しに自由に使えるものでは」
「あ……昼間は、みんなの邪魔になる、から。ぼくは、この時間しか」
「それで、閉店作業を、一人で?」
「ぜ、全部じゃないですよ! ある程度はみんなでやって、るんです、けど」
尻すぼみになっていく台詞。これ以上は、アントーニオを責めることになる。奏澄は口を噤んだ。
「わかりました。手伝います」
「えっ!? いや、これはぼくの仕事だから」
「私たち、あなたにお願いがあって来たんです。だから、これは少しでも心証を良くする作戦なんです。気にしないでください」
「で、でも」
「とはいえ、これで絶対にお願いをきいてくれってことでもないので。そこは安心してください」
笑顔で腕まくりをする奏澄に、アントーニオは言葉が出ない様子だった。
「メイズも」
「仕方ないな」
メイズまでもが作業に加わろうとしたのを見て、さすがにぎょっとしたようだった。しかし要らないとも言えないのだろう、あわあわしているアントーニオに、奏澄がフォローを入れた。
「大丈夫ですよ、噛みついたりしませんから。遠慮なく使ってください」
「え、えっと」
「まず何からしたらいいですか?」
奏澄が引かないことを察したのだろう、アントーニオは、遠慮がちに奏澄とメイズへ指示を出した。
二人がやったのは簡単な洗い物や掃除、片付け程度だったが、それでもそれなりの量があった。普段はこれをアントーニオ一人がやっているということだ。奏澄は眉を顰めた。
作業が終わり、三人はホールのテーブルについた。
「ありがとうございました。手伝ってもらっちゃって」
「いえ、このくらい」
「それで、ぼくにお願い……というのは」
おどおどとするアントーニオを真っすぐ見据えて、奏澄は告げた。
「アントーニオさん。私たちの船で、コックをしませんか」
「え……?」
予想外の言葉に、アントーニオは何を言われているのか飲み込めていない様子だった。
「私たちの船には、コックがいないんです。今は私と、数人の乗組員で食事の用意をしています。でも、急に乗組員の人数が増えることになって。専門の料理人がいてくれたら助かると思っているんです」
「それで、ぼくに?」
「はい」
「それは……ぼくが、ここで、うまくやれてなさそうだから、ですか?」
その言葉に、奏澄ははっとした。アントーニオにも、料理人としてのプライドがある。哀れまれて、同情で誘われているのだとしたら。それは彼にとって侮辱になりえる。
奏澄は慎重に言葉を紡いだ。
「正直、全く関係ないとは言いません。あなたと出会えたのも、それがきっかけだから。でも一番は、あなたの料理の腕を信頼しているからです」
「ぼくの、料理……」
「最初にお会いした時、言いましたよね? アントーニオさんの作ったスープ、本当に美味しかったです。毎日でも食べたいと、思いました。あれほどの腕を持つ人が、それを発揮できないという状況が、私は悔しいんです。あんなに楽しそうな顔で料理を語れる人なら、きっと、この先もっとたくさん美味しい料理を作れるはず」
戸惑うアントーニオの手を、奏澄は両手でしっかりと握った。
「私は、あなたが欲しいんです」
目を見て告げる奏澄に、アントーニオは瞳を揺らした。
奏澄は、自分の手が震えないように、ぎゅっと力を込めた。心臓が早鐘を打っているが、それを悟られるわけにはいかない。
欲しいと。必要だと。ずっと、そう言って欲しかった。だから、それを人に告げることを、ためらいたくない。
迷惑なんじゃないか。気持ち悪くないか。的外れじゃないか。
でもそれは、奏澄が恥をかけばそれで済むことだ。
その程度で、もしも、誰かの心を軽くできるのなら。
「先に、私たちの事情も話しておきますね」
船に乗ると言うのなら、それを伝えないわけにはいかない。奏澄はラコットにしたのと同じ説明を、アントーニオにも話した。ただでさえ混乱しているアントーニオは、情報量の多さに目を白黒させていた。
「答えは、今すぐでなくて構いません。お店のこともあるでしょうし、明日また、どうするか返答を聞きに来てもいいですか? その上で、準備に時間が必要なら相談しましょう。お店の人にアントーニオさんから言いづらければ、私たちからお話することもできますから」
準備だとか、手続きだとか、そういう面倒なことは後回しだ。まずは何より、アントーニオの意思確認が重要だ。それでも、この場ですぐに答えが出るものではない。せめて一晩、よく考えてほしい。短くて申し訳ないが、奏澄たちもあまりこの島に長居できるわけではない。
「……わかり、ました。ぼくなんかのために、そこまで考えてもらって、ありがとうございます」
「アントーニオさん。『なんか』ではありません。あなた『だから』です」
そう言うと、アントーニオは、戸惑ったような、泣きそうな顔で、少しだけ笑った。
店から出て、奏澄とメイズは夜の街を歩いた。
飲食店が多いからか、深夜になっても酒場などが開いており、街は比較的明るいままだった。
「アントーニオさん、来てくれるかな」
「さぁな。やるだけのことはやったんだ。後はあいつ次第だろ」
「そう……なんだけど、ね。きっと、すごく悩ませてるから」
「……よくわかるんだな」
「なんとなく、ねー」
あくまで奏澄の主観だが、アントーニオと自分は少し似ている。それでも、奏澄とアントーニオは違う人間だ。
これがもし奏澄なら。きっと、無理やりにでも自分を引っ張り出してくれる存在を望んだ。その強引さが、奏澄には必要だから。
しかしアントーニオの場合は。今まで積み上げたものを捨て、訳ありの集団についていくと言うのなら。自分で決めた、という確かさが必要だ。決断は、彼自身に委ねなければ。
「そんなに、気に入ったか」
「うん?」
珍しい言い方をする、と思ってメイズを見上げる奏澄。気のせいかもしれないが、微妙に怒っているかのように見えた。いや、これは多分。
――拗ねてる?
浮かんだ考えに、自分で驚いた。メイズが、拗ねる、などと。
しかし一度そう考えてしまうと、もうそうとしか見えなかった。怒っているような圧は感じない。しかし妙なとげとげしさを感じる。不機嫌、という方が正しい。
拗ねるような要素があっただろうか。この流れから考えると、アントーニオを勧誘したことに対してとしか思えないが、勧誘に関して反対するようなそぶりは一切なかったはずだ。いったいどこで。
――『私は、あなたが欲しいんです』
奏澄は自分の台詞を思い出し、あ、と思った。奏澄にしては珍しく、かなり直接的な言葉を使った。それほど強い言葉でなければ、アントーニオには響かないと思ったからだ。
自分で集団を作る、ということが初めてなので、あくまで想像でしかないが。会社の立ち上げから力を尽くしてきたのに、急にヘッドハンティングに熱を上げて、ないがしろにされた気分なのだろうか。
それは良くない。内部不和を起こす。どうしたものか、と考えて、奏澄はメイズの手をとった。
「私が一番頼りにしてるのは、メイズだよ」
一番、などと順位をつけるような言い方は本来良くないが。メイズに関しては、いいだろう。彼だけは、唯一無二なのだから。
言われたメイズは、少し複雑そうな顔をした後、溜息を吐いた。
「知ってる」
奏澄の頭に手を乗せたメイズは、いつもの顔だった。それに奏澄は、笑顔を返した。
翌日。コバルト号に来客ありと報告を受け奏澄が出迎えると、そこにいたのは顔を腫らしたアントーニオだった。
「ア、アントーニオさん!? ど、どうしたんですかその顔!?」
「あ……はは、ちょっと、殴られちゃった」
「殴られちゃった、って」
まさか、自分が誘ったせいで。奏澄は青ざめた。
「これは、いいんだ。気にしないで」
「でも……!」
「それより、君に一緒に来てほしいところがあって。いいかな……?」
遠慮がちな声だが、眼差しは真剣だ。奏澄はしっかりと頷いた。
「あの、メイズも一緒でも?」
「あ、も、もちろん!」
少し迷ったが、アントーニオの事情はメイズも知っているし、護衛も兼ねて同行を許可してもらった。
奏澄とメイズは、アントーニオに案内されるまま、黙って歩いた。何も言わないが、今のアントーニオからは暗い雰囲気は感じない。客と店員という立場ではなくなったからか、口調も砕けていた。仲間になるかどうかは抜きにしても、もう心配は要らないかもしれない。
「ついたよ」
開けた場所に出て、強い風に奏澄は目を閉じ、髪を押さえた。ゆっくり目を開くと、そこは海を臨む墓地だった。
「ここ、って」
「ここにね、先代のお墓があるんだ」
「え……」
「って言っても、遺体はここにはないんだけどね」
先代とは、アントーニオを店に誘ったという前の料理長のことだろう。二代目になった事情は知らなかったが、まさか亡くなっていたとは。
アントーニオは、静かな笑みのまま、一つの墓の前に座り込んだ。奏澄は少し迷って、アントーニオの傍に立った。メイズは口を出す気は無いらしく、後方で傍観の姿勢だ。
「昔、あの店にセントラルから出張の依頼がきたんだ。本当は、ぼくが行くはずだった。でもぼくは、自信がなくて……見兼ねた先代が、代わりに行ってくれた。向こうでのイベントは大盛況だったけど、帰りに運悪く嵐に遭って。先代は、助からなかった」
拳を握りしめたアントーニオに、奏澄は胸が痛んだ。
「店は二代目が継いで、何とかなったんだけど。二代目は、先代のことが大好きだったから、ぼくのことが許せなかった。お前が代わりに死ねば良かったのに、って」
「そんなこと……!」
「ぼくも、思ったよ。あんなに好かれて、頼られていた先代が亡くなって、どうしてぼくが生きてるんだろうって。あの時、ぼくがわがままを言わなければ、こんなことにはならなかったのにって。その引け目があるから、二代目に何を言われても、今までぼくは言い返せなかった。ぼくに当たって二代目の気が紛れるなら、それでもいいと思ってた」
奏澄は言葉が出なかった。
この人は。弱いから、臆病だから、何もできなかったのではない。
強いから、優しいから、耐えてきたのだろう。それが理不尽な八つ当たりだとわかっていて。
やり場のない悲しみを、受け止めてきたのだ。一人で、ずっと。
「でもそれは、二代目のためじゃ、ないよね」
アントーニオは自嘲気味に笑った。
「ぼくは二代目に怒られることで、勝手に罰を受けている気になっていたんだ。そうする度に、ぼくは先代にしたことを思い知って……二代目は、嫌でも先代を思い出す。今ぼくが二代目のために、店のためにできることは……多分、あの場を離れることだ」
それは。果たして、それで、いいのだろうか。それでは結局、わだかまりは解けないままだ。
「後ろ向きな理由だって、思ったかな?」
アントーニオに見上げられて、奏澄はどきりとした。思っていたことを、見透かされたようだった。
「アントーニオさんは、それで、辛くないんですか。結局、恨まれたままじゃないですか」
「うん。そうだね。だから、殴られちゃったんだけど」
から笑いするアントーニオだったが、何故かふっきれたような顔をしていた。
「でもぼくは、これで良かったと思ってる。例え許されないとしても、逃げ出したと後ろ指をさされても。誰かに許しを乞うような生き方じゃなくて、ぼくを必要としてくれる場所で、ぼくにできることをして生きたいから」
そう言って、アントーニオは墓に手を合わせた。
「だから先代。ぼくは、あの店を、この島を、出ます。あなたが教えてくれたことを、忘れてしまわないように。場所は変わっても、ずっと料理を作り続けます。ぼくを見つけてくれた人のために」
決意を込めたアントーニオの言葉に、奏澄はそっと隣に座って、手を合わせた。
「先代さん。アントーニオさんを貰っていきます。大切にすると、約束します。安心してください」
至って真剣に言ったつもりだったが、言った後で、なんだか嫁に貰い受けるようだなどと思ってしまった。言葉の選択を誤ったかもしれない。
「ごめんね、こんなところまで付き合わせて。どうしても、先代の前で話したかったんだ」
「いえ。むしろ、大切な場所に連れてきていただいて、ありがとうございます」
「えっと、それじゃ、改めて」
立ち上がって、ズボンで手を拭ってから、アントーニオは背を丸めて奏澄に手を差し出した。
「ぼくを、船に乗せてください」
「はい。歓迎します、アントーニオさん」
奏澄はその手をしっかりと握って、笑顔を見せた。