おれは激怒した。あまりにも彼女が邪智暴虐を尽くすから、このままでなるものかと伝家の宝刀を鞘から抜いた。これでもずっと数ヶ月、ずっと刀の(つか)に手を添えたままで耐えてきたが、さすがにもう限界を迎えたのだ。おれになんでも決めさせるわりにはすんなり承諾する回数のほうが少なく、そのくせ自分が決めたことは絶対に曲げない。言ったことを守らず、その代わり、勝手にいらんことをする。極めつけは、少額だがおれの財布から金を抜き取っていたことが分かって、とうとう引導を渡すことに決めた。

 もちろん最初からそんな女だったわけじゃない。すべては付き合い始めて、お互いの家を行き来する半同棲のような状態になってから(つまび)らかになったことであり、そもそもこんな女だと最初から知っていたら、さすがのおれも手を出さなかった。心を許せば許すほど明らかになってゆくのが人間の本性というものだろう。しばらく新しい恋愛をすることには臆病になりそうだが、生命的な意味でバッドエンドを迎えないためにも、おれは彼女から全速力で走って逃げることを決めたのだった。

 今日は晩飯を食ってから彼女の部屋に向かった。カジノのディーラーがトランプを台の上で滑らせるみたいに、おれが用意していた別れ文句をすっと差し出してやると、彼女は半狂乱になって切れておれを詰り、暴れて部屋をめちゃくちゃにしたかと思うと、最終的には謝り倒してきた。何を直してほしいのか、ここを直してくれ、でもだってそれはしょうがない、直さないなら別れてくれ、いやだ。生産性という言葉からかけ離れたやり取りに疲れたおれは、頭を冷やさせてくれと言って半ば無理やり家を出てきた。今頃、家の中からおれの私物の大半が消えていることに気づいているだろうか。いや、なくなっても惜しくない服をわざとほんの数点残してきたから、気づくのは遅いかもしれない。すぐにバレないよう、今日までせっせと密かに少しずつ私物を引き上げてきたのだから。

 携帯の電源は彼女の家を出たときに切っていた。これでは美しい解決にならないと思いつつも、メロスほど勇敢にはなれない。あのまま居たらセリヌンティウスの代わりにおれが首を切られていた心地さえしてきて、ジェットコースターが急坂を滑り降りる瞬間みたいに、身体の中心が、ひゅん、となった。

 だめだ、このまま家に帰ろう。……いや、家は危険か。おれの家はアパートの一階だが、ある日彼女が家に来るというのにおれは爆睡していてチャイムに気づかなかったとき、バルコニーから物音がしたのでのそのそ起き上がってみると、彼女が物干し竿ごと床に転がっていた経験がある。あいつはそうすることに何らの躊躇いもないはずだ。今日はマンガ喫茶かどこかで寝よう。できれば家の近くじゃないところで。