今夜は、初めて好きな人に会える特別な日だ。

「そろそろ入場時間だ……あと一時間で、燈夜くんに会える」

 メンバーそれぞれがドラマや舞台等様々なメディアで活躍する大人気グループ『Starry Night』の、赤星燈夜くん。わたしはずっと、彼が大好きだった。
 今日は普段画面の向こうでしか見ることのない推しと会える、貴重な機会。普段多忙なメンバーが全員揃っての、グループ初の全国ツアーだ。

 ライブやコンサートというものは、知らない人からすれば一瞬のようで、ファンからすれば開演よりも随分早くから始まっているものだ。

 遠征民は会場近くのホテルに前泊もざらだし、そのために事前に交通機関の時刻を調べたり飛行機や新幹線を予約したりする。
 地元民だって前々からイメージネイルを考えてオーダーしたり、推しカラーのアクセサリーや服を探したり、当日も早起きして現場近くの美容室でヘアメイクしたりする。
 それは推しに自分を見て貰えるかも知れない、とか言う願望よりも、推しの視界に一瞬だとしても雑だったり適当なものを入れたくない自己満足だ。もちろん、推し色を身に纏うことで一目でファンだとわかって貰えるのもある。

 他にもライブに合わせて休みを調整したり、セットリストを予想して楽曲を聴き込んだり、そもそもチケットを取るために何ヵ月も前からシリアル付きのCDを積んで応募したり。
 奇跡のようなその日を満喫するためには、ずっとずっと前から地道な努力と準備が必要なのだ。

 そんな長い準備を経てやっと当日を迎えこのライブ会場に集まったファン達は、あとはライブを楽しむだけ……とはいかない。

「ねー、やばい。そろそろ始まるんだけど……めっちゃ緊張する!」
「青月くん無限回収してまーす! ランブロは銀河くん、翠心くん各種提供可能、アクスタは赤星くんも出せまーす……!」
「ねえねえ、無理! くじ! サインTシャツ当たったんだけど!? 私明日死ぬ!?」

 開演時間の何時間も前から物販のために並んだり、何なら物販のための整理券を貰うために並んだりする。数量限定のグッズや、ライブ会場限定のくじが目当てだ。ペンライトなんかの大半のグッズの事前通販はあれど、現地は現地。持ってるグッズを更に記念やお布施のように買う人も居る。
 ブロマイドやアクリルスタンドなんかは誰が出るかわからないランダムグッズの場合もあるし、現場によってはくじの引けるCDアルバムなんかの高額商品もある。

 長机の簡易レジで札束が行き交い、同じものを何十個と買って抱え外で次々ブラインド商品を開封し一喜一憂する女の子たちの様は、端から見るといっそ異様だろう。それも愛ゆえだ。

「あ、燈夜くんのアクスタ自引きした……ふふ、もう五個持ってるけど、当日お迎えの子は特別だな……他の子はどうしよ……」
「あの、すみません。赤星くん推しですか? もし青月くんお持ちでしたら交換お願いしたいんですけど……」
「えっ、あ……はい、ぜひ!」

 こうして知らない人と交換が決まりやすいのも、推し色を身につけるメリットだ。
 わたしはたくさん手元にきた愛する人の分身を大切に袋にしまい、鞄の中に閉じ込める。

 物販を終えてからは、開場の時間までイベントポスターの前でメンバーのアクリルスタンドやぬいぐるみを撮ったり、友達同士でコーディネートを合わせてライブのグッズを手に記念撮影したり、メンバーそれぞれに割り当てられたメンバーカラー……いわゆる推し色を纏いながら、余すことなくライブ会場の空気を楽しむ。
 そんな風にいろいろして既に疲れているはずのみんなは、これから来る待ちに待った時間の訪れを想い、幸せそうなキラキラとした笑顔を見せる。

 そんな仲間たちを見ていると、体力のないわたしも自然と力が湧いてきて、わくわくとしてしまう。
 推し方にはいろいろな形があるけれど、みんな本当に彼らを愛しているのだと伝わってきた。あまり現地に来られないわたしも、その一員となれているようで誇らしささえあった。

 今夜は、そんな期待に膨れたみんなの愛が爆発するのだ。きっとこの場所が、世界一愛で溢れた空間になる。そんな確信があった。

「開演一時間前になりましたので、ただいまより入場開始です。チケットをお手元にご用意の上、スタッフの指示に従ってお進みくださーい!」

 スタッフの声を聞いて、蟻の行列みたいにみんながぞろぞろと動き出す。
 今回のライブはStarry Night初の全国ツアーで、移動を繰り返す都合上この会場でやるのは今日の夜公演のみだ。

 キャパが千に満たない狭い箱で、さらにはチケット戦争を勝ち抜いた前から六列目のセンターブロック。近い上にステージ全体を見渡せる良席。
 そんな距離で生まれて初めて燈夜くんを生で見られるドキドキで、昨日は眠れなかった。

「本番中気絶しないようにしなきゃ……ソロ参戦だから諸々頼れる人がいない……」

 ライブの時間は二時間。その二時間のために、何ヵ月も前からたくさん準備してきたのだ。それがやっと報われる。
 正直、燈夜くんに会える緊張ですでにどうにかなりそうだったけれど、発券から今日までお守りのようにしてきたチケットの半券と引き換えにラバーバンドを貰って、わたしは会場に足を踏み入れた。

 貰ったラバーバンドを腕につけ、今日のために買った推しの色である赤いリボンとイヤリングを揺らして、チケットに印字された座席に腰掛ける。
 どうせライブ中は立ちっぱなしなのだ、今の内に足を休めておかなくてはいけない。

 開演前の期待に膨らんだみんなの空気は、風船ならふわふわとどこまでも飛んでいってしまうだろう。
 みんなクリスマスの朝サンタクロースのプレゼントを見つけた子供のように目を輝かせ、袋の中身は何だろうと、まだ演者の居ないステージを見上げてそわそわとしている。

 スマホの電源を切って、荷物を邪魔にならないよう纏める。ペンライトの点灯チェックも忘れない。

『……あー、聞こえてる? Starry Nightの赤星燈夜。スマホの電源は落として、閉まって。俺の声だけ聞いて』
『どうもー、銀河廻でっす。スタナイ全国ツアー【下弦の月】に参加してくれてありがとう! もう少しで会えるから、ロビーに居る子もそろそろ客席で良い子にして待っててね』
『青月一彩です。先程スタッフさんがアナウンスしてくれた本イベントの注意事項を守って、今夜は楽しんでいってくださいね!』
『翠心輝だよー、盛り上がる準備は出来てるかーってね! テンション上がるのは良いけど、他のお客さんをペンラで殴ったり、撮影録音はメッ、だよ?』
『……マイクで輝を殴んのは?』
『ダメに決まってるね!?』
『あははっ』
「ひぇえ……仲良しのノリ尊い……」

 開演十分前に流れたのは、メンバーからの上演に関する注意事項のアナウンス。愛する彼らの声を聞くだけで、客席からは悲鳴が上がった。ライブが始まる前からボルテージはマックスだ。

 やがて、不意に会場は闇に包まれた。世界が滅んでしまったかのような暗転の中、一瞬でざわめきは消え、観客の目線はスモークの焚かれたステージの上に自然と集まる。

 そんな期待と注目の中、夜空を照らす星のように彼らは現れた。

「燈夜くん……本物だぁ……」

 ステージ中央で客席を見下ろす、最愛の人。思わず呟いた彼の名前は、すぐに始まった演奏に掻き消される。

 大きなスピーカーから響く重低音のサウンドと、CD音源とは違う彼らの生の歌声が空気を揺らして、直接身体を突き抜けていく。
 それはときめくだとかそんな生易しいものじゃない。心臓を鷲掴みにされて直接揺さぶられるような、そんな感覚。

 恋よりも激しく、愛よりも重い音の波。目の前で繰り広げられるパフォーマンスと身体全体を包む音楽で他のことすべて頭の中から消え去って、わたしは彼らの作り上げる世界を一心に受け取るだけの、真っ白なキャンバスに成り果てる。

 この瞬間、間違いなくこの場の全員が感じているだろう。
 わたしは、今この時のためだけに生きてきたのだ。LIVEという言葉の意味を、改めて実感した。

「……わたしも、燈夜くんも……今ここで生きてる……」

 指の先まで洗練された動きと、照明に照らされて光る汗。ステージに映え翻る衣装と、絶えず振動する空気。
 グループで作り上げる世界観、四人で一つのステージなのに、気付くと燈夜くんしか目に入らない。

 客観的に見て、ダンスなら青月くんの方がキレがあって魅せ方が上手いし、歌は翠心くんの方が耳馴染みがいい声をしているし、体躯や笑顔のファンサなら銀河くんの方が目を惹く。

 それでもわたしは赤いペンライトを祈るように胸元に掲げたまま、光に吸い寄せられる夜光虫のように他所見することなく燈夜くんを追う。
 しなやかな四肢の動きも、時折掠れる低い声も、パフォーマンスに真剣な鋭い眼差しも、どの瞬間も愛おしい。

 ああ、自分の瞬きが鬱陶しい。目蓋の遮る一瞬さえ逃さず、彼が呼吸する際の髪の毛の動きひとつさえ、網膜に焼き付けたかった。

 立て続けに奏でられる今日まで何百回と繰り返し聴いた曲と、ファンサービスを交えながら踊り続ける彼らの圧巻のステージに、会場中の愛が爆発する。

 ペンライトの織り成す鮮やかな光の海が、彼らの名を表す星空のよう。
 わたしたちはこの夜に、きっと改めて世界一の恋をしている。

 激しいサウンドは炎のように身体と魂を揺さぶって、しっとりとした曲は水のように心の奥までじんわりと沁み込んできて涙が滲む。
 ステージの世界観が世界そのもので、彼の一挙一動に感覚の全てを持っていかれるような錯覚。その高揚のまま、いっそこの幸福のまま死んでしまっても構わないとさえ感じる。

 何とかこの感動を伝えたくて、この命を差し出してしまいたくて、わたしはそっと胸の前で両手を使ってハートを作った。

「……えっ」

 すると、目が合った。そう感じるのは、ファンの都合のいい勘違い。そう思うのに、ダメだった。
 差し出されたハートを掴んだとばかりに、他でもない愛する燈夜くんが拳をまっすぐわたしの居る方に付き出して、奪い取るように強引な仕草でその手を引く。
 そんな動き、こんな明るい曲の振り付けにはない。

 そして向けられた悪戯な笑みに、心臓を奪われただけでなく撃ち抜かれた。
 先程生を実感したばかりだったけれど、わたしは今、一瞬にして千回くらい死んだかも知れない。

 正直、そこから先の記憶が曖昧だ。
 濃密で愛しい時間は、あっという間だった。ツアーならではのご当地ネタを交えたMCも、メンバー内のデュエット曲やソロ曲も、夢のような時間は数倍速で進んでいく。
 気付いたら終わっていた演目に、メンバーが去ってから気付く。終わってしまう。そう考えたら耐えられなくて、アンコールは切実に、泣きそうになりながら手を叩いた。

 物販でも売られていたツアーTシャツに身を包んだメンバーが再び現れた時には、歓喜に震えた。
 アンコールの三曲はもう燈夜くんと目が合うことはなくて、手を振ったり客席全体へのファンサービスを享受するだけ。他のメンバーからも目線を貰えた気がしたけれど、ただ嬉しいばかりであの心臓を貫くような衝撃は訪れない。

 わたしは残りの数分を噛み締めるようにしながら音の波に乗り、愛する彼とお揃いのラバーバンドを揺らしながら、最後の瞬間までその空間を満喫した。

「みんなありがとう、愛してるよ」
「……わたしも、愛してる」


*******


 会場を出てすっかり暗くなった空を見上げると、本物の星空はペンライトの光の海に比べて遥か遠く、先程までの光景が全部夢だったんじゃないかとさえ思える。

 けれど、遠くに光る三日月が笑っているようで、それはステージで花咲くように綻ぶ燈夜くんの笑顔に似ていた。わたしはアクリルスタンドを掲げて、空に向かって微笑み返す。

「ありがとう……燈夜くん。世界一幸せな夜だった」

 確かにあの時、一瞬目が合って、彼に魂ごと奪われた。あの瞬間が泡沫の夢だったとしても、幻だったとしても構わない。跳ねた鼓動は、その衝撃は本物だ。わたしは鮮明な内に、何度も記憶を反芻した。

 ライブの帰り道には同じように恍惚に浸るファンたちが居て、歩く度にその数が減っていった。それぞれが日常へと帰るのだ。
 熱の余韻を残したまま辿る、夢の終わり。叶うことならずっと、あの時間の中に居たかった。あの刹那を永遠にしたかった。

 それでも、明日は仕事だ。これから新幹線に乗って、わたしは現実に戻らなくてはいけない。家に帰りつくのは日付を越えた後だろう。

 電車待ちの駅のホームで、わたしはライブ終わりの写真を載せてくれるメンバーのSNSをチェックする。
 そして『いいね』と押した赤いハートは、すぐにたくさんの数字の内のひとつになる。
 きっともう二度と、燈夜くんがわたしのハートだけをまっすぐ奪ってくれることはない。

「それでも……燈夜くん、愛してる……」

 本来決して交わることのない、叶うこともないこの気持ち。彼と付き合いたいだとか、そんな夢を見るつもりもない。
 けれど、どうしようもない程溢れるこの気持ちを止める術を、わたしは知らなかった。

 元々人より身体も弱く、人見知りで誰かと関わることが苦手だったわたしが、一人でライブのために遠征して、知らない人とグッズ交換なんて出来るくらいに強くなれたのは、燈夜くんに恋をしたからだった。
 Starry Nightと出会えたから、わたしは今こうして生きている。

 やがてやってきた電車に乗り込み、会場で身体を貫いたスピーカーからのサウンドより遥かに静かに揺られながら、夢の地を後にする。

 SNSでライブの感想を呟いたり、他の参加者の感想を眺めたりしながら過ぎ行く可惜夜の中、わたしはそっと目を閉じる。
 目蓋の裏で何度でも思い浮かべる、もう二度と向けられることのない愛しい瞳。赤い光の海で交わった、一瞬の奇跡。
 わたしはあの瞬間を永遠にするように、ぽかりと空いた胸の奥に、深くこの夜を刻んだ。

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