「よーし! 俺が来たからには安心しろー!」
「賢哲さんかぃ……期待薄だねぇ……」
「そりゃひでぇなお葉ちゃんよぉ!」
つるりとその禿頭をひと撫でした賢哲さん、ロバくらいもある大きな狐の背の上から辺りを見回し続けました。
「おいおい、本格的に酷えな良人のやつ……。生きてんのそれ? 念仏いるか?」
「ふ……ふふふふ。己れで坊主を段取り済みとは恐れ入ったぞリョーアン。ふ――ふははははは!」
なにが面白いってんだヨルのバカ! いつもの能面無表情はどこいったってんだよ!
「賢哲さん! 良庵せんせが死ぬわけないだろ! バカ言ってるとただじゃおかないよ!」
見た目は確かにずたずたのぼろぼろだけどね、命に関わる様な重大な怪我はすでにあらかた治癒済み。んなこと言ってると先に念仏聞く羽目にしてやるよ!?
「ま、冗談はさて置き。この浅黒い肌の男前が噂のヨルって奴か……。けっ! 俺様の幼馴染をこんなにしてくれやが――」
「――賢哲うるさい。重いから退け!」
賢哲さんを背に乗せた黒い毛の狐が大きく棹立ち。啖呵を切ってた最中の賢哲さんは当然落っこちて地べたにべちゃり。
――別にどうでも良いけどさ、緊迫感どっかやるの止めてくれないかい……
「ぐべっ――! 痛え! シチ! こら! 酷えじゃねえか!」
シチ? シチってあの、ウチ来て結界に捕まったヨルの尾っぽの……?
そりゃしーちゃんたちと違って黒い毛の狐だから黒狐なのは分かってたけど、まさかあのシチだってのかい。
なんだか賢哲さんと仲良さそうだけど、一体なにがどうなってそうなんのさ?
でも、んなこたどうだって良いや。
なにしに来たのか知らないけど、せっかく賢哲さんが作ってくれたこの隙にせんせを癒しきらなきゃ!
「お葉、さん……傷が癒えてくのって……けっこう、痛いものです……ね」
「せんせっ! 喋らなくて良いから! 無理矢理癒やすってのはそういうもんです!」
潰れちまってた腑はすっかり治癒できてますけど、折れた骨や千切れた腱、裂けた肌なんかはいま真っ最中だから。
痛みを感じる神経とかいうのが伸びたり繋がったり太くなったり、なんかそんな感じで蠢いてんだ。痛いに決まってるよ。
けど焼かれた雪駄に加えて素振り刀も折られちまった今、あたしがやる事は一つだけ。
あたしの命に替えてもせんせを癒して逃がす、これだけ。
ごめんよせんせ。もうちょいと間の辛抱だからね。
あ、ついでに一応、賢哲さんも逃してやんなきゃだね。
「それで坊ず――いや、坊主はどうでも良い」
「あ、ホント? じゃちょっと下がってやすから」
……ほんと一体なにしに来たんだいあのクソ坊主は――
けどなんだって良いからさ、も少しあたしに時間を使わせておくれ。頼むからさ。
「シチ。貴様、どういうつもりだ?」
クソ坊主は置いといて、ヨルのその言葉にビクッと体を震わせたシチがその身を縮め、そして人の姿をとりました。
シチは結界に捕まった時と同じ、色気漂う綺麗な女の姿。なんでかいつまでも幼女姿のしーちゃんが見たら怒っちまいそうだねぇ。
「おっ? いきなり大人の姿の方かよ。シチも本気だぜこりゃぁ」
? このクソ坊主は何言ってんだい? ちっとも分かんないねぇ。
「ところで賢哲さんは何しに来たんです? なんか楽しそうでムカっ腹なんですけど?」
「お、俺だって別にただ野次馬しに来たわけじゃぁない。ほんとだってば」
あたしに睨まれ少し怯んだ賢哲さん。
「あ、そうですか。なら一体?」
「ほら、これ良人に返そうと思ってよ」
賢哲さんの手には十数枚ほどの、良庵せんせお手製の呪符。
「わざわざこれを――?」
「これが多いのか少ないのか、役に立つかも分かんねえんだけどよ、少しでも役に立てば良いなって思ったもんだからよ。良人要るか?」
せんせのさっきまでの素振りからすりゃ、まだまだ呪符の手持ちもありそうでしたけど――
「正直言って助かるよ賢哲。準備した呪符もかなり使ってしまってな、少しずつ呪符の量を減らしてたんだが減らしすぎたみたいで――この通りさ」
せんせは両手にそれぞれ持った素振り刀の成れの果て、ヨルのドーマンに叩き折られたそれを少し持ち上げてみせたんだ。
そっか。素振り刀と一緒に握り込んでた呪符を節約しようとしてたんだね。
失敗したとは言え、せんせってば野巫使って戦うの初めての筈だろうに、めちゃくちゃ勘が良いですねぇ。
惜しむらくは、最初の相手が黒狐の棟梁だったって事だねぇ……――よし! これでせんせの傷も癒えた筈だよ!
あたしの髪で描いた治癒の図柄をせんせの胸に乗せ、それに巫戟を流し続ける事で全身の治癒をずっと続けてたんだ。話しながらね。
「せんせ、立てますか?」
「ええ。ありがとうお葉さ――うぐっ」
「ホントに治ってんのかよ? 痛そうだぜ?」
「無理矢理治してんだから。治ったばっかのとこに血が巡る痛みがあるんですよ。だから横になってるより立ち上がった方が早く巡って良いんですよ」
走って逃げて貰わなきゃいけませんからね。
なんてあたしが思案してると、バシッと誰かを叩くような音が響いたんですよ。
そちらに視線をやると、ヨルに頬を張られたらしいシチが地べたに伏してたんだ。
「こらヨル! 女叩くなバカ!」
賢哲さんがあたしと良庵せんせの後ろに隠れてそんな事言ってます。でもそうだね、あたしも賛成だよ。それが自分の尾っぽで女とか男とか関係なくてもね。
「黙れ。殺すぞ」
「分かった――黙りやすごめんなさい」
ヨルに睨まれ即座に謝る賢哲さん。ま、そんで良いんじゃないですか。
「シチ。貴様、オレに従わんと言うのか?」
「従わないなんて! た、ただ――アタシはただ……ヨル様が好き……ヨル様を愛してるんです!」
……え? そうなのかぃ?
「よっしゃ! よく言ったぜシチ!」
いや、でもほら、それ自分の尾っぽだろ? それに尾っぽにゃ性別なんてない、どっちよりっぽいかって性格の差があるだけでさ。だって尾っぽだもん。
「ア、アタシが! アタシがヨル様に尽くします! 好きでもない白狐の女なんて――もう良いじゃないですか!」
はぁ、と深く溜め息ついたヨルが静かにゆっくりと口を開きました。
「だから貴様は、先に帰れと言った俺の命令に従わずに、リョーアンへ妖魔を嗾けていたと言うのか?」
「ヨ、ヨル様のためになると思って……」
「……シチ。来い」
「ヨル様!」
ヨルは両手を広げ、シチを受け入れる様な姿勢。嬉しそうに駆け寄るシチをふわっと抱きしめたヨルが続けました。
「シチ――。貴様は要らん。生え直せ」
ヨルの腕の中、シチのその背から、あのドーマンが飛び出してっちまった。