じりじりと耳を焼く蝉の声で目が覚めた。
カーテンが閉まっていても、外はずいぶん明るいのがわかる。
時計を見れば、もう八時を過ぎている。
隣に咲弥くんの姿はない。
起き上がると、テーブルにルーズリーフの紙と鍵が置いてあるのを見つけた。

『朝練があるから先に出るよ。鍵はポストに入れておいて』

そういえばすっかり忘れていたけれど、咲弥くんは毎日サッカーの朝練があるらしいと壱星が言っていた。
夜遅くまで付き合わせて申し訳なかったな。

文字をまじまじと見て感心してしまった。
顔は似ていないし性格も真逆なのに、少し下手な丸文字は壱星の字とそっくりだ。
遺伝子というのは不思議だ。
やっぱりふたりは兄弟なんだと……壊してはいけない関係なのだと、あらためて思う。

スマホでメッセージを送ろうかと思ったけれど、少し考えた末にテーブルのペンを手にとった。
無機質なメッセージよりも、ちゃんと文字で思いを伝をえたい。

ルーズリーフの余白に、『ありがとう』と書きこむ。
——私の願いに付き合ってくれてありがとう

そして迷いつつも、『ごめんね』と付け足した。
——突然来て迷惑をかけてごめんね

『ごめんね』に隠されたもうひとつの意味を咲弥くんが知るのは、きっともう少し先。


駅までの道のりを歩きながら、天を見上げた。
雲ひとつない東の空から、太陽が容赦なく光を放っている。
今頃月はどこにいるんだろう。
行方はわからないけれど、今夜はいくら晴れていても月明かりは見られない。
新月——『朔』の日だから。

不思議ともう迷いはなかった。
スマホで壱星のアドレス開き、思いつくまま画面をタッチした。

『ごめん。もう別れよう』

送信ボタンを押して、スマホをバッグの中に入れた。
壱星から返ってくるのがどんな言葉であっても、私はもうこの結論を翻すことができない。
壱星もきっとそれはわかっているだろう。

あなたの『願い』を叶えられなくてごめんね、咲弥くん。
けれど、これが壱星への精一杯の誠意。
そして私なりの、咲弥くんへの想いの伝え方。

「……さよなら。元気でね」

自覚した瞬間に失恋が決定した恋心は、胸の奥にしまって。
私はひとり、始まりの夜を迎えるために歩き出す。