二日月の夜に

「ねえ、冗談だけどね」
「なに?」
「私も咲弥くんに会えなくなるの嫌だよ」
「冗談なんだ。それ傷つくんだけど」
「あ、えっと、そうじゃなくて」

慌てる私に、咲弥くんは肩を揺らしてくつくつと笑う。

「俺も冗談なんだけどさ」
「なに?」
「いっそ会えなくなったほうがいいかもって、思ったことあるよ」
「冗談でも、それ傷つくよ?」
「はは、ごめん」

冗談だけどね。冗談だけどさ。
そんな前置きをして交わされる言葉は、罪の意識をなくしてくれる。

エアコンはタイマーで消えたものの扇風機は稼働していて、規則的に首を回し、時折私の元へ風を運ぶ。
ふわりとカーテンの端が浮いて窓枠が見え、あることを思い出した。

「ねえ、月が今満ちてるのか欠けてるのかわかる?」
「んー、二,三日前は半月が少し欠けた形だった気がするけど、今はどうかなあ」
「じゃあ、明日は新月だよ。今日の月は糸みたいに細くなってたから」
「そっか、明日は俺の日か」
「俺の日?」

咲弥くんは意味ありげににやりと笑い、長いひとさし指で宙に文字を書き始める。

「新月は、別名『(さく)』っていうんだよ。始まりって意味」
「始まり……」
「本当は、親はその漢字で『朔弥』にしたかったらしいんだけど、字画が悪くて諦めたんだってさ」

なるほど、と納得した。
咲弥と壱星。兄弟で全く関連のない名前だと思っていたけれど、本当は月と星を表していたんだ。

「冗談じゃなくて本音だけど」
「なに?」
「始まりの『朔』のほうがかっこいいね」
「実は俺もそう思ってる」

一拍置いて、お互い噴き出して笑った。
くだらない話をしながら笑い合っているうちに、だんだんと瞼が重くなってきた。
さっきまで眠れないと思っていた自分はどこに行ったんだろう。
もっと話していたいのに、眠気に抗えない。
私の頭が回らなくなっているのは、咲弥くんにはすぐにバレてしまったようだ。

「そろそろ寝ようか」
「……寝たくないな」
「なんで?」
「寝たら手離しちゃうでしょ。それ、嫌だから」

とろんと溶けそうな脳みそで、かろうじて「冗談だけど」と付け足した。
繋いでいた手が、少しだけ力を増す。

「ちゃんと朝まで繋いでるよ。俺も離すの嫌だから」

咲弥くんも、「冗談だけど」と付け足す。
壱星のことを思えば、私たちが伝え合えるのはこれが限度だ。
明日になれば、もう冗談ですら言えなくなる。

「おやすみ」
「うん、おやすみなさい」

ふわふわと夢の世界に誘われて意識が沈んでいく最中、額にやわらかい何かがそっと触れ、ゆっくりと離れる感覚がした。

瞼の裏が、熱くなった。