三本目を飲み干したらしい咲弥くんが立ち上がる気配と、ナイロン袋の音がした。
テーブルのほうを見れば、咲弥くんがビールやスナック菓子の袋を片付けてくれている。
慌てて上体を起こした。

「ごめん、私やるよ」
「いいよ、寝てな。すぐ終わるし」

自己嫌悪でため息が漏れた。
壱星に片付けろなんて言ったくせに、私もひとの家に来ておいて片付けもしないで寝ようとしていたなんて。
それなのに、咲弥くんは嫌な顔ひとつしない。
さっきだって、多分気を使って壱星の話題は避けてくれていたし、たくさん私を笑わせようとしてくれていた。
……やさしいひとなのだ、とても。

「ねえ」

咲弥くんはゴミ箱を縛りながら「ん?」とこちらを見る。
短い返事があまりにもやわらかくて、気が緩んだ。

「隣で寝て」

咲弥くんの手が止まった。
空気が変わったほんの数秒、沈黙に耐えられなくなったのは私のほう。

「冗談だよ、ごめん」

再び横になり、テーブルから背を向けた。
何を考えているんだろう、私。
こんなの、私と浮気してくださいって言っているようなものじゃない。
恥ずかしくて夏掛けを口元まで引き上げると、「電気消すよ」とパッと視界が暗くなった。
足音が近づいてきてベッドが軋んだと思ったら、背中に温い気配を感じた。
微かに触れた固い感触から、咲弥くんが私に背を向けて横になっているのがわかる。

「シングルにふたりは狭いなあ」

後ろから苦笑いが聞こえた。
狭いと感じるのは当然だ。
多分咲弥くんは、私に触れないように少し距離を空けてくれている。

「ごめん。寝づらいよね」
「いや、大丈夫」
「身体はみ出てるんじゃない?」
「ちょっとね。でも、元々寝相悪いから平気」

寝相がどうとかいう問題じゃないんだけど、と言いかけてやめた。
隣で寝てほしいと言ったのは私なのに、そんなことを言ったら追い出そうとしているみたいだ。

会話が途切れ、部屋の中がしんと静まり返る。
タイマーになっていたエアコンが切れ、早く眠れと告げるけれど、さっきまであくびをしていたくせに眠れる気がしない。
狭いスペースで寝返りを打つと、咲弥くんの広い背中が目に映った。

「……まだ起きてる?」
「起きてるよ」

小声で訊ねると、なぜか咲弥くんも小声で返してきて笑ってしまった。

「ねえ、冗談だけど」
「なに?」
「手、握っててほしい」

冗談だけど、と前置きしたくせに、心臓が早鐘を打ち始める。
咲弥くんはゆっくりと寝返りを打ってこちらを見た。
だいぶ酔ってるね、なんて笑ってくれればいいと思ったけれど、彼は穏やかな表情のまま何も言わずに右手で私の左手を握った。
控えめに、そっと指を絡めて。
充足感と胸の奥が甘く疼く感覚が、ぐちゃぐちゃだった頭の中をクリアにしていく。

――気づいてしまった。
壱星にはもう感じないものを、咲弥くんがくれることに。

「……変なお願いばっかりしてごめんね」
「謝らないでよ。弱ってるんでしょ。今日だけこうしててあげるよ」
「……今日だけ、なんだ」
「ん?なんか言った?」
「ううん、なんでもない」

私は馬鹿だ。
聞こえないように呟いたのに、聞こえていなかったことを残念に思っている自分がいる。
聞こえていても、咲弥くんを困惑させてしまうだけなのに。
少しして、咲弥くんがぽつりと口を開く。

「……だけ、だよ」

意味を取り損ねて咲弥くんを見ると、彼は眉尻を下げて表情を緩める。

「壊したくないからさ」

言葉の意味を瞬時に理解して、羞恥で顔が熱くなった。
もしも今夜私との間に何かあれば、咲弥くんと壱星の仲に亀裂が入るのだ。
雰囲気に酔って自分のことばかり考えていた私が、とても浅はかで愚かに思えた。

「わかってるよ。冗談だってば」

笑い混じりに明るく答えた。
そう、冗談にしてしまえばいいんだ。
今咲弥くんに対して感じている気持ちも、全部。