目が覚めると、カーテンの隙間から陽が差し込んでいた。今年の梅雨入りは遅れているらしいが、来週からは雨の予報だったはずだ。晴れ間を拝めるのは今週が最後かもしれない。
隣では明人さんが眠っていた。手櫛で髪をとかしながらしばらくその寝顔を眺めていると、小さな呻き声とともにその瞼が動いた。

「……あ、起きましたか」
「うん……二日酔いだな、こりゃ」
「わたしも頭が痛いです」

痛いのは頭だけではなかったが、口にするのは野暮なのでやめた。明人さんが起き上がってキッチンへ向かう。しばらくして、ごちゃごちゃに散らかったままのテーブルに味噌汁が2つ並べられた。

「あいにくしじみ汁はなかったけど……インスタントでも飲んだら多少はましになるだろう」
「ありがとうございます」

いつ消したのか記憶にないテレビをつけると、ワイドショーが始まっていた。左上の時間表記は10時過ぎを示している。ぼんやりと画面を眺めながら味噌汁を啜った。
ソファに座った2人の距離は、昨日、飲み始めた時と同じくらいだ。

「そういえば昨日、お風呂入ってないでしょ。そのまま帰るのも嫌だろうし、シャワーどうぞ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますね」

使ったことのない銘柄のシャンプーを借りてシャワーを済ませると、明人さんはテーブルの上を綺麗に片付けてくれていた。さっきまでぐだぐだと二日酔いにかまけてだれていたのが嘘のように、身支度もきっちり整えている。織柄の半袖シャツがよく似合っていた。

「ゆっくり支度していいから。俺も今日は予定ないし」
「……それなら」

せっかくならどこかへ出かけませんかと言いかけてやめた。わたしは明人さんの――藤村課長の何者でもないし、何者にもならない。たった一夜の出来事を勘違いするような馬鹿な女にはなりたくない。

わたしたちは大人だ。心と行動が一致しないことなどいくらでもあるのだと、痛いほど知っている。

「ん?」
「いえ、なんでもないです。すぐに準備して帰りますね」
「――うん」

ベッドを整えてくると言って、課長は寝室へ戻って行った。髪を乾かして、手持ちのフェイスパウダーとアイブロウだけで簡単にメイクを済ませる。前髪を下ろしているので、顔がしょぼくれているのは誤魔化せるはずだ。

わたしの支度がととのったところに課長が戻ってきた。荷物を持って立ち上がり、お辞儀をする。

「ごはんもお酒もご馳走になってしまって、ありがとうございます。これでお暇しますね」
「こちらこそ、急に声をかけたのに付き合ってくれてありがとう。……俺も外に出る用事があるから、駅まで送ってもいいかな」
「それは……もちろんです」

課長の目が、昨夜の甘えたようなそれと同じ光り方をしていたので、無碍にもできなかった。

外に出ると、今日も相変わらず日光が元気に降り注いでいた。暑い暑いと言いながら、じりじりと焼けるアスファルトを歩く。やがて、昨日の神社の前に来た。

「ねえ、もう一度だけここに寄ってもいいかな」

二つ返事で頷くと、課長は迷うことなく手水舎のほうへと歩いて行く。昨日会ったのと同じ場所で足を止めて、手水鉢に飾られた花々をじっと見つめている。

「紫陽花の花言葉って知ってる?」
「確か、あんまりいい言葉じゃないんですよね。――浮気、とか」
「そうだね。無情とか浮気とか、よくないほうは広く知られてる。でもそれだけじゃないんだよ。青や紫の紫陽花には『辛抱強い愛』、白の紫陽花には『一途な愛情』、ピンクなら『強い愛情』という花言葉もある」

手水舎に咲く様々な色の紫陽花を見て、課長がそう教えてくれた。
まるでわたしたちみたいだ。口にこそ出さないけれど、きっと同じことを考えている。

風が吹いて、水面が揺れた。

「そろそろ行こうか、桜木さん」
「はい」

泳ぐように揺れた花手水に背を向けて歩き出す。この花たちだって、長くて2週間の命だ。
課長の半歩後ろを歩きながら、さようなら、と口の中で呟いた。









Fin.