車の運転が出来るようになっても、皆で自転車に乗って田んぼ道を走ることを無くさないでいたいと思う。お酒を飲めるようになっても、ファミレスに集まってジュースで乾杯することをあえて選びたいと思う。
 今日、幼馴染の一人が二十歳の誕生日を迎えた。これでメンバー全員が二十歳になった。おめでとうの言葉が飛び交った後、初めてのお酒の感想が送られてくる。ビールが美味しくなかっただとか、梅酒は好きだったとか。今度全員で飲もう、と送られてきたことに嬉しく思いながら、少しだけ寂しさを感じた。


 「いや、私たちはもう十年以上の付き合いで、どちらかというと家族に近くて、お互いをそんな風には見てないんだって」
 「美玖はそうかもしれないけれど、幼馴染さんはどう美玖を見ているかわからないよね?第一、幼馴染さんと俺は知り合いでも何でもないし、信頼もしようがない」
 「たしかに、そうなんだけど。……わかった。けど、少し考えさせて」
 唐突にかかってきた彼氏である浩太からの通話を、そう言って切った。もう来る春を感じさせる、冷たくも柔らかな風が頬を撫でる。たった一人の帰り道も、寒さを感じさせないほどに暖かくなった。街灯に照らされた住宅街を抜けて、とぼとぼとした足取りで家へとゆっくり帰る。その途中、見つけた安い自販機。街灯の下で、古びた赤がぼんやりと光っていた。お金を入れ、適当にボタンを押した。いつも選ぶコーヒーやカフェオレなんかではなく、落ちてきたサイダー。口をつけてその独特の甘さに触れた時、無性に地元に帰りたくなった。

 幼馴染たちと遊びたい。旅行とまではいかなくても、一日遊んできていいかな
 なるべく遅くなりすぎないようにするし、逐一連絡するから

 浩太とのトーク画面を開いて、先ほど送った文章を眺めた。大学の授業で仲良くなり、最近付き合い出した浩太は、今までの彼氏に比べると異性関係への制限が多い方だと思う。サークルのメンバーとの飲みは、男がいる日は断るようになった。女性比率の高いバイトをしているのに、残業で帰りが遅くなると浮気を疑われる。SNSで繋がっていた異性は、一人一人関係性を説明した後に八割切らされた。そんな縛りに疲れながらも日常と化し、浩太との関係は続いていた。
 とはいえ私だって、男三人女一人で構成されている幼馴染グループでの予定を、彼氏に黙って決めるほど無神経ではない。精一杯の善意と配慮で連絡をしたつもりだった。それが、浩太にとってはあまりにも納得しがたい内容だったらしい。考え事は寄り道を誘惑し、段々と家から遠ざかっていく。ふらふらと辺りを歩いて見つけた公園に入り、ブランコに腰かけた。
 誰も居ない真っ暗な公園は閑散としていた。水たまりにボールが転がり、床には数々の落書きが残されていた。きっと、あの頃の「わたしたち」がここで遊んだあとだ。あの頃の、門限に縛られた私たちが名残惜しく去った、その後の知らない時間。こんな風だったんだな。暗くて怖いし、一人で寂しいはずなのに、そう思えば目の前の光景が愛おしく見えた。いつのまにか、大人になってしまった。
 
 ごめん。いいよとは言えない
 幼馴染さんたちが美玖にとって大切な人なのはわかってるけど

 連絡が来て明るくなったスマホ画面が浮かぶ。浩太からのメッセージを通知で読み、既読は付けずにスマホを閉じる。何もわかってない、咄嗟に反論が浮かんで飲み込む。男女というだけで、こんなにも穏やかにはいられないものなのか。うっすらとした嫌悪が胸に残る。男女が一緒にいるだけで全てを恋愛に結び付ける、学生時代の厄介な同級生が頭によぎる。あの時も私は、幼馴染の中で自分だけが女であることに悩んでいた。でも、他者から見たら私たち幼馴染の時間の積み重ねなどあってないようなもので、そう思われてしまうのも仕方のないことを、頭では理解していた。地面に足をつけたまま、ブランコを揺らす。きい、きい、と古い音が住宅街に響いた。空しかった。ブランコをいかに高く漕げるか、いかに遠くで飛び降りることが出来るか、そんなことを競っていたあの頃に戻りたい。無邪気さはもうもてなくなって、ブランコは静かに揺れるだけ。
 
 ごめん怒った?
 でも美玖が男だらけの中にいるのは俺が耐えられない

 既読がつかないことを不安に思ってか、立て続けに浩太からメッセージが送られてきた。返信をしなければと思うものの、億劫な気持ちが降り積もって心がずしんと重たくなる。この感情のままそっけなく返信をしたら、後々気まずくなるだけだ。喧嘩のようになって謝るのも気が向かない。サイダーを一気に飲み干して、軽くなったペットボトルを持て余した。

 逆に俺が幼馴染だって言って美玖の知らない三人の女の子と遊んでも嫌じゃないの?

 通知が来てまたスマホが明るくなる。この件が、浩太にとってどうしても譲れない内容であることを思い知った。私は浩太と付き合い続ける間、幼馴染たちとは疎遠になってしまうのか。もしこのまま浩太と長続きしたら、幼馴染たちと完全に縁が切れてしまう。それは絶対に耐えられない。恋人と異性の友人両方を、欲張ろうとする私が世間一般的にはずれているのだろうか。

 事前と事後の対応がきちんとされてるなら、行っておいでって言うよ
 その裏で俺が浮気するかもしれないんだよ?
 そうなったらそこまででしょ。別れる
 美玖は俺の事そんなに好きじゃないの?

 浩太に送り返したメッセージはすぐに既読がついて、やりとりが終わらずに続く。まるで私だけが間違っているような、挙句愛情が軽いかのような返信が来て、さすがに返さずにスマホを閉じた。もういい。どうにだってなればいい。やけになって乱暴に立ち上がるけれど、そんな私の行動が浩太をこうさせているのかもしれないと思いとどまり、トーク画面を再び開く。

 わかった。もう遊びたいって言わないし、連絡も特段の事が無い限りとらない
 だから、最後に一回だけご飯だけ行かせてよ、お願いだから

 そう打った。打ちながら涙が溢れた。こんなことで、十年以上の付き合いを失うのか。恋愛なんていつまで続くかわからない感情に任せて、幼馴染を切るのか。浩太と別れたいなんて一ミリも思っていないのに、別れる選択肢にどんどん傾いていることを自覚して涙が止まらない。打った文章を、消した。

 ごめん浩太
 別れたい

 あまりにも早急な判断だという事は、私もわかっている。でも、関係性の薄い異性のみならず私の大事な人までも私から引きはがす浩太とは、いられない。浩太への好意よりも、苦痛が勝ってしまった。価値観の違いだ。話し合っても歩み寄っても、どちらかに負担がかかるほどに、価値観が違うのだ。お互い離れた方が、きっと幸せになれる。つらつらと言い訳を並べて自分を納得させて、その言葉を送った。

 待って
 なんでそうなるの
 俺より幼馴染の方が大事って?

 連続で送られてくるメッセージに既読をつける。そういうところだよ、浩太。私にも非があるけれど、貴方のそういうところが理由なのだと。私はあなたに付き合いきれなかった。そしてあなたも私に付き合いきれなかった。ただそういうこと。
 公園のゴミ箱にサイダーのペットボトルを捨てて、後にした。何も考えたくなかった。紛らわせたかった。コンビニに入り、缶のチューハイを買う。横に浩太が好きだったビールが並んでいて、見て見ぬふりをした。涙でボロボロのメイクを、店員さんは気にも留めていなかった。こういう人がお酒を買いに来ることも、少なくないのだろうか。そういえば、年齢確認、されなかったな。
 コンビニの前のベンチに腰かけて缶を開けた。感情が荒れてしまった時、お酒という選択肢をとりたくない。そんなことを言っていた未成年の時の私を想う。時間には抗えない事実すらも、目を背けたい。缶を適当に写真に撮って、幼馴染たちのグループに送る。少し迷って文面をつくってから、送信ボタンを押した。

 疲れたから買って飲んでる
 今週弾丸で地元帰るんだけど、皆で飲もうよ