午前0時になるまでは

 呆然としたまま朝の支度をする。
 いつもと同じような朝。でも、昨日と確かに違うことがある。
 今日、私は失恋する。その事実が何をするにもまとわりついてくる。
 その事実から目を逸らすたびに、涼太のことが頭に浮かぶ。
 胸が痛む。目を逸らす。その繰り返し。
 もういっそ、涼太と顔を合わせずにこの恋を終わらしてしまおうか。
 そんな考えが胸をよぎる。
 だけどそんな私の思いもしらず、お母さんは私を学校に送り出す。
 私の足は嫌でも学校に向かい、いつもの風景が目の前を通り過ぎる。
 たくさんの声も、右耳から左耳へと通り抜けていく。

「風香?……ふうか…ねえちょっと風香、聞いてる?」

 はっと我に帰った時には、親友の志乃(しの)が私の顔を覗き込んでいた。
「風香、大丈夫?意識ある?」
「ああ…ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
 私は志乃に謝りながらちらりと涼太に目をやる。
 涼太もこちらを見ていて、目が合う。
 一瞬、時が止まったような感覚に陥った。
 呼吸が止まって、心臓さえも動きを止めた気がした。
 涼太は何か言いたげに口を開いて、でも何も言わずに目を逸らした。
 半分安堵、半分残念な気持ちのまま呼吸を再開させる。
 涼太は俯いて何かを考えていた。

 休み時間になって、涼太が私の席に来た。

「今日、家来ていい?」

 真っ直ぐに聞かれて、一瞬たじろいた。
 そもそも、なんで今日、私の家に来たがるんだろう。
「何で今日?」
「なんとなく」
 そっけなく返された。
 そんなに重要な用事じゃないなら、もういっそ断ってしまおうか。
 そうすれば私は、失恋せずにすむ。
 少なくとも今は。
 そう思って声を発しようとした、その時。
「………っ」
 声が、出なかった。
 断る声を発するのを、私の本能が拒んでいた。
「どうかした?」
 私の言葉が詰まったことに気づいたのか、涼太は不安そうに私の顔を覗き込んできた。
 私は慌てて答えた。
「いいよ。何時に来る?」
「そっか。7時くらいには来るよ」
 涼太は笑いながら去っていった。

 放課後。
 たまたま部活が休みだった私は、そのまま帰るのももったいない気がして、教室に残ってなんとなく窓の外に目を向けた。
 校庭では運動部が練習をしていた。
 顔見知りの人がいるかなと目を滑らせていると、涼太がいた。
 遠目からでもはっきりわかる、涼太の姿。
 涼太は陸上部で、今日も走っていた。
 二重の目、綺麗な鼻、可愛らしい唇、ふわふわの茶色い髪、ほどよく日に焼けた肌———-。
 しなやかな足は、驚くほど早く動いている。
 時にはハードルを飛び越えて、真っ直ぐに————。

 気づけば、涼太のことを目で追っていた。
 もう諦めたはずなのに、気づけば涼太のことばかり見てしまう。
 不思議だ。昨日にはまだ私が失恋するなんて知らなかったのに。
 ただ何も知らずに、涼太が好きだっただけだったのに……。
 どうして、予知夢なんていう能力を持ってしまったんだろう。
 こんなに心が痛むなら、こんな能力いらない。
 そう思いながらも、私の視線は涼太に吸い寄せられていく。
 だめだ。
 傷つくとわかっているのに、涼太がもっと、好きになる。
 だめだと感じるほど、涼太を見ていたくなって————。

「………あ」

 不意に、涼太がこっちを見た。
 そして、目があった。
 心臓を鷲掴みにされたように胸が痛い。でも、視線を逸らすことはできない。
 胸の痛みが治らない。呼吸が浅くなる。涼太の瞳に吸い寄せられるように見つめる————。

 はっと我に帰って、慌てて目を逸らした。
 まだ心臓がばくばくと音を立てている。
 整わない呼吸のまま、ちらりと涼太を見やる。
 まだこちらを見ていて、また何か言いたげな目をしていた。
 私はいたたまれなくなって、そっと目を逸らした。
 失恋という未来だけが、じわりと心に残った。