それでもそんな君が好き

「じゃあ次、舞踏会のシーンね!」


あっちゃんの一声でクラスのみんなが動き出す。
いよいよ文化祭準備期間となったこの高校は、あちらこちらでお祭りムードだ。

私はというと、ずっと大きな不安を抱えているからか、心はそわそわして落ち着かない。
だけど文化祭が終わるまでだと自分に言い聞かせて、今はとにかく練習を頑張っている。


「音楽かけるよー!」


スマホをタップすると愉快な音楽が流れ始めた。
ここの場面は音響や照明の係以外のほとんどの人が踊るシーンのひとつだ。
舞踏会だけれど、それっぽく踊るのは人魚姫役と王子様役のふたりだけ。
あとは舞踏会に似つかわしくない、楽しげでアップテンポな音楽に合わせてクラスのみんなが周りで踊る。

振付はダンス部の子たちが考えてくれた。
ここのシーン以外でも踊る場面があるし、クラス人数分の動きや振付を考えるのはとても大変だったと思う。
だからこそ私も一生懸命頑張りたいんだけれど……


「ゆーいー! なんか距離遠い! もっと桐谷に近づいて!」
「ご、ごめんっ」


謝りながらも彼にこれ以上近づくことはできなくて動けない。
だってただでさえ手は握ってるし、腰に手は当たってるしで心臓が限界なのだ。
これ以上近づいたら心臓が口から出てきてしまう。

困っているとあっちゃんが動き出すのが視界の端に見えた。
また怒られる……!
違う意味でドギマギしていると、突然ふわりと桐谷くんの香りが近づく。


「これでいいだろ」
「おお! おっけーおっけー! 本番もこれでお願いねー!」


あっちゃんはにこにこ笑顔だけれど、私の顔は真っ赤だと思う。
急に距離を詰めるなんて反則だ。
いや、桐谷くんが私のためにしてくれた行動だってことはわかっているんだけれど……!

彼は今なにを考えているんだろう。
いいから言われたとおりにさっさとやれよ、とか?
そんなことで恥ずかしがるとか初心だなー、とか?
無性に不安になってちらりと表情を伺うと、にやりと楽しそうに笑われた。


「困ってそうだったから」
「……それはどうもありがとう」


彼にドキドキさせられながらも、一日は慌ただしく過ぎていった。





「またのご来店お待ちしてます」
「ありがとう」


文化祭の練習が終わったあとのバイトはいつもよりもしんどい。
だけれど今日は幸いなことにお客さんが少なかった。
がらんとした店内に従業員の声が小さく響く。
奥の方で店長が「暇だなー」とマネージャーにこぼしているのが聞こえた。

とうとうやることもなくなってきて、次はなにをしようかと視線を動かすと、相田くんが私に近づいてくるのが見えた。


「ねえ、結衣ちゃんのクラスって文化祭なにするの?」
「私のクラスは人魚姫だよ。相田くんは?」
「オレのクラスはオリジナル。担任がはりきってるよ」
「えっ、それはすごいね」


私のクラスも力を入れていると思っていたけれど、まさか隣のクラスもだとは。
元になる作品がないのなら脚本を書くだけでも大変そうだ。


「結衣ちゃんは舞台に立つの?」
「えっ、うん」
「へえ。何役?」


そりゃもちろんこの会話の流れなら聞いてくるよね、と内心焦る。
わかっていたけれど嘘をついても文化祭の当日にわかってしまうし、正直に言うしかない。


「人魚姫役、だよ」


主人公をやるというのを話すのは少し気が重い。
お前が? って思われるのも怖いし、意外だねなんて笑われるのも落ち込むから。
だけど相田くんはそんな私の不安を知ってか知らずか「それはすごいね」とにこりと口元を緩める。


「もしかして推薦?」
「え、そうだけど……どうしてわかったの?」
「結衣ちゃん、自分から舞台に立ちたいって言わなそうだなって」


それはいったいどういう意味なんだろう……
いい意味なのか悪い意味なのか、相田くんの表情と口調ではわからなくて「あはは……」とこぼすことしかできない。


「ちなみに王子様は誰がするの?」
「桐谷くんだよ」
「へえ。キラキラした王子様って感じはしないけど、劇は面白くなりそうだね」


なんだかナチュラルに桐谷くんをけなしている気がする……
彼にはそういったつもりがないのかもしれないけれど、相田くん相手にツッコむ勇気はまだなくて他愛もない言葉を返す。

桐谷くんと相田くんは仲がよかったりするのかな。
ふたりが話しているのを見たことはないけれど、それは私が今まで気にしたことがなかったからなのだろうか。
人気者同士でもその理由が違うふたりは、当たり前だけれど性格も違う。

桐谷くんと相田くんが仲良く話しているイメージがわかなくて、実際のふたりはどんな会話をするのか気になってきてしまった。


また今度、桐谷くんに聞いてみようかな。
そんなことを頭の片隅で考えながらバイトの時間を過ごした。





「にゃー」
「しいちゃん、久しぶりだね」


バイトを終えた帰りにガレージに寄ると、しいちゃんに久しぶりに会った。
最近は文化祭の準備とバイトとで、忙しくてなかなか寄る時間がなかったのだ。

きょろきょろと辺りを見回す。
だけど人影は見つからなくて、少し残念な気持ちと、それならしいちゃんに話したいことを自由に話せるという喜びで半々だった。

いつものように冷たいコンクリートの上に座る。
するとしいちゃんも私の横まで歩いてきてそのまま足を曲げた。


「あともうちょっとで文化祭なんだ。私のクラスは人魚姫っていう劇するの。知ってる?」
「にゃあ」
「ふふ、一応魚のお話だからしいちゃんも楽しめるかも」


でもさすがに人魚は食べないよね?
なんて頭の片隅で考えて少し笑えてしまった。


「私、人魚姫の役もらったの。あ、桐谷くんは王子様役だよ」
「にゃー」
「いつもの桐谷くんからはあんまり想像できないよね。だけど……かっこいいんだよ」


頭に劇の稽古をしている桐谷くんが浮かぶ。
劇中の王子様は爽やかで優しく、穏やかな性格だ。
そんなキャラを演じる桐谷くんは正直王子様に似てはいない。
セリフも桐谷くんが日常では絶対言わないだろうと思うものばかりだ。

だけどそんな言葉も彼は恥ずかしがらずに演じる。
それが私にとっては意外で驚いた。
どちらかと言わずとも私の方が恥ずかしがるばかりで迷惑をかけている。


「桐谷くん演技上手いんだ。だから変にドキドキしちゃって」


あははと苦笑いしても、しいちゃんはこちらを見向きもしない。
それが悲しくもほっと安心してしまう。


「……演技だってわかってるのに、嬉しくなっちゃったりして。だめだよね」


魔女が邪魔しに陸にやって来るまでは、人魚姫は王子からの寵愛を受ける。
そのときのセリフや雰囲気が私にとってはドキドキしてたまらなかった。
舞台の上での私は早坂結衣ではなく人魚姫で、桐谷くんは王子様だってわかっているのに。
甘いセリフも優しいまなざしも、私に向けられていると勘違いしてしまう。


「……でも、好きだから仕方ない、よね?」
「へえ、結衣ちゃんって桐谷くんのこと好きなんだ」
「へっ!?」


突然ふってきた声に驚いて顔を上げる。
そこにはバイト先で別れたはずの相田くんがいた。


「えっ!? ど、どうしてここに」
「結衣ちゃん台本忘れてたから届けてあげようと思って」


そう笑顔で言って、右手に持った台本をひらひらさせる。
そんな相田くんに対して私はまだ動揺していて「ありがとう」と笑い返すことはできなかった。
まさかバイト先からここまでずっとついてきていたんだろうか。


「えっと、その、どこから聞いてた……?」
「んー、人魚姫の役もらったって言ってたとこかな」


そ、そんな前から……!?
嘘だと言ってほしい。
そこから聞かれていたなら上手く誤魔化すこともできない。


「ど、どうしてすぐに声かけてくれなかったの……?」
「結衣ちゃんの腹の底が見てみたかったから」


にこりと微笑まれて身震いする。
そんな私にはお構いなく、相田くんは私の隣に腰を下ろした。


「ほら、結衣ちゃんってなーんか得体の知れないとこあるなって思ってたからさ。気になって盗み聞きしちゃった」


ごめんね、と言いながら、彼からは悪びれた様子が全く見られない。
私からしたら相田くんの方が腹の底が見えなくて怖かった。


「それにしても猫に話しかけるなんてかわいいね。もしかしてそれでストレス発散してる? やっぱキャラ作ってんだ?」
「え、ええと……」


答えにくい質問をぽんぽんされて言葉に詰まる。
普通は仲のいい人でもしにくいのではないかという疑問も、彼は遠慮なしだ。
やっと動揺が治まってきて怒りがふつふつと湧いてきた。
相田くんと視線を合わせると、彼は少し目を見開いたあとに「ははっ」とおかしそうに笑った。


「悪気はないんだ、ただ結衣ちゃんのこと知りたくて。怒らないでよ」
「……私だって腹が立つことくらいあるよ」
「うん。結衣ちゃんは女神でも天使でもなくて人間だもんね」
「え……」


まさかそんなふうに言ってもらえるとは思わなくて驚く。
……そうだ、そうなんだ。
いちばん理解してほしいことを彼はわかっているのだと気づいて一気に怒りが収まっていく。
そしてだからこそ相田くんのことが余計怖くなった。


「……相田くんって不思議だよね。私は相田くんの方がよっぽど底知れないなって思うよ」


いつも笑顔で飄々としていて。
親しみやすさを感じるのに遠慮もデリカシーもなくて。
それなのに本質を見抜く洞察力がすごくて。
彼は私と同類だと思う反面、そうではないとも思う。


「オレはオレだよ。別にキャラ作ってるわけでもないし、嘘をついてるわけでもない。まあだからこそ胡散臭いとか言われんだよねー」


いつものようににこりと微笑まれる。
だけど私はいつものように笑い返すことはしなかった。


「オレみたいな人間がいると不思議?」
「……うん」
「ははっ。人間なんて不思議の集まりだからねー」


どこか達観した物言いをする相田くんと話していると、ふと遠くのシルエットに目が留まる。
駅から歩いてきている人の中にいるのは桐谷くんだった。
そういえば彼も今日はバイトがあると言っていた気がする。
このままでは相田くんとふたりでガレージにいたことがバレてしまう。
べつに悪いことをしていたわけじゃないのに、見つかりたくないと心臓が焦り始めた。

すぐ隣にいる相田くんの袖をぎゅっと掴む。


「こっちに来て!」
「なーに突然、かくれんぼでもすんの?」


完全におもしろがっているであろう彼はあっさりと従ってくれた。
ガレージの奥へと進んで、ソファーの後ろに隠れる。
身長が高い相田くんは少しはみだしていたけれど、夜で暗いし見つからないと信じたい。


「誰か来たの? 見つかったらなんかまずいの?」
「わーっ、しずかに、しずかにして!」


できるだけ小声で必死に伝えても彼は楽しそうに笑うだけだ。
ああもうどうしよう……!
この大物を自分の思い通りに動かすことなんて不可能だ。
心臓がバクバクと鳴っている。

するとすぐ近くで人の気配がした。
ちらりと伺うと、ガレージの入り口に桐谷くんが立っている。


「あれ? 結衣ちゃんのす――」


なにを言おうとしたのかはわからないけれど、とっさに相田くんの口を手でふさぐ。


「よ。早坂は来てねえのか」


なんとか桐谷くんには気づかれていないようで、しいちゃんに話しかけていた。
ドキンドキンと心臓が痛い。
おねがい、早く家に帰って。

そう願っていたのに。


「にゃー」


しいちゃんが鳴いたと思ったら、てくてくとこちらに歩いてくる。
桐谷くんは導かれるかのようについてきて――


「は? お前らなにしてんの」


あっさり見つかってしまった。
まさかしいちゃんも敵側だったとは。
いや、しいちゃんにはそんな意図はなかったと思うけれど。


「どーも、こんばんは。桐谷くん?」
「こんばんはじゃねえよ。俺はなにしてたかって聞いてんだけど」


私の手から簡単に逃れた相田くんはにこりと笑い、対して桐谷くんは眉間にしわを寄せて怒っている。
……ああもう、最悪だ。
どうしようと考えている間にふたりの話は進んでいく。


「ただ大事な話してただけだよ。それよりなんで桐谷くんがここに?」

「は? それはこっちのセリフだわ。なんで相田がいんだよ」

「オレは結衣ちゃんの忘れ物を届けに来たんだ~」

「忘れ物?」

「そう、文化祭の台本をね。オレたちバイト先一緒だから」


ね? とにこにこ微笑む相田くん。
は? マジかよとでも言いたそうな表情の桐谷くん。
そんなふたりの圧にけおされながら、こくりと頷いた。
反応が怖くて顔を上げることができない。


「それで桐谷くんはどうしてここに? さっきのセリフ的に結衣ちゃんに会いに来たとか?」
「あ、相田くんっ……!」


そんなことを聞かないでほしいと止めるが彼はもちろん止まらない。
肯定なら嬉しいが、否定なら悲しくて辛くなる。
期待なんてしたくないのにしてしまう。

ああもう。
どうしていちばん厄介な人に私の好きな人がバレてしまったんだろう。
いろいろな感情が洗濯機のようにぐるぐると回る中、自分がどうにかしないといけないと奮い立たせる。


「あの、相田くん――」


トントン、と呼びかけるために触れた手は、すぐに別の手によって離されてしまい驚く。


「そうだけど」
「えっ」


凛とした声が告げたのは肯定の言葉だった。


「へえ、結衣ちゃんと桐谷くんって仲いいんだね。意外だなあ」
「そうかもな。でも俺たち幼なじみだから」
「えっ」


今度は私と相田くんの声が重なった。
桐谷くんがわざわざそんなことを話したことに驚く。
いや、それ以前にどうして彼がこんなにけんか腰な態度なのかということについてもだ。

相田くんとは仲が悪いのだろうか。
でもそう考えるにしては、相田くんは桐谷くんと話すのが楽しそうだ。


「ふーん……ふたりって幼なじみなんだ……これはまたおもしろいネタだね」

「おい。おもしろがって広めんじゃねーぞ」

「ええ? じゃあなんでわざわざオレに教えたのさ。オレがそーゆー話好きなの知ってんだろ? それともそのリスクをとってでも牽制したかった?」


相田くんに対してずっと言い返していた桐谷くんが黙る。
桐谷くんが困っているのなら助けたいけれど、いったい何がどうなっているのか全くわからなくて口を出すこともできない。

するとずっと桐谷くんの方を見ていた相田くんが私の方へ首を動かした。


「あーでも、広めてほしくないのは結衣ちゃんの方かな? 桐谷くん人気者だしねえ、女の子の目が怖いよね」
「え、ええっと……それはそう、なんだけど……」


どうして彼は全部見透かしてしまうんだろう。
すごいとは思うけれど、怖いという感情の方が何倍も勝っている。
この状況で一言でも話したらまた自分の秘密を暴かれてしまうのではないかと思ってしまい、なんだかもう上手くしゃべることもできない。

……この空気、しんどいな。
そう思ったとき、相田くんはにぱっと笑った。


「あー、ごめんごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ。オレさ、人間に興味ありすぎてついつい深追いしちゃうんだよな」


かばんを背負いなおすと、そのままガレージの出入り口の方へ歩いていく。
そして振り向いた彼の表情はいつもの親しみを感じる笑顔だった。


「今日は結衣ちゃんと、桐谷くんと、ふたりともの腹の底を知れた気がするからさ、しばらくはその秘密黙っててあげる」

「……んでそんな上から目線なんだよ」

「えー? 人のこと言う前に、カッとなったらなんでもかんでも話しちゃうその性格、なおしたほうがいいと思うよ」

「あ、相田くんっ……!」


それは桐谷くんも気にしていることなのに……!
どうしてわざわざ人の地雷を踏んでいくんだろう。
やっぱり彼とは一生相容れないかもしれない。


「それじゃあ結衣ちゃん、桐谷くん、また学校でね。おやすみ~」


相田くんはにこにこ笑顔のまま手を振ると、そのまま駅へと歩いて行った。
彼の姿が見えなくなると途端に体の力が抜ける。
コンクリートの上に座り込むと、桐谷くんも隣に腰を下ろした。

「はあ~……」と大きなため息が聞こえる。
とんでもない嵐に巻き込んでしまった。


「ごめんね、桐谷くん」
「なんで早坂が謝るんだよ。いちばん謝るべきなのはアイツだろ」


その言葉にあはは……と苦笑していると、桐谷くんは「いや違うな」とこぼした。


「いちばん謝るべきなのは俺だ。早坂が俺と幼なじみだってこと隠したいって知ってたのに、勝手に話してごめん」


桐谷くんの声はとても暗くて悲しそうだった。
彼が落ち込んでいるのを見るのは二度目だけれど、前よりもひどいように見える。
どうしてそんなに辛そうな顔をするの。
そりゃ秘密にしておいてほしいことを話したことにはびっくりしたけれど、怒ってなんかない。
そんなに悲しそうな顔なんてしなくていいのに。

いつもキラキラした彼をこんな表情にさせている原因のひとつが自分だというのは、なんだか変な感じがする。
この空気を吹き飛ばしたくてにこりと笑った。


「ううん、いいの。それに、私たちが幼なじみって知ったときの相田くんの顔見た? いつもびっくりさせられる側だから、なんだか清々しちゃった」

「それは……たしかに」


神妙な顔で頷く彼がなんだかおかしくて笑いがこぼれる。


「ふふ、でしょ? だからほんとに気にしないで大丈夫だよ」
「ん……ありがとな」


そう言う桐谷くんの表情はさっきよりも明るくて安心する。
やっぱり彼はこうでなくては。
ほかになにか、もっと楽しい話題とかないかな。

……あ、そうだ。
文化祭のこととかどうだろう。
共通の話題だし、楽しいし、話したいと思ってたし。
よし、と意気込んで彼の方を向く。

だけど桐谷くんの顔が思った以上に近くて言葉が詰まってしまった。
ドキドキしている間に顔を上げた彼と目が合う。
なにか言わないと。
そうじゃないとこの間は不自然だ。
わかっているのに、至近距離で好きな人と見つめ合っているということに耐えられなくて、思わず顔を背けた。
すると地面についていた手に彼の手が触れる。


「わっ……! ご、ごめ――」
「……告白してきたのって、アイツ?」
「え?」


私の言葉をさえぎって聞こえてきたのは、予想外の言葉だった。
どういうこと?
頭の中ではてながたくさん浮かぶ。
相田くんに告白なんて全くされていない。
どうしてそんな勘違いを――

そう考えたとき、ふと思い出した。
『バイト先の人に告白された』
前にガレージで桐谷くんにそう話したことがあることを。


「ち、違うよっ!? 告白してくれた人は年上の人だし、学校とかも全然違うから、バイト先でしか繋がりのない人で……」


悪いことなんてしてないのに、まるで弁解するみたいに必死に口を動かす。


「それに相田くんが私のこと好きなんて、あり……想像できないっていうか」


ありえない。
出かかった言葉を飲み込んで別の言葉に言い直す。
そうしないとまた隣の彼に怒られる気がしたから。
だけどそれだけじゃやっぱり心配で言葉を付け足す。


「相田くんってバイト先でもあんな感じだから、もし相田くんに好きな人がいるならどんな人か見てみたいって感じ、だよ」


ちらりと彼の様子を伺うと、おかしそうに笑う姿が見えた。


「たしかに」


肯定の言葉が聞けて、ほっと安心する。
うんと頷くと私たちの間に沈黙が流れた。
なにか話さなきゃ。
気まずいな。
そんな気持ちもあるけれど、前に比べると格段に減った気がする。

今はそれよりもなによりもドキドキする心臓の方が気がかりだ。
さっき触れた手がまだ熱い。
こんな調子じゃ彼に気持ちがバレてしまうのではないかと不安になる。
いろいろな感情がぐるぐると回って思考をさえぎり、沈黙の時間が長くなればなるほど余計になにも言い出せなくなっていく。

もう遅いし帰るねって言って解散したほうがいいかな……
だけどまだ桐谷くんと話していたい。
ああでもないこうでもない、どうしようと悩んでいると先に口を開いたのは彼だった。


「一緒に踊らないか?」


突然の言葉に驚く。
だけどそのセリフには聞き覚えがあった。
なんだったっけと少し考えて、すぐに答えを思い出した。


「ええもちろん」


そう返すと彼は少し目を開いたあと、にこりと笑った。
そしてまるで王子様のように私に手を差し出す。
ドキドキしていることがバレないよう願いながら手を重ねた。


「セリフ、ちゃんと覚えてたな」
「うん。一緒にたくさん練習してるから」


突然でもセリフが出てきて安心する。
なにしろ幼稚園のときのような失敗はもうしたくない。
するとぐいっと手を引っ張られ、つられて立ち上がる。


「えっ、セリフだけじゃなくてダンスもするの?」


手を握られたまま向かい合う。
気分はもうすっかり晴れたのか、桐谷くんは楽しそうに笑った。


「せっかくだから練習しようぜ」
「えっ、でもここ狭いし、それに――」


ふたりきりで練習なんて。
そう言おうとしてすぐに止める。
口を出る寸前に止めたせいで、目の前の彼は「それに?」とすぐに聞き返してきた。


「ええっと」


正直に言うのは恥ずかしいし、好きだというのがバレてしまいそうだから言えない。
だけどなにかは言わなくちゃと必死に頭を働かせて理由を探す。
でも結局見つからなくて。


「き、緊張するから……」


なんて、本音とあまり変わらない言葉しか出てこなかった。
どんな反応をされるだろうと気になって、ちらりと様子を見る。
桐谷くんは驚いたかのように固まると、すぐに肩を震わせて吹き出した。


「ははっ、もー、なんなんだよそれ」
「わ、笑わないでよっ」


こちらは真剣だというのに。
恥ずかしさとちょっとした怒りがわいてきて、桐谷くんを睨む。
すると「ごめんごめん」と軽い調子で謝られた。


「でもさ、それならちょうどいいじゃん。いっぱい練習しとけば本番までには慣れるんじゃない?」
「ええ、そうかな……」


私が緊張するいちばんの理由は、彼のことが好きなことにある。
だから練習を重ねたって慣れるどころかドキドキが増しそうだけれど……

でもそんなことはさすがに言えず口をつぐむ。
彼はそれを肯定ととったのか、私の手を彼の腰に持っていく。
ダンスの姿勢だ。


「じゃ、最初からな」
「う、うん」


夜に、ガレージで、好きな人とふたりきりで踊る。
そこにはもちろんしーちゃんもいて、厳密にはふたりではなく、ふたりと一匹だけれど。

でもそんなシチュエーションは私にはあまりにも毒で、薬でもあって。
ふわりと風が吹いて桐谷くんを見上げると、優しい表情で微笑まれる。
言葉にできない気持ちをまるでかわりに吐き出してくれるかのように、猫が小さく鳴いた。