桐谷くんと遊園地へ行ってから数か月。
悲しい気持ちになることやイライラしてしまうこと、自分が嫌いだと思う瞬間はもちろんあるけれど、それでも前の自分に比べたら成長できていると思えることが増えた。

そんな気持ちに比例して、少しづつ少しづつ、自分のことを認められている気がする。


「そんなの早坂さんしかいないっしょ!」
「えっ」


突然名前を呼ばれて驚く。
ちょっと考え事をしていただけなのに、気づけば周りは私を置いて楽しそうに騒いでいた。


「椅子取りゲームで勝ったらご褒美が欲しいよねって話になってさ!」
「それで~、勝者には頭よしよししてほしいんだって~、ゆいぴーに!」
「えっ!?」


隣に座っていたひまわりちゃんと瑠々ちゃんが説明してくれるけど、全然意味がわからない。
ロングホームルームの空いた時間、みんなで椅子取りゲームでもしようとなったのは覚えている。
だけど気づけばとんでもないことになっていた。


「ちょっと! クラスの女神さまにそんなことさせられないから! 特に男子には!」
「べつに頭撫でてもらうくらいいいだろ!」
「俺も撫でてもらいてえ~!」


女子も男子もそういうノリのスイッチが入ってしまったのか、わいわいと楽しそうに話している。

……そう、これはノリだ。
私ではなく、女神のような早坂結衣をちやほやと褒めたたえて崇める、そういう『ノリ』。

いったいこれで何度目だろう。
人から愛されるのは嬉しいし、偽ってでもここまで愛される自分をすごいと思えるようになってきた。
だけどそこにいるのは私でもなければ、望んだ形でもない気がするのだ。


「あんたら騒ぎすぎ! はあ……結衣、嫌ならあたしから言うけど」


そう言って気を遣ってくれるのは七瀬ちゃんだ。
こういうときも人に注意ができて、それでいて弱虫な私にも優しくしてくれる。


「ありがとう……でも、大丈夫」


にこりと微笑みかけてから、クラスのみんなに向き合う。


「女の子だったらいいんだけど、男子には恥ずかしいから、よしよしっていうよりも、ぽんって感じでもいい、かな?」


内心緊張しながら問いかけると、クラスのみんなは「かわいい!」と言ってまた騒ぎ出した。


「ぽん、だって!」
「なにそれかわい~」


いいのかダメなのか不安になったけれど、結局はそれでいいという形に落ち着いた。
ちなみに私が勝ったときは頭を撫でてほしい人を指名していいということになったが、結局勝者は私でもなければ男子でもなく、運動神経がクラスで一番いい女の子だった。


「いぇーい! じゃあ結衣、お願いします!」
「うん、じゃあちょっと失礼して……」


私よりも背の高い彼女に手を伸ばして頭に触れる。
セットされた髪の毛が崩れないように気を付けながら撫でると、目の前の彼女は嬉しそうに笑った。


「ありがとうね、結衣!」
「ううん、これくらい全然だよ」


ヘンテコな儀式を終えて席に戻る。
やっと落ち着けると誰にもばれないように小さく息を吐いた。
しかしクラスの子たちはまだ熱が冷めないようで。


「結衣ってほんといい子!」
「もしも結衣ちゃんに彼氏とかできたらショックかも」
「あ、でも去年くらいにいなかった? ほら隣のクラスの」


そんな話が聞こえてきてドキリとする。
お願い、なんて心の中で祈っても届くわけがなくて。


「ね、結衣! そうだよね?」


悪意なんて全く感じられない目で見られてたじろぐ。
本当のことを知っている人の前で堂々と嘘をつく度胸はなくて、うんと頷いた。


「ほら!」
「え~、結衣ちゃん付き合ってた人いたんだあ……」


クラスの女の子が落ち込んでいるのを見て、なんだか罪悪感が募る。
それもそういうノリ?
それとも本当に悲しんでる?
こういうときにどう反応したらいいのかわからず、笑って誤魔化した。


「でもどうして別れたの?」
「えっ、それは……」


どう答えたらいいか迷って視線を動かす。
しかし、クラスのみんなの興味が自分に集まっているのがわかって余計に焦った。
いっそのこと嘘をついてしまおうかと口を開いたとき、ひとりの男子が「それさあ」と先に話し出した。


「オレ本人に聞いたけど、たしか、ずっと心を開いてくれてないように思えて辛かったとか言ってたけど」


ドキン、ドキンと心臓が鳴る。
元カレがそういう風に話していたとは初耳だった。
あの人のことだ、どうせ自分が有利になるように話したんだろう。
どんな顔をしたらいいかわからなくて下を向いた。


「あとなんか、早坂のことクズだとか言ってたけど、そんなわけないじゃんね?」


続いて出てきた言葉にひゅっと息を呑む。
どう返したらいいか必死で頭を回転させていると、ガタンと椅子から立ち上がる音がした。


「おい、あんま勝手に話してると早坂に嫌われんぞ」


よく通る声で真っすぐそう言い放ったのは桐谷くんだった。


「デリカシーなさすぎ」
「人の恋愛事情によくずけずけと首ツッコめるよねえ~。瑠々そういうのだいっきらい」
「結衣はね! クズなんかじゃないから!」


七瀬ちゃんに瑠々ちゃん、ひまわりちゃんまでそう言ってくれて、嬉しくなるのと同時に安心する。
すると話していた男子は急に慌てだした。


「えっ! 悪い、オレそんなつもりじゃ……! 早坂あ、オレのこと嫌わないでくれえ~」
「だ、大丈夫だよ、嫌いになんてなってないから」


まだ心臓がドキドキと鳴っているのを隠して、にこりと微笑む。
そうすると男子は「よかった……」と言って落ち着いた。
クラスの興味からやっと外れることができてほっと安心する。


「さっきはありがとう」


七瀬ちゃんたち3人にお礼を言って、ちらりと視線を動かす。
すると桐谷くんも私を見ていたようで目が合った。
お礼を言いに行くか迷っていると、すぐに視線をそらされてしまう。

……なんか、怒ってる?
確信は持てないけれど確かにそう感じて、胸にモヤモヤが残った。





「すみません!」
「いいよいいよ、よくあることだから気にしないでね。ほらもう上がりな」


そう優しく微笑まれても私の中に生まれた罪悪感はちっともなくならない。
今日のバイトはミスが続いてしまって最悪だった。
ため息を我慢して制服に着替え、荷物を整理する。
すると一緒の時間に仕事を終えた先輩が話しかけてきた。


「お疲れ」
「お疲れ様です」
「ちょっと話したいんだけど、時間ある?」
「え? はい」


いったいなんだろうと思いながら頷く。
まさか今日ミスしたことについてだろうか。
変に緊張していると、相手もそのまま黙ってしまった。


「あの……」
「あー、ごめん。ちょっと待って」
「は、はい」


言いにくいことなのかな。
時間はまだあるし、急かすのも悪いだろうと静かに待つ。
よくわからない緊張感が部屋を満たしたとき。


「……あのさ、早坂さんのこと好きなんだよね」
「……えっ?」
「俺と付き合ってくれない?」


先輩の表情は真剣だった。
まさか告白されるなんて。
予想外のことが起きて頭の中がパニックになる。


「う、嬉しいんですけど、私なんか――」
「なんかじゃないよ。早坂さんの誰にでも優しくて明るいところとか、いつも笑顔のところとかすごいなって思ってる。そういうところが好きなんだ」


熱く語ってくれる彼に反比例して、私の熱は下がっていく。
……ああ、そうか。
そうだった。


「ごめんなさい。私、先輩が思ってくれてるようなすごい人間じゃないので」


告白するのはもちろんだが、それを断るのにも勇気がいる。
相手は真剣に思いを伝えてくれたのだ。
私も真剣に向き合わないといけないだろう。
しかし、勇気を奮い立たせて伝えた言葉は先輩の言葉によって消えていった。


「なんで? 早坂さんはすごいよ」
「いえ、その、頑張ってる部分もあって……いつも明るいわけじゃないですし」


それどころか本当はネガティブだ。
だけど本当のことを話すことはできず、真実交じりの嘘をはく。


「まあ、人間だしそういうときもあるよね。でも俺は早坂さんのそういうところも知って好きになりたいんだ」


ぱちん、と世界の色が消えた感覚に陥る。
嘘だ。
そんなわけない。
本当の私のことを知ったら好きじゃなくなるに決まってる。

だって私は、小さいことでもずっと気にしてしまうくらいネガティブで、自分を守るためにいくらでも嘘をついて笑顔を作って、心の中では散々愚痴を言っておきながらその中のひとつさえ伝えることができない、ただの弱虫だ。

先輩と話しているのは、私だけど私じゃない。
またあんなことを言われるくらいなら――


「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ごめんなさい。先輩とは付き合えません」


心臓が痛くなってきたのを我慢して頭を下げる。
納得してもらえただろうかと先輩を見ると、眉をひそめた顔で口を開いた。


「ためしに付き合うとかでもいいんだ。付き合ってみないとわからないだろ?」
「ごめんなさい、そういうのも――」
「せんぱーい、そろそろそこにあるオレの荷物とってもいいですかー」


いったいどうしたら諦めてもらえるのかと気が遠くなったとき、突然大声が響き渡った。
思わず振り返るとそこには、同期かつ、同じ高校の相田(あいだ)くんがにこりと笑って立っていた。


「えっ、ああ、悪い」
「いや全然いいっすけど、バックルームで告白って。それも断られてるのにめっちゃ食い下がるし」


堂々と部屋に入ってきた相田くんは、先輩をバカにしているのか笑いながら話す。
なにひとつ遠慮しない言葉にヒヤヒヤしながらもほっと安心していると、先輩の顔が赤く染まっていった。


「なっ! 相田、お前っ……!」
「じゃ、オレら明日も学校なんで帰りまーす。結衣ちゃんも帰ろ」
「えっ、う、うん。先輩ごめんなさい、お疲れ様です」


ぺこりと頭をもう一度下げて、相田くんを追いかける。
どうやら先輩はやっと諦めてくれたようで、後ろから呼び止められることはなかった。


「あの……相田くんごめんね、さっきはありがとう」


彼が来てくれて本当に助かった。
心の底からお礼を伝えるけれど、相田くんはいつものように笑って流す。


「いやいや、オレなんもしてねーから。それにしてもモテるってのも大変だねー」
「ううん、これはそういうのじゃないから……」


あはは、と苦笑いして返す。
相田くんとはバイト先で出会った。
そこで話しているうちに同じ高校だったことがわかり、そのときはとても驚いたのが懐かしい。

彼は一言でいうとチャラい。
さっきのように遠慮なくなんでも言うし、女の子との距離は近いし。
だけど彼はなんだかつかみどころがない人だ。
いつも笑顔で飄々としているし、バイト先でもイライラしているところを見たことがない。

人の感情を読み取るのが得意な私は、こういった人が少し怖くて苦手だ。


「でもさ、ちゃんと断っててエライなって思ったよ」
「え?」


急に褒められて驚く。
相田くんはそんな私を見て目を細めた。


「マネージャーとアイツが話してるの聞こえちゃったんだけど、結衣ちゃんだったらいける、断らないでしょって笑ってたからさ?」
「え……」


アイツというのは告白してくれた先輩のことだろう。
マネージャーは何人かいるから個人名まではわからないけれど、でもそんなことはこの際どうでもいい。

まさかそんな風に言われていたなんて。
腹の底からふつふつと湧いてくるいろいろな感情を抑えて笑おうとしたそのとき。


「意外。結衣ちゃんも怒ったりするんだね」


相田くんは私と目が合うとにこりと笑った。
言いたいことはたくさんある。
だけど。


「……怒ってるってどうしてわかるの?」
「んー、なんとなく?」


本当だろうか。
私はまだ何も言ってないし、表情を崩してもいない。
隠している胸の内がこうしてバレるのはなんだか怖かった。


「相田くんも怒ったりすることある?」
「ははっ、そりゃあね。でも最近はないかなー」
「……そっか」
「でもさあ、怒るのってべつに悪いことじゃないと思うよ。少なくとも、無理に笑おうとするよりは、ね」


その言葉に驚いて顔を上げると、相田くんは首をかしげて目を細めた。
やっぱり飄々としてつかめない人だと思った。





電車を降りていつものガレージへと歩く。
今日はなんだか散々な一日だった。
女神さまだとクラスで崇められ、バイト先でミスを連発し、挙句の果てに『あいつならいける』と笑われて。


「はあ……」


思わずため息をこぼすと、ガレージを出ようとしているしいちゃんと目が合った。
今日も話を聞いてもらおうと思ったけれど、明日にしようかな。
しいちゃんに手を振ると「にゃー」と返事をしてくれ、そのまま座った。

あれ、これはもしや……


「今日も話、聞いてくれる?」


そう聞いてもしいちゃんはさっきのように鳴いて返事はしてくれない。
だけど座ったままそばにいてくれるから、きっとこれはイエスだ。
そういつものように勝手に判断して隣に座り、口を開いた。


「実はね、バイト先の先輩に告白されたんだ。私は私のこと好きなんかじゃないのに、周りの人は好きって言ってくれる……不思議だよね」


そっと手を伸ばしてしいちゃんに触れる。
温かい体温を感じて、荒れていた心が落ち着いていく。


「表の私だったら結構モテるんだよ? 優しくて明るくて好きだ、って……」


自虐的に笑って、ふと昔のことを思い出した。
『優しくて明るくて好き』だと、元カレも言ってくれたなと。

彼の名前は工藤慎太郎(くどうしんたろう)
今日クラスメイトにも言われた、去年付き合っていた人だ。
彼はあの学校の生徒の中では真面目で、そして爽やかな人だった。

よく話すようになって、何度か一緒に遊びに行って、告白されて付き合った。
特別なことは何もない、普通の恋愛だった。
だけど付き合って3か月が過ぎると、彼はある言葉をよく言うようになった。


『僕にはなにも隠さず全部話してね』


だけど私はそれができなかった。
彼のことは好きだったけれど、大切なことはなにも話せない自分が嫌になって悩んで。

私が殻を破るのが先か、彼にすべてがバレてしまうのが先か――
そんな不安定な縁で結ばれていたからか、綻んだと気づいたときにはもう切れてしまった。


『僕は結衣の彼氏なんだからなんでも言ってほしい』
『わかったから、何回も何回も同じこと言わないで』
『なんだよその言い方。そんなことで怒るなんて結衣らしくない』
『わ、私らしくないってなに? 私だって怒ることくらいあるよ!』


結局最後は喧嘩別れだった。
何度も言われる言葉がプレッシャーになって、怒りになって、爆発してしまった。
あのときの自分が彼に何を言ってしまったのか、正直あまり覚えていない。
だけど彼に言われた言葉はずっと胸に残っている。


『嘘つき』
『最低』
『クズ』


優しくて真面目な彼にこんなことを言わせてしまうくらいに私は最悪だったんだろう。
言われた言葉は忘れられないのに、彼に言った言葉は忘れてしまうなんて、本当に都合のいい頭をしている。


「……ねえ、しいちゃんは好きな人いたりするの?」
「にゃあ」
「……そっか。私、がんばるね。自分磨きして、自分のこと好きになる」


しいちゃんの耳がぴるぴると動く。


「……そしたら、本当の私のことを好きになってくれる人もいるかな」


するりと手の中からしいちゃんがいなくなる。
どこに行くんだろうと目で追うと、ガレージの入り口で止まった。


「ん? どうした、迎えに来てくれたのか?」


そこにはいつの間にか桐谷くんが立っていた。
しいちゃんは話しかけている桐谷くんを無視して、その場で私に振り返る。


「にゃー」


それはまるで私に彼を紹介しているように見えた。
いや、そんなわけない。
一瞬浮かんだ考えをすぐに振り払う。
だけどまたすぐに同じ考えが浮かんできてしまう。


「早坂?」


視界に桐谷くんの手がうつってはっとした。
考え込んでいる間に近くに来ていたようでドキッとする。


「あ、えっと、桐谷くんもバイト帰り?」
「ん。早坂も?」
「うん、バイトお疲れ様」


早坂もな、と桐谷くんが言う。
そしていつものように私の隣に座った。


「桐谷くん、今日はありがとう」


ずっと伝えられていなかったお礼をやっと口に出す。
『べつに』となんでもない表情で返されるかな。
それとも『お前もなんか言い返せよ』と呆れられてしまうだろうか。

なんて考えて、あれ? と首をかしげる。


「ロングホームルームのこと、なんだけど……」


桐谷くんがなにも言わないから不安になって、言葉尻が小さくなっていく。

聞こえてない、わけない……よね?
なにか言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。
本格的に不安になって彼の顔を覗き込む。
すると寂しそうな瞳と視線が合った。


「……前にさ、俺のこと“人気者”だとかなんとか言ってたけど」
「え? う、うん」
「早坂もじゃん。俺となにが違うの」


突然そう尋ねられて言葉に詰まった。
たしかに桐谷くんが人気者だと言ったことは覚えている。
私と彼のそれがどう違うかなんて、そんなの根本から違う。
そう言おうとしたけれど、絶対に言い返されると思って口にするのを躊躇した。


「それに元カレもいるらしいし?」
「え、それは――」
「なにが“特筆すべきことはない”だよ」


怒った口調で言われてムッとする。
どうしてそんな風に言われないといけないの。
元カレのことを話すか話さないかなんて私の自由のはずだ。
だけど――


「どうしてそんなに怒ってるの」


驚いたのか、桐谷くんの目が少し見開く。
なんだか今日の彼は本音が見えない。
いつもまっすぐな言葉と態度で接してくれるのに。
いったいなにに怒っているんだろう。
桐谷くんの言葉を少し緊張しながら待つ。


「……ごめん」


だけど彼は謝るだけで黙ってしまった。


「……私は、助けてくれて感謝してるんだけどな」
「あれは……あれくらい、感謝されるもんでもなんでもねえよ」


桐谷くんはそう言って頭を掻いた。
お礼の言葉を受け取ってもらえないなんて、なんだかますます変だ。
ふと思い立ってかばんの中を探る。
すると目的の物はすぐに見つかった。


「桐谷くん、手だして」
「は? はい」


はてなを浮かべながらも素直にだしてくれた手に、コロンとお菓子を乗せる。


「……ラムネ?」
「うん。疲れたときは糖分とるとなんとかなるらしいから」


いつの日か彼が言ってくれた言葉をそのまま返す。
桐谷くんはラムネを口に放り込むと少し表情が和らいだ。
そして大きくため息をしてから少し切ない表情に変わる。


「……人気者に気安く話しかけられないって早坂が前に言ってたこと、ちょっと理解できたわ」
「え?」


思ってもみなかったことを言われて驚く。
文脈でそのまま考えると、それは私にということになる。
だけど彼の考えていることも意味もわからなくて頭がこんがらがってきた。


「なあ、なんでそんなモテんの?」


桐谷くんが近くに来たしいちゃんを優しい手つきで撫でる。


「……でもそれは早坂の努力の証なんだもんな」


いつの間にか怒りが鎮まったのか、声も表情もさっきと比べて穏やかなものだった。
なにか言わないと。
そう思うのに上手く言葉にできない。
桐谷くんはそんな私に気づいているのかいないのか、ふっと笑った。


「今日は俺が話聞いてもらわねえとな」
「しいちゃんだけ、に?」


思わずそう声に出すと、彼はしいちゃんから目線を外して私を見た。


「よかったら私も話聞くよ、いつも相談にのってもらってるし……」
「ははっ、ありがとな。そういえば早坂はもうこいつに話したいこと話せたのか?」


あ、話をそらされた。
そう気づいてもそれを指摘できるほどにはまだ強くなれていない。


「……うん。告白されたこと一番に言いたかったから、もう満足」
「は!?」


突然隣で大声を出されて肩が跳ねる。
桐谷くんは信じられないといったような顔で私を見ていた。


「誰から? つかいつ?」
「えっ、バイト先の人に、さっき……」


こんな反応をされるとは思っていなくて戸惑う。
どうしてそんなに驚いてるんだろうと考えてはっとした。


「あ、ええと、私が告白されるなんて意外だよね。でもバイト先でも結構猫被ってるというか、だからかなって」
「はあ? べつに俺なんも言ってないけど」


私的にはフォローしたつもりだったのに、彼の機嫌はもっと悪くなってしまった。


「つかこんなときまで自分を卑下すんなよ。告白したヤツにも失礼だろ」
「えっ、あ、そうだね、ごめん……」


桐谷君の言葉が胸に重くのしかかる。
彼の言う通りだ。
自分のことを下げすぎると、自分のことを好きだと言ってくれる人のことも否定することになる。
そしてなによりそういった会話は相手からしたらめんどくさい。

『そんなことないよ』

たいていはそう言うしかないのだから。
わかっているのに、私の悪い癖だ。
恥ずかしくなって顔を伏せる。

すると横から「あー……」と気まずそうな声が聞こえてきた。


「悪い、言い方キツかった」
「えっ、ううんそんなことないよっ、そういうこと言ってもらえるのありがたいし!」


いつもより落ち込んでいるように見える彼を励まそうと言葉を紡ぐ。
しかし効果はない。


「……なんで俺ってキツイ言い方しかできねーんだろ。早坂は頑張ってんのにな」


そう力なく笑う桐谷くんはとても悲しそうだ。
彼にいったい何があったのかはわからないけれど、今日は気分が落ち込んでいる日なのだろうか。

正直意外だ。
私はよくこうしてネガティブになってしまうけれど、あの桐谷くんもそういうことがあるなんて考えたことなかった。
でも、当たり前か。
彼も同じ人間なんだから。


「あの、私ね」


行動を起こそうとするたびに湧いてくる不安を払いのけて桐谷くんを見る。


「誰かと話してても、どうしても言葉の裏を読んじゃおうとするの。この人はこう言ってくれてるけどほんとは嘘なんじゃないか、とか」


隣の彼は静かに聞いてくれている。
私は伝えたい一心で言葉の続きを話した。


「だけどね、桐谷くんは違う。桐谷くんの言葉はそのまま受け止められるの。いつもまっすぐな言葉をくれるから、信じられる。キツイ物言いなんじゃなくて、嘘のないまっすぐな言葉なんだと思う」


……言えた、自分の気持ちをちゃんと伝えられた。
弱い自分にまたひとつ勝てたことが嬉しくなるけれど、目の前の彼の反応がやっぱり気になってしまう。

ちらりと視線を向けると当人は驚いたように目を見開いていて、それから穏やかな表情でおかしそうに笑った。


「ははっ、早坂ってほんとすげーわ」


そう言うと笑顔が少しづつ消える。
そして笑いをこらえているのか痛いのをこらえているのかわからない顔で私を見た。


「……そんでズルいよな」
「え……?」


それはいったいどういう意味なのだろう。
今の言葉が良い意味だったのか悪い意味だったのかさえわからなかった。
だけど答えを尋ねることができない。
心の奥の方がモヤモヤするけれど、それ以上に桐谷くんの表情に胸が締め付けられる。

ドキドキして苦しい。
でもそれを目の前の彼には悟られたくなくて、だけど視線をそらすことはできなくて。
なんだかぼーっとしていると「なあ」と彼が話しかけてきてはっとする。


「……ソイツと付き合うの?」


ソイツというのが誰を指しているのかはわざわざ聞かなくてもわかった。
ううんと首を振る。


「……なんで?」
「えっ、それは……」


まさか理由を聞かれるとは思っていなかった。
少し口ごもってしまったけれど素直に言おうと口を開く。


「私、バイト先でも猫被ってるって言ったでしょ? だから好きになってもらっても本当の私のことを好きになってくれてるわけじゃないと思うから、私のことを知ったら好きじゃなくなるんじゃないかなって怖くて。それにその人のこと、恋愛対象として好きなわけじゃなかったから」


ずっと同じ体勢でいたからか体が少し痛くて座りなおす。
するとそのときに地面に手をついたからか手のひらに細かい砂がついてしまった。
払い落そうとしたとき、すぐ近くから手が伸びてきて代わりに砂をきれいに落としてくれる。


「ありが――」
「それってさ、俺みたいなやつだったらいいってこと?」
「え?」
「早坂の表の部分も隠してる部分も全部含めて早坂のこと好きなヤツだったら付き合うの」
「えっ、えっと……」


反射的に逃げたくなって手を引く。
だけど桐谷くんに掴まれているままでそれは叶わなかった。

彼の言葉も、瞳も、手も熱い。
なにがなんだかわけがわからないのに、自分の心臓がドキドキしていることはわかる。
この空間から逃げ出したくてたまらない。
でも桐谷くんの質問に答えないと逃がしてもらえないと悟って諦めた。


「……う、うん。ほんとにそんな人がいた、ら」
「……ふーん」


満足してくれたのか、桐谷くんの手が私から離れていく。
やっと呼吸ができた気がして少し大きく息を吸った。

桐谷くんは私と目を合わせないし、私も何を言ったらいいのかわからなかった。
なんだか変な空気だ。
居心地が悪い。
悪い、はず……なのに、ここにいたいと思ってしまう。

桐谷くんとは今の私では考えられないほど、心の奥にしまっていたことを話したし伝えた。
言い合いのような雰囲気にも何度かなった。
だけどそれで離れることはなくて、それどころかまた一歩距離が近づいた気すらする。

不思議だ。
彼に嫌われたくないと焦ってドキドキして、彼の魅力にあてられてドキドキして、こんなに苦しいのに桐谷くんの隣は息がしやすい。

ふわりと夜風が吹く。


「わ」


髪の毛が揺れて、その拍子に髪が口に入ってしまった。


「んん、気持ち悪い……」
「は? おい、大丈夫か」
「髪の毛、口に入っちゃった」


彼の前で指を口の中に突っ込むのは行儀が悪いかと思い、どうやって取ろうかと悩む。
舌でなんとかならないかなと動かしていると、桐谷くんがぐっと目の前まで近づいてくる。


「ほら口開けて」
「えっ」


キスでもしそうな距離に心臓がドキッと跳ねる。
自分の顔は一瞬でこんなに熱くなってしまったのに、目と鼻の先の彼は全くそんなことはなさそうで。


「じ、自分で取れるから大丈夫っ、ありがとう!」


耐えられなくなって彼と距離をとるために素早く立ちあがった。


「え、えっと、桐谷くんしいちゃんと話すよね、私邪魔になっちゃうと思うから、今日は先に帰るね! それじゃあまた明日!」
「は? おい!」


桐谷くんの声は無視して、ばいばいと手を振って家まで早歩きで帰る。
口の中の髪の毛が取れても心臓のドキドキはしばらく鳴りやまなかった。