それでもそんな君が好き

昼下がりの土曜日。
今週は珍しくバイトがなく、暇な一日を過ごしていた。

机の上に置かれた手作りのコースターを見てふと思い出す。
この前もらった手芸道具を使ってコースターを作り、母にプレゼントした。
手芸するのは好きじゃないけれど、それがバレないよう必要な経費みたいなものだ。
実際、母が喜んでくれて私も嬉しかったからよしとしている。

……暇だし、しいちゃんに会いに行こうかな。
桐谷くんは……さすがにいないか。
平日は学校の帰りということもあってよく会うけれど、思えば休みの日に会ったことはない。

……って、なんで桐谷くんのこと考えてるの。
思考を止めるためにぶんぶんと首を振る。
気持ちを切り替えてから、外出する準備をするために立ち上がった。





「しいちゃん」


ガレージにつくと、バイクのサドルで日向ぼっこをしているしいちゃんがいた。
まぶしそうに目を細めながらも、気持ちよさそうな顔をして座っている。
これは邪魔にならないようにしないと。
どこら辺にいたらいいかな、ときょろきょろしていると奥で人が動く気配がした。

え、桐谷くん……?
いや、もしかしたら知らない人かもしれない。
ドキドキしながら奥を覗くと、そこにはソファーで眠っている桐谷くんがいた。
いつもの制服姿じゃなく、見慣れないオシャレな私服だ。

……よかった。
知らない人ではないことに安心する。
だけどまさか今日会えるとは思っていなかったから驚いた。
いったい何時からいるんだろう。
ぐっすり眠っている様子を見るに、結構前からいたんじゃないかと思う。
土曜日だというのに、桐谷くんも今日は暇なんだろうか。


「んん……」


目の前の彼が身じろぎして、心臓がドキッと反応する。
クラスメイトの、それも男子の寝顔を見る機会なんてそうそうない。
不躾だとは思いながらも、思わず彼の顔をじっと見つめてしまう。

……かっこいい顔、してるなあ。
まつ毛長い。
肌もきれい。
心の中でひとつひとつに感想を述べていると、ふと風がガレージの中まで入ってくる。
そよそよと優しく、茶色に染められた彼の髪の毛を揺らした。

……あ。
桐谷くんの頭になにか付いてる。
ソファーの繊維なのか、白くてふわふわしたものがくっついていた。
彼を起こさないよう、静かに慎重に手を伸ばす。

そこでふと、これってほかの人から見たら、まるで寝込みを襲おうとしているみたいじゃない? という考えが頭をよぎった。
伸ばしていた手を止めたとき――


「にゃー」
「わっ!?」


いつの間にか隣にいたしいちゃんの鳴き声で、大きな声をあげてしまった。


「ん……」


しまった、と思ってももう遅い。
眠そうに目を開けた桐谷くんと、ぱっちり目が合ってしまった。


「……早坂?」
「……う、うん」
「……はよ」
「お、おはよう……」


桐谷くんが今なにを思っているのかわからないまま挨拶を返す。
気まずいと感じているのは私だけだろうか。
あれこれと考えている隙に、目の前の彼はソファーからだるそうに起き上がる。


「あ、あの、起こしちゃってごめんね」
「いいよべつに。暇だから寝てただけだし」


桐谷くんの言葉に、そっかと小さく返事する。
ちくちくした罪悪感が少し消えて丸くなった気がした。


「つーか珍しいな、早坂が土曜のこんな時間に来てんの」
「うん、今日はバイトないから。桐谷くんも珍しいね」
「俺もバイト休み。人多いってシフトカットされてさ」


そう言って立ち上がろうとした彼に、思わず「待って!」と声をかけた。
少し驚いた顔でこちらを見る桐谷くんと目が合って、心臓がドキドキと焦り始める。


「えっと、髪の毛にゴミついてたから……」
「ああ」


そういうことかと納得した表情をしたあと、なにも言わず私に頭を差し出してくる。
こ、これは……取ってほしいってこと、だよね?
なんだか無防備な桐谷くんの姿にドキッとする。
震えそうな手を伸ばして、今度こそゴミをとった。


「……とれたよ」
「ありがと」


私は慣れないことでこんなに緊張しているのに、立ち上がった彼は全くそんな風には見えない。
その違いが少し恨めしくて、羨ましかった。


「お前も起きたのか」


桐谷くんはしいちゃんを見つけると優しく一撫でする。
そこでさっき「にゃー」と声をかけられたことを思い出した。


「大きい声出してごめんね、びっくりしたよね」


謝ると、私の方へてちてちと歩いてくる。


「どうしたの? お腹すいた?」


聞きながら斜め後ろにあるしいちゃんのお皿を見る。
だけどそこにはキャットフードがまだ入っていた。


「ははっ、急に撫でてほしくなったか?」


桐谷くんは笑ってそう言う。
いつも塩対応なしいちゃんがそんな風に思うなんてあるだろうか、と疑問を抱きながら優しく撫でてみる。
すると私の手に頭をスリスリしてきた。


「わっ、かわいい……」


こんなこと初めてだ。
桐谷くんの言う通り、本当に撫でてもらいたくなったんだろうか。
かわいいし嬉しいしで、胸がきゅーんと締め付けられる。


「懐いてんなあ」
「ふふっ、ちょっとは仲良くなれたのかな」


幸せをかみしめていると、突然手の中からするりと歩いていってしまった。
そしてそのまま、さっきまで桐谷くんが寝ていたソファーに寝転ぶ。


「気分屋だな」
「あはは……それがまたかわいいところだよね」


ちょっと寂しいけれど、しいちゃん的には満足したということだろうか。
しつこく追うのは我慢して地面に腰を下ろした。
すると桐谷くんも私の隣に座る。


「今日はスカートじゃねえから安心だな」
「え?」


突然そんなことを言われて意味がわからないまま、視線を下におろす。
今日は学校が休みだから制服じゃなく、Tシャツにジーパンだった。


「お前、スカートでもなんも気にせず座るから、大丈夫かって心配なんだよこっちは」


少し遠回しに言われた表現でも、なにを指しているかすぐにわかった。
顔に熱がぽぽぽっと集まる。


「は、はいてるからっ! いつも体操ズボンはいてるから大丈夫だよ!」
「んなの俺が知ってたらやべーだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど……!」


まさかそんなことを心配されていたとはつゆほども思わず、恥ずかしいのと情けないのでいっぱいいっぱいになる。
もしかして今まで行儀の悪い女だって思われてた?
でもたしかに良くはなかったかも……

どうにかして桐谷くんからの評価を上げたい気持ちに駆られる。
なにかいい言い訳は……
プチパニックを起こした頭をなんとか回して考えるけれど、さっきの『体操ズボン』でもう在庫切れだった。


「早坂さ、そういう無防備なとこ気を付けた方がいいと思うけど」


その言葉を聞いて、桐谷くんが寝ていた姿を思い出す。


「そ、それを言うなら桐谷くんだって、さっきソファーで寝てたし……」
「俺は男だからいーの」
「で、でも! 最近は男の人でもいろいろ危ないって聞くし……」
「それでも変なのに狙われるのは女性の方が多いだろ」


うう……
なにを言っても反論される。
最初はちょっとムキになって言葉を返していたけれど、すぐにその気力もなくなった。

なにも言えないのに、心はどんどん焦っていて苦しい。
これはいけない癖だと気づいていても止められない。
なんとか取り繕って笑顔を作ろうとしたとき――


「早坂」


桐谷くんに名前を呼ばれて目が合った。


「え、な、なに……?」


どうして急に真剣な声で呼ばれたのかわからず不安になる。
なにを言われるんだろう。
なんて返したらいいんだろう。
そんな私の考えに気づいているのか、彼はまっすぐな声で言葉を紡いだ。


「俺、心配なだけだから」
「え……?」
「また変なこと考えてんじゃねーかと思って」


その言葉を聞いて息を吞む。
ドキドキと焦燥感に駆られていた心が少し落ち着いた気がした。


「そ、そっか……ごめんね、ありがとう」


彼が嘘をついている可能性はある。
心配なだけだと口で言っているだけで、本当は私のことを悪く思っているかもしれない。
人はみんな、私を含めて嘘をつくから。
だからこういう気遣った言葉や励ましの言葉をもらっても、その裏まで見ようとしてしまって、逆に心がしんどくなる。

でも桐谷くんの言葉は不思議と信じられた。
彼が嘘をついたり取り繕ったりしないと知っているからだろうか。
いつもまっすぐな言葉で会話してくれているとわかっているからかもしれない。


「なあ、早坂ってさ、俺にも嫌われたくないわけ?」
「えっ、当たり前だよ!」


突然投げかけられた質問に前のめりで返答する。
桐谷くんの驚いた顔を見て、しまったと反省した。
少し近くなってしまった距離を戻し、謝るか謝らない方がいいかを考える。
判断の材料になるかと思ってちらりと隣の彼の表情を伺う。
するとなぜかにやにやと笑っていた。


「え、な、なに……?」
「いや? そうなんだなあと思っただけ」


どうして嬉しそうな顔をしているのかわからず、私の頭の中にはてながたくさん浮かぶ。
すると彼は「ははっ」と声を出して笑った。


「早坂は俺に好きでいてもらいたいってことだろ?」
「そ、そうだけど……」


言い方を変えれば確かにそうなる。
なにも間違っては……
そう考えている途中で、はっと気づいた。


「ち、ちがうよ!? そういう意味じゃ……!」
「はははっ、わかってるわかってる。恋愛じゃなくて友愛だろ?」


恥ずかしくてわざわざ避けたワードを言われてドキッとする。
やっと彼にからかわれていたのだと気づいた。

ああもう……!
顔に熱が集まっているのが嫌でもわかる。
これじゃあ彼の思うつぼだ。
悔しくて顔をそむけると、桐谷くんが笑いながら謝ってくる。
少なくともこの熱が冷めるまでは振り返ったりしてやらないんだから。
自分がムキになっていることを自覚しながら、変にドキドキしている鼓動を落ち着けようと深呼吸する。

すると突然「おわっ」という声が聞こえて、思わず桐谷くんの方へ振り返った。


「なんだよ、早坂のことが気になって来たのか?」


彼の足元には、さっきまでソファーに座っていたはずのしいちゃんがいた。
前足でちょいちょいっと何度も桐谷くんの足をタッチする。


「なんだ? 早坂のことからかいすぎだって怒ってんのか?」


そう笑いながらしいちゃんの前足を優しくぎゅっと受け止めた。


「はいはい、悪かったよ。もうからかわねーから」


まるで兄かのような物言いが目新しくて、そういえば彼に兄弟はいないのではなかったかとふと考える。
……って、そうじゃなくて。


「しいちゃん、桐谷くんと遊びたいだけだと思うけど……」


少なくとも私のために怒っているわけではないと思う。
そりゃもちろん、そうだったら好かれているということだし嬉しいけれど。
だけどしいちゃんは猫っぽい性格そのものだ。
マイペースで自由奔放、ツンデレな気分屋。
それがかわいいんだけれど、全然なついてはくれない。

つまりなにが言いたいかというと、私のためにしいちゃんが怒ってくれたわけではない、ということだ。
そんな私の言葉を聞いた桐谷くんがくすっと笑う。


「機嫌なおった?」
「う……べつに機嫌が悪かったわけじゃ……」


居心地が悪くて目をそらす。
ほかの人の前だったら、どれだけ腹が立つことを言われても笑顔でいようと努力するのに。
桐谷くん相手だと自分の感情に嘘をつかないでいられるのはどうしてだろう。
無理に笑わないでいいという今の状況は、なんだかすごく楽だ。


「にゃー」
「しいちゃん?」


かわいい鳴き声をあげて私の手にすり寄る。
その姿があまりにもかわいくて癒された。


「ふふっ、今日は甘えんぼさんなの?」


優しく頭をなでると、されるがままに受け止めてくれる。
そんな様子を隣で見ていた桐谷くんが優しい表情で微笑んだ。


「猫にはかなわねーわ」
「え?」
「猫ってすげーなってこと」


そう言う彼の声音も優しい。
なんだろう……
思わずぎゅっと胸のあたりを触る。
桐谷くんがこんな表情をしているのをあまり見たことがない。
そしてそんな顔を自分に向けられているという事実に、心臓が無性にドキドキして落ち着かない。
そんな自分に気付かれたくなくて、慌てて口を開いた。


「え、えーっと、そういえばどうして桐谷くんはここに来てるの?」


ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
最近は私の話を聞くために来てくれていたこともあったけれど、いちばん最初――ガレージで初めて会ったときは違う。

猫が好きだから、暇だから、ソファー気に入ってるから。
彼の返答を頭の中で予想する。
だけどそれは全部外れた。


「あー……まあ、家いると気遣うから」
「桐谷くんが?」


全く考えていなかったことを言われて驚く。
あの桐谷くんが気を遣う?
まさか私と同じで親相手に自分が迷子になっているとか……?
軽い気持ちで聞いただけだったのに、思ってもいない答えがかえってきて心配になる。
するとそんな私を見た彼が笑った。


「あー、違う違う。俺じゃなくて、俺の父親」
「桐谷くんのお父さん……?」


息子が家にいると父親が気を遣う?
話がよくわからなくて首をかしげる。


「そ。俺の両親、小学生のときに離婚してさ。俺は父親とふたりで住んでたんだけど、最近父さん彼女できたから」


桐谷くんは悲観的に語るわけでもなく、いつも通りだった。
そのことにもその話にも驚く。
意外と家庭事情は知らないものなのだと実感させられた。


「そっか……ごめんね、私なにも知らなくて」
「いや早坂なんも悪くねーから。それにべつに俺の家、テレビでよくニュースになってるようなこととかも全くねーし。父さんも彼女の人もいい人だからさ。ま、だからこそ気遣うんだけど。幸せになってほしいし」


最後の言葉は小さくも優しい口調だった。
心配するようなことがないならそれでいい。
ほっと安心しながら、彼のことをひとつ知れて少し嬉しかった。


「あ、そうだこれ……よかったら」


ふと思い出して、かばんからこの前作った手作りのコースターを彼に手渡す。


「なんだこれ、花?」


桐谷くんは差し出されたものが何なのかわかっていない様子だったけれど受け取ってくれた。


「うん、お花のコースター。たくさん作ったからよければもらって」
「は? 手作り? 早坂の?」
「え、そ、そうだけど……」


驚いた顔をした桐谷くんに聞かれてなんだか不安になる。
もしかして気持ち悪かった……?
食べるものじゃないからあまり気にしないだろうと思っていたけれど、それは私の価値観であって、彼の考えではない。
慌てて口を開こうとすると、桐谷くんの「すげえな」という声で押しとどまった。


「こんな特技あったのかよ、もう売り物じゃん」


彼はコースターを見ながら目を細める。
ドキドキと焦っていた心が落ち着いていく。
どうやら自分が勝手に勘違いしていただけで、桐谷くんは良い意味で驚いていただけらしい。


「そんなにすごいものじゃないと思うけど……でも、ありがとう。嬉しい」


好きで作ったものではない。
だけどやっぱり褒められるのは嬉しくて口元がゆるむ。


「これって作んのに何時間くらいかかんの?」
「うーん……2時間、3時間くらいかな」
「へえ、じゃあ少なくとも3000円くらいの価値か」
「えっ」


桐谷くんの言葉に驚いて思わず声を上げてしまう。
だけど目の前の彼は真剣な表情をしていて、また心が焦る。


「プロじゃないし、そんな価値つかないよ!? もしお礼とか考えてくれてるなら、ほんとにいらないからね! そんなつもりで渡したんじゃないし、それに私、お母さんが……」


そこまで言ってハッとなり口を閉じる。
また勝手に焦って、自分ばかり一方的に話してしまった。
それどころかいらないところまで。
いつもは気を付けているのに、桐谷くんの前だともう気を抜いてしまっているのかもしれない。


「お母さんが、なに?」
「えーっと……」


さすがに聞き流してくれないか……
こんなのまるで、心配してくださいと言っているようなものだ。
自分に嫌悪感を抱きながら、諦めて口を開く。


「その……実は私、手芸好きじゃないの。だけどそのことをお母さんには伝えられてなくて。だからお母さんが私のために手芸道具を買ってきてくれたときは、嘘がバレないように、こうしてなにか作ってるの」
「へえ……お前、ほんと難儀な性格してんのな」
「うう……それは自分でも思ってる」


桐谷くんは、呆れたような同情しているような、そんな顔で私を見ていた。
難儀な性格……
その通りだと思う。
NOと言えて一歩進めた気がしていたけれど、次の瞬間にはまた別の問題が降りかかってくる。
今まで自分から逃げていた付けが回ってきたんだろうか。
少しは成長できたんじゃないかと喜んだ気持ちも、こうしてすぐにしぼむ。


「ちゃんと言った方がいいってわかってるんだけど、今更言いづらくて……そうやって悩んでたら余計話しにくくなっちゃって」
「ふーん……まあでも、無理してまで話す必要ないんじゃね? そういう優しい嘘なら」
「え、いいかな……?」


まさか肯定されるとは思わず驚く。


「ま、早坂が話したいんなら話した方がいいんだろーけど」


目の前の景色を見ながら、その言葉を聞いて考える。
本当のことを言ったら母のことを傷つけるかもしれない。
こんなことも気付かなかったなんてと、余計な不安を煽るかもしれない。
だけど……


「ちなみに、ほんとの趣味はなんなの」
「え?」
「好きなこと、なんかねえの?」
「それは……ある、けど」


ドキンと心臓が嫌な音をたてる。


「へえ、なに?」
「……言いたくない」


桐谷くんからふいっと目線を外す。
思い出したくなんかないのに、脳が勝手に中学生のときのことを呼び起こしてくる。


「なんで? 誰かになんか言われたことあんの?」
「……うん。中学生のとき、すごくバカにされたから」


あははっと大きな笑い声が頭の中をこだまする。
1年以上も前のことなのに、今でもこびりついて離れない。


「つーことは子どもっぽいものってこと? それか意外なもの?」
「え? ええっと……」


話したくないって言ったのに、桐谷くんは気になるのかやめてくれない。
彼の圧に今にも流されそうだ。


「あ、あの! 私けっこう勇気出してNOって言ったんだけどっ」
「ん? あー、そういや言えてたな。えらいえらい」


まさか雑ながらも褒めてもらえるとは思えず嬉しくなる。
だけどそんな場合ではないと、すぐに首をぶんぶんと振った。


「そ、そうやっておだてても言わないからねっ!? それに私の好きなもの知ってどうするの?」
「んー、そりゃ付き合うよ」
「え?」


どういうことかいまいちわからず聞き返すと、桐谷くんが口を開く。


「早坂の好きなもん一緒にする。なにか知らねえけど。つか一緒にできるもんなの?」
「え、ええっと……」


嬉しいけど戸惑う。
本当に?
私がなにを好きかまだ知らないのに、それでも一緒にと言える彼が羨ましいけれど怖い。
かたんかたんと心の針が傾いていく。


「なあ、大丈夫だから言ってみ?」
「う……」


優しい声と表情にほだされてしまう。


「……絶対に笑わない?」
「ん」


桐谷くんがこくりと頷いたのを見て、針は簡単に振り切れた。
息を吸って小さな声で話す。


「……私、お化け屋敷とジェットコースターが好きなの」
「……へえ」


ああ、よかった。
心の中でなにを思っているかはわからないけれど、少なくともバカにはされなかった。
ほっと安心して顔を上げると、桐谷くんは手を顔に当てて震えている。
え、と疑問に思った瞬間、彼はこらえられなくなったのか吹き出した。


「ぶっ、あははははっ!」
「ちょっ、ちょっと! 笑わないって言ったのに!」
「いやだって、深刻そうな顔するから身構えてたのに、割と普通なこと言うからおもろくてさ。いやでもたしかに意外か? あははっ、あーっ腹いてえ」


笑ってる、いや大笑いしてる。
それもバカにされている気がする!


「はー、わるいわるい。けどさ、重く考えすぎじゃね? 青木とかにも言ってねえの?」
「言ってない……」
「ふーん。あいつらとか喜んでついていきそうだけどな。特に東とか」
「……うん、私もそう思う」


中学生のとき、周りにいた友だちに散々バカにされた。
その見た目で絶叫系が好きなんて変わってる、とか。
本当はサイコパスなんじゃないの、とか。
男と一緒に遊びたいから言ってるだけでしょ、とか。
私の好きなものひとつでよくそんなに言えるなと思うくらいにたくさん。

ちがうのに、全部ちがうのに。
ただただ好きなだけなのに。

相手は冗談だったと思う。
私もそれくらいわかっていたし、最初は笑って否定して流していた。
だけどなにかするたびにその話を出されて、いじられて。
それって本当は悪意があるんじゃないのって言葉も投げられて。

何度も何度も、毎日毎日。
私の好きなものが少しづつ削られていった。
私が、削られていった。


「……本当は、何度か七瀬ちゃんたちに言おうとしたんだけど、言えなくて」


中学生のときの人たちと違って、彼女たちは普通に受け入れてくれるだろうと思う。
今まで一緒に過ごしてきたからわかる。


「……だけど私、ちょっと過去に囚われすぎだよね」


他の誰かからしたら、どうして悩むのってくらい軽いことかもしれない。
だけど私には重くて、そう思われるのも余計に重くて。
ずっと逃げていたけれどそれはもうやめないと。


「ま、もうちょっと軽く考えていいといいと思うぜ。天使の羽でもつけてさ」
「ふふっ、それってちょっとバカにしてるよね」
「そんなことねーけど? 早坂は天使だの女神だの言われてるじゃん」
「私は天使でも女神でもありません」


くすくすっと笑いがこぼれる。
どうしてだろう。
桐谷くんが目の前で『割と普通だ』って言って笑うから腹が立っていたはずなのに、逆にそのおかげでスッキリしている。

重く考えている自分がバカらしくなったからだろうか。
だからと言って悩みが急に軽くなんてならないけれど、心のもやがまた少し小さくなった気がする。


「んで、どこ行く?」
「え?」
「お化け屋敷とジェットコースター、どっちもあるとこなんてここら辺にあんの?」


そう言って桐谷くんはスマホを操作する。
するとすぐに手は止まった。


「おー、意外にあるもんだな。うわ、めっちゃ怖そー」


ほら、と見せてくれた画面をのぞくと、そこには有名な遊園地のサイトが映っていた。
怖いと有名なお化け屋敷は、私がずっと行ってみたいと思っていたところだ。


「気に入った? ここにする?」
「え、すごくいいと思う、けど……ほんとに一緒に行ってくれるの?」
「行くよそりゃ。自分で付き合うって言ったし」
「で、でもふたりで……?」
「なんだよ、俺とじゃ不満なの」
「そんなことないよっ、でも……」
「じゃあいいだろ。んでいつ行く? 明日とか?」
「明日!? え、えっと私は空いてるけど」
「ん、じゃあ決まりだな」


困惑している間に予定が決まってしまった。
信じられない。
桐谷くんはとてもフットワークが軽い人らしい。
まだびっくりしているけれど、でも。


「ありがとう、嬉しい」
「ん」


そう言って微笑む桐谷くんは、なんだかすごくキラキラして見えた。





お化け屋敷に行くのも、ジェットコースターに乗るのもいつぶりだろう。
中学の友だちと一緒に行くことはなかったし、七瀬ちゃんたちとも一緒に行ったことはない。
ひとりで行って楽しい場所でもないから、5年以上は行ってないと思う。
だからこそ久々に自分が本当に好きなものを楽しめるというのが嬉しかった。

早起きして朝ご飯を食べて、さっそく準備にとりかかる。
桐谷くんの隣に立つからにはオシャレしないと、私の心がつぶれてしまうだろうから。
それにふたりきり、だし……
そう考えるとなんだか胸のあたりがむずむずして落ち着かない。
いやいや、相手は私のこと絶対なにも思ってないって。

事故で変な話聞いちゃって、呆れて、同情して、彼の優しさで私に付き合ってくれてるだけ。
それに私だって……
“あの”桐谷くんだよ?
好きになる権利なんて、自分にはきっとない。
そうわかっていても、心の片隅でドキドキしているのを抑えられなかった。





「早坂!」
「あ、桐谷くん! おはよう、待たせちゃってごめんね」
「おはよ、別にそんな待ってねえよ」


待ち合わせの遊園地に着くと、先に着いていた桐谷くんが私を見つけてくれたみたいで手を振ってくれた。
急いで駆け寄ると、ははっと優しく目を細めるものだから胸が小さくドキッとなる。

もう、だからダメなんだってば……!
ていうかこれは好きとかじゃなくて、桐谷くんがイケメンだから、かっこいいからだから……!
そういう人にはみんな性別とか関係なくきゅんってなるし、たぶん……
だからこの反応は致し方のないことだから……

そう心の中でぶつぶつと呟く。
だけど目の前にいる彼は、学校のときとは違う髪型で、昨日の私服よりも断然オシャレで、そのことに気づくとまた胸がドキドキする。

こういうときいつもの私なら『桐谷くんすっごくかっこいいね! モテる理由がわかるなあ』なんて言って、絶対に相手のことを褒めるのに、なんだか今日は言えない。

かっこいい、かわいい、オシャレ、きれい、素敵……
自分が少しでもそう感じたときは、いやもしもそう感じなくても、一般的にはそうだと思ったときは、相手の性別や年齢に問わず、必ず口にするようにしていた。
褒められて嫌な気持ちになる人は少ないと思うし、それどころか褒めた私の好感度が上がることが多いから。
それに私自身もそう言った言葉を口に出すのになんの抵抗もない人間だった。

それなのに今は、いつもなら脊髄反射のように出てくる言葉が言い出せない。
これはデートじゃないから。
付き合っているわけじゃないから。
桐谷くんに気があると思われたら嫌だから。

そんな言い訳じみたことをひとり頭の中で考えている。


「んじゃ、さっそく入場するか」
「うん、そうだね」


チケットを手元に用意して列へと並ぶ。
するとすぐに私たちの番がやってきて、遊園地の中へと入れた。
一歩進むとそこはもう別世界で、陽気な音楽と周りの空気で気持ちが上がる。


「わー! ジェットコースターいっぱいだ!」


見上げるほどに高い建造物だから、さっきまでも見えていたけれど、近くまで来るとやっぱり迫力が違う。
とても怖そうだけれど、そのぶん楽しそうでわくわくする。


「どれから乗りたい?」
「えっ、うーん……全部乗ってみたいけど、やっぱりあれかな」


そう言って、この遊園地でいちばん怖いと有名なジェットコースターを指さす。
すると隣で軽快に笑う声が聞こえた。


「ははっ、朝イチからそれかよ」
「だ、だってどれくらい怖いか気になるから……あ、そういえば今更だけど、桐谷くんジェットコースター乗れる人なの?」
「ん、フツーに好き。早坂ほどじゃないと思うけど」
「なっ……わ、私もそんな特別そういうわけじゃ……」
「あははっ、冗談冗談。それに俺から付き合うっつったんだから、早坂はそんなの気にしなくていーの」


楽しそうに笑う桐谷くんを見て、心がまた騒がしくなる。
遊園地の効果だろうか、彼のテンションがいつもより高い気がしてなんだか落ち着かない。
そう思いながらも話していると、目的のジェットコースターの待ち列までやってきた。


「80分か。まあ人気なやつだしな」
「う、うん、そうだね……」


列へと並びながら、今更な不安がまたひとつ思い浮かぶ。
それは80分も彼とふたりで話すことがあるかということだ。
いや、今日一日遊ぶのなら80分どころではない。
ジェットコースターに乗れること、お化け屋敷に行けることで頭がいっぱいで、何も考えていなかった。

相手は特別仲がいいというわけではない――ああ、そんなことを言ってこの前彼を怒らせてしまったが、とにかくふたりで遊ぶというのは初めてだということは事実。
それも同性じゃなくて異性。

プチパニックに陥った頭の片隅で『初デートに遊園地に行くと別れる』なんて有名なジンクスが浮かぶ。
もちろん私たちは付き合っていたりなんかしないけれど。
だけど無言の時間が多すぎて、もし彼に、桐谷くんに、つまらない女だなと思われてしまったら……

ああ、最悪だ!
どうしてこんな少し考えればわかる問題に気づいていなかったんだろう。
昨日までにわかっていれば、雑談の内容を考えたり、暇つぶしに一緒にできるゲームを考えたりすることができたのに……!


「なあ、早坂ってさ」
「っえ!?」


必死に頭を働かせていた中、急に名前を呼ばれて変な声が出てしまった。
だけど桐谷くんは何も気にしていないのか、そのまま話を続ける。


「服、かわいいよな」
「え!?」


急に褒められて、それもかわいいと言われて、また変な声が出てしまう。


「や、早坂って好きなもん意外なものばっかじゃん。コーラが好きだったり、ジェットコースターが好きだったり」
「え、あ、うん、そうだね……?」
「だから服も、すげえロックなやつとかが好きだったりすんのかなって思ってたんだけどさ、全然違ったから」
「あ、ああ……なるほど……」


そういうことかと納得する。
『かわいい』というのは『ガーリー』という意味だったのか。
意味がわかってすっきり……安心した。
なんだか少し残念な気持ちもあるけど、ぷいっと見ないふりをする。

たしかに今日の服装は桐谷くんの言う通り、かわいいに重きを置いたガーリーなコーデだ。


「服は割となんでも好きなの。こういうかわいいのも好きだし、桐谷くんの言ってたロックなのも、かっこいい服装も好き」
「ふーん。じゃあなんで今日はかわいいやつ選んだんだ?」
「え、それは……」


男の子はかわいい服装が好きだと思ったから。
思い浮かんだ言葉をそのまま口にしそうになってつぐむ。
そんなことを素直に言ったらなんてからかわれるかわからない。


「きょ、今日はかわいいのが着たい気分だったから! それに、ロック系なファッションとかはあんまり着ないんだ。私には似合わないし、難しいし」


嘘だけど嘘じゃない。
桐谷くんは「へえ」とこぼしたあと、私を見て口元を緩めた。


「そういうのも似合いそうだけどな。それもかわいいし」


着ている服を指さして、彼はためらいもなく言う。
少し胸がチクっと痛むのにそれ以上に嬉しくて、変ににやけてしまうのを笑って誤魔化した。


「あはは、ありがとう。桐谷くんも今日の洋服似合っててかっこいいよ」


私が危惧していたことを彼は何も気にしていないようだったから素直に伝える。
もしかしたら私と同じく、少しはドキッとしてくれるんじゃないかと期待したけれど――


「さすが早坂サンは褒め上手ダナー」


なんて茶化されて終わってしまった。

桐谷くんにはたしか、付き合っていた人――つまり元カノが何人かいたはず。
去年だったか、廊下で仲良く話している姿を見たことがあったけれど、その女の子たちはどうやって彼をドキドキさせていたんだろう。
そしてどうやって彼に好きになってもらったんだろうか。


「なあ、乗んの緊張しねえ?」
「初めて乗るしちょっと緊張してる……だけど楽しみっていう気持ちの方が勝つかな!」


頭のすみっこで考え事をしながらも、桐谷くんとはなんだかんだ話が続いていく。

そうこうしているうちに私たちが乗る順番がやってきた。
何名様ですか、というスタッフさんの質問にふたりですと答えて、案内の通りに進んでいく。

目の前にはもうジェットコースターが見える。
ドキドキわくわくしながらポケットに何も入っていないか確認し、マシンに乗りこんだ。


「わーっ、どうしよう! 楽しみすぎてニヤついちゃう」
「はは、いいじゃん。ストレス発散するために思いっきり叫ぼうぜ」
「桐谷くんがわー!って叫んでるのあんまり想像できないかも」
「はあ? いいぜ、これから見せてやるよ」


そうやって話している間にスタッフさんの安全確認が終わり、マシンが動き出した。
ここ最近でいちばん心臓が高鳴っている気がする。
なにせ、大好きなジェットコースターに乗れるのは本当に久しぶりなのだ。
それもひとりじゃない。
隣に一緒に楽しんでくれる人がいる。

カタンカタンと音をたてて、高く高く上っていく。
それに比例してどんどんテンションも上がっていく。

「わあ……!」


落ちる直前に見えた景色はとてもきれいで、太陽の光がきらめいていた。
そんな風景に見惚れているとマシンが下へ傾き、そのまま急激なスピードで落ちていく。


「きゃーっ!」


楽しくて自然と出た叫び声は、ほかの人たちの声と重なって消えていった。





「すっごく楽しかったね!」


ジェットコースターを乗り終えて、桐谷くんとふたりで歩く。
非日常なスリルある体験ができて、思いっきり叫ぶこともできて、私の気分はまだ高揚していた。


「ははっ、そーだな」
「……え? な、なに?」


彼が私の顔を見て笑っているから、なんだろうと少し冷静になり聞いてみる。


「いや? 隣に座ってる俺のことなんて眼中にないくらい楽しんでたなと思って」
「えっ、そ、そんなことないけど」


楽しんでいたというのは彼の言う通りだ。
だけどそれは、隣で一緒に楽しんでくれる桐谷くんがいたからこそ。
眼中にないなんてそんなことは……


「ホントかあ~? 想像つかないとか言われたから俺も叫んでたんですけど。早坂サンには聞こえてました?」
「えっ!? それは……だって、私も、周りの人も叫んでたし……!」
「ハイハイ、心の底から楽しんでもらえたようで何よりです~」
「うっ、ごめんね桐谷くん。次乗るときはちゃんと聞くから!」
「いや、べつにそこまで聞いてほしいわけじゃねえから。つか恥ずいわ」


おかしそうに笑う彼につられて私も笑ってしまう。
ジェットコースターに乗る前はあんなに悩んでいたことが嘘のように、桐谷くんとの会話が弾む。
次に乗る乗り物もあっさり決まってそれを楽しんだあと、時計の短い針は12と1の間にあった。


「なあ、そろそろ飯食わねえ?」
「そうだね、私もお腹減っちゃった」
「なんか食いたいもんある?」
「えっ、うーん……」


遊園地のパンフレットを見ながら考える。
洋食から和食、デザートまでなんでもあるらしい。
選択肢がたくさんあることはいいことだけれど、私には困ってしまう。


「……桐谷くんはなにか食べたいものある?」
「絶対そう言うと思った」
「えっ、な、なんで!?」


予想していなかった返しをされ、それに加えて桐谷くんにじとっとした目で見られて焦る。


「人に本音言えない早坂が、自分の食いたいものあっさり言えるわけねえよなって」
「え、えー……さすが桐谷くん、だね……」


自分のことを理解してもらっていることに喜んでいいのか、まだまだ成長できていない自分に呆れるべきなのかよくわからず、変な返答になってしまう。


「で、何が食いたいの。いいから言ってみな」
「だ、だけど、桐谷くんも食べたいのあるでしょ? なのに私が言ったら……」
「べつにそれで決定するわけじゃねえから。お前ほんと気ぃ遣いすぎんだよ。ほら、言ってみ」
「え、ええっと……」


桐谷くんの圧に押される。
今までこんな風に言われたことがなくて、心臓がドキドキと激しく鼓動する。
どうしようかと少し悩んだけれどすぐに耐えられなくなって口を開いた。


「は、ハンバーガー食べたい、です」
「ふーん、ハンバーガーね」


私としては勇気を出して言ったのに、彼は雑な相槌をひとつだけするとパンフレットを覗き込む。


「ん、じゃ行くか」
「えっ、行くってどこに!?」
「ハンバーガー食いに」
「えっ、でもさっき決定するわけじゃないって」
「俺も食いたいんだからいいだろ。嫌なもんだったら嫌ってちゃんと言うし。俺が遠慮するタイプだと思うか?」
「それは……思わない、けど」
「だろ?」


少し得意げに笑う桐谷くんについていく。
風がさらりと彼の明るい髪の毛を撫でた。


「なあ、べつに悪いもんじゃねーだろ?」


気のせいか、さっきよりも優しい声で話しかけられる。
なんのことだろうと一瞬思ったけれど、さっきの会話の続きだと気づいて頷いた。


「自分の本音話すことでさ、相手にもやっと自分のこと知ってもらえんの。小っちゃいことからでいいから、訓練しないとな」


その言葉が、どうしてかはわからないけれど、訓練につきやってやるという風に聞こえて、勝手に嬉しくなる。
これが妄想でも、痛い勘違いでもいい。


「……うん、ありがとう」


そんな風に思っていることが、どうかバレませんようにと願いながら彼に笑いかけた。



あちらこちらから聞こえる楽しそうな声を聞きながら歩いていると、目的のハンバーガー屋が見えてきた。
全てテラス席のようで、店の周りにはたくさんの椅子と机が並べられている。
しかしちょうどお昼ご飯の時間だからか、ほとんど席は埋まっていた。


「先に席取るか」
「たしかにその方がいいかも」


近くの空いていた席に荷物を置いて、かばんから財布を取り出す。
レジに向かおうとしたとき「なあ」と桐谷くんから声をかけられた。


「何頼むか決めた?」
「うん、アボカドのわさびのやつにしようかなって」
「へー、辛いの好きなんだな」


そう言われてはっとした。
思えば無意識に自分の好きなものを選んでいた。
桐谷くんにはもういろいろなことがバレているから、いまさら隠したって意味はないのかもしれないけれど、何も考えていなかった自分に驚いた。


「うん、好きなの」


なんだか心の奥が温まる。
誰に迷惑をかけるわけでもないのに、自分のキャラを守るため、食べるものさえ嘘をついていたけれど、それをやめることができる日が来るなんて。


「じゃ買ってくるわ。早坂はここで待ってて」
「え、私も一緒に行くよ」
「まとめて買った方が楽だろ。早坂はここで席守ってて」


席を、守る……?
桐谷くんにしてはなんだかかわいい言い方に気を取られていると、彼はひとりで歩きだしてしまう。


「あ、ドリンクは?」


そう言って振り返ってくれるけれど、きっと私が何を飲みたいかなんてわかっているだろう。


「コーラ!」


少し声を張り上げて答えると、彼は嬉しそうに笑った。
心臓が大きく、だけど緊張しているときよりは小さく鳴っている。
スマホを見る気にもならなくて、ぼーっと桐谷くんの背中を見つめた。
遠くからでもかっこよくてオシャレな雰囲気が伝わってくる。


「……ねえ、あの人めっちゃかっこよくない?」
「え、どれどれ? うわっ、ほんとだ」


近くからした声に反応して振り返る。
二人組の女の子たちが、列に並んでいる桐谷くんを見て楽しそうに話していた。

……モテモテだなあ。
でもその理由が今は前に比べてよくわかる。
どうりで周りの女の子たちは彼をほっとかないわけだ。


「……はあ」


言葉に上手くできない感情で頭がいっぱいになる。
気持ちを落ち着かせようとスマホを手に取ったとき「早坂」と名前を呼ばれた。


「わっ!? あ、ありがとう桐谷くん」
「いいよ。はい、これが早坂のな」


そう言ってトレーごと私の前に置いてくれる。
ふわりとお肉の美味しそうなにおいがした。


「あ、いくらだった?」
「さあ?」
「えっ」


まさかの返答に驚く。
固まった私を見て桐谷くんは「ははっ」と愉快に笑った。


「冗談だよ、奢る」
「えっ、悪いよそんなの! レシートは? もらった?」
「いーからいーから。コースターのお礼ってことで」


その言葉を聞いて、桐谷くんにコースターをプレゼントしたとき『じゃあ少なくとも3000円くらいの価値か』なんて言っていたことを思い出す。
そんな価値なんて全くないのに彼が気に留めてくれているのが嬉しくも苦しい。


「なあ、そんな顔されたら悲しいんだけど?」


優しさと、ほんの少し心配が滲んだ顔で見られて、胸がぎゅっと締め付けられる。


「……ありがとう、桐谷くん」
「どーいたしまして。それにしても、クラスで天使だ女神だ言われてちやほやされてる早坂サンがまさか奢られ慣れていないとは」


ニヤニヤと笑われて顔が赤くなるのがわかった。


「そ、それはっ……みんなに奢られたくてキャラ作ってるわけじゃないし……!」
「ははっ、顔真っ赤じゃん」


笑いながら指摘されて余計に顔に熱が集まる。
もう何も言い返せない。
ここは話題を変えようと口を開く。


「……桐谷くんっていじわるだよね。彼女さんたちにもこんな風に接してたの?」
「は? なんで急に恋バナ? つか俺、今彼女いないし」
「それは……気になったから」


さっき桐谷くんを見て騒いでいた女の子たちはいるか、ちらりと周りを見る。
するとそんな私を見てなにか察したのか、目の前の彼は小さくため息をついた。


「好きな人には優しくするよ、俺だって」


好きな人……
桐谷くんの言葉が胸に引っかかって重くのしかかる。


「……そんな顔しちゃって。どういう意味なの、それ」
「え?」
「……いや。つかお前は?」
「私、は……」


まさか聞き返されるとは思わず口ごもる。
なにを言っても立派に恋をしている彼の前では粗末に見えてしまいそうで、小さく首を振った。


「そんな特筆すべきことはない、かな」
「……ふーん」


なにも突っ込まれず話が終わったことに安心する。
大きな口に吸いこまれるハンバーガーを見ていると、ふと気になった。


「そういえば、桐谷くんはなににしたの?」
「ん、チーズバーガー」


目線を彼のトレーに下ろすと、ハンバーガーの横にはオレンジジュースが並んでいる。
これが桐谷くんの好きなもの。
なんだか彼のことを少し知れた気がして嬉しくなる。
そんな風に考えて、さっき彼が言っていたことはこういうことなのだろうかと思った。





「では4名様、いってらっしゃい!」


目の前の不気味な雰囲気とは全く合っていない明るい声で案内され、私たちの前に並んでいた人たちが扉を開けて入っていく。
すぐに「ぎゃーっ!」という悲鳴が聞こえて、心臓がドキッと跳ねた。


「おい、大丈夫か? ほんとに好きなんだよな、お化け屋敷」


隣にいた桐谷くんが心配そうに私の顔を覗き込む。


「好きだよ! お化け屋敷は怖いから好きなの!」
「はあ? なんだそれ。ま、好きならいいけど……」


お昼ご飯を食べてジェットコースターに乗ったあと、私たちはこの遊園地で一番怖いと言われているお化け屋敷に来ていた。

病院がモチーフになっているらしく、入る前から照明は落とされていてすでに暗い。
壁には赤いものがそこらじゅうに塗られている。
楽しみだけれどとても怖いのも事実で心臓が痛い。
ちらりと視線を落とすと、手のひらがぷるぷると震えていた。


「桐谷くんは怖くないの?」
「そりゃ怖いけど、俺より……」


俺より?
不自然に途切れた言葉の続きを待っていると、クルーさんに声をかけられた。

「2名様ですね! いってらっしゃい!」
「行けるか?」
「うん!」


なんだか心配そうな顔をしている桐谷くんに頷いて、一緒に扉を開ける。
少し進むと扉が閉まり、一気に暗くなった。
不協和音が流れている中で、ジリリリリーンと遠くで電話が鳴っている。

音に導かれて歩くと今では珍しい黒電話が置かれていた。
近くのメモには『電話に出てください』と書かれてある。


「……出たい? 怖いなら俺が出ようか?」
「え、えっと……」


どうせなら体験したい気持ちと、出たら怖いことになるのではないかという不安で心が揺れる。
だけどずっと来たかったお化け屋敷。
彼にも付き合ってもらっているんだし、ここは怖くても楽しまないと損だ。


「私が――」
「どうして出てくれないの?」


後ろから聞こえてきた声に振り返ると、そこにはいつの間にか人が立っていた。


「きゃーっ!!」
「あ、おいっ、早坂!」


桐谷くんの声を無視して先の通路へと走って逃げる。
不気味さが少し落ち着いた階段まで来て、やっと我に返った。

お、置いてきちゃった……!
どうしよう、怖すぎて桐谷くんのことを全く考えられていなかった。

戻る?
だけどひとりでさっきまでのところを歩くのは怖い……!
じゃあここで待つ?
だけどこんな不気味なところにひとりでいるのも怖い……!
どうしようかと悩んでいると、後ろから足音が近づいてくる。


「やっと見つけた……お前、危ないから走んなよ。つか俺を置いていくな」
「桐谷くん……!」


安心して涙腺が緩む。
するとそんな私を見て彼はため息をついた。


「はい確保」
「えっ」


腕を掴まれて、そのまま手を握られる。
彼の手は温かいのに少し湿っぽくて、ドキドキする種類がひとつ増えてしまう。


「また置いていかれたら嫌だから。ほら行くぞ」
「え、う、うん」


階段を上って、矢印の通りに進んでいく。
怖いけれど、桐谷くんが手を繋いでいてくれるおかげで少しましになった気がする。
だけど――


「きゃーっ!」
「あ、こら!」


懲りずに走りだそうとする私を、繋いでいる手を引っ張って止めてくれる。


「ご、ごめんね桐谷くん」
「いいけど……ほんとに大丈夫か?」
「うんっ、大丈夫だよ」


なんだかずっと心配してくれている彼が少しでも安心できるよう、にこりと微笑みかける。
しかし残念ながら効果はなかったようで、納得していない表情のまま歩き出す。

お化け屋敷もいよいよ終盤かというとき、目の前には手術室と思われる部屋が広がっていた。
人形なのか人間なのかわからないものが手術台の上に乗っていて、そのすぐ近くにも人影がある。


「あ、あれ動くかな」
「さあ……ここからじゃわかんねえな」

あの近くは絶対に通りたくない。
だけどそう思うのをさせるのがお化け屋敷というもので。
矢印は手術台の横を通れと示している。


「うう……怖い!」
「俺に引っ付いてもいいから。驚いても危ねえから走んなよ」
「う、うん、ありがとう」


そう言われても、手まで繋がせてもらっているのにこれ以上甘えることなんてできない。
意を決して手術室へと入ると「ブーッ! ブーッ!」と警報音が鳴りだした。
すると手術台の近くにいた人影がこちらへと振り返る。


「わっ!」
「うおっ」


ふたりして声を上げて驚くと、ガタンガタンと大きな音をたてて追いかけてきた。


「きゃーっ!!」


早歩きで駆け抜け、出口と書かれた扉を開けると眩しい光に目を細める。


「脱出成功おめでとうございます! 実験体にならなくてよかったですね!」


クルーさんに微笑まれて、やっと緊張の糸が切れた。


「はーっ、楽しかったね桐谷くん!」
「まあ、楽しかったけど……」
「桐谷くんはどこが一番怖かった? 私はやっぱり最初と最後が怖かったなあ」
「あー、そうだな」
「演出とかもすごかったね! 音鳴らしてるのはセンサーでかな? あ、そういえば途中にあったあの水って本物なのかな?」


気分が高揚して興奮気味に感情のまま話す。
ふと気になって隣の彼を見上げると、優しい表情で見られていてドキッとした。


「え、ど、どうかした?」
「いや、杞憂だったなって」


杞憂……?
なにかあったのかと思考するが全くわからない。
するとそんな私を見て桐谷くんはおかしそうに笑った。


「次はなにしたい?」
「えっ、えーっと、桐谷くんがいいならもう一個のお化け屋敷に行きたいなあって」
「マジかよ、連続でお化け屋敷巡んの?」
「それなら全然ほかのやつでも――」
「いいよ、ほら行こうぜ」


そう言って手を優しく引っ張られて、ずっと繋いだままだったことにやっと気づいた。