いつか叶う。
いつかあなたの彼女になれる日が来る。
だから、諦めずに一途で想い続けようって。
心の中ではずっと期待していた。
だから、友だちのフリをして、ずっと側にいた。
けれど、それは私の思い違いだったみたいで──。
ピコンッ──
夕食を食べ終えてベットに寝転がっていると、スマホが鳴った。
夏休み中の今、なまっている身体を極力動かさないように、ローテーブルに手を伸ばす。
『明日の花火大会行くよな?』
「えぇ!!!???」
裕太からのメッセージに思わずびっくりして、飛び起きた。
だって、好きな人からデートの誘いが来たんだもん。
舞い上がったのは一瞬。トーク画面を開けば、グループラインからだった。
がっくしと肩を落とす。でも、裕太にまた会えるなら、三人でもいい。
デスクの上に飾ってある写真立てに視線を向ける。
そこには、楽しそうな笑みを浮かべる私と裕太、颯斗と三人で行った花火大会の日の思い出が形に残っている。
高校を卒業してからもう二年が経つ。
大学入学直前の春休みに、テレビやウェブニュースでは、感染症の話で持ちきりだった。
大学はリモート授業に切り替わり、不要不急の外出を控える生活になった。
毎年三人で行っていた花火大会は中止となり、それから二人には会っていない。
今はそれぞれ、別の道に進んでいるはずなのに、こうして思い懐かしむと私だけが今も高校生の頃の気持ちをずっと引きずっている気がしてくる。
そして裕太への気持ちもあの頃と変わらぬままで、今も想い続けている。
一目惚れだった。
高校入学してすぐに体験入部があり、私はバスケ部に申請した。
急に女子の甲高い声が隣のコートから聞こえてきて視線を向けると、ドリブルで敵を交わしながらゴールに向かう、ある男子生徒が目に入った。
そしてシュートを決めると、彼の周りに人が集まる。
その中で嬉しそうな笑みを浮かべる彼を見て、胸の奥で音が鳴った気がした。
でも恋に臆病だった私は、同じバスケ部に入ったものの、隣のコートから目で追うことしかできなかった。
それから二年に進級して、栗原くんと同じクラスになれた私に二人っきりになるチャンスが訪れたのだ。
部活に行こうと帰り支度をしていると、教室の前方からさっきまで一緒に掃除していた栗原くんが戻ってきた。
「まだいたんだ」
「あ、うん。栗原くんは?」
まさか話しかけられるとは思っていなくて、緊張で声が震える。
「忘れ物した」
そう言って彼は、自分の席に向かう。
「栗原くん」
気づけば彼の名前を呼んでいた。
「なに?」
続きを話さない私を見て首を傾げている。
「あのっ、付き合ってください!」
頑張って勇気を出して口にできた言葉がそれだった。
恥ずかしくて俯く。
西日が差し込む教室で、私と栗原くんと二人きり。
「あ、えっとぉ」
直接顔を見ていないけれど、困ったような声音だったから、振られるだろうなと直感して、覚悟を決めて返事に備える。
でも、返ってきた言葉は予想外で、目を丸くした。
「どこに付き合えばいい?」
「えっ」
栗原くんは、私が告白したとは思っていなくて、どこかに付き合ってほしいと、勘違いしたのだろうか。
もしくは、はぐらかされたとか。
胸が苦しくなって、視界がぼやける。
それなら告白しなければよかった──。
ぐっと唇を噛みしめて、涙が流れるのを堪える。
でも栗原くんが勘違いしてくれているなら、このまま都合よく友だちになって、ずっと側でいられる方がいいかもしれない。
だから私は、その言葉に便乗して、
「花火大会! 友だちと行く約束してたんだけど、行けなくなったみたいで……。それでどうかなって」
極力明るい声を出して、無理やり笑みを浮かべる。
緊張で震える手をもう片方の手で押さえた。
想いを伝えたことに後悔していて、今にも泣き出したい気分だった。
でも、好きだから。栗原くんの近くにいたいから。
友だちから始まる恋だってあるかもしれないし、と自分を励ます。
「いいよ。行こっか」
優しく微笑んでくれる栗原くんを見て、友だちのフリをしていく偽りの心と、好きという本当の気持ちが胸をざわつかせた。
これでいいんだ。
だって、もしかしたら一緒にいることで好きになってもらえる可能性だってあるんだから。
友だちでいい。
友だちからでいい。
この関係が壊れるくらいなら、私からはもう、気持ちは伝えない。
約束していた花火大会当日。
私たちの関係性は友だちだからなのか、二人で行くのが躊躇ったのか、栗原くんがもう一人、クラスメイトの木立颯斗を連れてきたときは、少し落ち込んだ。
三人ともバスケ部だった私たちは、タイミングが合えば一緒に帰ったり、帰路でコンビニに寄ってお腹を満たしながら話し合ったりして、少しずつ仲良くなっていった。
颯斗とも久しぶりに会えるし、もちろん『行く』と返事をした翌日。
クローゼットから浴衣を引っ張り出して、着る前に袖口を鏡の前で合わせてみる。
黄色がベースでぱっと明るい印象があるけれど、大ぶりの水色の花で清涼感があるお気に入りの浴衣。
高校以来に着るから、少しは大人っぽく変化した私に気づいてくれるかな、なんて淡い期待をする。
──「お待たせ」
好きな人の懐かしくて安心感がある声。
顔を上げると、笑顔で近寄ってくる浴衣姿の裕太と、もう一人、ピンク色の浴衣姿の女性が彼のあとを少し恥ずかしそうについてきていた。
そこに颯斗も合流したのだけれど、
「えっと……」
目の前で照れくさそうに歯に噛む女性。
これはもしかして。
「彼女の穂乃果」
ズキリと胸が軋んだ音を立てた気がした。
久しぶりに三人で集まれる、そう思っていたのに、なんでこの女の人もいるの。
裕太の後ろを歩いていると、私の視線に気づいたのか、穂乃果という人が振り返って、微笑んできた。
なんだか余裕の笑みを向けられたようで、少しむかついたけれど、一応にっこり作り笑いを返しておいた。
今まで一番裕太の近くにいたのは私で、ずっと好きだったのに、なんで私より後に知り合ったあなたが裕太の彼女なの。
楽しそうに笑い合う二人の姿を見ていると、裕太が好きな人に向ける顔を知って、どんどん胸の奥が苦しくなっていく。
優しい目で愛おしそうに彼女を見る顔は、特別な人にしか向けられないのだろう。
屋台が立ち並んでいて賑わっている中、私の心はずさんでいて、それでいてつらくて。気合い入れて浴衣を着てきて、花火をみようとしていることが、場違いのように思えてきた。
楽しかったここでの思い出が黒く塗りつぶされていくようだった。
「千夜、あのさ」
「ん?」
隣で歩く颯斗を見上げると、前を向いたまま彼は話を続けた。
「僕、高校で仲良くなったときから、千夜のことずっと好きだったよ」
突然で思いもよらない告白に、目をぱちくりさせていると、切れ長の目が優しく弧を描いて、颯斗の瞳に私が映る。
答えは決まっているのに、どう返事を返せばいいのか分からずに下駄を見つめながら歩く。
「久しぶりに会って、また千夜の姿を見たら、あの頃の気持ちがよみがえってきて。まだ好きな気持ちが残っていることに気づいたんだ」
前を歩く裕太に視線を移す。
辺りは騒がしいから、きっと私たちの会話は聞こえていないはず。それに彼女に夢中で、私たちのことなんて気にしてなんていない。
もし聞こえてたなら嫉妬してほしいな、なんて考えてしまって、颯斗に申し訳なく思う。
「そっか」
「でも、千夜が裕太のこと好きだって知っていたから、告白しなかったんだ」
「え!? 気づいてたの?」
「いつも裕太のこと目で追ってる千夜見てたらわかるよ。今も裕太のことが好きなんだね」
颯斗は私から裕太に視線を向ける。
裕太を見つめる彼の瞳には、諦めがついているかのような、どこか羨ましそうな視線を向けているように思えた。
そしてにっこりと微笑んでいる颯斗と目が合って、
「千夜の浴衣姿に惚れた」と、おちゃけた様子で彼に言われた。
「でも……」
すぐに真剣な表情に変わって、
「でも、これは恋人になりたいから付き合ってほしいの告白ではなくて。これは、さよならをするための告白なんだ」と、いつもより声のトーンを落として、決心をしたように強く聞こえた。
「さよならの告白?」
「そう。これからの新しい出会いを大切にしていきたいから。叶わない恋に終身符を打つ。前に進んで行くために」
いつもは優しい表情が多くて穏やかな人だな、と思っていたけど、今は前に進もうとする彼から強い意思を感じる。
まだ好きで付き合ってほしいから告白されたのだと、てっきり思ったけれど、違うんだ。
颯斗は前に進もうとしている。それを私が止める権利はないし、止めたくない。
颯斗にもう会えなくなると思うと寂しいけれど、私は友だちが決めたことを尊重したい。
「わかった。気持ち伝えてくれて、ありがとう」
私は笑顔で応えた。
観覧席に着こうとする手前で、裕太が振り返った。
「かき氷って、さっき通ってきた道にあったよな?」
「ごめん、わからないや」
颯斗との会話で、屋台に目が入っていなかった。
「穂乃果がかき氷食べたいって言ってて……。俺と穂乃果でちょっと買いに行ってくるけど、千夜と颯斗も食べる?」
「あー僕、味見て選びたいタイプでさ。だから僕と穂乃果ちゃんで買いに行ってきてもいい?」
「なに、味見て選びたいタイプって。まぁいいけど」
さらっと突っ込む裕太とのやりとりに、少し名残惜しく感じる。
「ありがと裕太。じゃあ行こっか」と、穂乃果さんに声をかけると、颯斗は来た道に戻るではなく私の方に来て、耳元で呟いた。
「裕太とちゃんと話しなよ。千夜がどうしたいかは勝手だけど、千夜には幸せになってほしい」
何事もなかったように優しく微笑んだ颯斗は、先に進んでいる穂乃果さんの背中を追った。
私がどうしたいか……。
「おーい、行くぞ」
「あ、うん!!」
私がどうしたいかなんて決まってる。
裕太が穂乃果さんと別れるまで待つ。
そしたらまた可能性だってあるはず……。
でも、本当にそれで良いのだろうか?
裕太がいつ別れるかも分からないし、もしかしたらこのまま結婚してしまうかもしれない。
大学卒業まで関係が続いて、就職すると、結婚だって視野に入ってくるかもしれない。
それでも私は、裕太を追い続けて、これからの出会いを裕太に捧げてしまっていいのだろうか。
「裕太」
隣を歩く裕太の手を強く握り締めた。
私、前に進まなきゃ。
裕太を想う時間は無駄なんかじゃなかったけれど、新しい出会いだってある。
もう想いは止めないし、もう止めておく必要もない。
急に手を繋いだからか、戸惑っているようにも見えたけど、裕太は人にぶつからないように通路の端に寄せてくれた。
「どうした」
裕太は私の腕を掴んで、握っていた方の手をゆっくりと下ろした。
そう、それが答え。
眉根を下げて困ったような表情をした裕太と視線が交わる。
ちゃんと想いを伝えよう、そう思ってたのに、いざ言葉にしようと思うとこわい。
もう裕太に会えなくなる。友だちじゃなきゃ会う理由なんてなくなる。それならまだこのまま友だちのフリをしていたい。
でもっ──。
このままじゃ私、前に進めない。
だから──。
「裕太、私、ずっとずっと裕太のことが好きだった。ずっと側で居られるならって、友だちのフリをしてた。でも本当は、裕太は今も私の好きな人」
返ってくる言葉は分かってる。だって裕太の隣には彼女がいるから。
「ごめん」
分かってるのに、分かってたのに、裕太から真正面から向かって言われた言葉が胸にぐさりと突き刺さった。
苦しい。苦しい。こんな想いをするくらいなら好きになんてならなきゃ──。
ううん、違う。全部つらかったわけではなかった。
楽しい時間だってあった。好きになれて良かったんだ。
「ありがとうな」
裕太が私の頭に手を乗せる。
そこから伝わってくる温もりが、私の心を温かくしていく。
ちゃんと笑えているだろうか。
「バイバイ」
私が言ったと同時に、夜空に打ち上げられた花火の音で聞こえなかったのだろう。
裕太は「え?」と聞き返してきたけど、それには答えず、私はさよならの握手だけを求めて、彼に手を伸ばした。
そしたら裕太も手を握ってくれて。
私たちは最後の挨拶を交した。
「おーい!」
振り返ると、颯斗と穂乃果さんが両手にかき氷を持って戻ってきた。
穂乃果さんが裕太にもう片方に持っていたかき氷を差し出すと、「げっ、俺いらねーって言っただろ」と、彼は怪訝そうな顔をした。
「欲しいって言ってもあげないんだからね! ちょっとくれなんて言うと思ったから、仕方なく買ってきたんだから、贅沢言わないの!」
そのやりとりが面白くてつい吹き出すと、笑顔が溢れた。
離れようと思えば、離れられたはずなのに、それが今までできなくて、ずっと君を忘れられずにいた。
でも、恋って簡単に諦めることができないよね。
身体のどこかにスイッチがあって、それを押せば、恋したことがなかったことになるボタンがあれば。
なんて前は思ったりもしたけど、恋した心と思い出は消したくない。
そんなの消さずとも、私たちは前には進めるから。
最後に上がった花火に歓声と拍手が湧き起こる。
夜空に消えていく最後の花火は、今まで見てきた花火の中で一番うつくしく、きれいで、心を震わせた。
いつかあなたの彼女になれる日が来る。
だから、諦めずに一途で想い続けようって。
心の中ではずっと期待していた。
だから、友だちのフリをして、ずっと側にいた。
けれど、それは私の思い違いだったみたいで──。
ピコンッ──
夕食を食べ終えてベットに寝転がっていると、スマホが鳴った。
夏休み中の今、なまっている身体を極力動かさないように、ローテーブルに手を伸ばす。
『明日の花火大会行くよな?』
「えぇ!!!???」
裕太からのメッセージに思わずびっくりして、飛び起きた。
だって、好きな人からデートの誘いが来たんだもん。
舞い上がったのは一瞬。トーク画面を開けば、グループラインからだった。
がっくしと肩を落とす。でも、裕太にまた会えるなら、三人でもいい。
デスクの上に飾ってある写真立てに視線を向ける。
そこには、楽しそうな笑みを浮かべる私と裕太、颯斗と三人で行った花火大会の日の思い出が形に残っている。
高校を卒業してからもう二年が経つ。
大学入学直前の春休みに、テレビやウェブニュースでは、感染症の話で持ちきりだった。
大学はリモート授業に切り替わり、不要不急の外出を控える生活になった。
毎年三人で行っていた花火大会は中止となり、それから二人には会っていない。
今はそれぞれ、別の道に進んでいるはずなのに、こうして思い懐かしむと私だけが今も高校生の頃の気持ちをずっと引きずっている気がしてくる。
そして裕太への気持ちもあの頃と変わらぬままで、今も想い続けている。
一目惚れだった。
高校入学してすぐに体験入部があり、私はバスケ部に申請した。
急に女子の甲高い声が隣のコートから聞こえてきて視線を向けると、ドリブルで敵を交わしながらゴールに向かう、ある男子生徒が目に入った。
そしてシュートを決めると、彼の周りに人が集まる。
その中で嬉しそうな笑みを浮かべる彼を見て、胸の奥で音が鳴った気がした。
でも恋に臆病だった私は、同じバスケ部に入ったものの、隣のコートから目で追うことしかできなかった。
それから二年に進級して、栗原くんと同じクラスになれた私に二人っきりになるチャンスが訪れたのだ。
部活に行こうと帰り支度をしていると、教室の前方からさっきまで一緒に掃除していた栗原くんが戻ってきた。
「まだいたんだ」
「あ、うん。栗原くんは?」
まさか話しかけられるとは思っていなくて、緊張で声が震える。
「忘れ物した」
そう言って彼は、自分の席に向かう。
「栗原くん」
気づけば彼の名前を呼んでいた。
「なに?」
続きを話さない私を見て首を傾げている。
「あのっ、付き合ってください!」
頑張って勇気を出して口にできた言葉がそれだった。
恥ずかしくて俯く。
西日が差し込む教室で、私と栗原くんと二人きり。
「あ、えっとぉ」
直接顔を見ていないけれど、困ったような声音だったから、振られるだろうなと直感して、覚悟を決めて返事に備える。
でも、返ってきた言葉は予想外で、目を丸くした。
「どこに付き合えばいい?」
「えっ」
栗原くんは、私が告白したとは思っていなくて、どこかに付き合ってほしいと、勘違いしたのだろうか。
もしくは、はぐらかされたとか。
胸が苦しくなって、視界がぼやける。
それなら告白しなければよかった──。
ぐっと唇を噛みしめて、涙が流れるのを堪える。
でも栗原くんが勘違いしてくれているなら、このまま都合よく友だちになって、ずっと側でいられる方がいいかもしれない。
だから私は、その言葉に便乗して、
「花火大会! 友だちと行く約束してたんだけど、行けなくなったみたいで……。それでどうかなって」
極力明るい声を出して、無理やり笑みを浮かべる。
緊張で震える手をもう片方の手で押さえた。
想いを伝えたことに後悔していて、今にも泣き出したい気分だった。
でも、好きだから。栗原くんの近くにいたいから。
友だちから始まる恋だってあるかもしれないし、と自分を励ます。
「いいよ。行こっか」
優しく微笑んでくれる栗原くんを見て、友だちのフリをしていく偽りの心と、好きという本当の気持ちが胸をざわつかせた。
これでいいんだ。
だって、もしかしたら一緒にいることで好きになってもらえる可能性だってあるんだから。
友だちでいい。
友だちからでいい。
この関係が壊れるくらいなら、私からはもう、気持ちは伝えない。
約束していた花火大会当日。
私たちの関係性は友だちだからなのか、二人で行くのが躊躇ったのか、栗原くんがもう一人、クラスメイトの木立颯斗を連れてきたときは、少し落ち込んだ。
三人ともバスケ部だった私たちは、タイミングが合えば一緒に帰ったり、帰路でコンビニに寄ってお腹を満たしながら話し合ったりして、少しずつ仲良くなっていった。
颯斗とも久しぶりに会えるし、もちろん『行く』と返事をした翌日。
クローゼットから浴衣を引っ張り出して、着る前に袖口を鏡の前で合わせてみる。
黄色がベースでぱっと明るい印象があるけれど、大ぶりの水色の花で清涼感があるお気に入りの浴衣。
高校以来に着るから、少しは大人っぽく変化した私に気づいてくれるかな、なんて淡い期待をする。
──「お待たせ」
好きな人の懐かしくて安心感がある声。
顔を上げると、笑顔で近寄ってくる浴衣姿の裕太と、もう一人、ピンク色の浴衣姿の女性が彼のあとを少し恥ずかしそうについてきていた。
そこに颯斗も合流したのだけれど、
「えっと……」
目の前で照れくさそうに歯に噛む女性。
これはもしかして。
「彼女の穂乃果」
ズキリと胸が軋んだ音を立てた気がした。
久しぶりに三人で集まれる、そう思っていたのに、なんでこの女の人もいるの。
裕太の後ろを歩いていると、私の視線に気づいたのか、穂乃果という人が振り返って、微笑んできた。
なんだか余裕の笑みを向けられたようで、少しむかついたけれど、一応にっこり作り笑いを返しておいた。
今まで一番裕太の近くにいたのは私で、ずっと好きだったのに、なんで私より後に知り合ったあなたが裕太の彼女なの。
楽しそうに笑い合う二人の姿を見ていると、裕太が好きな人に向ける顔を知って、どんどん胸の奥が苦しくなっていく。
優しい目で愛おしそうに彼女を見る顔は、特別な人にしか向けられないのだろう。
屋台が立ち並んでいて賑わっている中、私の心はずさんでいて、それでいてつらくて。気合い入れて浴衣を着てきて、花火をみようとしていることが、場違いのように思えてきた。
楽しかったここでの思い出が黒く塗りつぶされていくようだった。
「千夜、あのさ」
「ん?」
隣で歩く颯斗を見上げると、前を向いたまま彼は話を続けた。
「僕、高校で仲良くなったときから、千夜のことずっと好きだったよ」
突然で思いもよらない告白に、目をぱちくりさせていると、切れ長の目が優しく弧を描いて、颯斗の瞳に私が映る。
答えは決まっているのに、どう返事を返せばいいのか分からずに下駄を見つめながら歩く。
「久しぶりに会って、また千夜の姿を見たら、あの頃の気持ちがよみがえってきて。まだ好きな気持ちが残っていることに気づいたんだ」
前を歩く裕太に視線を移す。
辺りは騒がしいから、きっと私たちの会話は聞こえていないはず。それに彼女に夢中で、私たちのことなんて気にしてなんていない。
もし聞こえてたなら嫉妬してほしいな、なんて考えてしまって、颯斗に申し訳なく思う。
「そっか」
「でも、千夜が裕太のこと好きだって知っていたから、告白しなかったんだ」
「え!? 気づいてたの?」
「いつも裕太のこと目で追ってる千夜見てたらわかるよ。今も裕太のことが好きなんだね」
颯斗は私から裕太に視線を向ける。
裕太を見つめる彼の瞳には、諦めがついているかのような、どこか羨ましそうな視線を向けているように思えた。
そしてにっこりと微笑んでいる颯斗と目が合って、
「千夜の浴衣姿に惚れた」と、おちゃけた様子で彼に言われた。
「でも……」
すぐに真剣な表情に変わって、
「でも、これは恋人になりたいから付き合ってほしいの告白ではなくて。これは、さよならをするための告白なんだ」と、いつもより声のトーンを落として、決心をしたように強く聞こえた。
「さよならの告白?」
「そう。これからの新しい出会いを大切にしていきたいから。叶わない恋に終身符を打つ。前に進んで行くために」
いつもは優しい表情が多くて穏やかな人だな、と思っていたけど、今は前に進もうとする彼から強い意思を感じる。
まだ好きで付き合ってほしいから告白されたのだと、てっきり思ったけれど、違うんだ。
颯斗は前に進もうとしている。それを私が止める権利はないし、止めたくない。
颯斗にもう会えなくなると思うと寂しいけれど、私は友だちが決めたことを尊重したい。
「わかった。気持ち伝えてくれて、ありがとう」
私は笑顔で応えた。
観覧席に着こうとする手前で、裕太が振り返った。
「かき氷って、さっき通ってきた道にあったよな?」
「ごめん、わからないや」
颯斗との会話で、屋台に目が入っていなかった。
「穂乃果がかき氷食べたいって言ってて……。俺と穂乃果でちょっと買いに行ってくるけど、千夜と颯斗も食べる?」
「あー僕、味見て選びたいタイプでさ。だから僕と穂乃果ちゃんで買いに行ってきてもいい?」
「なに、味見て選びたいタイプって。まぁいいけど」
さらっと突っ込む裕太とのやりとりに、少し名残惜しく感じる。
「ありがと裕太。じゃあ行こっか」と、穂乃果さんに声をかけると、颯斗は来た道に戻るではなく私の方に来て、耳元で呟いた。
「裕太とちゃんと話しなよ。千夜がどうしたいかは勝手だけど、千夜には幸せになってほしい」
何事もなかったように優しく微笑んだ颯斗は、先に進んでいる穂乃果さんの背中を追った。
私がどうしたいか……。
「おーい、行くぞ」
「あ、うん!!」
私がどうしたいかなんて決まってる。
裕太が穂乃果さんと別れるまで待つ。
そしたらまた可能性だってあるはず……。
でも、本当にそれで良いのだろうか?
裕太がいつ別れるかも分からないし、もしかしたらこのまま結婚してしまうかもしれない。
大学卒業まで関係が続いて、就職すると、結婚だって視野に入ってくるかもしれない。
それでも私は、裕太を追い続けて、これからの出会いを裕太に捧げてしまっていいのだろうか。
「裕太」
隣を歩く裕太の手を強く握り締めた。
私、前に進まなきゃ。
裕太を想う時間は無駄なんかじゃなかったけれど、新しい出会いだってある。
もう想いは止めないし、もう止めておく必要もない。
急に手を繋いだからか、戸惑っているようにも見えたけど、裕太は人にぶつからないように通路の端に寄せてくれた。
「どうした」
裕太は私の腕を掴んで、握っていた方の手をゆっくりと下ろした。
そう、それが答え。
眉根を下げて困ったような表情をした裕太と視線が交わる。
ちゃんと想いを伝えよう、そう思ってたのに、いざ言葉にしようと思うとこわい。
もう裕太に会えなくなる。友だちじゃなきゃ会う理由なんてなくなる。それならまだこのまま友だちのフリをしていたい。
でもっ──。
このままじゃ私、前に進めない。
だから──。
「裕太、私、ずっとずっと裕太のことが好きだった。ずっと側で居られるならって、友だちのフリをしてた。でも本当は、裕太は今も私の好きな人」
返ってくる言葉は分かってる。だって裕太の隣には彼女がいるから。
「ごめん」
分かってるのに、分かってたのに、裕太から真正面から向かって言われた言葉が胸にぐさりと突き刺さった。
苦しい。苦しい。こんな想いをするくらいなら好きになんてならなきゃ──。
ううん、違う。全部つらかったわけではなかった。
楽しい時間だってあった。好きになれて良かったんだ。
「ありがとうな」
裕太が私の頭に手を乗せる。
そこから伝わってくる温もりが、私の心を温かくしていく。
ちゃんと笑えているだろうか。
「バイバイ」
私が言ったと同時に、夜空に打ち上げられた花火の音で聞こえなかったのだろう。
裕太は「え?」と聞き返してきたけど、それには答えず、私はさよならの握手だけを求めて、彼に手を伸ばした。
そしたら裕太も手を握ってくれて。
私たちは最後の挨拶を交した。
「おーい!」
振り返ると、颯斗と穂乃果さんが両手にかき氷を持って戻ってきた。
穂乃果さんが裕太にもう片方に持っていたかき氷を差し出すと、「げっ、俺いらねーって言っただろ」と、彼は怪訝そうな顔をした。
「欲しいって言ってもあげないんだからね! ちょっとくれなんて言うと思ったから、仕方なく買ってきたんだから、贅沢言わないの!」
そのやりとりが面白くてつい吹き出すと、笑顔が溢れた。
離れようと思えば、離れられたはずなのに、それが今までできなくて、ずっと君を忘れられずにいた。
でも、恋って簡単に諦めることができないよね。
身体のどこかにスイッチがあって、それを押せば、恋したことがなかったことになるボタンがあれば。
なんて前は思ったりもしたけど、恋した心と思い出は消したくない。
そんなの消さずとも、私たちは前には進めるから。
最後に上がった花火に歓声と拍手が湧き起こる。
夜空に消えていく最後の花火は、今まで見てきた花火の中で一番うつくしく、きれいで、心を震わせた。