今日は僕が夕食を始めた時に山本さんが到着した。僕の顔を見ると嬉しそうに会釈してくれた。

「同席させていただいてよろしいでしょうか?」

「今食べ始めたところです。せっかくですから一緒に食べましょう」

ママさんは彼女の分を僕のテーブルの向い側に移してくれた。彼女はママさんにお礼を言っていた。僕は彼女が荷物を部屋に置いて席に着くのを待っていた。ビールを注いであげて軽く乾杯する。聞きたいことがあった。

「聞いていいですか? ところでお仕事は何をされているのですか?」

「保母をしています。一時やめていたのですが、夫が亡くなってからまた始めました。娘を保育所に預けなければならないし、都合がよいと思って。中田さんは?」

「薬剤師をしています。町の薬局です。戻ってから病院の薬局に勤めていましたが、息子の保育所への送り迎えもありますので転職しました。その方が勤務時間にゆとりもありますから。それにここへも来やすいです」

「私もですが、子供のためですね」

「今は子供にとっても一番大事な時期ですからね。そうしようと思いました」

「でもそれだけで良いのかと思う時もあります」

「まあ、僕もときどきそう思うことがあります。だから、こうして息抜きに来ているのですが」

「中田さんとは気が合いますね。同じようなことを考えているみたいで」

それからはお互いの子供の話に終始した。食事が終わるとママさんがお風呂はどちらが先に入るか聞いてきた。山本さんが僕に入ってほしいと言うのでそうさせてもらった。

お風呂から上がって一息ついてラウンジに行くと山本さんとママさんが話していた。僕を見て話をやめた。二人は水割りを飲んでいた。

「オーナー、僕にも水割りをお願いします。ところで今、僕の噂話でもしていたのですか?」

「ママさんが私と中田さんは相性が良いと言われるので、このあいだ、二人で相性の話をしていたことをお話しました。良かったですか?」

「良かったですかと言われても、もう話したのでしょう。もちろん構いません」

「主人と私はもともと相性が良かったのか良くなったのか分かりません。始めはずいぶん考え方が違っていましたが、一緒に生活しているうちに考え方が似かよってきました。コーヒー豆をブレンドすると双方の悪癖を消し合ってマイルドになるのと似ているのかもしれません」

「人生経験の長いママさんの言うことも分かります」

それから僕とオーナーと山本さんとママさんがそれぞれ三曲ずつ歌って盛り上がった。水割のお代わりを二杯ほど飲んで心地よくなって部屋に戻ろうとしたら、山本さんが小声で耳元に囁いた。彼女は少し酔っていたのかもしれない。

「お風呂に入ってきますけど、あとで私のお部屋でお話の続きをしませんか?」

「良いですよ」

軽く返事したがどうしたんだろう? 彼女がお風呂から上がったころを見計らって部屋のドアをノックする。どうぞの声で中へ入った。

オーナーはいつも同じ部屋に泊めてくれている。ダブルの大きめのベッド、小さめテーブルと二人掛けのソファー、それにテレビ。部屋にはお風呂はないがトイレと洗面台がある。窓には薄いカーテン。ここも僕の部屋と同じで落ちついた作りになっている。

テーブルに缶ビールが二本置いてあり、ソファーに彼女が座っていた。ここへ座ってほしいと身体をずらしたので、そこへ僕も腰を下ろした。二人は乾杯した。

「お風呂上りのビールがおいしい。今を大切にしなければと思っています。お食事の時におっしゃっていましたね。子供も大事だけど、それでいいのかと思う時もあると。だから、こうして息抜きに来ているともおしゃっていました」

「あなたも同じだと思いました」

「あなたは私に過去に上書きするためと『恋愛ごっこ』をしないかと誘ってくれましたね。これからこの部屋で一緒に過ごして『恋愛ごっこ』をしてくれませんか?」

「でも『ごっこ』ですから、お願いしたときはそういうことを想定していませんでした」

「『ごっこ』だからできることもあるのではないでしょうか? 正直、本当の恋愛が怖いのです」

「失敗するかもしれないからですか? 『ごっこ』なら失敗してもかまわないからですか?」

「そうかもしれません。それともっと軽い気持ちなのかもしれません。深く考えないことも必要だと思います。お互いに癒し合えればそれで良いのではないでしょうか?」

「僕は自分の今の気持ちに素直になろうと思っています」

そう言って、僕は彼女を抱き締めた。彼女も力一杯抱きついてきた。

◆ ◆ ◆
久しぶりに柔らかい女の身体があった。指が吸い込まれそうな肌の柔らかさ、抱きつく手と指の感触、しばらく忘れていた感覚が快感を導いてくれた。

「このまま、朝まで抱いていて下さい」

「ああ、このままにしていよう」

抱きつかれていると気持ちが落ち着いて満たされる。彼女も抱きついてそう思っているに違いない。顔が穏やかだ。抱き合っているとどうしてこうも満たされた癒された気持ちになれるのだろう。肌の温もりが心地よい。二人は深い眠りに落ちていった。

◆ ◆ ◆
朝、目が覚めたら、彼女がまだ抱きついていた。まだ、薄暗い。こんなに満ち足りた目覚めは久しぶりだった。毎日こんな朝だと楽しいだろうな。

彼女の寝顔は穏やかだ。しばらく見ていたいと思って見ていたら、目を覚ました。目が合った。そのはにかんだ顔が忘れられなくなりそうだ。

「おはよう。よく眠れた?」

「おはようございます。よく眠れました。ありがとうございました」

「こちらこそ。もう部屋に戻ります。後で一緒に朝日を見に行きましょうか?」

「はい」

身づくろいをして僕は部屋を出た。部屋に戻ると洗面をして下着と服をかえた。1階へ降りて玄関で待っていると彼女も降りてきた。彼女も服をかえていた。宿から離れると二人は手を繋いだ。ゆっくり歩いていく。

「オーナー夫妻に知られると恥ずかしいな」

「オーナー夫妻はこうなるのではないかと思って、私たちを引き合わせてくれたのだと思います」

「確かにそうだけど」

岬の突端まで来た。丁度朝日が昇るところだった。彼女がそれを見ているところを後ろから抱き締めた。彼女はじっとしている。うなじに口づけをしたら振り向いてきてキスされた。しばらく抱き合っていた。

「『恋愛ごっこ』をはじめたので、これからは紗恵(さえ)と呼んで下さい」

「紗恵さんでいいですか? 僕は紘一(こういち)でいいです。それと今日は二人でのドライブやめませんか? 昨夜の余韻を大切にして一人でゆっくり帰りたいと思って」

「私もそう思っていました。もう一度抱き締めてもらえますか?」

僕は紗恵を抱き締めた。紗恵が抱きついてくる。お互いの寂しさをまぎらすように気の済むまで抱き合っていた。これから癒し合える相手がここにいる。