翌朝、僕は目覚めると岬へ歩いて行った。今日は晴天で朝日が綺麗だろう。ここは何度来ても良いところだ。心が洗われるこの景色が好きだ。海は波が静かだ。弱い風を頬に感じて清々しい。

後に気配を感じて振り返ると山本さんがゆっくり歩いてくるのが見えた。会釈をしてくれるので会釈を返した。

「おはようございます。気持ちの良い朝ですね」

「おはようございます。昨晩は話を聞いてもらってありがとうございました。お陰さまで少し気が楽になってよく眠れました」

「ただ、聞いていただけですが、それならよかったです」

「分かってもらえないかもしれませんが、誰かに話すことも必要なのかもしれませんね。中田さんのことも聞かせていただけませんか? 私のためにもなるかもしれませんから」

「そうですね。僕も人に話すようなことではないし、あまり人に話したことはないのですが、オーナー夫妻に聞いてもらったことがあるくらいです。参考になるかもしれませんからお話ししましょうか?」

僕がベンチに腰掛けると山本さんも少し離れて腰かけた。朝日が昇りかけている。

「僕は大学を卒業して東京の会社に就職していたのですが、父親が急に亡くなったので5年間働いた会社を辞めて、病弱な母の面倒をみるために地元に戻ってきました。そのとき付き合っている人がいたので、付いてきてほしいと頼みましたが、断られました。そうまでして帰って来たのが良かったのか今でも分かりません。遠距離介護という方法もあったのかもしれません」

「弟さんがおられるとおっしゃっていましたが」

「弟は地元にいましたが母親とは仲が良くなくて一人住まいをしていました。それで面倒を見る気もありませんでしたから」

「私の姉も母親とは気が合いませんでした。兄弟でも親とは相性があるみたいですね」

「その2年後に僕は結婚しました。母親の友人が紹介してくれた人で1年くらい交際しました。そして、始めは母親と同居しましたが、母親と妻の関係がうまくいかなくて、3か月後には二人で家を出ることにしました」

「私も夫のお母様とは正直うまくいきませんでした。それも夫が私に辛く当たった理由のひとつかもしれません。嫁と姑はどちらかが折れていなければうまくいきません。今はそれが分かるのですが」

「息子というのはその場合、どちらにも味方できないというか、難しい立場にあるのだけど、今となっては妻の味方になってあげるべきだったと思っています」

「でも私は夫が味方になってはくれなかったのは仕方がなかったと思っています」

「それから1年後に誠が生まれました。私はその時、病院に勤めていましたが、夜勤があったり、母の面倒を見に行ったりで、妻の育児を十分にサポートすることができませんでした。産休が明けてから妻は働き始めましたが、そこで親しくなった男性と家出をしてしまいました。2歳になったばかりの息子を残してです」

「お子さんを残してなんてよっぽどのことだと思います」

「僕が悪かったのだと思っています。息子を一人で育てているとどれだけ大変かよく分かりました。妻には申し訳ないことをしたと思っています」

「子供まで手放すのはよっぽどの決心だったと思います。私にはそんなことできませんが奥様の気持ちが分からなくはありません。きっとあなたに失望したのだと思います」

「分かっています。妻から自分の分を記入した離婚届と手紙を送ってきました。手紙には幼馴染の同級生とやり直したいので、息子のことはお願いしますと書かれていました。僕は彼女が幸せになれるならと思って、その離婚届に僕の分を記入して提出しました」

「罪滅ぼしですか?」

「そうかもしれません」

「奥様はそれで幸せになれたのでしょうか?」

「そう願っていますが」

「私もそうですが、忘れられない思い出をいつまでも忘れられないと思います」

「忘れるしかないでしょう。きっとその幼馴染が癒してくれていると信じています」

「中田さんは優しいですね。きっと奥さまとのことがあなたを変えたのですね」

「変わったかどうか分かりませんが」

「ええ、お話を聞く限りそう思います」

「そうおっしゃっていただけて、お話した甲斐がありました。ありがとうございます」

「いいえ、私も身につまされるお話でした」

気がつくとすっかり朝日が昇っていた。今日は良い一日になりそうな気がした。二人はベンチを立って宿へ戻った。ママさんが二人に朝食を給仕してくれた。

山本さんに話を聞きてもらって少し気が楽になった。やはり人に話を聞いてもらうことも必要だと思った。でも彼女も僕の話を聞いてきっと疲れたと思う。