勧められたとおり、今月は最終水曜日に来てみた。同じ境遇の人なら話を聞けば、今後の参考にもなるだろう。ここのラウンジは見ず知らずの人とも話せる雰囲気がある。
着いたのは午後4時過ぎだった。ここまでは車で来ている。1時間半くらいで着けるけど、ここへのドライブも気分転換になる。
ママさんからお風呂が沸いたところだと言われてすぐに入った。ここの浴室は一室しかなくてお客が代わる代わる順番で入るようになっている。そう大きくはないが、2~3人でも入れる広さはある。案内されたら入ればよい。湯上りに自販機で缶チューハイを買って部屋に戻って一休みする。
テレビのニュースを見ていると夕食の案内があった。降りてゆくと2つのテーブルにそれぞれ夕食が用意されている。僕の他にもう一人分が用意されていた。ここはホテルと同じで部屋以外では浴衣は着ないことになっている。
ここの夕食はこの近くでとれた魚の刺身、塩焼き、煮物、天ぷら、山菜などで新鮮だからとてもおいしい。これが目当てでもここへ来ている。料理はすべてオーナーとママさんが作っている。
ビールを飲みながら一人で食べていると、女性が一人食堂へ入ってきた。目が合ったので軽く会釈をした。30歳前後の髪が肩まであって落ち着いた感じの女性だった。どこか寂し気で清楚といった感じで美人だと思う。僕の好きなタイプだ。僕と境遇が似ている人というのは彼女のことか?
ママさんが二人に給仕をしてくれたけどそのことについては何も言わなかった。それで僕はその場では彼女に話かけもせずに食事を楽しんで部屋に戻ってきた。
ちょっとのつもりでベッドに横になったら、眠ってしまった。ビールの酔いがまわったのだろう。夕食後の心地よい酔いかげんとこのうたた寝も気に入っている。気が付いたらもう8時をずいぶん過ぎていた。急いでラウンジに降りていく。
ラウンジのドアを開いて中に入るとその女性が歌っていた。確か『この夜を止めてよ』だったと思う。僕にはとても歌えないけど何回か聞いている好きな曲だけど、すごく上手だ。
カウンターの中にはオーナーとママさんがいた。僕はカウンターの止まり木に彼女からひとつおいて座った。しばらく彼女の歌を聞いている。曲が終わったので拍手した。彼女が僕を見て軽く会釈した。僕は人見知りの方だ。僕も黙って軽く会釈を返した。
「山本さん、この方が先ほどお話した中田さんです」
ママさんが紹介してくれた。僕のことを彼女に話していたみたいだった。
「先ほど食堂でお会いしましたね。失礼しました」
「中田紘一です。歌がお上手ですね。僕はこの歌が大好きなんです。うまく歌えないですが」
「山本紗恵です。お歌が上手だとか、せっかくですから一曲お聞かせ下さい」
「じゃあ、『Lemon』をお願いします。オーナー、その前にジョニ黒の水割りを一杯作ってくれませんか?」
流行りの曲でまずまず歌える曲だ。今までほとんど聞き手はオーナー夫妻だった。綺麗な女性の前となると緊張する。水割りで喉を潤してから歌った。そしてなんとか歌い終えることができた。山本さんが拍手してくれた。
「お上手ですね。Lemon』は私も好きでレパートリーになっています」
「女性が歌っても良い曲だと思います」
「私が言っていたとおり歌が上手でしょ」
「ママさん、僕のこと山本さんに何て話したの」
「子持ちの独り身で歌が好きな人、そうよね、山本さん」
「はい、私も子持ちの独り身ですから」
「そうですか? 僕はママさんから僕と境遇が似ている人がいて、歌とお酒が好きなので話しが合うかもしれないと聞いていたので、同性だとばかり思っていました。女性とは思っていませんでしたので驚きました」
「お子さんは幾つですか?」
「5歳の男の子です」
「山本さんのお子さんは?」
「2歳の女の子です」
「女の子は手が掛からないでしょう。男の子はやんちゃで手がかかります。ようやくオムツが取れたところです」
「いいえ、甘えっこで手がかかります」
「今日、お子さんは?」
「姉夫婦が預かってくれています。6歳の女の子がいて遊んでくれています。月に1回こうして自由にさせてもらっています」
「そうですか。うちの息子は子供のいない弟夫婦が預かってくれています。僕も月に1回こうして憂さ晴らしをさせてもらっています。ここへ来て歌っているとすべてを忘れてリラックスできるんです。でも決して子供が邪魔になっているとかではないんです。僕になついている息子をみると元気が出てきます」
「お子さんの名前は?」
「誠です。誠実に生きてほしいと思って名付けました」
「お嬢さんの名前は?」
「美幸です。夫が美しく幸せになってほしいと名付けましたが」
「ご主人は亡くなられた?」
「昨年交通事故で亡くなりましたが、いろいろあって」
彼女は夫が死んだいきさつを話したくないと思ったのか、話題を変えてきた。
「もう一曲歌っていただけませんか?」
「『少しは私に愛をください』で、山本さんもどうですか?」
「じゃあ、『もし君を許せたら』をお願いします」
「愛する人を失った曲がお好きなんですか?」
「好きというか、こんな曲の方が心情に合うと言うか」
「山本さんも失恋の曲というか、悲しげな曲がお好きですね」
「思い出にけじめをつけるために歌っているのかもしれません。過去を忘れたいから」
「過去を悔やんでいるのですか?」
「悔やんでもやり直すことはできませんから、忘れるのが一番と思っています」
「僕も忘れるのが一番と思っていますが、なかなか忘れられないですね」
まず、僕が歌った。続いて彼女が歌った。オーナー夫妻は拍手してくれた。
「二人は歌う曲も似ているから、気が合うと言うか、お互いのことを話して聞いてもらうと良いかもしれませんね。今はまだお互いに話す気にはなれないと思いますが」
「そうですね。辛かったことはいずれ時間が解決してくれるのではないかと思っています」
「僕も時間が忘れさせてくれると思っています。ただ、もう少し時間が必要ですが」
「中田さんは男性で山本さんは女性で立場も違いますが、同じような境遇ですから、お互いの考え方を聞くのもこの先のことを考えると良いと思いますよ」
オーナー夫妻の言うことはもっともだけど、僕にはやはり忘れる時間が必要だ。彼女もそう思っているに違いない。そんな顔をしていた。彼女は少し疲れたのか、今日はこれでと言って部屋に戻って行った。僕は水割をお代わりして、オーナーとママさんの歌を聞いていた。
「結構、二人は気が合うかもしれないですよ」
「綺麗な人で落ち着いた雰囲気の方ですね」
「私は以前からお付き合いがあって、いろいろあって落ち込んでいたのが分かったから、ここへ来て歌を歌って憂さ晴らしをしたらと誘ってあげたの。それからは月一回ぐらい遊びに来て、いろいろ聞いてあげた。最近は少し明るくなってきたけど」
ママは彼女のことについてはそれ以上僕には話してくれなかった。お客から聞いたことはほかの人へは話さないことにしていると、僕が愚痴を聞いてもらったときに言っていた。だから僕も安心して何でも話せる。
◆ ◆ ◆
翌朝、僕は目が覚めるといつものように岬まで歩いて行った。朝食にはまだ時間がある。岬へは歩いて5分くらいだ。朝日が昇るところが見られる。丁度、日が昇って明るくなってきたところだった。
岬に誰かいる。近づくと山本さんだと分かった。足音で振り向いて僕だと分かると軽く会釈をしてくれた。
「ここは朝日が綺麗なんです。ここに泊まるたびに朝日を見に来ています。朝日を見ると元気がもらえます」
「僕もここに泊まるたびに、朝はここへ来ています。朝日と海が綺麗ですね。昨夜、山本さんが部屋に戻られてからオーナー夫妻に二人は気が合うかもしれないと言われました。確かに歌も同じ感じだし、ここでお会いしてそうかもしれないと思いました」
「そうですね。次にお会いしたら話を聞いてもらえますか? どう思われるかを聞いてみたいので」
「じゃあ、その時には僕の話も聞いてください」
「分かりました」
二人は日が昇りきるまで海を眺めていた。それから一緒に宿に戻った。朝食が2つのテーブルに用意されていた。
彼女は食べ終わると軽く会釈して部屋に戻った。僕も部屋に戻って帰り支度を始めた。窓から駐車場が見える。彼女は軽自動車に乗って帰っていった。
着いたのは午後4時過ぎだった。ここまでは車で来ている。1時間半くらいで着けるけど、ここへのドライブも気分転換になる。
ママさんからお風呂が沸いたところだと言われてすぐに入った。ここの浴室は一室しかなくてお客が代わる代わる順番で入るようになっている。そう大きくはないが、2~3人でも入れる広さはある。案内されたら入ればよい。湯上りに自販機で缶チューハイを買って部屋に戻って一休みする。
テレビのニュースを見ていると夕食の案内があった。降りてゆくと2つのテーブルにそれぞれ夕食が用意されている。僕の他にもう一人分が用意されていた。ここはホテルと同じで部屋以外では浴衣は着ないことになっている。
ここの夕食はこの近くでとれた魚の刺身、塩焼き、煮物、天ぷら、山菜などで新鮮だからとてもおいしい。これが目当てでもここへ来ている。料理はすべてオーナーとママさんが作っている。
ビールを飲みながら一人で食べていると、女性が一人食堂へ入ってきた。目が合ったので軽く会釈をした。30歳前後の髪が肩まであって落ち着いた感じの女性だった。どこか寂し気で清楚といった感じで美人だと思う。僕の好きなタイプだ。僕と境遇が似ている人というのは彼女のことか?
ママさんが二人に給仕をしてくれたけどそのことについては何も言わなかった。それで僕はその場では彼女に話かけもせずに食事を楽しんで部屋に戻ってきた。
ちょっとのつもりでベッドに横になったら、眠ってしまった。ビールの酔いがまわったのだろう。夕食後の心地よい酔いかげんとこのうたた寝も気に入っている。気が付いたらもう8時をずいぶん過ぎていた。急いでラウンジに降りていく。
ラウンジのドアを開いて中に入るとその女性が歌っていた。確か『この夜を止めてよ』だったと思う。僕にはとても歌えないけど何回か聞いている好きな曲だけど、すごく上手だ。
カウンターの中にはオーナーとママさんがいた。僕はカウンターの止まり木に彼女からひとつおいて座った。しばらく彼女の歌を聞いている。曲が終わったので拍手した。彼女が僕を見て軽く会釈した。僕は人見知りの方だ。僕も黙って軽く会釈を返した。
「山本さん、この方が先ほどお話した中田さんです」
ママさんが紹介してくれた。僕のことを彼女に話していたみたいだった。
「先ほど食堂でお会いしましたね。失礼しました」
「中田紘一です。歌がお上手ですね。僕はこの歌が大好きなんです。うまく歌えないですが」
「山本紗恵です。お歌が上手だとか、せっかくですから一曲お聞かせ下さい」
「じゃあ、『Lemon』をお願いします。オーナー、その前にジョニ黒の水割りを一杯作ってくれませんか?」
流行りの曲でまずまず歌える曲だ。今までほとんど聞き手はオーナー夫妻だった。綺麗な女性の前となると緊張する。水割りで喉を潤してから歌った。そしてなんとか歌い終えることができた。山本さんが拍手してくれた。
「お上手ですね。Lemon』は私も好きでレパートリーになっています」
「女性が歌っても良い曲だと思います」
「私が言っていたとおり歌が上手でしょ」
「ママさん、僕のこと山本さんに何て話したの」
「子持ちの独り身で歌が好きな人、そうよね、山本さん」
「はい、私も子持ちの独り身ですから」
「そうですか? 僕はママさんから僕と境遇が似ている人がいて、歌とお酒が好きなので話しが合うかもしれないと聞いていたので、同性だとばかり思っていました。女性とは思っていませんでしたので驚きました」
「お子さんは幾つですか?」
「5歳の男の子です」
「山本さんのお子さんは?」
「2歳の女の子です」
「女の子は手が掛からないでしょう。男の子はやんちゃで手がかかります。ようやくオムツが取れたところです」
「いいえ、甘えっこで手がかかります」
「今日、お子さんは?」
「姉夫婦が預かってくれています。6歳の女の子がいて遊んでくれています。月に1回こうして自由にさせてもらっています」
「そうですか。うちの息子は子供のいない弟夫婦が預かってくれています。僕も月に1回こうして憂さ晴らしをさせてもらっています。ここへ来て歌っているとすべてを忘れてリラックスできるんです。でも決して子供が邪魔になっているとかではないんです。僕になついている息子をみると元気が出てきます」
「お子さんの名前は?」
「誠です。誠実に生きてほしいと思って名付けました」
「お嬢さんの名前は?」
「美幸です。夫が美しく幸せになってほしいと名付けましたが」
「ご主人は亡くなられた?」
「昨年交通事故で亡くなりましたが、いろいろあって」
彼女は夫が死んだいきさつを話したくないと思ったのか、話題を変えてきた。
「もう一曲歌っていただけませんか?」
「『少しは私に愛をください』で、山本さんもどうですか?」
「じゃあ、『もし君を許せたら』をお願いします」
「愛する人を失った曲がお好きなんですか?」
「好きというか、こんな曲の方が心情に合うと言うか」
「山本さんも失恋の曲というか、悲しげな曲がお好きですね」
「思い出にけじめをつけるために歌っているのかもしれません。過去を忘れたいから」
「過去を悔やんでいるのですか?」
「悔やんでもやり直すことはできませんから、忘れるのが一番と思っています」
「僕も忘れるのが一番と思っていますが、なかなか忘れられないですね」
まず、僕が歌った。続いて彼女が歌った。オーナー夫妻は拍手してくれた。
「二人は歌う曲も似ているから、気が合うと言うか、お互いのことを話して聞いてもらうと良いかもしれませんね。今はまだお互いに話す気にはなれないと思いますが」
「そうですね。辛かったことはいずれ時間が解決してくれるのではないかと思っています」
「僕も時間が忘れさせてくれると思っています。ただ、もう少し時間が必要ですが」
「中田さんは男性で山本さんは女性で立場も違いますが、同じような境遇ですから、お互いの考え方を聞くのもこの先のことを考えると良いと思いますよ」
オーナー夫妻の言うことはもっともだけど、僕にはやはり忘れる時間が必要だ。彼女もそう思っているに違いない。そんな顔をしていた。彼女は少し疲れたのか、今日はこれでと言って部屋に戻って行った。僕は水割をお代わりして、オーナーとママさんの歌を聞いていた。
「結構、二人は気が合うかもしれないですよ」
「綺麗な人で落ち着いた雰囲気の方ですね」
「私は以前からお付き合いがあって、いろいろあって落ち込んでいたのが分かったから、ここへ来て歌を歌って憂さ晴らしをしたらと誘ってあげたの。それからは月一回ぐらい遊びに来て、いろいろ聞いてあげた。最近は少し明るくなってきたけど」
ママは彼女のことについてはそれ以上僕には話してくれなかった。お客から聞いたことはほかの人へは話さないことにしていると、僕が愚痴を聞いてもらったときに言っていた。だから僕も安心して何でも話せる。
◆ ◆ ◆
翌朝、僕は目が覚めるといつものように岬まで歩いて行った。朝食にはまだ時間がある。岬へは歩いて5分くらいだ。朝日が昇るところが見られる。丁度、日が昇って明るくなってきたところだった。
岬に誰かいる。近づくと山本さんだと分かった。足音で振り向いて僕だと分かると軽く会釈をしてくれた。
「ここは朝日が綺麗なんです。ここに泊まるたびに朝日を見に来ています。朝日を見ると元気がもらえます」
「僕もここに泊まるたびに、朝はここへ来ています。朝日と海が綺麗ですね。昨夜、山本さんが部屋に戻られてからオーナー夫妻に二人は気が合うかもしれないと言われました。確かに歌も同じ感じだし、ここでお会いしてそうかもしれないと思いました」
「そうですね。次にお会いしたら話を聞いてもらえますか? どう思われるかを聞いてみたいので」
「じゃあ、その時には僕の話も聞いてください」
「分かりました」
二人は日が昇りきるまで海を眺めていた。それから一緒に宿に戻った。朝食が2つのテーブルに用意されていた。
彼女は食べ終わると軽く会釈して部屋に戻った。僕も部屋に戻って帰り支度を始めた。窓から駐車場が見える。彼女は軽自動車に乗って帰っていった。