今日も営業先の人に不快な目線を向けられた。

 確かに私はかわいいと思うし胸も大きいし男受けする体だと思っている。だけどそれは私の望んでいることじゃない。

 私が望んでいるのは男性ではなく女性。近年はだいぶ認められてきてはいるがまだ完全には受け入れられていない同性愛。法整備もしばらくは進まないだろう。私がどんなに願っても結婚することはかなわない。それでもどこかに素敵な女性がいたら。

 そんなことを思いながら私は行きつけのバーにやってきた。ここの店のお酒はおいしくマスターも聞き上手だからいつも愚痴を聞いてもらっている。

「いらっしゃい。今日もお疲れのようだね。どうだい?今日はいつもより少しいい酒が入ってるんだ。飲むかい?」

 今日もマスターの優しい低音が店内に響き渡る。

「そうなの?ならそのお酒を頂戴」

「少しいつもより度数が高いけど大丈夫かい?」

「大丈夫よ。今日は金曜日だから多少いつもより酔っても問題ないわ」

「わかった。なら今用意するよ」

 こうしてバーに通っている私だが実はそんなにお酒には強くない。だから普段はそんなに度数の高いお酒は飲まないようにしている。マスターもそれを知っているから心配して聞いてくれたのだろう。自分ですすめといてなんだと思わなくもないがこれもマスターのやさしさなのだろう。でも今日は金曜日で明日は休日で何の予定も入ってない。だから今日はいつもより少し羽目を外して飲める。

「はい。できたよ」

 そういってマスターは私にお酒を持って来てくれた。

 一度も飲んだことのない初めて飲むお酒。それもいつもより度数の高いもの。

 私の目の前に出されたそれをまずは一口。

 私の口の中に広がるアルコールの味。いつもより度数が高いためかより鮮明に感じさせるそれは私をあっという間に酔わせた。そのあとマスターがそのお酒についていろいろ説明していたような気がする。でも私はいつもより酔っていて何も話が入ってきていなかった。

 それから私はたぶんいつものように仕事や私生活での愚痴を話していたんだと思う。なんとなくそんなような感覚があった。

 しばらくして一人の女性が入ってきた。その女性の姿を認識したとき私に雷が落ちたかのような電流が流れた。それまで回っていた酔いが一気に吹き飛んだ。

 その女性はとんでもなくかっこよかったのだ。身長は女性にしては高め。175センチくらいだろうか。髪はすべての光を吸収するような深く長いさらさらとした黒髪をまっすぐと下におろす。顔は小さく色白で鼻が高く目元はくっきりとしていてキリっとしている。そんな彼女にあった服装がより彼女のカッコよさを引き立たせている。

 しばらく私はマスターと彼女が親しげに話しているのをぼーっと見ていた。

 彼女はまず私と同じマスターの今日のおすすめのお酒を飲み、そのあとにこの店で確か一番度数の高いはずのお酒を飲んだ。

 そうしてぼーっと眺めているうちに彼女はお会計を済ませ店を出て行ってしまった。

 それから、私も急いでお会計を済ませ彼女の後を追った。

 そして追いついた私は彼女に声をかけた。

「すいません。あ、あ、あの、私とホテルいきませんか」

 普通に話しかけて少しお話でもと思っていたのに自分の口から出たのはとんでもない一言だった。どうやら酔いが吹き飛んだのは気のせいだったらしい。

「ん。ああ、さっきの。私は別に構わないよ。ちょうどさっき強いお酒を飲んだから久しぶりに少し酔っていてね。たまにはそういうのもいいだろう」

 彼女は少し驚いたような顔をしたがすぐに誘いを受け入れた。

「え?あ、ああ、ありがとうございます」

 自分の口からとんでもない言葉が出た上に相手がまさかのOKの返事をしたことで驚きを隠せなかった。

「君はいつもあの店にいるのかい?」

 私より上から少し見下ろすように問いかけてくる彼女の目線は私の心をどきどきさせた。 

「はい。えっとそうですね。半年前ぐらいに見つけてそれ以来仕事の後は毎日通ってます」

 私の口から出る言葉は自然と敬語が混じっていた。本能が彼女は私の上だと、私は彼女の下につきたいとそう感じているのかもしれなかった。

「そうか。あの店はいいだろ。酒もうまいしマスターもいい」

 彼女はあたかもあのバーをよく知っているかのような口ぶりだった。

「えっと。あなたも以前通われていたんですか?」

「ん。ああ、そうだね。数年前によく通っていたんだ」

 どうりで見たことがなかったわけだ。彼女が通っていたのは数年前、私は半年前からだから時期がかぶっていない。

「そうなんですね」

「ああ。久しぶりに来てみたら君がいてそれから今に至るというわけだ」

 さっきの発言を思い出して急に恥ずかしくなってきた。酒の勢いだったとはいえとんでもないことを言ってしまったと思う。なかったことになったらいいのに。

 いや、でももし彼女とこのまま…と思う私もいる。

「それについてはすいません。夜風にあたって少し酔いがさめて少し冷静になってきてさっきはいきなりあんなこと言って失礼ですよね。今からでもなかったことにできませんか」

 少し冷静になった私が謝罪をしてみた。これでなかったことになればある程度穏便に終わる。少し残念に思う気持ちもあるがそれでいい。むしろそれがいいはずだ。

「それについてはできない相談だね。私はもう体が火照って仕方ないんだ。これは君みたいなかわいい女の子に慰めてもらうしかない。責任取って最後まで付き合ってもらうよ」

 彼女は私の謝罪を受け入れてはくれなかった。その時に見た彼女の顔は周囲の明かりのせいか少し赤くなっているように見えた。それが私の理性を崩していった。

「わ、わかりました」

 そんな彼女を見て私はただただうなずくことしかできなかった。

「ん。もうホテルについたみたいだね。早く部屋に向かおうか」

 だんだんと悪いことをしているような気持ちになってきた。でも私がそう思っていること自体が気持ちよくなってきてもう後戻りはできないとこまで出てきてしまった。

「うわぁ。初めて来たんですけど部屋って本当にこんな風になってるんですね」

 初めて見るこういったホテルの部屋はうわさに聞いたとおりだった。心なしか思っていたよりも扇情的な感じもする。

「君はこういうところに来るのは初めてかい?」

「はい。恥ずかしながら。話には聞いたことはあるんですけど来るのは初めてで」

「ならもしかして君って処女だったりするかい?」

 彼女は少し驚いた顔をした後少しプライベートな質問をしてきた。こんなところにきておいてあれだが恥ずかしくて顔が熱くなってしまった。

「えっと、はい…。恥ずかしながら。もしかして処女はダメだったりしますか。もしそうだったら今からでもなかったことにします?ここのお金はもちろん私が払うので」

 恥ずかしさのあまりここから逃げ出したくなり、ここまできておいてなかったことにするような逆に失礼な提案をしてしまった。

「いや。それはだめだ。責任を取ってもらうといったからね。それに処女が相手となるとなおさら燃えてくる。逃がさないよ」

 私が処女だとわかった後の彼女が私を見る目は野生動物が獲物を狙うような絶対に逃がさないといった深く目の奥から見つめるようなものだった。

「お、お手柔らかにお願いします」

 そんな彼女の目で見つめられて断るなんて選択肢は私にはなかった。

「よし。じゃあさっそく始めよっか」

 そういって彼女は私をベッドに押し倒した。

 そのあとはただ流されるように彼女に身を任せ、ひたすら襲ってくる快楽を受け入れるのみだった。

 しばらくして気が付いた時には朝になっていた。隣を見てみるとそこには彼女はいない。少し部屋を探してみたが彼女の姿はなかった。よく見ると彼女の荷物がなくなっている。

 ふとテーブルを見ると一枚のメモ帳が置いてあるのに気付いた。手に取り開いてみるとそこにはこう記されていた。

「昨日はありがとう。私も久しぶりに楽しめたよ。またどこかで会うことがあったらその時も相手してくれるかな。君の財布にホテル代と礼を入れておいた。バーで高い酒を飲むのにでも使ってくれ。ありがとう」

 手紙を読み終えてすぐに財布の中を確認すると五万円ほど入っていた。もらいすぎだ。私から誘っておいてホテル代もお金ももらうわけにはいかない。会って返さなければ。

 そうは思ったものの私は彼女の名前も連絡先も何も知らない。どうしたらいいんだろう。マスターなら何か知っているかもしれない。でもバーは夜にならなければ開かない。

 次第に少し落ち着いてきてシャワーを浴びて家に帰って一度寝てからバーが開く時間にマスターを訪ねてみることにした。


 夜。私はバーに行った。

「いらっしゃい。今日は休みじゃなかったのかい?」

 いつものマスターの声が響いた。

「いや、えっとまぁ今日は休みなんだけどそうじゃなくて。昨日来てた女の人わかる?昨日あの後その人といろいろあって、でも気が付いたらいなくなってて。それだけならまだいいんだけど五万円も置いて行っちゃったの。返したいんだけど連絡先も名前もわからなくて。でも昨日何年か前にここに通っていたって聞いたの思い出してマスターなら何か知ってるんじゃないかって」

 焦って余裕がなくなっていつもとは全然違う話し方をしてしまった。だけど今それを取り繕っている余裕はない。それにマスターなら気にしないだろう。

「ああ、君もか」

「私もって?」

「いやね。彼女の癖なんだよ昔も何人も若い子が彼女に食われてね。その時も同じようにお金を置いていなくなるんだ。君と同じようにお金を返したいって何人も来たけど彼女には何も言わないでくれって言われているんだ。だから教えられないんだすまないね。そのお金はもらっておきなさい彼女がくれたんだから好きにするといいよ。どうしても気になるなら取っておくといいよ運が良ければまた会えるかもしれない。そうなったときに返せばいい」

 そうなんだ。私以外にも…。

 でもそれなら彼女が妙に手馴れていたのも納得できる。

 お金はそのまま取っておくことにしよう。なんとなくそうすればまた彼女に会えるような気がする。

 こうして私のたった一夜の恋は終わった。





 あれから長い年月が経ち私も随分と年を取ったがついにあのバーが閉店すると聞いて久しぶりに顔を出すことにした。あの日以来私はバーに顔を出してない。普通なら彼女と出会ったバーで彼女がもう一度来るのを待つのだろうがなぜだかそれだと二度と会えないような気がしたからだ。

「いらっしゃい。今日は最高の酒が入ってるんだ。飲むかい?」

 昔より声に厚みがなくなっているように感じるけどあのマスターの声だ。

 今日は店いっぱいに人が来ている。この店にこんなにもお客さんがいたなんて知らなかった。これでも来ているのは一割にも満たないらしい。私よりも年上も最近の常連であろうかなり若い人もいる。

 そんな風にあたりを見回していると私の目には予想外の光景が映った。来ないと思っていた、二度と会えないともはやあきらめかけていたあの時の彼女がいた。あれから長い時が経ち彼女も私と同じように年を取っていたが面影が残っていた。

 私はすぐに彼女のもとへ行くと彼女はすぐに私だと気づいてくれた。

 それから彼女とともにいろいろな話に花を咲かせた。

 しばらくしてバーも閉店の時が来た。

 最後に私は彼女にあの時のお金を返すことにした。万が一の時のために入れていたあの時の五万円。今は時代が変わってもう二つも前のものになってしまったけど私と彼女をつないでいた唯一のもの。それを今返してあの時のすべてを清算する。

「私あなたに返さなきゃいけないものがあるの。これを。あの時あなたが置いて行ったものよ。ずっと持っていたの」

 そう言って私は五万円を差し出す。

「そうか。そうだったんだね。なら私もこれを渡そう」

 そう言って差し出されたのは一枚の紙きれ。

「そこに私の連絡先が書いてある。いつでも連絡してほしい。今度は二人で飲みに行こう」

「わかった」

 それから数日後。彼女に連絡をして二人で飲みに行った。

 それからというもの私と彼女は二人でよく会うようになった。





 結局私の一夜の恋は実ることはなかったけどそれと引き換えにかけがえのない友人を得ることができた。

 ここに私の言葉を残す。「恋は一夜で人生を変える」