大学を出て証券会社に就職して2年、都会に馴染めず仕事を辞めて田舎の実家へ帰ってきた安田真綾(やすだまあや)は職安に通いながら失業保険の終了期間まで遊ぼうと実家でゴロゴロしていた。
「真綾、手伝ってくれよ」
夕食の時に父から言われた。
「やだよ、働いたら申告しなくちゃいけないのに〜」
「じゃあ無償で」
「いくらなんでもそれはないでしょ」
「お小遣い」
「駄目だよ、多分」
「じゃあうちで正社員でどうだ?」
「うーん…」
真綾は悩んでいた。
そりゃ都会でもらっていた給料よりは貰えるとは思ってないけどさー
お父さんの言うこともわかるよ、働き方改革で人手がいるのもさ…
安田運送は地元ではそこそこ走っているトラックはよく見かけるが、大手運送会社の下請けだ。
話を聞くと事務の女の子が経理の人とデキ婚をするらしくて産休に入りたいと、そして男性の方も育休を取りたいと行っているそうで、会社としては募集はかけているが中々来ないらしい。
真綾なら両方できるだろとお父さんは言うけど流石に無理だよと真綾は言った。
「その前にさ、私、免許持ってないよ?仕事場までいけないじゃん」
「今から取るか」
「そのお金は?あと車」
お父さんはしばらく考えていたがお父さんが出すと渋々言った。
「じゃあ、いいよ(笑)」
東京では車は必要なかったから大学から東京だった真綾は免許を持っていなかった。
お金はそんなに貯金はないし、だから失業保険をしっかりもらってから就職活動をしようかなと思っていたから車を買ってもらえるのは正直ありがたい。
お母さんが仕事から帰ると自動車学校に連れて行ってとお願いした。
お母さんは保険の仕事をバリバリしていて当然安田運送の保険も全部お母さんの担当だ。
それで両親は出会ったと聞いている。
次の日から真綾は教習所に通いだし1ヶ月半で免許を取り安田運送会社の事務員として働くことになった。
引き継ぐ事務員さんに教えてもらいながら若い人達でお祝い会としばらくのお休みの為の送別会と真綾の歓迎会が開かれることになった。
30代くらいのドライバーさんが計画してくれて10人くらいの人数だった。
その人の行きつけのお店で貸切にしてくれて「カンパーイ」と飲み会が始まった。
まだ真綾は全員とは話した事はなくて、1時間ほど経つと隣に1人の男性ドライバーが座った。
「社長の娘?」
「はい」
「俺は秋山淳士(あきやまじゅんじ)」
「よろしくお願いします」
「今まで長距離に乗ってたんだけど来月から4t車に代わるから会えるね」
「そうですね、まだ仕事覚えれてないですけど(笑)」
「社長の娘だったら北中学?」
「はい」
「歳は?」
「25の歳ですね」
「じゃあ俺の妹と同級生だ」
「えっ、そうなんですか?確かに秋山さんていましたけど同じクラスにはなったことはないです」
「そっか、俺、年子だから26歳」
「部活とかは?」
「入ってないー(笑)結構ヤンチャしてたからさ」
確かに妹さんもちょっと素行が悪いグループにいたような…でも秋山さんはかっこいいし、細いけど筋肉もがっつりついていて、話も中学の時の事とかで盛り上がって楽しい会だった。
それからは私は自然に秋山さんを見ていた…
追加の配達伝票を私は自分が必ず手渡しで持っていくし、そうするとニコニコしながら「ありがとう」と言ってくれる。
昼休みには何人かがキャッチボールをしたり、この前の飲み会のメンバーが集まっていたら私も話に行った。
どうやら有志でソフトボールのチームを作っているらしい。
この前は育休をとる男子社員がソフトボールのメンバーだったみたいで、仲間でお祝いをしたらしいと後で聞いた。
実はスポーツは何でも好きな真綾だからキャッチボールもたまにいれてもらった。
「今度試合があるけど真綾ちゃんも見に来る?」
とメンバーさんに誘われてしまった。
「行きたいです!だけど私免許取り立てで会社と家の往復くらいしかしてないんですよ、グラウンドって遠いですか?」
「そうだなぁ、今度の会場は1時間くらいかかるかもな」
「そうですか…もうちょっと車に慣れてからにします」
「秋山、乗せて行ってあげれば?同中なら家近いんじゃね?」
他の人がそう言うと「あー、そっか、いいよ」とあっさり決まってしまった。
「いいんですか?」
「いいよ、あと敬語も使わなくていいし、なっ(笑)」
「…ありがとう」
少し頬を赤らめた。
試合の日、近くの公園で待ち合わせた。
車が到着すると助手席の窓が開き小さな声で「前に乗って」と聞こえた。
ドアを開けると秋山さんは後ろを見ていたから真綾も見ると小さな女の子が座ったまま寝ていた。
真綾はゆっくりとドアを閉めた。
行きの車の中はほとんど話さずにグラウンドに到着した。
「優香(ゆうか)起きろ」
「うーん」
「ジュース買ってやるから」
パチっと目が開いた。
「あれ?着いたの?」
「あぁ」
「こんにちは、安田です」
「えっと、秋山優香です、パパ、優香オレンジジュース」
「はいはい」
秋山さんて、パパなんだ……
車から降りて秋山さんは優香ちゃんと手を繋ぎ自動販売機でジュースを買っていた。
「開けて〜」
ペットボトルの蓋を開けてゴクゴクと飲み始める。
「ここでじっとしてろよ」と優香ちゃんから少し離れた。
カチッとライターの音がしてふぅーっと煙を吐き出す。
「びっくりした?子供がいて」
秋山さんが尋ねてきた。
「正直言うとびっくりです、おいくつですか?」
「小学校1年生、20歳の時の子」
秋山さんは長距離に乗っていて家を留守がちになっていたら嫁が男作って出ていったと話してくれた。
生活の為に給料のいい長距離に乗ってたのにやられたよともう思い出話の様に明るく話す。
今は実家の近くにアパートを借りて2人で住んでいるという。
長距離をやめて4tに乗り換えたのは優香ちゃんと暮らすからと話してくれた。
実際実家に頼りっぱなしなのが実情だけど、前の嫁はあまり子供が好きじゃなかったらしい。
まあ、俺に似て人見知りしないからさ、話し相手になってやってとタバコを消して優香ちゃんと一緒にグラウンドに行ったのだった。
試合を見ながら真綾は自分の気持ちを考えていた。
正直、秋山さんが好き…でもこの先の事は考えられないかもしれない。
別に優香ちゃんが邪魔とかそういう事ではなく生活が違いすぎる。
真綾は今までお付き合いをしたことがない。
もちろんキスもまだだ。
男の人と話せるがどうしても友達止まりで恋愛に発展する事がなかったのだ。
多分秋山さんは私の事も好きにはならないような気がしていた。
話すと楽しいし盛り上がるしこの時間がずっと続けばいいのにって思うんだけど…私は秋山さんと仲良くしてもいいんだろうか……
その日から2人の関係は少しずつ変わっていった。
私はいつも手渡ししていた追加伝票も棚に入れ、昼休みには他の人に呼ばれたらみんなの所に行ったが時々自分の車の中で過ごしていた。
ある日の昼休みに車の中で動画を見ていると助手席のドアが開いて秋山さんが乗ってきた。
「び、びっくりしたぁ…」
「避けてんの?俺の事」
「別に…ただ…他の人と同じ様にと思っただけで…」
「ふーん…」
秋山さんは黙ってしまった。
車の中では真綾が見ていた動画の声だけが聞こえている。
「俺もそのチャンネル見てる…」
「本当に?面白いですよね(笑)」
「やっと笑った…ちゅっ」
「へ?」
秋山さんは真綾が顔を上げた瞬間に頭を持って口唇に軽いキスをしてきた。
「何?そんなに驚く事?」
「それは、びっくりするでしょ、彼氏でもないのに」
「あー、お前はそういうタイプか、嫌か?」
何を言ってるんだろうこの人は…
「嫌じゃないけど……」
そして私は無意識にもそう答えてしまっていた。