自動ドアが開いて足を踏み入れると、陽気な入店音と共に「いらっしゃいませー」という声が聞こえてきた。
ほろ苦い香りがコーヒーマシンから漂っている。近所のコンビニでも、実家近くでも変わらない音と匂い。
懐かしい、な。
ふとアイツの顔が浮かんだのは、ここが思い出の場所なのと、少し前に見かけたせい。
中学卒業と同時に付き合って、別々の高校に進学してから自然消滅した元カレ───北條蓮翔。
待ち合わせ場所だったこともあって、早めに来てブラックコーヒー飲んでたっけ。そしたら北條も早く来るようになって、イートインスペースで一緒に過ごしてから移動してた。
初めての彼氏だったし、緊張しっぱなしだったけど楽しかったな。うん。楽しかった。もっと素直になってたら今でも付き合ってたのかな、なんて。
忘れられたと思っていたのに、今でもそう思ってしまうのは別れ方のせい。あれから自然消滅だけはしないと心に決めている。って、好きな人すら出来ていないんだけど。
「あま」
気分を変えるため、滅多に飲まない微糖の缶コーヒーを買ってみた。想像していたよりも甘い。
記念すべき二十歳のつどいの日は、まだ引きずっていると自覚した日でもあった。
◇
その日の夜、カラオケ店のパーティールームで開かれたクラス会。わりと仲が良かったから多くの人が集まった。もちろん北條も。
当たり前だけど、昼間とは違って全員ラフな格好をしている。北條の服の好みは変わっていないようでシンプルだった。黒髪なのも変わっていない。
視界に入らないようにしたくて、出来る限り遠い席に座った。そうしないと無意識に目で追ってしまいそうだったから。
「うわ、お前それは入れすぎだって。砂糖そんなに入れる奴初めて見た」
「うるせー、俺が甘党なの知ってるだろ」
ドリンクバーコーナーに行った時だった。
休憩スペースに座っていた、北條と片岡の会話に心臓が飛び跳ねる。
北條がスプーンでカップの中身をぐるぐる混ぜていて、その近くには開封済みのシュガースティックがいくつか置いてあった。
あ、ヤバ。
気配を消していたつもりなのに、今日初めてぶつかった視線。すぐに逸らしちゃったから、北條がどんな顔しているのかは分からない。
マシンから注がれる時間が、いつもより遅く感じる。お願いだから早く終わって。
「それならコーヒーなんて飲まなきゃいいじゃん」
「……急に飲みたくなったんだよ」
聞くつもりはなくても聞こえてくる続き。
同時に思い出した昔のこと。
『菱井ってコーヒーに何か入れてる?』
『ううん、ブラック』
『そうなんだ。俺と一緒だな』
ヤバい、ヤバい、ヤバい。
本当は苦手だったのに、私の前ではカッコつけてたってこと? ブラック以外飲んでいるの見たことないし、甘党なのも知らなかった。
戻るために振り返ると、再び視線がぶつかった。さっきとは逆でおもいっきり逸らされる。しかも、明らかに恥ずかしがっている表情で。
やっぱり忘れられそうにない。まだ好き。
思い出補正がかかっているかもしれないけど、それでも。
今、彼女いる?
「柚希、一緒に何か歌わない?」
「ごめん。今はちょっと無理かも」
「お腹でも痛くなった?」
部屋に戻ったら、親友の瑞穂に心配された。
スマホを取り出してメッセージアプリを開く。隣にいるのにって苦笑いされたけど、誰にも聞かれたくなくて今の正直な気持ちを送った。
背中をバシッと叩かれて、手に持っていたグラスの中身が揺れる。
「痛っ、何するの」
「後悔だけはしないようにね」
「…………うん。ありがとう」
ドアが開いて北條達が戻って来たのが見えた。またまた一瞬だけ視線がぶつかって、心臓が更にうるさくなる。
「今の何? 脈ありとしか思えないんだけど。声かけるか連絡してみなよ」
「やめて。あんまり期待させないで」
付き合っていたことを瑞穂にしか言っていなかったけど、挙動不審すぎて誰かにバレたかもしれない。
『少しだけ話せない?』
後押しされたこともあって、勇気を出して送ったメッセージ。
書いては消してを何度か繰り返したもの。
数年連絡していなかったし、ブロックされている可能性もあるのは分かってる。
返信なかったら諦めるべきなのか、それとも声をかけるべきなのか。でも、後者はハードルが高すぎるわけで。
カラオケそっちのけでスマホを握りしめた。
盛り上がってるし、私が歌わなくても何も問題ない。
頭の中でグルグル考えていると、手に振動が伝わった。急いで画面を確認したいのに、緊張から指が思うように動かない。気持ちばかりが焦る。
『先に出てるから、少し経ったら外に来て』
勢いよく顔をあげてしまった。
戻って来たばかりだというのに、片岡に何か告げてから廊下に出て行った。今回は目が合わなかったけど、ドキドキがおさまらない。
───私達、まだ繋がってたんだ。そっか。
「ちょっと外に出てくるね」
「え? もしかして」
「うん。話せることになった」
瑞穂の目が潤んだと思ったら、手をギュッと握りしめてくれた。パワーを送ってくれたらしい。大好き。
鞄を持って部屋を出てみても、廊下にもドリンクバーコーナーにもいないかった。レジの前を通って自動ドアを抜ける。左を見ると、少し離れた場所に北條がいた。
「久しぶり。元気だった?」
微笑みながら話しかけてくれて胸がギュッとなる。こんな日が来るなんて嘘みたい。
「うん。北條は?」
「俺も」
横に立ってハッキリと分かった、あの頃と違う目線の高さ。
だいぶ見上げないと目を見て話せなくなっていて、それだけ時間が過ぎたのだと思い知らされる。
「ねぇ、質問してもいい?」
「どーぞ」
「北條って甘党だったの?」
聞かれたくなかったかもしれないけど、どうしても確認しておきたかったこと。
「だよなー。やっぱりその話になるよなー。そうです。あの頃は必死にカッコつけていました」
「全然気が付かなかった」
「それは良かったです。って、この話題まだ続く感じ? マジで勘弁してほしいんだけど」
時々混ざっている敬語。
知らなかった一面に、自然と笑みがこぼれる。クールとばかり思っていたイメージが変わった瞬間だった。
「もう一つ聞いてもいい?」
「何?」
「高校入学してすぐ、他に好きな子でも出来た?」
ずっと気になっていたこと。
数年経って少しは大人になれたのか、思っていたより自然に聞くことができた。
「…………は? 何で?」
急に低くなった声に体が萎縮する。
こんな声、初めて聞いた。
「だって、連絡くれなくなったから」
「連絡くれなくなったのは菱井だろ。テスト期間は控えようってなって、そのあと全くくれなかった」
「え? 私は北條からの連絡をずっと待ってたんだけど」
次の瞬間、北條が手で顔を覆って項垂れた。
「うわー、マジか。俺はてっきり嫌われたのかとばかり……」
「ちょ、ちょっと待って。つまりどういうこと……?」
「菱井からの連絡を、俺もずっと待ってたってこと」
発覚した衝撃の事実に、どうしたらいいのか分からなくなった。気まずい空気が流れるなか、しばらく続いた無言。
「……戻るか」
「そう、だね」
咄嗟にそう返してしまった私はバカだ。
「先に行けよ。俺は後から行く」
北條は深い意味なんてなくて、懐かしさからコーヒーを飲んでみただけなのかもしれない。思い出してくれて、メッセージ返してくれて、こうやって会ってくれて。それだけでも嬉しい。嬉しいけど。
このままじゃ、絶対後悔する。
あの頃と同じじゃダメだ。行動しなきゃ何も変わらないのに。
いい加減、前に進まなきゃ。
「あの」
「ん?」
「ま、また連絡してもいい?」
この日、人生最大の勇気を出した。
良い結果に繋がってくれたら嬉しい。
でも、ダメだったとしても、今日のことは忘れないと思う。これで良かったと思える日が、きっとくるはずだから。
ほろ苦い香りがコーヒーマシンから漂っている。近所のコンビニでも、実家近くでも変わらない音と匂い。
懐かしい、な。
ふとアイツの顔が浮かんだのは、ここが思い出の場所なのと、少し前に見かけたせい。
中学卒業と同時に付き合って、別々の高校に進学してから自然消滅した元カレ───北條蓮翔。
待ち合わせ場所だったこともあって、早めに来てブラックコーヒー飲んでたっけ。そしたら北條も早く来るようになって、イートインスペースで一緒に過ごしてから移動してた。
初めての彼氏だったし、緊張しっぱなしだったけど楽しかったな。うん。楽しかった。もっと素直になってたら今でも付き合ってたのかな、なんて。
忘れられたと思っていたのに、今でもそう思ってしまうのは別れ方のせい。あれから自然消滅だけはしないと心に決めている。って、好きな人すら出来ていないんだけど。
「あま」
気分を変えるため、滅多に飲まない微糖の缶コーヒーを買ってみた。想像していたよりも甘い。
記念すべき二十歳のつどいの日は、まだ引きずっていると自覚した日でもあった。
◇
その日の夜、カラオケ店のパーティールームで開かれたクラス会。わりと仲が良かったから多くの人が集まった。もちろん北條も。
当たり前だけど、昼間とは違って全員ラフな格好をしている。北條の服の好みは変わっていないようでシンプルだった。黒髪なのも変わっていない。
視界に入らないようにしたくて、出来る限り遠い席に座った。そうしないと無意識に目で追ってしまいそうだったから。
「うわ、お前それは入れすぎだって。砂糖そんなに入れる奴初めて見た」
「うるせー、俺が甘党なの知ってるだろ」
ドリンクバーコーナーに行った時だった。
休憩スペースに座っていた、北條と片岡の会話に心臓が飛び跳ねる。
北條がスプーンでカップの中身をぐるぐる混ぜていて、その近くには開封済みのシュガースティックがいくつか置いてあった。
あ、ヤバ。
気配を消していたつもりなのに、今日初めてぶつかった視線。すぐに逸らしちゃったから、北條がどんな顔しているのかは分からない。
マシンから注がれる時間が、いつもより遅く感じる。お願いだから早く終わって。
「それならコーヒーなんて飲まなきゃいいじゃん」
「……急に飲みたくなったんだよ」
聞くつもりはなくても聞こえてくる続き。
同時に思い出した昔のこと。
『菱井ってコーヒーに何か入れてる?』
『ううん、ブラック』
『そうなんだ。俺と一緒だな』
ヤバい、ヤバい、ヤバい。
本当は苦手だったのに、私の前ではカッコつけてたってこと? ブラック以外飲んでいるの見たことないし、甘党なのも知らなかった。
戻るために振り返ると、再び視線がぶつかった。さっきとは逆でおもいっきり逸らされる。しかも、明らかに恥ずかしがっている表情で。
やっぱり忘れられそうにない。まだ好き。
思い出補正がかかっているかもしれないけど、それでも。
今、彼女いる?
「柚希、一緒に何か歌わない?」
「ごめん。今はちょっと無理かも」
「お腹でも痛くなった?」
部屋に戻ったら、親友の瑞穂に心配された。
スマホを取り出してメッセージアプリを開く。隣にいるのにって苦笑いされたけど、誰にも聞かれたくなくて今の正直な気持ちを送った。
背中をバシッと叩かれて、手に持っていたグラスの中身が揺れる。
「痛っ、何するの」
「後悔だけはしないようにね」
「…………うん。ありがとう」
ドアが開いて北條達が戻って来たのが見えた。またまた一瞬だけ視線がぶつかって、心臓が更にうるさくなる。
「今の何? 脈ありとしか思えないんだけど。声かけるか連絡してみなよ」
「やめて。あんまり期待させないで」
付き合っていたことを瑞穂にしか言っていなかったけど、挙動不審すぎて誰かにバレたかもしれない。
『少しだけ話せない?』
後押しされたこともあって、勇気を出して送ったメッセージ。
書いては消してを何度か繰り返したもの。
数年連絡していなかったし、ブロックされている可能性もあるのは分かってる。
返信なかったら諦めるべきなのか、それとも声をかけるべきなのか。でも、後者はハードルが高すぎるわけで。
カラオケそっちのけでスマホを握りしめた。
盛り上がってるし、私が歌わなくても何も問題ない。
頭の中でグルグル考えていると、手に振動が伝わった。急いで画面を確認したいのに、緊張から指が思うように動かない。気持ちばかりが焦る。
『先に出てるから、少し経ったら外に来て』
勢いよく顔をあげてしまった。
戻って来たばかりだというのに、片岡に何か告げてから廊下に出て行った。今回は目が合わなかったけど、ドキドキがおさまらない。
───私達、まだ繋がってたんだ。そっか。
「ちょっと外に出てくるね」
「え? もしかして」
「うん。話せることになった」
瑞穂の目が潤んだと思ったら、手をギュッと握りしめてくれた。パワーを送ってくれたらしい。大好き。
鞄を持って部屋を出てみても、廊下にもドリンクバーコーナーにもいないかった。レジの前を通って自動ドアを抜ける。左を見ると、少し離れた場所に北條がいた。
「久しぶり。元気だった?」
微笑みながら話しかけてくれて胸がギュッとなる。こんな日が来るなんて嘘みたい。
「うん。北條は?」
「俺も」
横に立ってハッキリと分かった、あの頃と違う目線の高さ。
だいぶ見上げないと目を見て話せなくなっていて、それだけ時間が過ぎたのだと思い知らされる。
「ねぇ、質問してもいい?」
「どーぞ」
「北條って甘党だったの?」
聞かれたくなかったかもしれないけど、どうしても確認しておきたかったこと。
「だよなー。やっぱりその話になるよなー。そうです。あの頃は必死にカッコつけていました」
「全然気が付かなかった」
「それは良かったです。って、この話題まだ続く感じ? マジで勘弁してほしいんだけど」
時々混ざっている敬語。
知らなかった一面に、自然と笑みがこぼれる。クールとばかり思っていたイメージが変わった瞬間だった。
「もう一つ聞いてもいい?」
「何?」
「高校入学してすぐ、他に好きな子でも出来た?」
ずっと気になっていたこと。
数年経って少しは大人になれたのか、思っていたより自然に聞くことができた。
「…………は? 何で?」
急に低くなった声に体が萎縮する。
こんな声、初めて聞いた。
「だって、連絡くれなくなったから」
「連絡くれなくなったのは菱井だろ。テスト期間は控えようってなって、そのあと全くくれなかった」
「え? 私は北條からの連絡をずっと待ってたんだけど」
次の瞬間、北條が手で顔を覆って項垂れた。
「うわー、マジか。俺はてっきり嫌われたのかとばかり……」
「ちょ、ちょっと待って。つまりどういうこと……?」
「菱井からの連絡を、俺もずっと待ってたってこと」
発覚した衝撃の事実に、どうしたらいいのか分からなくなった。気まずい空気が流れるなか、しばらく続いた無言。
「……戻るか」
「そう、だね」
咄嗟にそう返してしまった私はバカだ。
「先に行けよ。俺は後から行く」
北條は深い意味なんてなくて、懐かしさからコーヒーを飲んでみただけなのかもしれない。思い出してくれて、メッセージ返してくれて、こうやって会ってくれて。それだけでも嬉しい。嬉しいけど。
このままじゃ、絶対後悔する。
あの頃と同じじゃダメだ。行動しなきゃ何も変わらないのに。
いい加減、前に進まなきゃ。
「あの」
「ん?」
「ま、また連絡してもいい?」
この日、人生最大の勇気を出した。
良い結果に繋がってくれたら嬉しい。
でも、ダメだったとしても、今日のことは忘れないと思う。これで良かったと思える日が、きっとくるはずだから。