本当はまだ好きだったのに、
泣いて縋りたかったのに、
でも私は聞き分けのいい女を演じるしかなかった。
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五月病が終わりかつての活気が街に戻ろうとしている頃。
特別嬉しいことがあったわけでも、
すごくムカついて許せないことがあったわけでもないただ平凡な一日
仕事帰り、なぜか一人で飲みたくなって、最寄り駅から少し離れたネットで穴場と噂されているバーに来た。
店の外観は特別目立っているわけでもなく街の風景に馴染んでいる
なにかきっかけがないと絶対立ち寄らないだろう。
扉を開けるとスッキリとした香りが私を出迎える
中にあまり人がおらず、穴場と呼ばれるにはピッタリの雰囲気だ
少し迷い、カウンター席の端に座り適当なカクテルを頼む
届いたカクテルはうすいピンク色で可愛らしくsnsで映えそうな見た目をしている。
少し口をつけてみると見た目と反してさっぱりとしており、甘さは控えめで思いの外飲みやすい
店内は照明が淡く落とされており、ゆったりとした曲が流れている、マスターの趣味だろうか。
真ん中の席では常連と思われる客が、マスターとボソボソと会話している。
最近はグッと気温が上がりバテ気味だったが、過ごしやすい空間とさっぱりとしたカクテルのお陰でなんとか持ちこたえられそうな気がした
バーの落ち着く雰囲気に感心していると
「お姉さん。ひとり?」
マスターと会話していた男に後ろから声をかけられる。
見ればわかるでしょ。と心のなかで悪態をつく
恐らくナンパなんだろう。
最近なにかと声をかけてくる人が増えた気がする
昔の嫌な経験を思い出してしまい顔をしかめる
これまでの経験上、相手をしても面倒くさいだけなので無視を貫くがあまりにもしつこい
今もこの間、この男は私に声をかけ続けている。
無視されてるのに健気だな、とか呑気なことを考えているがイライラは募るばかり
「お姉さん、彼氏いるの?」
男が隣に腰掛けようとしてくる、相当酔っているのかアルコールのニオイが漂ってくる
不快感が限界に達したので彼氏がいることにして帰ろうと男の方に振り向くと
「え、?」
「お、やっとこっち見た。」
大人びているが子供っぽさもある、忘れたくても忘れられない男の顔がそこにはあった。
その懐かしい顔は思い出したくない高校2年生の記憶へと私を引きずり込んだ
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私の憧れの先輩はとにかく異端だった
どんなときでも沢山の友達に囲まれていて、性格は楽観的。
受験生なのに髪色は明るいし、授業は抜けだすしでいつも先生に怒られていた
彼は毎日がとても楽しそうで顔もいきいきとしていた
そんな彼に私は惹かれていった。
こっそり好きで居続けるなどは性に合わないので
当たって砕けろの精神で私から告白し意外なことに成功し、私達は恋人同士になった。
彼の無邪気な顔も、ハスキーな声も、意外と天然なとこも、寝癖でさえすべてが愛おしかった
彼はいつも私に優しくしてくれた
彼の優しさに触れ私の世界は鮮やかに、そして華やかになった。
そんな彼に私も尽くした。
放課後も毎日一緒に帰ったし、毎日電話もした
友達に私のことを自慢してくれるし私にとって彼は理想的な“いい彼氏“であった。
だけど日に日に彼の様子が変わっていった
何も言わず女の子と二人で遊びに行ったり、私の誘いを断って二人で帰ったり、
やめてほしいと言ったが、「断れなくて」と言い、直そうとしてはくれなかった。
正直ここまでなら許せた
許せたというより「彼は優しいから、誘いを断ることができないんだ」と
自分に言い聞かせて気持ちを保ってたというほうが正しかったのかもしれない。
でもある日、彼の浮気が発覚した。
彼にデートの誘いをドタキャンされて代わりに友達と遊びに行った日、他の子と手を繋いで歩いている彼を見てしまったのだ
その姿はとても幸せそうで、誰がどう見ても、文句のつけようもない素敵なカップルだった。
目の前が真っ暗になる感覚がした。その日はめまいと吐き気が止まらなかった
後日、問い詰めると彼は真剣に謝ってきた
どうしても別れたくない、許してほしい、私が一番だと、
私も彼を失いたくなかった、
だから許してしまったのだ、もうしないならと
それが間違いだったのかもしれない。
それからの彼は以前にも増して尽くしてくれるようになった。
いつかの浮気はなにかの間違いだったのか、そう思えるくらい私のことをとても大切に扱ってくれた
私も彼にすべてを捧げた
なのにまた彼は浮気を始めた。
前より器用に隠すようになった
私はそれに気づいていた、気づいてしまった、
でも私は自分の不安を覆い隠すため気づかないふりをした。
彼を失いたくないあまりに束縛するようなことを言ってしまうこともあった
そのたびに後悔したが不安が消えることはなかった。
付き合って三ヶ月が過ぎた頃、デート中彼は「大事な話がある」といった
私は何の話か想像もつかなかった。
それから彼は私に「別れて欲しい」といった
バツが悪そうに私から目を逸らす彼
これまでの記憶がフラッシュバックする、
幸せだった記憶や、努力し辛いことも耐え忍んだ日々、
それらすべてが崩れ落ちていくような感覚に見舞われた。
私の顔色をうかがっている彼を目の前に私は言いようもない絶望に胸が苛まれた。
「な、なんで、?」
震える声を隠すことができないまま私は尋ねた。
「他に、好きな人ができたんだ」
下を向いたまま彼は言った、彼のそんな態度に不満が募る
「いつもこっそり会ってるあの子でしょ」
そう言いたかったが私の口から出たのは
「そっか。」
なんて、涙が滲む声だった
納得なんてできない。できるはずがない。
本当はまだ好きなのに。
泣いて縋りたいのに。
ちっぽけなプライドに邪魔されて、
私は聞き分けのいい女を演じるしかなかった。
その日の星は溢れんばかりに輝き、まるで彼との別れを祝福しているようだった。
私の恋は三ヶ月で終わってしまった
月日としては短いけれど人生で一番感情が動いたひとときだった。
それからは彼のことをできるだけ思い出さないように生きてきた
辛い記憶から逃れるために。
最低な男に騙されないよう見る目を養う努力をした
素敵な人に出会うために自分磨きも怠らなかった
たくさん傷ついたし、たくさん騙されてきた
そんなときはどうしても彼のことが頭によぎってしまう。
その元凶である元カレは今、私にしきりに声をかけている。
「ねえ、お姉さん、お願い、一緒に飲まない?」
彼は私に気がついていないらしい。
彼の手が私の肩にまわされる
逸る鼓動を抑えながら、
だめだと頭ではわかっているのに、ほんの少し、ほんのちょっとの好奇心が私を動かしてしまった。
気づいたときには怪しげな照明が光るホテルにいた
星どころか月すらも浮かばない空は私に呆れているようだった
彼に手を引かれ、二人で歩く姿は高校2年生のときと変わらない。
でも今はお互いに知りうるはずのない他人としてここにいる。
フロントの鏡に映る自分を見たとき、彼がなぜ私に声をかけてきたのかわかった気がした。
私の今の姿は彼の好みの姿そのものなのだ
高校生時代に思いを馳せる
腰まで会った髪の毛は顎で切りそろえ、これと言った趣味もなくなんとなくで選んだ服も
メイクもすべて彼の好みだった。
何年も避け続けていた男の好みの姿になっていたなんて、本当になんて皮肉なんだろう。
私はなんでこんなに馬鹿なのか、彼に対する未練に今気づくなんて
部屋にたどり着いて彼との距離が近くなる
ごめんね。と彼がささやく。
ふたり、上っ面だけの言葉を並べて夜がふける。
本当は気づいていた、
彼のスマホにあの子からのメッセージと着信が来ていたことを。
私はもう彼の本命にはなれないことを。
許されるなら、きれいな立場で彼のそばにいたかったのに
なんで私じゃだめだったの。醜い嫉妬と虚無感が私を蝕んでいく
明日の私はきっと世界で一番不幸であれるだろう
私が欲しかったのはこんな関係じゃなかった。
朝、彼の匂いだけが残った部屋で、一人声を殺して泣いた。