気持ちを隠すことって難しいようで簡単で。
 私は大学でバドミントンサークルに入っている。割と大きめのサークルで、人数も多い。そんな中で私は同い年の友達がいる。

「なぁ黒川、もう就職活動始めた?」
「まだ。でも、もう三年の五月だし情報収集は始めてる」
「うわ、えら。俺、全然まだだわ」
「山岸って、東京で就職するの?それとも、地元に戻る感じ?」
「うーん、今んところ関東で就職予定。黒川は?」
「私もそんな感じ」

 私の友達はほとんど同姓ばかりな中で、山岸は唯一の男友達。何故、仲良くなったかというと理由は簡単で。共通の趣味があったから。

「あ!そういえば、黒川。昨日の試合見た!?」
「見てない。昨日、バイトだったんだよね」
「はぁ!?昨日、めっちゃ良い試合だったんだぞ!ずっと同点だったのに、最後五分でスーパーゴール」
「え、見たかった!」
「マジでバイトで見てないとか勿体なさすぎる!」

 バドミントンサークルに所属しながら、私の趣味は「サッカー観戦」。サッカーは好きだけど、観戦専門だった。
 そんな中、このサークルで山岸と出会い、すぐに意気投合した。山岸が昨日の試合のスーパープレイを見せようと携帯のニュースで動画を探している。

「あ」
「どしたの?」
「黒川さ、金曜の夜暇?」
「暇だけど」
「一緒にこの試合見ね?」

 そう言って、山岸が私に見せた携帯の画面にはあるサッカー試合の予定。試合場所は、アメリカ。現地時間で昼の十二時開始となっている。

「え、つまり日本だと何時?」
「大体夜の一時くらいからじゃなかったかな?」
「めっちゃ遅くない?どこで見るの?」
「どこがいい?」
「場所考えてないの!?」
「うん、だって黒川に聞くまで予定あるかも分かんねーし」

 山岸は当たり前のようにそう言い返す。私の気持ちなんか一ミリも知らずに。

「別に俺の家でもいいけど、黒川的に厳しい?」
「厳しいってどういうこと?」
「もちろん何もしねーけど、俺一応男だし。無理なら全然俺一人で観るし、電話だけ繋いで一緒に盛り上がるのでもおっけー」

 山岸のそういう素直な気遣いが好きで、ただただ大好きだった。だからこそ山岸の「もちろん何もしない」という言葉に少しだけ心が痛んだ自分がいた。別に何かあって欲しいわけじゃない。ただ山岸に一切そういう目で見られていないことが悲しかっただけ。
 でも、別に大丈夫。もう慣れてるし。

「全然、山岸の家で大丈夫。むしろお邪魔して大丈夫?」
「俺は全然おっけー。じゃあ、俺の家に何時に来る?」
「うーん、夜の一時からだし、0時位かな?」
「了解。じゃあ、その時間に迎えに行くわ」
「迎えに来るの!?」
「だって、そんな深夜に一人歩きとか危ないし。何かあってからじゃ遅いじゃん。ていうか、めっちゃテンション上がるわ。俺、ポップコーン買っとこ」
「浮かれすぎでしょ。映画じゃないんだから」
「大丈夫。ちゃんとキャラメル味にするから!」
「私、塩味の方が好き」
「はぁ!ポップコーンはキャラメル一択だろ!」
「絶対、塩だって!」
「家主権限でキャラメルにしますー」
「あ、ずる!」

 そんな山岸との会話がただただ楽しくて、私は金曜日が楽しみで仕方なくて。それから金曜日までに新しい私服を買って、手土産を準備した。
 
 金曜日、新しい私服を着て鏡の前に立つ。

「うん、大丈夫だよね……」

 窓の外はすでに真っ暗で、時計の針は夜の11時半を指している。楽しみで準備が30分も早く終わってしまう。時間まで携帯を触ろうとしてもどこか集中出来ず、気づけば鏡の前で髪型やメイクを手直ししてしまう。
 そんな風に過ごしていると玄関のチャイムが鳴った。

「よっ」

 玄関の扉を開けると、まだ夏前なのに長袖のTシャツに短パンの山岸が立っている。

「迎えに来てくれてありがと。ていうか、短パンは寒くないの!?」
「今日、なんか蒸し暑くね?」
「そうだけど……」

 無地のTシャツに無地の短パン。どちらも灰色っぽい色。きっと適当に気温に合わせて選んだ服。
 それに比べて私は、ブラウスにスカート。もっと動きやすい服装にすれば良かっただろうか。デートでもないのに気合の入った服を着ている自分が恥ずかしくなってくる。

「じゃあ行こうぜ、黒川」

 当たり前だが、「その服、可愛い」なんて山岸は言ってくれない。彼女じゃないし当たり前。むしろ友達にわざわざ言う人の方が少ないだろう。
 分かってるのに。本当に分かっているのに。なんでこんなに泣きそうになるの?
 山岸の家に着いた私達は、それぞれサッカー観戦の準備を始める。山岸がポップコーンをお皿に出し、私が飲み物を準備する。

「そういえば、私ビール持って来たけど」
「まじ!?最高じゃん!」
「手土産何がいいかなって考えてたんだけど、やっぱりスポーツ観戦にはビールかなって」
「黒川、天才!」

 そう言いながら、山岸が持っているポップコーンのパッケージが目に入る。大きくパッケージには「大容量!」と書かれている。そんな大きなポップコーンを嬉しそうに山岸が抱えてながら、皿に移している。しかし、袋から出てきたポップコーンは真っ白で。

「あれ、それキャラメル味?」
「ううん、塩」
「塩味にしてくれたの!?」
「黒川、塩味好きなんでしょ?俺、実際どっちも好きだし」

 当たり前のようにそう答える山岸にキュンとしたのが分かった。よく少女漫画とかで言うじゃない?
 胸がドキドキするとか胸がキュゥっと痛むとか。実際、片思いで心臓が速くなったり、胸が締め付けられるほどドキドキすることってあんまりない。
 どちらかというと相手にキュンとすることがあって、気持ちが降り積もっていく感じ。

 降り積もったところでどうしようもないけれど。この気持ちを伝える勇気も、振られる勇気も、振られた後も頑張る勇気もない。

 勇気がないまま、勝手にこの片思いの期間を楽しむだけ。苦しいこともあるけれど、それでもこの「友達」の関係が、私に気を許してくれている関係があまりに心地良かった。
 だから、重苦しくならないように明るくお礼を伝える。

「めっちゃ優しいじゃん!ありがと!やっぱりポップコーンは塩味だって山岸もやっと分かったかー!」
「いや、俺の一番はキャラメルだから!」
「今から塩食べたら、塩の魅力が分かるよ!」
 
 そんな話をして笑いながら、テレビの前に座る。二人でビールの缶を開ける。グラスに移したりもしない。本当にただの友達のノリだった。

「じゃあ、乾杯!」

 乾杯をして、一口ビールを口に入れる。蒸し暑い外から歩いてきたので、喉に冷たい飲み物が通るのが気持ちよかった。

「うま!これ、どこのビール?」
「なんか百貨店で美味しそうなやつ見つけたから買ってみた」
「え!じゃあ、めっちゃ高級じゃん。ありがと」
「盛り上がるサッカー試合には美味しいビールでしょ」

 本当は貴方の前で可愛らしい色のカクテルが飲みたい。家にお邪魔するのに可愛すぎなくて、でもどこか可愛いような丁度良い服を買うんじゃなくて、本当は自分が一番可愛いと思う服を着たい。並んで座っているソファに一人分の間がないような関係になりたい。
 告白する勇気もないくせに、おこがましくもそう願う自分が嫌になる。

 時計が午前一時を指す。日付が変わる。

 テレビに映されたサッカーの試合はもうすぐ始まろうとしている。しばらくして、試合開始のブザーが鳴った。

「お、始まった」

 私たちが応援しているのは、私と山岸が好きな選手が所属しているチーム。
 そのチームが点を入れそうになる度に、緊張感が走る。

「うわ!外れた!今のは絶対入ると思った!」
「今のはキーパーが上手すぎたよね!」

 試合の前半が始まって15分。まだ点数はゼロ対ゼロ。
 ポップコーンを食べて、ビールで流し込む。きっと山岸は知らないけど、私はこんな深夜にお酒を飲んだり、お菓子を食べることは少ない。体重だって気になるし、翌日のむくみだって気になる。でも体重を気にしたって、むくみを気にしたって、綺麗な姿を見てもらいたいのは山岸だし。
 だから昨日までにダイエットを終わらせて、今日このビールを口に含むまでが一番綺麗だったらそれでいい。
 パッと隣に座っている山岸に目を向ける。テレビ画面を見ていて気づかれないかと思ったが、流石にこの距離では視線を感じたらしい。

「黒川?どした?」
「ううん、なんでも。この試合、どっち勝つかな」
「そんなの聞くまでもねーだろ!絶対に俺らが勝つ!」
「あはは、私達は戦ってないでしょ!」
「選手たちと気持ちは一緒に戦ってるから!」

 前半が終わる頃には、ビールは一缶ずつ飲み終わっていた。試合はまだ0対0。
 ハーフタイムの間に私たちもお手洗いを済ませ、次の飲み物の準備をする。

「私の持ってきたビールまだあるけど、どうする?」
「そろそろ飲み物変えね?……あ!そういえば俺、母さんからワイン貰ったんだった」

 そう言って、山岸がワインの瓶を持ってくる。

「黒川、ワイン飲める?」
「飲めるけどいいの?お母さんからの頂き物でしょ?」
「大丈夫!これ母さんが友達から貰ったんだけど、俺の両親両方ともワイン好きじゃなくてさ。むしろ一緒に飲んでくれると助かる」
「じゃあ、ありがたく頂こうかな。ありがと!」

 山岸がワインをテーブルに置き、あることに気づく。

「あ、やべ。俺、いつもワイン飲まないからグラスとか無いわ」
「コップでいいんじゃない?」
「風情なくね?」
「あはは、山岸そんなこと気になるタイプじゃないじゃん!」

 私はそう言って、食器棚を開く。

「どのコップなら使って大丈夫?」
「どれでも。って言っても、俺のコップと予備しかないから選べるほどじゃないけど」

 山岸がテーブルにコップを二つ置いた。

「黒川、どっちがいい?」
「いつも山岸が使ってるのはどっち?」
「こっち」
「じゃあ、それで」
「予備の方、選ぶのかと思ったわ」
「折角だし、山岸のコップを奪おうかと思って」
「鬼か!」

 そう言いながらも山岸がワインを注ぎ、私に山岸がいつも使っているコップの方を置く。
 好きな人もコップを使ってみたいなんて、いつもの私らしくないし気持ち悪いかな。でも、少し酔っ払っているのもあって笑ってしまう。

「あー、楽し」

 そう呟いた私に山岸は小さく「俺も」と言った。
 ハーフタイムが終わると、試合は後半が始まる。後半開始から5分。相手チームが一点を取る。

「あー!!!取られた!!」
「いや、まだ後半始まったばかりだから。全然チャンスあるって!」

 良い感じに酔っ払って、隣には好きな人。テレビ画面を見ているふりをして、また山岸に視線を向ける。さっきと違って、バレないように気をつけながら。
 もし山岸と付き合っても、こうやってずっとサッカー観戦してそう。酔っ払ったフワフワとした感覚がどこか楽しくて、それでも当たり前に自我は失わない程度。
 ここで、思いっきり酔っ払うなんてことも私には出来ない。だから、出せる勇気は少ないけれど……

「ねぇ、山岸」
「んー?」
「また一緒にサッカー見よー」
「まだこの試合終わってねぇのに、次の試合の話!?勿論いいけど、まずはこの試合に勝ってからだろ!」
「確かに(笑)」

 次の約束をしたって、次もきっとこのままで。私がもっと勇気を出さない限り、この関係は変わらない。
 分かっているのに、この関係のままでもいいと思ってしまう。だって、あまりにも今が楽しすぎて。この幸せを失う勇気が私にはない。
 それでも、ソファの背もたれに寄りかかれば少し前に座っている山岸の背中が見える。


 ぎゅーってしたい。


 私がぎゅーってして、山岸が「仕方ないなぁ」って顔で抱きしめ返してくれる。そんな世界を夢見てしまう。
 私は一歩山岸に近づき、山岸の背中に指を当てる。

「今から背中に文字を書くから当てて」
「サッカー見てんのに!?」
「短い文字だから大丈夫!」

 まずは、山岸がどれだけこの遊びが得意かを確かめないと。私はひらがなで「さっかー」と書いた。

「え、むずくね?全然分からねぇんだけど」
「正解はサッカーでした」
「マジで!?全然分かんなかったわ」

 あ、大丈夫だ。山岸はきっとこの遊びが苦手なタイプだ。

「じゃあ、二問目」
「二問目もあんの?」
「これが最終問題」

 少女漫画だったら、ここで「すき」とか書くのかもしれない。それでも、そんな簡単な文字で万が一バレては困る。
 どうしようか。あ、そうだ。

「か の じ ょ」

 そう指で書いて、私はパッと山岸から離れる。

「何て書いたか分かった?」
「四文字なのは分かった。ヒント頂戴!」
「うーん、私の夢!」
「黒川の夢!?え、めっちゃ気になる!」

 山岸が考え始める。

「四文字だろ?サッカー選手……長すぎるし、会社員も長すぎる」
「私の夢サッカー選手なわけないでしょ!サッカーは見る専門」
「だよな。え、四文字の職業とかある!?」

 私が「夢」と言ったせいで、山岸は完全に私の今後の就職活動の目標だと思っている。

「頼む、黒川!もう一回書いて!」
「えー」
「じゃあ、もう正解教えて!」
「それは絶対無理!」
「なんで!?じゃあ、やっぱもう一回書いてよ」

 山岸が私に背中を向ける。テレビ画面を見ずに。
 そこまでされて、もう一度書かないのは逆に不自然だろうか。どうせバレないし、さっきと書く文字を変える?
 いや、でも四文字の職業ってなんだ?私も思いつかない。
 仕方なく、私はそのまま山岸の背中に文字を書いていく。

「か」

 すると、山岸が今度は一文字ずつ声に出していく。

「これは『か』だろ?」

 あ、やばい。バレちゃう。でも、誰の彼女かなんて分からないし……どこか勢いがついてしまったのだろうか。文字を書く指は止まらない。

「の」

「『の』だろ?『かの』がつく職業って何!?」

 このまま書いてしまえば、私が彼氏を欲しいことはバレる。そして、この状況では告白だと思われても仕方ない。

 勇気を出せる?

 こんな酔っ払った勢いで、この楽しさを失っていいの?


 どうせ振られるのに。


 私は、相手の気持ちに鈍感な方じゃない。山岸が私を「友達」としか見てないことを分かっている。なら、もう残り二文字はこれでいい。




「す」




「き」




「え!『かのすき』って何!?絶対、俺が読み取り間違えてるじゃん!」
「私の夢は秘密です」
「えー!マジで気になったのに!」
「さ!それより、サッカー見よ!もう残り20分!」
「そうじゃん!マジやべー。ぜってぇ勝ってくれ!」

 私はコップの入っている残り少ないワインを飲み干した。


 うん、これでいい。


 きっと間違ってなんかいない。


「あ!黒川!一点入りそうだぞ!」

 テレビ画面の中のサッカー選手がゴールを決める。

「やった!!同点じゃん!」
「凄い!!」

 しかし、そのまま残り時間は過ぎて同点で終わる。

「勝てなかったけど、最後のゴールは最高だったな」
「うん、本当に凄かった!」
「黒川、今日はマジで付き合ってくれてありがとな。明るくなってから、家まで送るわ」
「送らなくて大丈夫だよ?日が明けてから帰るし」
「いや、送る」

 山岸が机の上を片付け始める。

「黒川、日が明けるまで仮眠するだろ?」
「うん、ソファ借りていい?」
「全然いいけど、大丈夫?身体痛くね?」
「仮眠だし大丈夫」

 机を片付け終わると、私はソファに寝転がろうとする。すると、山岸が毛布を持ってきてくれた。

「ありがと!って、なんで二枚?」
「え、俺もここで寝るから」
「え!ベッドで寝ないの!?」
「黒川がソファで寝んのに、俺だけベッドで寝るわけにいかなくね?」
「全然いいよ。ベッドで寝なよ」
「いや、マジで大丈夫。むしろ、黒川にベッド使って欲しいくらい」
「私は大丈夫だって」
「じゃあ、やっぱりここで二人で寝ようぜ」
「せめて山岸がソファね。私、床で寝るし」
「いや、無理。俺が床で寝る」

 珍しく山岸が譲ってくれない。

「私は本当に大丈夫だって」
「俺が嫌だから」

 それだけ言って、山岸は床に寝転がってしまう。仕方ないので私がソファ寝転がると、山岸が思い出したように起き上がった。

「あ!黒川さ、俺のパジャマで良かったら着替えね?」
「いや、寝る時間も短いしこのままでいいよ」
「でも、その服めっちゃ可愛いじゃん。シワになったらダメじゃね?」

 当たり前にそう言う山岸に私はまた好きが積もるのだ。なんやかんや小さな変化に気づいてくれて、本心から素直に褒めてくれる。
 そんなところが大好きで。
 だから、私もあと一歩だけ素直になろう。



「大丈夫。この服、見せたい人には見せたから」



「……?どういうこと?」
「んー、次はワンピースが着たいなって話」
「マジでどういうこと!?」
「この服はもう十分着たってこと!」




 意味なんか始めから最後まで伝わらなくていい。

 だって、この夜が今まで一番楽しい夜だったから。



 fin.