学校生活が一ヶ月経った、五月上旬。最近と比べて格別寒い朝、嫌々目を覚まして、学校に行く身支度を始める。
 今日は中学生になって初の学校行事、歓迎遠足。昨日は準備に手こずり、夜遅くまで起きていた。それのせいでまだ眠たい。
 歓迎遠足なので学校のジャージを着た。カイロをポケットに入れ、家を出る。学校に向かう途中、ひとりで登校する楓とばったり会った。
「おはよう、優一くん」
「おはよう……朝はまだ寒いね」
 外は寒く、ポケットの中でカイロをぎゅっと握りしめた。
「そうだね。こんな寒いとは思わなかったから、カイロすら持ってきてないや」
 次の瞬間、冷たい風が体を襲う。楓は急に立ち止まり、引き攣った笑みを浮かべながら
「本当に寒いね。今にも凍えそう、なんてね」
 と冗談のように言い、また歩き出した。しかし、体は微か震えていて、多分、寒さを我慢してる。
 楓にカイロを貸してあげたい。でも、僕だって寒い。
 一つしかないカイロを貸すか、貸さないかで躊躇していると、楓が手と手を擦り合わせ、そこに息を吐き始めた。
 躊躇している間にも、少しずつカイロの温度と楓の体温が下がっていく気がして、苦しい選択を迫られた。
「カイロあるけど要る?」
「いいの! あっ、でも……」
「いいよ、十分温まったから」
 言い淀む彼女に、僕は温まったからと言ってカイロを渡した。彼女は申し訳なさそうに受け取ったが、体は正直だった。冷えた手が温まったらしく、口角を上げて嬉しそうにしている。
 それから、ものの数分で僕は手が冷たくなった。寒さが苦手な僕にとって、カイロはナイトが持つ剣や盾と同じくらいの価値がある。大切なカイロを手放す判断は合ってたのか、なんてことも考えたけど、楓の喜んだ表情を思い出すと、きっと合ってたと思えた。
 だが、気持ちの問題で済むような段階はとっくに過ぎていた。あまりの寒で、今にも手が凍りそうになっている。
 ジャージの袖を手に覆い被せたり、楓に気づかれない程度に首を擦って温めたり、手をつねって痛みで寒さを紛れさせたりして、なんとか寒さを耐えようした。だが、どれも、少しの変化しか与えてくれなかった。
 動けば少しは温かくなる、と思い、僕は早歩きを始める。すると、すぐに楓に腕を掴まれ、立ち止まった。
「寒いの我慢してるでしょ? 私にカイロ貸してから口数が少なくなったし。ごめんね、私のせいで。カイロは返すね」
 楓は透き通った瞳で僕を見て、カイロを手に乗せようとした。
 僕なんかにも気を遣ってくれたのが嬉しくて、咄嗟に見え透いた嘘をつく。
「寒いの慣れてるから。そのカイロ、好きに使っていいよ」
 もっと上手い嘘があっただろ、と思うくらいの見え透いた嘘だったけれど、楓には気づかれなかったのか、
「……分かった」
 と、ぼそっと言い、俯いた。
 僕が歩き出すと、楓が「待って」と声を上げ、再度、足を止める。振り向くと同時に左手に温もりを感じ、手の平を見てみると、楓に渡したはずのカイロが乗せられていた。
 僕の口から思わず「えっ?」と声が出た。
「これならふたりとも温まれるよ」
 動揺する僕の手を、彼女はカイロを挟むように握って言った。そのまま歩き出そうとした。
「待って、これだと……」
「『好きに使っていいよ』って言ってくれたから」
 僕の声を遮るように彼女が言った。
 好きに使っていいと言ったものの、もし誰かに見られたら変な噂を流されるかもしれない。そんな心配が脳裏をよぎる。
 ここは断らないと、と思ったとき、楓からある提案が出された。
「嫌なら放してもいいよ。でも、カイロは私の物じゃないから優一くんに渡すからね」
 今放したら、手を繋ぐのが嫌だと思ってることになる。だから、放す選択ができない。
「分かった。誰か学校の人が近くにいたら、すぐに放していいから」
「うん、分かった」
 楓は二つ返事で了承し、カイロを挟みながら歩き始めた。激しく動いてるわけじゃないのに、体と心が温まってくる。
 しばらく歩いていると、目の前を一匹のグレー色の猫が通る。その猫は多分僕に懐いてくれていたが、最近はあまり見かけないので、少し心配に思ってた。
「猫ちゃんだ。おいで」
 楓は手を繋いだまましゃがんで、警戒心を解くように猫撫で声を出した。僕は自分の元に来るだろうとたかを括り、無言で楓の隣にしゃがむ。
 前みたいに甘えてくれることを期待していたけれど、猫は楓に近づいていった。
「いいコ、いいコ」
 猫は柔らかな声を掛けられながら、背中や顎下を撫でられて、とても気持ちよさそうにした。
 猫と(たわむ)れる楓を見て、ふと思ったことがある。楓は妙に猫の扱いが上手い。
「もしかして動物飼ってたりする?」
「分かる? 家に犬がいるんだ」
 猫の扱いが上手い理由がなんとなく分かった。小さな奇跡かもしれないが、僕も犬を飼っている。
「うちも飼ってるよ、犬」
「そうなんだ。どんな犬種? うちのコはね――――」
 
 そこから話が盛り上がり、気づかないうちに学校近くまで来ていた。人と会うことはなかったので、手は繋いだままだった。
 楓と話すのはこんなにも楽しいんだ。もっと話したい。一緒にいたい。
「機会があれば、また話そう」
 社交辞令ではなく、本心で言った。
「クラス同じなんだから、いつでも話そうよ」
 楓は明るくそう言ってくれた。彼女の分け隔てなく接してくれるところも好きだ。
 学校近くだから、少し距離を取って、集合場所――運動場、に向かう。運動場に行くと、数人がもう待機していた。出席番号順に並ぶので、僕は一番後ろに座った。男子の中での出席番号は僕が最後だから。
 地べたで体育座りをして、ぼーっと校舎を見ていると、渚が近づいてきた。渚は入学式の日からほぼ毎日話している。
「優一おはよ」
「おはよう」
 渚は隣に腰を下ろした。
「優一が話してたゲーム始めたんだ。フレンドなろうよ」
 さっきの会話が楽し過ぎて、楓の顔が頭にチラつく。
「あ、うん。……ねえ渚、告白とかってしたことある?」
「無いけど。もしかして好きな人でもできた?」
 渚の前だと、こんな僕でも自然に近い姿でいられる。
「そんなとこ。それでさ――」
 楓の名前は出さずに、少し内容をぼやかしながら相談した。その間、生徒が続々と運動場に集まる。
「なるほど。てか、その子、彼氏とかいないの?」
 彼氏の有無。それは盲点だった。中学生だからまだいないだろ、とたかを括っていた。
「そっか、彼氏がいる可能性もあったのか……」
「まあ、今度直接聞いてみれば?」
「うん、そうする」
 渚の助言を得て、することが明確になった。
 相談に乗ってくれたお礼を渚に伝えると、「頑張れよ」と言って、前に戻って行った。少しすると、担任の田川先生がやってきた。それと同時に楓が近づいてきて、僕の隣に座った。
「男女各一列に並んで、迷子になりそうな人は、隣の人に手を繋いでもらってください」
 田川先生の発言に、僕含め、ほぼ全員の生徒が怪訝な顔になった。
「だって。優一くんは繋ぐ?」
 楓は平然とした態度で訊いてくる。
「繋がないよ。僕は迷子にならないし」
 僕は問題を起こさないし、方向音痴でもない。だから、迷子にならない。
 田川先生の横に、学年主任の反町(そりまち)先生が立ち、割り込むように説明を始めた。マイクを使わずに大声で話すので、少し聞きづらい。
 聞き取れた内容だと、今から行く場所は海が近くにあり、前回そこで生徒が迷子になり、捜すのに手を焼いたらしい。それだとしても、中学生になってから異性と手を繋ぐのは抵抗がある。
 数人の生徒が先生たちに抗議をしに向かった。僕には関係はなしだと思っていたけれど、相手の女子が迷子になりそうなら繋がないといけないのか。
 正直、あの温もりを知ってからだと、他の人と繋ぎたくない。隣の女子だって嫌だろうし。
 そういや、隣に来る女子は誰だろう。ふと、そう思ったとき、僕の肩を楓が叩いた。
「また話そうね」
 彼女はこちらに顔を向け、微笑みかけた。そこで、僕の相手は楓だということに気づく。
 隣ならまた楽しく話せるのでは。
 僕は思わず、そっと手を出した。少しでもリードしようと思ったからだ。すると、彼女の表情は不思議そうなものに変わった。
「え? なにこの手?」
「いや、その、手を繋ごうと」
「手は繋がなくても話せるよ? ……もしかして、私も手繋ぎたいの?」
 からかうような口調で楓が言い、恥ずかしさと僅かな憤りが僕の顔を熱くさせた。
「そうだけど! 駄目?」
 確かに手は繋がなくても会話はできる。早とちりした僕が悪いと分かっているけれど、つい感情的になってしまった。
 僕は頭を冷やす為に俯いて、地面を見続けた。
 同級生の女の子相手になにやってんだろう。本当に情けないな、僕は。
 感情に任せた発言をしてしまい、謝りたくて、顔を上げ、彼女のほうを向く。僕の視界に飛び込んできたのは、耳を赤くして、下を向き、黙り込んでいる彼女の姿だった。
「変なこと言ってごめん」
 彼女は黙ったまま、小さく頷いた。
 それから僕らは、数分間沈黙が続き、反町先生がまた大声で話し始める。
「話し合った結果、今から呼ばれた人だけ手を繋いでもらうから」
 一部生徒の抗議が効いたらしく、相当な問題児だけが手を繋ぐことになった。先生の口から数人の名前が上がる。もちろん僕は呼ばれなかった。

 *
 
 互いに一言も発さないまま遠足場所に着いた。長い木々が沢山ある自然豊かな場所で、葉と枝の隙間から差し込む日の光が模様のように落ち葉に映る。キャンプに来る人が多いらしく、炊事場や木製のベンチもある。周りは海に囲われており、近付き過ぎるなと先生から注意があった。
 到着して、レクリエーションを行こなったあと、自然に囲まれながら昼食を取った。みんなは友達同士で賑やかに食事を楽しんでいたけれど、僕はひとりで弁当を食べた。
 食べ終わった人から自由時間に入り、僕は暇つぶしで周りを探索していた。
 人が少ない所でひたすら松ぼっくりを取っては捨てを繰り返し、よく分からない行動をしていた。
 最初の行事がこれか。小学校のころとあまり変わらないな。
 松ぼっくりを探している間に、益々人気が少ない場所に、知らず知らずのうちに行っていた。
 少し離れた太い木の下ある松ぼっくりを拾いに向かうと、頭上から猫の鳴き声が聞こえた。驚いて頭上を仰ぎ見ると、茶白のしま模様の猫が木から降りれなくなっている。
 僕もペットを飼ってる身だから、いても立ってもいられなくなり、周囲に誰もいないことを確認して木に体をくっつけた。
 三階建の屋根と同じくらい背が高い木を前にして足がすくむ。だけど、あの猫を見捨てることがどうしてもできなくて、木に登り始めた。
 少しずつ登っていき、ふと、横目で下を見てしまった。まだそんなに高くないはずなのに、落ちたら骨が折れそう、という現実味のある恐怖心を抱いた。
 微かに聞こえていた弾んだ声たちが消えてきたころ、やっと猫の近くまで登れて、胸を撫で下ろした。
 木の上で四つん這いのような体勢で、猫のいる枝の先端にゆっくりと向かう。
「もう大丈夫だよ、こっちにおいで」
 猫に声を掛けると、怯えながら小さく鳴き、僕の胸に来た。
「よし。もう登ったらだめだよ」
 安心させるため、猫の背中を優しく撫でた。猫の体は温かく、毛が柔らかくて気を抜いてしまいそうだ。
「じゃあ、行こっか」
 一息つき、猫を抱えながら木を降り始めた。まず右足を少し下の枝に乗せ、左足も同じ枝に乗せようとしたとき、木の枝からミシミシと嫌な音が鳴った。
 ――次の瞬間、木の枝が大きく揺れ、体勢を崩した。猫を抱きかかえたまま、僕の体が宙に放り出される。一瞬で死を覚悟して、心臓が冷水に包まれたように冷たくなった。
「ごめんね、僕のせいで」
 そう弱く言ったときには、もう地面に仰向けでついていた。腰に少し痛みがあるだけで、骨が折れたような感覚はない。猫も胸の上にいた。
 下を見ると、落ち葉が他より重なっていて、落ち葉のお陰で事なきを得た。
「もうこんな高い所に登るなよ」
 猫は僕の(てのひら)(ほお)を舐め、そっと去っていった。安堵で我に帰り、ふと思いが脳裏をよぎる。あの猫、どこかで見たような気がする。
 まあ、ただの既視感だろう。
 あまり気にせず、ジャージのズボンについた土汚れを払う。寝ながら天を仰いでいると、なにやら周りが騒がしい。
「おーい山本! いるなら返事しろー!」
「山本くん返事してー!」
 先生たちの慌てた声が耳に入り、僕は起き上がった。全員が揃って僕の名前を呼んでいる。
 僕はすぐに担任の元へ行った。田川先生は僕を見るや否や、顔に般若の面を付けたように感じさせた。
「すみません。遅れました」
「山本! 今まで、どこでなにしてた‼︎」
 いつもは温厚な先生が声を荒げて、不意に涙が出そうになった。
 遊んでいたわけではなく、猫を助けていたのに。それで怒られるのは、少しおかしいことだ。でも、そんな言い訳じみたことを信じてくれる人は、もうこの世にいない。
「ええと、木登りしてました……」
「危ないだろ! それで怪我したらどうするんだ!」
「すみません」
 謝ることしかできなかった。でも、心の中では自分を悪くないと思った。
「まあ、いい。後は帰ってから聞くからな。先生、他の先生方呼んでくるから、先にみんなの所に戻ってろ」
 田川先生は先ほどまでの低い声をやめ、優しく言った。僕は僅かな罪悪感を覚えた。
「はい、すみませんでした」
 みんなのところに戻ると、後ろから反町先生に肩を叩かれ、少し離れた木の裏に連れてかれた。そこでこってり怒られた。先生なりの気遣いかもしれないが、角度的に生徒たちから丸見えだ。
「――みんな、お前のこと心配してたんだからな」
 そうか、先生たちは集合時間に遅れたことを怒ってるんではなく、僕を心配して怒っていたのか。
「はい。すみません」
 反町先生の一言で、自分がどれだけ人を心配させたかを知り、反省した。
 説教が終わり、楓の隣に腰を下ろす。楓はなにも聞いてかなかった。
「じゃあ帰るぞ、今から名前呼ばれた奴は手繋げよ。山本優一、以上」
 反町先生が大声で言った。名前を呼ばれたのは僕ひとり。これほどの公開処刑は初めてだ。
「え?」
 思わず声が漏れる。
「え? じゃないだろ。ここに来て問題起こしたのは、山本だけだぞ」
 猫を助けただけなのに。内心そう思ったが、迷惑かけたのは事実なのでなにも言えなかった。
「雪野、手繋いでやれ」
 先生が大きな声で言い、楓は「わかりました」とだけ言って、僕の手を握った。
 楓の手は柔らかくて、温かくて、全神経をそこに集中させてしまう。僕は不意に僅かな力を入れて握り返した。
 前の人たちが続々と歩き出し、僕も歩き始めた。僕は手を握られながら、正面を向いて、無言で歩いていた。すると、楓が口を開く。
「優一くんなにしてたの?」
 楓なら信じてくれるかも、と思ったけど、馬鹿にされるのが怖くて正直に言えない。
「……木登り」
 木に登ったから嘘はついてない。なのに、楓を騙してる感じがして、罪悪感を抱いた。
「本当はなにしてたの?」
 なにかを見透かしたように楓が訊いてくる。なにとなく楓に話していいような気がした。
「猫が木から降りれなくなっていたから……」
 ふふっと、笑う声が隣から聞こえた。だから言いたくなかった。やっぱり、楓も
「馬鹿にするんだ……」
 誰にもぶつけられない想いが溢れて口から漏れる。
「いや、違くて、思ってたのと全く同じだから」
 隣を向くと、楓は微笑んでいた。
「思ってたのと同じ?」
「そう。優一くんのことだから、動物関連だろうなって」
 いつもなら心の中が読まれ、恐怖し、緊張していただろう。でも、このときに限っては、好きな人と共有できた喜び、今まで縛られてた縄が消えたような解放を感じた。
 これから先も一生隠し続けるつもりでいたのに、こうも簡単にバレて、なぜか清々しい気持ちになった。
 ――面白味のない無色な僕の人生に彼女が色を与えてくれた。
 このとき、なにか大きなものが動いた気がする。恥ずかしさや怒りなど、先ほどまでの感情が一瞬にして消え、むしろ興味が湧いた。
「なんでわかったの?」
 なんでわかったのか訊くと、楓は「なんとなく」と素っ気ない返事をした。そのときの楓の横顔は、心なしか、赤く見えた。
 気になって仕方が無いので、もう一度聞こうとしたら、
「はい。この話はここでおしまい」
 とはぐらかされた。まだ気になっていたけど、これ以上聞くと嫌われると思い、この話をやめて違う話題を出す。
「そういや明日休みだね……」
 僕が当たり前のことを言う。楓も当たり前に返事をする。
「そうだね」
 僕から誘った会話は、(いま)だにぎこちない。
「楓さん、明日暇?」
「暇だけど、どうして?」
 楓とまた楽しく会話したい、という衝動に駆られて訊いてみたけれど、遊びの誘い方がわからない。そのせいで会話が止まった。
「明日一緒に散歩行かない?」
 楓がこっちを向いて言った。やはり、僕の心は読まれているのかもしれない。
「うん、行きたい」
「じゃあ、彼杵(そのぎ)公園に十七時くらいに集合でいい?」
「うん。わかった」
 楓が提案した彼杵公園は、僕の家の近くにある小さな公園だった。
「楽しみだね、優一くん!」
 自分だけが楽しみにしていたと思っていたけど、楓も多少は楽しみにしてくれていた。それがとても嬉しかった。
「あ、そうだ。カイロ返すの忘れてた」
 朝に貸したカイロが返ってきた。あれから相当時間が経っていたので、もう冷めきっている。
 カイロをポケットにしまうため、視線を下に向けていると、楓が少し力強い声で「優一くん!」と呼んだ。
「ん? なに?」
 少し驚き、視線を上げて彼女に向けた。
「猫のためだとしても、あんな高いところに登ったら駄目だよ! 怪我とかしてないよね?」
 不思議なことに、僕しか知らないであろうことを言った。
「腰がちょっと痛いくらいだけど、他は大丈夫。てかさ、それも、なんとなくでわかったの?」
 彼女は動揺するように、「え?」と声を出し、続けて
「いや、まあね」
 と言葉を濁して、白色の綺麗な前髪を触り始めた。握った手に熱が(こも)っているのか、耳が(ほの)かに紅潮(こうちょう)している。
「大丈夫? 少し赤いよ?」
 手を放す? という意味で言った。すると、彼女は突然、繋いでないほうの右手を上下に振り、ずれ落ちたジャージの袖で手を隠した。
「大丈夫」
 か細い声で言い、彼女は顔を背けた。手が赤いと勘違いしているようだが、萌え袖の彼女が愛らしいので、そのままにしておいた。