異都の子どもたちは夏の日暮れ時、先生に連れられて林間学校に出かける。
異都には古い時代に流れ込んだ海水で、塩の木が乱立する洞窟がある。塩分が多すぎて作物が作れないので、夏の間の子どもたちの避暑地になっていた。
名那が灯りを持ち上げると、真っ白に結晶化した木立が照らし出される。何度見ても塩の木は細工物のように整いすぎていて怖い。
「お腹が空いても塩をなめてはいけませんよ。とても濃い塩分で出来ているので、子どものみんなは倒れてしまいます」
先生にそう言われても、子どもたちの多くが塩の木を指先でこすって口に運んでいた。甘くておいしいんだよと彼らは笑う。
名那は素直な子だった。先生にいけませんと言われたら、きちんとそれを守る子だった。だから憧れるように木立を仰ぐことはあっても、手を伸ばすことはなかった。
「今日は食料保存について学びましょう」
林間学校は一年に数日間。普段は両親の農作業を手伝っている、五歳から十三歳までの子が集まる。
名那は卒業しているので子どもではない。子どもたちに何か教えてあげたくて、先生になりたいと言った。けれど洞の外で夜を明かすのは、今も黒耀に許してもらえない。
「ななおねえちゃん、これでいい?」
「ちょっと詰めすぎているね。上の方、少し出そうか」
だから先生のお手伝いをして、授業が終わったら洞に帰る。そういう約束で、今も林間学校に通っていた。
子どもたちが保存食を作るのを見守りながら、ふいに名那は体がうずくのを感じた。
振り向くと結晶化した木々がある。洞窟の中を迷路のように分けていて、視界が悪い。
髪を結ってさらしていた首筋に塩の水がしたたり落ちたとき、ぞっとするような心地よさを感じた。
一瞬、黒耀に首筋を噛まれる想像をした。まさか養い親が子にそんなことをするはずがないのに、それは実感を伴った未来の想像だった。
最近体のあちこちがそんな様子だった。噛まれたように、空気や水に触れるだけで反応する。喪失感に似た感覚にひどく落ち着かなくて、黒耀を探してしまう。
そんなことを願ってしまう自分は変で、名那は一生懸命他のことを考えようとしていた。
一人の女の子が足を投げ出しているのに気付いて、名那は声をかける。
「どうしたのかな?」
女の子は名那を見上げて無造作に言った。
「塩に漬けたお野菜なんておいしくない。砂糖漬けが食べたいの」
それは子どもたちにはよくある言葉だったのに、名那はすっと足元が遠くなっていくような感覚がしていた。
塩を取りすぎるのはよくないよ。黒耀はそう言って、異都で一般的な塩漬けをあまり名那に食べさせない。
でもお砂糖はぜいたくだもの。黒耀がよく勧める砂糖漬けの果物を名那が断ると、黒耀は楽しそうな笑みを浮かべた。
では、たっぷりお食べ。そうささやいた黒耀の甘い声音を思い出して、名那は意識を失っていた。
目が覚めると、黒耀に背負われて歩いていた。名那が目覚めたのに気付いたのか、黒耀は振り向いて問いかける。
「気分は? どこか痛いところは?」
心配そうな声は、幼いときから聞いていた響きと変わりない。
黒耀は昔から、過剰なほど名那の体を気遣った。名那が転んだだけで、抱き上げてどこも怪我がないか丹念に確認した。少し熱を出しただけで枕元から離れず、朝まで起きていた。
子どものときが終わる頃になって、黒耀が怖くなった。名那は黒耀と向き合うと、別の生き物になったような錯覚を覚えた。
「……なんでもない」
彼はお父さんで、お母さん。壊れゆくこの小さな世界で誰より私を守ってくれた人を、どうしてそんな風に思うのだろう?
心がさらさらと塩の木のように頼りないのを感じながら、名那は目を閉じた。
異都には古い時代に流れ込んだ海水で、塩の木が乱立する洞窟がある。塩分が多すぎて作物が作れないので、夏の間の子どもたちの避暑地になっていた。
名那が灯りを持ち上げると、真っ白に結晶化した木立が照らし出される。何度見ても塩の木は細工物のように整いすぎていて怖い。
「お腹が空いても塩をなめてはいけませんよ。とても濃い塩分で出来ているので、子どものみんなは倒れてしまいます」
先生にそう言われても、子どもたちの多くが塩の木を指先でこすって口に運んでいた。甘くておいしいんだよと彼らは笑う。
名那は素直な子だった。先生にいけませんと言われたら、きちんとそれを守る子だった。だから憧れるように木立を仰ぐことはあっても、手を伸ばすことはなかった。
「今日は食料保存について学びましょう」
林間学校は一年に数日間。普段は両親の農作業を手伝っている、五歳から十三歳までの子が集まる。
名那は卒業しているので子どもではない。子どもたちに何か教えてあげたくて、先生になりたいと言った。けれど洞の外で夜を明かすのは、今も黒耀に許してもらえない。
「ななおねえちゃん、これでいい?」
「ちょっと詰めすぎているね。上の方、少し出そうか」
だから先生のお手伝いをして、授業が終わったら洞に帰る。そういう約束で、今も林間学校に通っていた。
子どもたちが保存食を作るのを見守りながら、ふいに名那は体がうずくのを感じた。
振り向くと結晶化した木々がある。洞窟の中を迷路のように分けていて、視界が悪い。
髪を結ってさらしていた首筋に塩の水がしたたり落ちたとき、ぞっとするような心地よさを感じた。
一瞬、黒耀に首筋を噛まれる想像をした。まさか養い親が子にそんなことをするはずがないのに、それは実感を伴った未来の想像だった。
最近体のあちこちがそんな様子だった。噛まれたように、空気や水に触れるだけで反応する。喪失感に似た感覚にひどく落ち着かなくて、黒耀を探してしまう。
そんなことを願ってしまう自分は変で、名那は一生懸命他のことを考えようとしていた。
一人の女の子が足を投げ出しているのに気付いて、名那は声をかける。
「どうしたのかな?」
女の子は名那を見上げて無造作に言った。
「塩に漬けたお野菜なんておいしくない。砂糖漬けが食べたいの」
それは子どもたちにはよくある言葉だったのに、名那はすっと足元が遠くなっていくような感覚がしていた。
塩を取りすぎるのはよくないよ。黒耀はそう言って、異都で一般的な塩漬けをあまり名那に食べさせない。
でもお砂糖はぜいたくだもの。黒耀がよく勧める砂糖漬けの果物を名那が断ると、黒耀は楽しそうな笑みを浮かべた。
では、たっぷりお食べ。そうささやいた黒耀の甘い声音を思い出して、名那は意識を失っていた。
目が覚めると、黒耀に背負われて歩いていた。名那が目覚めたのに気付いたのか、黒耀は振り向いて問いかける。
「気分は? どこか痛いところは?」
心配そうな声は、幼いときから聞いていた響きと変わりない。
黒耀は昔から、過剰なほど名那の体を気遣った。名那が転んだだけで、抱き上げてどこも怪我がないか丹念に確認した。少し熱を出しただけで枕元から離れず、朝まで起きていた。
子どものときが終わる頃になって、黒耀が怖くなった。名那は黒耀と向き合うと、別の生き物になったような錯覚を覚えた。
「……なんでもない」
彼はお父さんで、お母さん。壊れゆくこの小さな世界で誰より私を守ってくれた人を、どうしてそんな風に思うのだろう?
心がさらさらと塩の木のように頼りないのを感じながら、名那は目を閉じた。