異都の四季はいびつで、収穫の秋の後に冬が来るわけではない。
 秋の後、坑道にはどこからか暖かくも冷たくもない霧が流れ込む。濃厚な白色をしていて光を通さず、灯りが役に立たない。人々は道に迷い、時には岩場で足を踏み外して命を落とす。
 けれど霧に惑い命を落とした者は、むしろ幸運だと言われた。異都の冬は厳しい。飢えと寒さで心身ともにやつれて最期を迎えるよりは、誰かに命の灯を吹き消されるように終わるのもそれほど悪くないと人々は言った。
 今年も霧が坑道に立ち込める時期になった。坑道の中は手を伸ばしてもその手の先が見えず、人々はめったなことで出歩くことはなくなった。
「こちらに行きたいか?」
 分かれ道で立ち止まった名那に、黒耀が訊ねる。
 去年まで、黒耀もまた霧が満ちる頃は名那を外に出すことはなかった。けれど今年は、必ず黒耀が手をつないでいるものの名那に自由に歩かせていた。
 名那はうつろな目で右の坑道を見やって、そちらに足を向ける。黒耀はそれを止めることなく、今日も二人は坑道を往く。
「……呼んでる」
 名那の言葉に黒耀は目を細めるだけで答えない。誰にと問い返すこともなく、名那が時々思い出したようにつぶやくままに任せた。
 名那は半刻ほどなら歩き続けられるようになった。水さえ自力で飲めなかった頃に比べればめざましい回復だった。
 名那は同じ道を何度も通り、しばしば来た道を引き返す。何かを探しているように目をこらすこともあれば、何かに怯えたように表情を強張らせることもある。
「名那」
 ふいに黒耀は名那の手を引いて引き寄せる。カラリと名那の足元の小石が転がって、見えなくなった。
 気づけば二人は崖の縁に立っていた。崖の下からは白い霧が湧き出て、化け物が吐息をこぼしているようだった。
 名那は崖の下に目をこらして、恐れと恋しさがないまぜになったような声で言う。
「姉さまたち」
 黒耀はうなずいて、名那と同じように霧の生まれる先を見やる。
「ここより下は、「黄泉(よみ)」というんだ」
 霧を頬に受けながら、黒耀は懐かしそうに話し始める。
「黄泉は私の兄たちが住んでいる。昔々から続く、世界の果てだよ」
 黒耀はつっと目を伏せて声を落とす。
「私の兄たちは欲深く、残酷でね。たびたび天の世界の女神を引きずり込む」
 見上げた名那の頬をなでて、黒耀は言う。
「決して振り向いてはもらえない女神たちにすがりつくのが幸せか、私にはわからないが」
 揺れた名那の目に気づいたのか、黒耀はほほえんで首を傾けた。
「けれど私は、名那に恋をしたことに後悔はない。地底に繋がれていた邪神の私が……こんな美しい子と、出口の見えない輪廻をさまよう」
 名那の額と自らの額を合わせて、黒耀は優しく話しかける。
「名那、天の世界が恋しいか?」
 黒耀は名那をみつめながら言う。
「私は化け物だが……出会ったときからお前に焦がれて焦がれて、今も狂っている」
 名那は涙をこぼして、黒耀に手を伸ばした。
 無言で黒耀の背に腕を回した名那を、黒耀はそっと抱きとめた。