人生は、儚い思い出で溢れている。一瞬一瞬の出来事が、思い出として残る。楽しい、嬉しい、悲しい、憎い、感情が刻む思い出は強力なものだ。忘れたくとも忘れられないもの、忘れたくなくとも忘れるもの。
思い出は、ほんの些細なことでも一人一人に大切なものとして記憶する――




鳥のさえずりが聞こえる。もう朝が来た。意識がある中で、私は目を開けずにいた。目を開けてしまうと、今日が始まるみたいでなんか嫌だった。でもさすがに、ずっと目を閉じている訳にはいかないので、とりあえず布団から出て顔を洗った。
「はぁ」
今日が始まったと思うと、ため息が自然と出てしまう。
私はもう当分学校には行っていない。行っても、何かに縛られている感じがして、なんだか耐えられなくなった。変な事を言っているのはさすがに高校生なので私でも分かっている。でも、私の中ではしょうがない事として許している。

私が幼い時に父が病死した。写真でしか顔を見た事がない。だから、父との思い出はない。母さんは父が死んでからおかしくなったらしい。四六時中酒を飲み、ブランド品を買い込んで、ついには精神もやられ、病院送りになった。それから入退院を繰り返している。病院側も困り果てていることだろう。今は退院しているが、どこかしらに行っていて夜遅く帰ってきたり、一日中帰ってこない時もある。
なぜ私が生活出来ているかというと、運良く近所に親戚が住んでおり、たまに家を訪ねて来てくれる。その時に、食べ物や生活用品を持ってきてくれる。本当にありがたい。ただ、それだけでは生活できないので、近くのコンビニでバイトをして生活費を稼いでいる。

夕方、家を出てある場所へ向かった。
「あ〜結美だぁ」
泥酔した友達が私に駆け寄った。
「ちょっと理奈飲みすぎ・・・」
呆れて私が言う。理奈のほかにも何人かいて、みんな酒を飲んだりタバコを吸ったりしている。
ここは、『どこでもない場所』だ。今でもない過去でもない、ただの空間。なのに、『ミライ』という名前が付いている。つくづく変な名前だなと思う。私が聞いた話だと、ここの空間に初めて来たのがミライという子供で、そのままその名前が付いたらしい。ここには、大人はいない。子供だけの空間。『ミライ』には、時間があるとよく行っている。行くと必ず誰かしらいる。『ミライ』へは色んな行き方がある。私の場合、家の近くの神社の鳥居を通る時に、『ミライへ』と強く思うと行くことが出来る。私は、中学生の時に初めてここへ来た。
ここにいる人たちはみんな、何かしらの悩みをかかえている。ガタイのいい楓太は、柔道をやっていて、周りの期待が大きすぎるあまりに、プレッシャーに耐えきれなくなった。背丈の低い夕花は、私と同じ不登校の子だ。理奈は少し複雑な事情がある。ここにいる子供たちはそれぞれ悩みを持っている。酒やタバコをやっているのはストレス発散のためだ。ダメなことというのは分かっているけれど、どうしようもなくなるときがあるために、そんなことをしている。
私は、『ミライ』の中心的存在であるらしい。だから、小さい子たちの相談をよく聞く。
「ねえねえ、結美ちゃん」
話しかけてきたのは、小学三年生の女の子、心菜ちゃん。彼女は、保健室登校の子だ。
「いつもね、給食を持ってきてくれる子に、いつでもいいから教室に来てみない?って言われたんだけど、どう思う?」
「うーん、心菜ちゃんはどうしたい?」
何も分からず口を挟むのではなく、その子がどう思っているのかを始めに聞くのが、私のやり方だ。私たちの間に少し沈黙が挟まった。
「その子がいるから教室には行ってみたいけど、やっぱりちょっと怖い・・・かな」
「怖いよね、分かるその気持ち。でもね、教室に行ってみたいと思うことって、凄いことなんだよ」
下を向いていた心菜ちゃんが顔を上げた。
「教室っていうのはね、家族でも親戚でもない、たまたま同い年の他人が箱の中に集まった空間。そこには、この場所みたいに色んな人がいる。その箱の中に自分から入るのは私たちにとってはすごく勇気がいる。だけど、私やその子みたいに、心菜ちゃんをちゃんと見てくれる人がいる。ほんのちょっとでいいから、勇気を出してみて――きっとその子や、他の子に対して、怖いという気持ちが薄れるよ」
優しい顔を意識しながら、心菜ちゃんに言った。学校に行ってない私が言うことでもないのは分かっている。
「うん、教室行ってみる! ありがとう結美ちゃん」
私は笑顔でうん、と頷いた。


何日か経って、心菜ちゃんがミライに来た。
「結美ちゃん、結美ちゃん。教室、楽しい!」
にこにこな顔をした心菜ちゃんが言った。
「そう、良かったね」
笑顔で私が言う。
「今日ね、ここに呼ばれた気がしたの。それでここに来たら、もうここに来られないような、変な感じがしたの」
「大丈夫、きっとまた来れるよ」
私は笑顔で嘘の仮面を被った。ここに呼ばれる子供はそれぞれ悩みがあるが、その悩みが解決するとここには来られなくなる。そして、本人のここでの記憶も、ここの子供たちのその子に対しての記憶も、全てなくしてしまう。その仕組みを知ったのは、私がここに来てすぐのことだった。だが不思議なことに、私だけは記憶が残ったままになる。なぜなのか、それは私にもよく分からない。
その日を境に、心菜ちゃんはミライからいなくなった。



ピピピッ――
目覚ましの音が静かな部屋に鳴り響いた。目覚ましを止めると、重い足取りで学校の準備をした。ほんとは行きたくもなかったが、単位がどうも危ないらしい。昨夜、担任から電話がかかって来た。
「行ってきます」
私しかいない家にそう言葉を口にする。学校まで足が重かった。教室の前で深呼吸をして、ドアを開けた。私を見て、みんなの動きが一瞬止まったが、何も気にしていないようにまた動き始めた。みんなのこそこそ話って案外聞こえるものだよね。
『え、来てるよ?笑』
『いつぶり?』
『なんで急に来たんだろ』
『単位やばいからとかじゃね?』
はぁ、と軽いため息をついた。みんな聞こえてますよ、と思いながら席についた。ありがたいことに、席替えをしたときに、先生が1番後ろの廊下から遠い方の端に席を置いてくれた。
席に着いて、重たい肩を落とした。隣の席は、男子だった。私の隣なんて、かわいそう。
「席つけー」
先生が入ってきた。私の方をちらっと見ると、にこっと微笑んだ。私は軽く頭を下げた。

「来たんだ」
肩がビクッと跳ねた。話しかけてきたのは隣の男子、有末健人だった。
「ごめんごめん、そんな驚かせるつもりは無かったんだけど。『照来結美』さんだよね」
そう、私の名前は照来結美(てらぎゆみ)だ。でも、私の名前を覚えている人がいるんだ、と驚いた。
「私の名前覚えてくれてるの」
「当たり前じゃん。クラスメイトなんだし」
そんなふとした言葉に喜びを覚えた。
その日の夜は、ミライへは行かなかった。

翌日も学校へ行った。当然、誰とも話さずに席に着いた。
「おはよう」
横を向くと、後から来た彼がこちらを向いていた。私に話しかけてくれるのは彼だけだ。でもなぜ私なんかに話しかけてくれるのだろうか。
「お、おはよう」
ぎこちなく言った。そしてすぐに、彼の周りに女子たちが集まった。
「ねぇ健人ー放課後カラオケ行こ!」
「無理」
「えぇ、じゃあ健人が行きたい所行こ〜」
「ずるい、うちも行く」
「うちも〜」
「ほかのやつ誘えば」
「健人じゃなきゃいや」
そんなやり取りを聞いていて、私には縁のない世界だと思う。行きたくても行けない、そんな世界だ。でもなんだか私と彼女たちへの彼の態度が違う気がする。
その後、先生が教室に入ってきて、女子たちは自分こ席に着いた。

「照来さん。あ、照来って呼んでいい? こっちの方が呼びやすいし」
うん、と軽く頷いた。
「照来って友達と遊んだりしてんの?」
「そんな風に見える?」
今の返答は冷たかっただろうか、間違えたかな。
「はは、ごめんこんなこと聞いて、じゃあ照来は外の世界にあんま触れないわけだ」
予想外の彼の反応にすごく驚いた。笑われるなんて思いもしなかった。今までみたいに突き放されると思った。みんなは普通に流すかもしれないが、少し特殊な環境で育った私はこんなささいなことにも慣れていない。

「なあ、ミライって知ってるか?」
『ミライ』という言葉に一瞬驚いたが、冷静を保った。
「当たり前でしょ」
「多分今思ってる未来のことじゃねーよ。ミライっていう場所があるらしい、知ってる?」
この一言で、私の動きも思考も一瞬止まった。なぜ悩みのなさそうな彼が知っているのか、そして、なぜ現実世界でミライのことが口に出るのか。
「知らない」
彼の言葉を否定するしかなかった。ミライへは、馴染みのない言い方だが、『空間』に呼ばれて行くことが出来る。そして、ミライから外に出ると、ミライでの記憶は一時的に失われる。また空間にいくと、そこでの記憶が復元される。なんとも不思議な構造だ。ただ、私はずっとミライでも記憶が残っているが、彼もミライのことを知っていた。
「やっぱ知らねーよなー」
彼がなぜ知っているのか分からないまま時間が過ぎていった。


その日の夕方、ミライへ行った。彼がミライに来ているのか確かめたかった。空間の中を歩いて探し回ったが、彼は見つけられない。ますます謎が深まった。
「結美ー、何してんの」
「ああ、理奈」
「ああって何よ〜」
彼女は頬をぷくっと膨らませた。急にはっと、彼のことを聞いてみようと思った。
「ねえ理奈、有末健人って人知ってる?」
「・・・有末、知らないなあ。ごめんね」
「ううん、ありがとう」
小さな希望が消えた気がした。ここに来ている人の名前はなんとなくだが、全員把握している。けれども私も、ここで『有末』という名前は聞いたことはない。
理奈と別れて、その日は家に帰ることにした。



学校へ行き始めて1ヶ月ほどが経った。周りは相変わらずだが、私は『有末』という男の子と気を遣わずに話せるまでになった。ただミライのことは1ヶ月前きりだ。気になるが、話を持っていくには、まだ勇気が足りなかった。
「どうよ、学校。1ヶ月経ったけど」
「まあ、そんな特に変わりなく」
「なあ、今度買い物に付き合ってよ」
「え、買い物? 私と?」
「今お前と話してるだろ、お前のほかに誰がいるってんだよ」
微笑みながら言われた言葉になんだか心をぎゅっと掴まれる感じがした。
「それはそうだけど、なんで私?」
「今度知り合いが誕生日でさ、ちょっと繋がりがある人なんだけど、その人女の人なんだよ。だから、女のお前に意見聞けたらなーと思って、どう?」
「いいけど、私の意見で大丈夫?」
「おう! じゃあ、日曜空いてる?」
「うん」
「じゃあ日曜の11時にあの神社な!」
買い物の約束をしてしまった。友達と出かけるのはいつぶりだろう、私で務まるのか、そんなことを思っていた。誕生日プレゼントなんて親戚からのお菓子やおもちゃをもらっていたころの記憶しかない。今頃の女の人がもらって嬉しいものってなんだろう。でも、不安な気持ちの奥に、少しだけ楽しみな気持ちがあった。


母のメイク道具を内緒で使って、メイク動画を見ながらメイクをした。なかなかの出来栄えだった。少しして、神社に向かった。ミライへと行ける鳥居があるあの神社だ。神社に彼がいるのが見えて、早歩きで向かった。
「おはよう、ごめん待った?」
「俺もさっき来たから大丈夫」
「それならよかった」
ふぅ、と肩を撫で下ろす
「お前、メイクとかするんだな。あ、ほら学校とかではあんまメイクしたとこ見たことないからさ」
「確かに、学校にはしていったことないね」
彼の『学校とか』という言葉には少し引っかかったがあまり気にせず、会話を弾ませながらショッピングモールへ向かった。
「プレゼントを渡す女の人って同級生?」
年齢層が分からないと、プレゼント探しに困るだろう。
「うーん、45歳くらいだったかな」
「親とか、親戚の人?」
45歳くらいと言ったら、私の母さんくらいの歳だろう。
「まぁ、そんなとこ」
彼の返答的に、母親ではないのだろう。
色んな店をまわって、気になって入った店で、シルバーのネックレスを買った。歩き疲れたので、近くのカフェで休憩する事にした。
「ふぅー、結構歩いたなー」
「プレゼント買えて良かったね」
「おう! ほんとありがとな」
感謝されることには慣れておらず、少し照れる。外の世界とあまり関わってこなかった私が、外側の人に感謝されることなんてしてないし、されなかった。だから素っ気なく返事をした。それにしても、おしゃれなカフェだ。
「こんなおしゃれなカフェ初めて来た」
「ほんとに!? 結構有名なカフェだよここ」
「あんまり外に出ないから」
『ミライ』にはよく行くけど、と自分の中でツッコミを入れる。
「じゃあ俺が第1号?」
「何の?」
「誰かと、このカフェ来るの」
「まぁ、そうだね」
「なんか嬉しい」
「何でよ」
嬉しい理由はよく分からなかったが、2人で笑いあった。
「これから俺がいっぱいお前の第1号になってやる」
彼が笑顔を向けて言った。満面の笑みの彼は、子犬のようで少し可愛さがあった。
「どういう意味よ」
彼の笑顔につられて私も笑顔をこぼした。
「えぇ、だから、お前が見た事ない世界を俺がたくさん見せてやるってことだよ」
彼の目が、私を真っ直ぐ見ていた。
「それは期待しとくね」
「おう、任せろ」
『見たことない世界を見せてやる』なんて、初めて言われた言葉で少し動揺している。そんなことを言ってくれるのは嬉しいが、なぜ彼はただのクラスメイトの私にそこまで構うのだろう。他の人と一緒にいた方が楽しいだろうに――



事態が変わったのは、それから二ヶ月後のことだった。学校は卒業まで行くと先生と約束した。
授業中、ドアが急に開いたと思ったら、息を切らした先生が教室を見渡した。目が合った途端、私のもとへ駆け寄ってきた。
「照来さん。お母さんが倒れて、病院に運ばれたそうよ。すぐ行きなさい」
先生が小声で言った。一瞬どきっとしたが、どうせまた飲みすぎとかだと思った。
「いえ、何回も運ばれているので、大丈夫だと思います」
「それがね運ばれたとき、心配停止の状態だったらしいの。家の近くで倒れていたそうよ」
心臓がまたどきっと鳴った。倒れることは度々あったが、心配停止は初めての状態だ。
「照来さんの家の事情は知っているけれど、それでも、あなたのお母さんに変わりはないのよ。早く行きなさい」
そう言われたら行くしかないじゃないか。
私は勢いよく、廊下を走った。


病院に着いて、母のところまで案内された。壁の向こうで、心肺蘇生が行われている。私は、椅子に座って祈ることしか出来なかった。30分ほど経って、医者が出てきた。
「母は大丈夫なんですか」
「はい。心拍は再開しました。照来さんの娘さんですか?」
軽く頷いた。
「お話があります」
そのまま診察室へと案内された。何か大事があるのだろうと覚悟した。
「娘さんには辛いと思いますが、単刀直入に言います。照来さんは、がんです。もってあと二ヶ月ほどだと思います」

・・・・・・え、?

「治すことは出来ないのですか」
「それが、もうすでにがんが移転しており、治療するのが難しいです。今まで普通に生活出来ていたのが不思議なくらいです」
「そ、うなんですか」
もってあと2ヶ月――その言葉が、私には重かった。世の中で見る母親としては、母親失格という言葉が似合うのだろう。実際、母親らしいことをされなかった。それでも、私の母親であることに変わりはない。そんな母さんに余命がついた。
「この場合だと、腰などに痛みが出るはずなのですが、痛がっている様子を見かけたことはありましたか?」
「特に、無かったです・・・」
そう言っときながら、ここ最近母さんと会っていなかったから、痛みが出ていることは知らなかった。
母さんは、都内の大きな病院へ移り、入院することになった。


翌日、学校側から休んで良いとの連絡が来た。また学校に行き始めたのは、一週間ほど経った頃だった。
「おぉ、一週間ぶりくらいだな」
席に着いたとき、彼が言った。
「うん、それくらい経ったね」
「照来、休んだ間でだいぶ痩せた?」
そう言われてみれば、だいぶ痩せた気がする。まあ母親に余命が付いたとなると、食べ物が喉を通らなくなる。
正直、休んでいる間に私がここまであの人のことを心配していることに驚いた。
「何かあったのか」
「なんもないよ」
「何でもなくないだろ。まぁ無理に聞こうとも思わないけど」
彼の優しさで、溢れ出しそうな涙をこらえる。
「言いたくなったらいつでも言えよ、聞くから」
「ありがとう」
言えるときはあるのかな――


その日、久しぶりにミライへ行った。
「結美! 久しぶり〜! え、ちょっと痩せすぎじゃない? 何かあったの?」
「理奈、久しぶり。何もないよ、ありがとう」
こんなにも心配してくれる友達がいるなんて、幸せ者だと思う。
「結美、来てくれ・・・」
何かあったのか、深刻そうな顔をした楓太が言った。
「ここ、見て」
「何、これ」
理奈と一緒に案内された先は、空間が一部無くなっていた。
「これ、どうしたの!?」
混乱している理奈が楓太に言った。
「俺も分からないんだよ。たまたまここに来たら見つけて・・・それに、最初に見つけた時よりでかくなってんだよ」
「このこと誰かに言った?」
「いや、結美と理奈にしか言ってない」
「ありがとう。これを見たら、多分みんな理奈みたいに混乱するだろうから、ここにあるもので隠しておこう」
二人は頷いて、近くに置いてあるものを集めて、覆うように重ねだした。ミライにはもともと、色んなものが置いてある。いつからあるのか、とか誰が持ってきたのかは私も知らない。

「よし、これで見えないな。でもなんでこんなものが急に?」
「なんでだろう、私にも分からない」
本当に、なぜこんなものが現れたのだろう。
「これ、でかくなり続けてるってことはこのまま置いてたら、この空間なくなるとかないよなさすがに…」
「え、そんなの嫌だよ!」
理奈が心配そうな顔をした。
「理奈落ち着いて、まだそうと決まったわけじゃないから」
理奈は落ち着きを取り戻した。
「そっか、そうだよね」


日が経つにつれて、空間に現れた穴は大きくなっていった。


「なあ今日ちょっと放課後話せない?」
彼からそんなことを言われて、これが世間で言う『告白』っていうやつかなと、少し期待した。
放課後になってみんなが帰った時に彼が口を開いた。
「今、ミライで何が起こってる? 照来がそこの中心格なのは知ってる。だから、何が起きているのか話してほしい」
予想の斜め上をいく話でとても驚き、目を見開いた。彼は、やはり現実世界でミライのことを知っていた。
「分かった。でもその代わり、誰にも言わないでね」
彼は頷いた。深呼吸をする。
「ミライに入って、少し先に行ったところに、空間が無い穴みたいなのがあるの・・・。それに、日が経つにつれて、大きくなってる」

「・・・やっぱりそうか」
1拍置いて私が口を開いた。
「やっぱりって、有末くん何か知ってるの?」
「知ってるっていうか、ちょっと色々あって・・・」
色々ってなにかを考える間もなく言う。
「何か知ってるんだったら教えて。私はみんなを、ミライを守る義務がある、お願い」
ここまで何かに熱くなったのは初めてだ。今は、普通の人になれている気がする。
「・・・分かったよ。でも話すと長くなるから椅子座ろう」
彼はそう言って、椅子に座った。私が続けて座ったことを確認して、話し始めた。
「1ヶ月前くらいに、照来にミライのこと聞いただろ? あれは、ある人から聞いたんだ」
「ある人?」
「うん。――お前の母親」
私は唖然とした。驚きすぎて、声も出なかった。なぜ彼が母さんと話しているのか、母さんはなぜミライのことを知っていたのか、聞きたいことが多すぎた。
「聞きたい事あるだろうけど、そのまま俺の話を聞いて」
彼は話を続けた。

「1ヶ月前くらいに、お前の母親、久美さんから話を聞いて、ミライに行って欲しいと頼まれた。それでその日の夜に、教えてもらった行き方でミライへ行ったんだ。照来の家の近くの神社から。ミライは、不思議な感じだったよ。それで、少し歩いたら照来が居たんだ。でも、話しかけずに俺は帰った。 久美さんが倒れて入院して、照来に会わないようにお見舞いに行った。衰弱してた久美さんがそこで言ったんだ『ミライが消えかけてる』って。ミライのことを知ってるって言わない約束だったけど、消えるって言われて、いても経ってもいられなくなって、それで聞いたんだ」
間があったので、話は終わったと思い、言った。
「聞きたいことが沢山あり過ぎるんだけど・・・」
「そうだろうね、とりあえず答えるよ」
たくさんある質問を何個かに選別するまで、少し時間がかかった。
「じゃあ・・・いつから母さんと知り合いなの?」
「いつだろ、照来が学校に来る少し前くらいかな」
質問の答えの掛け合いがしばらく続いた。
「じゃあ、母さんはなんでミライのことを知ってたの――」
「それは・・・」
彼は息を飲んで、私の目を見て言った。
「それは、久美さんが作りだした空間だからだよ」
数多くの質問をして、これが一番驚く内容だった。
「ど、どういうこと?」
「久美さんが、『ミライは、結美のために作ったもの』と言っていた」
「私のため、?」
私の母親がそんなことをするはずがないと思って、とっさに声が出た。
「久美さんは、親父さんが死んで、照来を1人で育てる自信が持てなくて、悩んで悩んで時間が経って、どうにもならない身体になった。家に帰っていなかったのは、経った年月が長すぎて、結美に合わせる顔がない、そう言っていた。ミライがいつ出来たのかはよく分からないけど、久美さんの強い思いが作り出した空間だった。私の人生とは違って、結美の未来が良いようであるように、そう願って付けたのが『ミライ』だそうだよ」

「・・・母親失格なんかじゃないじゃん」

母さんがそんなことを思ってくれていると知って、母親失格とか言っていたことに馬鹿馬鹿しくなって、涙が溢れた。でも、そこで私は気づいた。ミライが消えかけているっていうことは――

「死へのタイムリミット・・・?」

「タイムリミット?」
急に放った言葉に彼が聞き返した。
「ミライが消えかけているってことは、母さんがだんだん死期に近づいてるってこと・・・?」
「そう、なるね」
母さん、ミライを失うわけにはいかない。
「私、お医者さんともう一度話してくる!」
思いっきり走り出そうとした時、私を止める声がした。
「待って! 最後まで話を聞いて」
まだ何か話があるのかと思うと、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「照来なら、救えるよ。でも・・・救えるのは、久美さんか、ミライのどっちかだ」

そんな、そんな残酷なこと、あるのだろうか。両方救いたい、救ってみせる、なんて考えは傲慢だったのだろうか。――それでも、救いたい。
「久美さんのところへ行って、決めると良いよ・・・」
「うん、色々ありがとね」
そう言って、教室を飛び出した。でも、病院までの道のりは、足が重かった。


母さんの病室のドアを思いっきり開けた。そこには、弱々しい母さんの姿があった。
「結美・・・」
久しぶりに聞く母さんの声は、とても細かった。
「母さん、久しぶりだね」
溢れてきそうな涙を堪えるのに必死で、声が微かに震えた。先に涙が溢れたのは、母さんだった。

「結美・・・ごめん、ごめんなさい、本当にどうしようもない母親だよね、母親らしいこと何も出来なかった、してあげられなかった、怒ることも、話をすることも、どこかへ出かけることも、愛することも、本当に、本当にごめんなさい」

涙を流しながら、か細い声で言う母さんの言葉に、堪えていた涙が溢れだした。

「結美は、大切な人が出来たら、たくさん愛してあげてね。お願い、私に似ないで・・・」

下を向いた母さんに感情が溢れた。
「無理だよ…。だって、親子なんだもん」
ゆっくり顔を上げた母さんに続けて言った。
「確かに、母さんは母親らしいことしてない、されてない! 憎かった、辛かった。なんで母さんの子供なんだろうって・・・。死ぬことも考えた。それでも、死ねなかった。全部が全部憎めなかった。もし死んだら、母さん悲しむかなとか、もしかしたら母さんが私を追って死ぬんじゃないかとか、何をするにも無意識のうちに、母さんのことを考えてるんだよ・・・。どこかに、母さんを信じようとしてた自分がいた。少しでも愛してくれているんじゃないかって――」
目をまん丸と開いて聞いていた母さんに、思っていたことを全部放った。私の話を追うように、母さんが話始めた。
「直接は出来なかったけど、ちゃんと結美のことを愛してた。愛を伝えられなくて、あげられなくて、ごめんなさい・・・」
母さんの涙が1層溢れ出した。
「そんなに謝らないでよ・・・もう分かったから・・・」
2人で、今まで一緒に流せなかった分の涙をたくさん流した。

しばらくして、落ち着いてからあのことを話した。
「ねえ、ミライって母さんが作ったの?」
母さんは優しい声で答えた。
「そうよ、お父さんが死んだ2,3ヶ月経ってできた場所よ」
「私は母さんの娘だから現実世界でもミライの記憶があるの?」
母さんは、ええ、と答えた。私だけが残る記憶の疑問が解けた。
「じゃあ、ミライがどんな場所とか、今の状況とか分かるの?」
「もちろん。私のせいだけど、『あなたのような人』が集まることが出来る場所。でも今、私の死期が近づいているせいで、ミライが消えかけている」
交わす会話は独特だが、この17年間で話せなかった分、たくさん話せた気がした。
「そして今、私を救うかミライを守るか悩んでいる」
少しの笑みを見せて言った。
「え、そのこと、知ってたの・・・?」
「ミライを作ったのは私よ? ミライのことは何でも知ってるわ」
母さんが笑顔で言うので、ミライは母さんにとっても大切な場所なんだなと思った。
「でも、私どうやって救うのか分からない」

「私が死ぬ時に分かるわ、それにどこかでお父さんが見守ってくれているから大丈夫よ」

この言葉の意味を理解できたのは、それからすぐのことだった。


その日も、病院へ向かっていた。途中、2つのボタンが私の前に現れた。1つには『ミライ』、もう1つには『久美』と、そのボタンの下にタイムリミットが記されていた。それらが何を示しているのか、理解できるまでそう時間はかからなかった。
残り、1時間――
ひと通り目を通すと、カウントダウンが始まった。私は走って病院へ向かった。病室に入ると、母さんが、窓の外を見ていた。

「来たのね。ボタンは、見えた?」
うん、と軽く頷いた。
「そう、まあ座って」
言われるがまま、病床の横にある椅子に腰掛けた。
「あなたはどうしたい?」
私は・・・
「私は、母さんを助けたい」
母さんは、見たことのないほどの優しい顔をした。
「ありがとう、とっても嬉しい。結美、1つお願いをしてもいい?」
「うん、いいよ」

「ミライを・・・救ってほしいの」

これが私に対しての、初めてのお願いだった。
「え・・・私は、母さんを助けたい! 今まで過ごせなかった分も、これからも、一緒に過ごしたい」
精一杯の思いで言った。
「私の、最初で最後のお願い、叶えて。私は、母親らしいことをあなたにしてあげられなかったせいで、あなたの今までの人生を、良い思いにしてあげられなかった。あなたのような、そんな子たちの居場所を、守ってほしい。これが、母親として最後の、唯一の役割だと思うの」
母さんがベッドに横たわった。
「あなたには、最後までたくさん迷惑をかけてしまうわね」
母さんの手が、私の頬に触れた。

「――結美、愛してる」

その時、ピーピーピーという音が病室いっぱいに響き渡った。すぐにナースコールを押した。
「母さん! 母さん!」
つかんだ肩は、とても細かった。
「分かった、分かったから! これから、色んなこと話そうよ、もう少し、一緒に生きていようよ・・・」

目から溢れ出す涙を拭った。これだけは笑顔で言わなきゃ。

「母さん、愛してる」

母さんの顔に、少しだけ笑みが生まれた気がした。
今までで、1番優しい表情だった。


タイムリミットが0を刻む前に、私はボタンを押した。
『ミライ』のボタンを――――

笑顔で言った。
「母さん、見ててね。母さんが守ろうとしたミライを、私が最後まで守り通すよ」


母さんの葬式が終わって、病室を整理していた時に、棚の引き出しから、シルバーのネックレスが出てきた。
今思えば、彼が言っていた45歳くらいのプレゼントの相手って、母さんだったんだな・・・




高校生活も、終わりを迎えた。
あっという間に卒業式が終わり、少しだけ悲しさを覚えた。

「照来」
私を呼ぶ声がした。振り返ると、彼がいた。
「有末くん」
「結美、卒業おめでとう」
お互い笑顔をみせた。
・・・? 今呼び捨てで呼ばれた気がした。まあ、気のせいだろう。
「大きくなったな」
「あ、有末くん、急にどうしたの?」
なんか、違和感があった。
「お前の母さんが付けたミライの名前の由来は、意味がもう1つあるんだ」

いつもの彼の話し方じゃない。

「名前だ」
訳が分からなかった。何のことをいっているのか、理解が追いつかなかった。
「何、言ってるの?」
「あれ、母さんから聞いてるはずなだけどな」
すぐには分からなかったが、母さんから聞いていたことって――

「お、とう、さん?」

彼は笑顔で、
「はい、お父さんです」
と言った。

・・・・・・。

「怖い怖い怖い」
怖いしか言葉が出てこなかった。父は、病死したはず・・・
「そんな離れないでよ、大きい声で話せる内容じゃないだろ」
彼、父が言った。
「なんで、え、生きてるの?」
なんて言おうか考えている様子だった。そんなに難しいことなのか。
「んーと、死んでるは死んでる。けど、こいつにたまに憑依してる感じかな」
「よく分からないんだけど、そんなこと出来るの?」
話に頭が追いつかない。
「できちゃった!」
父は笑顔で、両手ピースをした。できちゃった、だと余計分からなくなる。
「でも、それができるのも今日までだ。結美が卒業までっていう契りがあるんだ」

「そう、なんだ。え、だったら『見たことない世界を俺が見せてやる!』ってやつ、お父さんが言ったの!?」
「えーあいつそんなこと言ったんだ」
ニタァとした顔で言ってきた。父は、そのセリフを知らないように見えた。
「まあ、その時は『彼』だったんだろうよ。彼には、俺の情報を少し残した。少しっつても、彼に影響が出ないように『ミライ』と『有末』の情報くらいしか残してないんだけど」

なんとなく分かった気がする。
「じゃあ、彼は彼で、そこにお父さんがたまに憑依していて、出かけたりしたのは彼だけど、母さんに関することは全部お父さんと話してたってこと?」
「正解」
彼がたまに変なことを言っていたのは、そういうことだった。
「でも、名前はどういうこと?」
「ああ、それは、俺の名前が照来で、母さんの旧姓が有末なんだ。だから、『ミライ』はそれぞれの漢字を取った『未来』ということでもあったんだ。まぁ、本命は、母さんの想いなんだがな。彼には、『有末』の情報を残していたから彼の名前が、有末なんだ」
私たちは、ちゃんと家族だったことを実感して、嬉しかった。
「結美と話せるのは、もうこれで最後だ。お前を1人残していくこと、本当に悪いと思ってる。俺たち家族の大切なミライを守ってくれ。改めて、卒業おめでとう」
私はもう泣かない。深く息を吸って言う。
「うん、そっちの世界で、母さんと見守っていてね。仲良くするんだよ?」
「もちろんだよ。ありがとう」
そう言って、彼の中から父がいなくなった気がした。

「おう照来。え、お前なんで涙目にして笑ってんだよ。卒業するのが悲しいのか?」
彼が戻ってきた。いつもの彼の話し方だ。
「色々悲しいけど、大丈夫。私なら、大丈夫」
彼の目を見て、笑顔で言った。
「そうかそうか、それなら大丈夫だ。よし、そろそろ行こうか」
うん、と頷いた。
「あ、照来。卒業おめでとう」
「有末くんもね」
卒業したら、彼とこうやって普通の会話ができなくなるのは、少し寂しいな。



「母さん、お父さん、来たよ」
少し山を歩いた、街を一望できる場所に、父と母さんが隣で眠っている。
卒業式でつけたスイートピーを父と母さんの墓の前に置く。
「母さんも、お父さんもお別れだね。でも、ちゃんと見ててね、絶対だよ!」
優しい風が、私の髪をなびかせ、シルバーのネックレスが、明るく輝いた。


――――スイートピーの花言葉は、『優しい思い出』