対峙するシアンさんとリンダ先輩。お互いに抜き身の刃を手にしての睨み合いは、明らかに殺し合いの予兆を感じさせる。
たしかに僕やサクラさんなら、たとえどちらかの武器がどちらかの命を奪うその寸前になったところからでも、問題なく無力化して強制終了させられるけどー……
「……やっぱり危険すぎないかなー、無茶だよー。危機的状況で限界突破を見込むのは分かるけど、相手はモンスターじゃなくて人間なんだよー?」
「敵として得物抜いて来てる以上そんなもん、人もモンスターも同じでござろー? いい感じに因縁があっていい感じに負けたくない、そしていい感じにぶっ殺しちゃっても問題ないアホがのこのこ現れたんでござるから、こりゃ千載一遇でござるよ」
「ぶっ殺すのは問題あるよー……!」
サクラさんと密着して、小声でヒソヒソと話し合う。こんな状況じゃなきゃめちゃくちゃ嬉しくて舞い上がるんだけど、こんな状況だからねー。
そしてもはや完全に、リンダ先輩のことをシアンさんが壁を超えるための踏み台として認識してるんだけどこの人。仮にも第一総合学園剣術科目の特別講師でしょうに、そんな軽々しく生徒相手にぶっ殺しちゃってもーなんて言わないでよー。
もはやワカバ姉にも匹敵するヒノモトスピリッツを剥き出しにしてるやばーいサクラさんは、次いで僕の肩を叩いてシアンさんのほうを指差す。
いつ始まるかも知れない戦闘に、緊張を極限まで高めた凛とした姿だ。それを呑気なノリでにこやかに示して彼女は言う。
「何よりシアンがやる気満々でござる。杭打ち殿をコケにされてよほどトサカにきてるでござるねー。このこの、愛されてるでござるなぁ!」
「えっほんとー!? い、今なら告白したらいけるかなー!?」
「食いつき早っ。さすがにそれは無理でござるよー。特別に想っているのは間違いないでござろうが、色恋沙汰にうつつを抜かしてる時期じゃないでござるしー」
「がくー」
知ってた! 愛されてるって言われて思わず舞い上がっちゃったけど知ってたよー!
シアンさんは新世界旅団の団長として、発足するまでに十分な実力をつけなきゃいけないものねー。そりゃ告るとか告らないとか以前に、忙しすぎるよねー。
でもちょっとガックリ……ではなく! シアンさんを見ればたしかにやる気満々って感じで、本気で怒ってるからかカリスマが暴発して威圧の形でリンダ先輩と取り巻き達を襲ってるよ。
後ろの二人はもちろんのこと、剣術部の部長さんな先輩までもが思わず気圧されるほどのプレッシャーだ。うん、やっぱりシアンさんの一番の強みだねー、あのカリスマは。あれ一つで多少実力が低かろうが余裕でお釣りが来ると思う。
「あそこまでやる気なんでござるから、少しは発散させてやらないと溜め込む一方でそれこそ酷にござるよ。ストレス過多で倒れるシアンを見たいでござるか?」
「いやまあ、それは嫌だけど……うーん。不安だなあ」
「かくいう杭打ち殿は案外、過保護でござるなあ」
けらけら笑うサクラさん。さすがにそっちが過激すぎるんだと思うよー。
さておき、たしかに今すぐ戦いを止めたらシアンさんが不完全燃焼感を抱いちゃいそうなところはあるね。冒険者としての事実上の第一歩目をそんな感じに終わらせるのは、ちょっと不憫だと僕も思う。
なるべく悔いの残らない形で決着がつきそうなタイミングで、止めに入るかなー……レリエさんが一心不乱に見守るのを隣で見つつ、僕とサクラさんも向き合う二人を見る。
カリスマからくる威圧にもそろそろ慣れてきたか、リンダ先輩が大きく吠えた!
「貴族が、何が新世界旅団だっ! ──お遊びで冒険者をやるなぁーっ!!」
「ッ……!!」
気迫の籠もった叫び。あるいは憎悪さえ感じる声とともに、彼女はシアンさんへと飛びかかった!
大層なことを言うだけはあり、力強い踏み込みからの加速がスムーズで、あっという間に距離を詰める。
そうして接近して振り下ろす一撃必殺の太刀、脳天袈裟懸けの大斬撃。力まかせの粗雑な振るい方だけど狙いはしっかりしているあたり、よっぽど慣れたムーヴなんだろう。体に染み付いた基本動作になってるってことだねー。
「覚悟っ!!」
「なんの……!!」
剛撃をブロードソードで受けようと防御の構えをして──あまりの勢いに押し負けるととっさに判断したのか、シアンさんの剣筋が変化した。
横一文字にしていた自身の武器に角度をつけ、ヒットした瞬間に横滑りさせることで斬撃の軌道を反らしにかかったのだ。力ある攻撃ほどこの手の誘導には弱い、本命な分いなされちゃうと致命的な隙を生むからね。
ガキィン!! と金属同士のぶつかる音が火花を散らして轟く。一撃目、仕掛ける先輩と受けるシアンさん!
案の定やはりというべきか、凄まじい勢いと込められた膂力、気迫そのものの太刀筋にブロードソードでは太刀打ちできないみたいだった。弾かれそうになりつつもどうにか軌道が逸らされる。
とっさに角度をずらしていなす判断をしたのは正解だったねー。まともに受けてたらそこで終わってたよー。
「ううっ!?」
「くっ……隙あり!」
力を込めての斬撃があらぬ方向に流され、リンダ先輩の首筋から胸元にかけてががら空きになる。
絶好の攻め時だ──同じく思ったのか、シアンさんが一気に剣を振るう。先程とは逆に、先輩の隙を突く斬撃を放ったのだ!
攻撃を逸して生まれた隙に放たれる、シアンさんの斬撃。
大斬撃の直後でかつ、いなされてしまったゆえにリンダ先輩の動きは完全に止まっている。すなわちタイミング的にはバッチリカウンターじみた絶好の攻撃だ!
「っ……まだまだぁっ!!」
「!?」
「へえ」
しかしリンダ先輩もなかなかに良い動きを見せた。咄嗟に身体を横に飛んで攻撃を回避。シアンさんから一旦距離を置き、またしても構える。
普通なら横に飛んだ時点で地面に転がるものだけど、今ほとんど曲芸みたいな動きでバランスを維持したねー。刀の切っ先を地面に刺し、それを基点に身体をひねりにひねらせ回転させて、無理くり体勢を整えたんだ。
そしてまた、飛び込んで上段からの大斬撃を放つ!
「チェィサァァァァァァッ!!」
「くっ! こ、の……!!」
常に一撃必殺狙いの、後先なんて関係ない自爆めいた突撃。リンダ先輩、ここまで猪突猛進な戦い方をするのか……
今度はブロードソードを両手で構えて斬撃を防ぐシアンさん。ヒットの瞬間に体を逸してやはり攻撃を逸らすも、またリンダ先輩は飛び跳ねて離脱。刀の切っ先を床に軽く突き刺してそこを軸にグルグル回って体勢を整える。
まるでサーカスの曲芸だ。
無駄に回りすぎだからそこは明確に未熟だと言えるけど、それでもかなり高度な技術を使用していることに、僕は息を呑んだ。
武器を支柱にしてムービングの一助にする。これは僕やサクラさんもちょくちょくやる動きの、基礎中の基礎みたいな技だ。
リンダ先輩もやってること自体は同じなわけで、つまりSランク相当の冒険者の技術の一端に手をかけているってことになる。
さすが剣術部部長ってことだろうね、並の人じゃあなかなかできないよこんなことー。そもそも努力以前に、素質がないとできない類の技術だし。
サクラさんも今のには微かに感心の吐息を漏らしてるね。
「ほー……やるでござるなあのアホも。素質自体は方向は違えどシアンにも匹敵するってわけでござるか」
「思い切りの良い斬撃を連発できるのも頷けるねー。外れたとしても適当に飛んで回避すれば、すぐさま体勢を整えて反撃できる、と。まあ、動きそのものは全然未熟だけど」
「拙者なら刀の周りでグルグルしてる時点で殺してるでござるね。杭打ち殿なら?」
「そもそもあんな大斬撃自体させないかな、悪いけど」
初撃に備えて構え出す、その前に接近して肝臓あたりでもぶち抜いて終わりだよー。あんな悠長な動きにつきあってもあげられないし。
攻撃や体捌きの速度で言えばシアンさんも十分、それに近い先手を打てるはずなんだけどねー。彼女を見ると足がガクガク震え、息を荒くしている。
「っ……はあ、はあ、くぅっ……!」
「シアン!?」
朝から校庭を30周全力で走り、数時間サクラさん相手に打ち込み修行して。ついさっきまでモンスター相手に一人で特訓を重ねて、そして今ではリンダ先輩の大斬撃を幾度となくいなしている。
すでにシアンさんの体力は限界だ、だから言わんこっちゃないって話なんだけど……裏腹に彼女の顔は闘志に満ちている。目に光があり、全然まだやるぞという気迫を湛えてるねー。
レリエさんが思わず駆け寄ろうとするも、シアンさんの眼光とリンダ先輩の殺気に阻まれて近づけないでいる。それで正解だよ、万一彼女が巻き込まれるとなったら僕は一も二もなく止めにかかるよ。
唇を噛みしめる彼女がこちらに戻ってくるのを、軽く肩を叩いて慰める。一方でサクラさんの、なんともヒノモト人らしい楽しげな声が響いた。
「ここに来て体力が底をついたでござるな。ここからここからーでござるー」
「気楽に言うね、ホント」
「サクラ、本当に大丈夫なの……? もう戦えそうにないとしか私には見えないけど」
むしろここからが本番だと囃すサクラさんに、僕は呆れてレリエさんは心配から質問を投げかける。
シアンさんは誰がどこからどう見てももう限界だ。体力を使い果たして気力だけで立っているに近い。反面リンダ先輩は依然健在のまま、殺気を剥き出しにまたしても大斬撃の構えに移行している。
下手すると次で決まってしまうかもね、シアンさんの負けって形で。
案じる僕らをしかし、笑い飛ばすようにサクラさんが豪快に言った。
「貴殿らシアンを、いいや追い詰められた人間の恐ろしさを知らぬでござる。ここからが正念場なんでござるよ、シアンはもちろんあそこのアホにとっても」
「…………」
本当かなー? やけに自信たっぷりって感じだけどなんとも僕には言いにくい。追い詰められたこともあまりないし、追い詰めた人間のやることなんてこれまでしょうもない苦し紛れの反撃しか見てこなかったからねー。
でもここまで言うからには何か、何かがあるのだろう。さしあたりレリエさんと二人、信じて待つのみだ。
どうあれ体力的にはシアンさんは、次に打てる一手が最後ってところだろう。それ以上は精神論とかではどうにもできない、物理的に無理な話になってくる。
対するリンダ先輩は全然体力を消費しているわけでもない。まあいつものスタイルで戦っているんだとしたら当然だよね。
斬り掛かって跳ねてグルグル踊ってるの繰り返しで激しく身体を動かすわけだから少しは疲れたりしないかなー? と期待を持ってみたものの、息一つ切らしてないから参るねー。
レリエさんが歯噛みして呻いた。
「もう勝負は歴然じゃないの……! これ以上はシアンが危ないわよ!?」
「ま、次の打ち合いが最後ってところでござるかね。起死回生できなければシアンの負け、それ以外だとアホの勝ちと。分かりやすいでござるねー」
「サクラ! あんな子に負けちゃうなんてヤバいわよ、どうするの!?」
飄々と軽く喋るサクラさんにも噛みつく、レリエさんは祈るようにシアンさんの無事を祈っているものの、勝利については諦めているみたいだ。
僕も正直、これもう無理じゃない? って気はしている。例えシアンさんの起死回生の何か一手が炸裂したとして、それだけでリンダ先輩が戦闘不能に陥るとも思えないんだよね。
まあサクラさん的には、とにかくギリギリの状況の中で死線を越え、壁を超えてほしいんだろうけど……見てるこっちはひたすらハラハラするよー。
「うーん……本当ならもう止めたいところだけどー……シアンさんの目が、あと一撃だけって言ってるもんなー……」
「それにシアンにも意地ってもんがあるでござる。団長として、団員をああも愚弄されたでは黙って済ませられないのは当然のこと。その心意気も汲んでやってほしいでござるよ、あと一撃だけ」
「あと、一撃……」
ゴクリとつばを飲み、心配そうにシアンさんを見るレリエさん。僕もそれに倣い、彼女を見守る。
力はまだ拙くても、団長としての責任を果たそうとしてくれているんだ。今回で言えばあらぬ罪を着せられて弾劾されかけている、僕のために。
本当、レイアとよく似てるよ……彼女も団員に危害が及ぼされたら、誰よりも率先して立ち向かっていってたなー。
カリスマある人物ってのは、やっぱり似通うところがあるのかもしれないねー。
息も絶え絶えになって、それでも構えるシアンさんをリンダ先輩が冷たく見据えた。
そして鼻で笑い、嘲るように言葉を投げつける。
「どうした生徒会長、文武両道ではなかったのか? 冒険者を輩出してきた貴族の家系ではなかったのか? ええ?」
「くっ……!」
「貴族が遊び半分で、誇り高い冒険者の真似事をしているからこうなる。真の戦士、真の冒険者の前にはお遊戯なのだ! 貴様も、貴様のパーティーとやらも!」
「…………っ!!」
シアンさんのすべてを侮辱する言葉。真の戦士、真の冒険者とやらなら到底言わないだろう聞くに堪えない罵詈雑言の数々に、シアンさんが怒りに震えてブロードソードを握る手に力を込めた。
しかしやけに、貴族だっていうところをあげつらうね……僕のスラム出身なのもしつこく嫌ってるし、平民以外が冒険者をやることに否定的なんだろうか?
って言っても冒険者なんて、身分の関係なしにただ冒険を志ざせばいつでもどこでも誰でもなれるものってのが大原則だしなあ。
なんとなくコンプレックスめいたものを感じて首を傾げているうちに、リンダ先輩の言葉の刃は今度、こちらを向いてきた。
憎悪に染まる瞳で僕らを睨み、告げる。
「貴様を潰せば次は杭打ちだ! エセ調査戦隊のゴミに天誅を下し、オーランドを救出する! ヒノモト女もついでに叩き切ってくれるわ、偉そうに冒険者を語る悪女め!!」
「おめーじゃ無理でござる」
「最短で5年鍛えて、やっとこ一撃入れられるかどうかってとこかなー」
出来もしないことを吠える先輩にサクラさんがバッサリ。素質があろうが現時点で僕らを仕留めるなんて無理なもんは無理なので、僕としても具体的な長期展望をつぶやく程度に留める。
まあ小声なんで聞こえてないみたいだ、それ以前に極度に興奮してるみたいだしね。カッカしすぎだよー、これオーランドくんも苦労したのかなー、ちょっと同情ー。
「私は……負けない」
と、シアンさんが息を整えつつつぶやいた。相変わらず活きた目が爛々と輝き、リンダ先輩をまっすぐに見る。
放たれる威圧は勢いを弱めるどころかむしろ強さを増し、近くを通りかかったモンスター達が慌てて逃げ出すほどだ。危機的状況にあって、秘められた才能が今まさに開花しつつあるようにすら思える。
これを見込んでいたのかと、サクラさんの慧眼に感心するよー。でもやり方は行き当たりばったりで無茶苦茶すぎるから、二度目はさせたりしないけどねー。
ともあれ壁を超えつつある彼女が、気炎を吐いた。
「負けるわけには、いかない……! 私の夢、野望、そして大切な仲間達……! そのすべてをかけたこの戦いで、負けてなんていられるものかっ!!」
「いいやもう負けだっ!! この一撃でーっ!!」
リンダ先輩の、勝利を確信した咆哮。同時に再び突進を始め、大斬撃が繰り出される。
これを逸らすだけの体力がもう、シアンさんにはあるのかどうか……あったとしてもその後に何かしら手を打てなければジリ貧だ、どうあれ勝ち目はない。
どうする!?
「私は負けない、私は勝つ……お前に、絶対に勝つっ!!」
強く叫び意志を示す。
シアン・フォン・エーデルライトの最初の試練が今、訪れていた。
シアンさんにとって、冒険者としての一番最初の難敵。それがリンダ先輩だったことは果たして喜ぶべきことなのか哀しむべきことなのかは僕にはもう、判断できない。
ただ現実の話として今、まさしくリンダ先輩の大斬撃を最後の力を振り絞って打ち破ろうとする、彼女を応援しなくてはならない局面であることは間違いなかった。
「キェェェアァァァァァァッ!!」
「…………ッ!!」
猿叫──ヒノモトの剣術の一派で用いられるという、まさしく猿にも似た雄叫びをあげてリンダ先輩が突進する。その勢い、速度はこれまでよりもなお一段と早い。
ここに来てトップスピードで来たかー!
「シアンッ!!」
「思い出すでござる、シアン! 冒険者に一番必要なものを!!」
「…………」
レリエさんとサクラさんの声を受け、シアンさんがまっすぐに構える。その瞳はなおも内なる焔に煌めき、最後までチャンスは逃すまいという闘志で溢れている。
冒険者に一番必要なもの……そうだ、それだよー。今のシアンさんがリンダ先輩に勝てるとしたら、その差でしかない。逆に言えば、そこで上回れば、あるいは!
「……団長、行け! 今があなたの最初の冒険だ!!」
「っ──ぁ、ああああああっ!!」
「!?」
僕からの声をも受けて、シアンさんはついに行動に出た──勢いよく、前のめりに突撃する。
リンダ先輩の上段に対して、極めて低空姿勢で駆け出したのだ! 大斬撃を前になお恐れない、勇気ある突進!
これだ! この勇気こそ、彼女がたった一つ撃てる最後の一撃!!
「何ッ!? くうっ!?」
振り下ろす前に接近されて、リンダ先輩の目論見が完全に外れた! 咄嗟にブレーキをかけて横に飛び退こうとするももう遅い、そこはシアンさんの反撃圏内だ!
「おおおおおおっ!!」
「っ、貴様、エーデルライトッ!?」
左手で、飛び跳ねようとする先輩の服を掴み引き寄せる。バランスを崩して今度こそ倒れ込む彼女の、顔めがけてブロードソードが突きつけられる!
しかしリンダ先輩も黙ってやられはしない、咄嗟に体を回転させて左手を弾き、土壇場で剣を回避。カウンターで刀を、横薙ぎに放とうとして────
「甘いっ!!」
「ウグッ!? ────か、ハァッ!?」
それさえ読んでいたシアンさんが、足を引っ掛けてリンダ先輩を足元から崩した。回転の軸となった右足を刈り取られれば、あっけないほどにこけて地面に倒れ込む。衝撃に刀さえ手からこぼれ落ちて、完全に無防備な状態だ。
あとはもう終わりだね。ブロードソードの切っ先を今度こそ先輩の眼前に突きつけて…………勝者は、高らかに叫んだ。
「私の勝ちだ……リンダ・ガル!!」
「な、ぁ…………」
呆然とした決着。敗者たるリンダ先輩は、今何が起きたのかまるで理解できない様子だ。
それでも目の前の剣が、少しでも動けば次の瞬間自分は死ぬということは理解していて動けない。身動きを封じられた以上、これは紛れもなく勝敗が決まったと言えた。
「せ、先輩……!?」
「会長、そんな……そんな……!!」
後ろで生徒会の二人が唖然とつぶやくのも遠く聞こえる。僕も今、感動にも近い安堵が胸いっぱいに広がっていた。
勝ち負けがどうのより、まずはシアンさんが無事だったことが何より喜ばしいよー。そして、彼女が一つの壁を乗り越えたこともね。
サクラさんがホッと息を吐きつつ、満面の笑みで言う。
「やり遂げたでござるな……今まさに、シアンは冒険者に最も必要なもの、勇気を手にしたでござる」
「勇気……?」
高らかにシアンさんが得たもの、見出した新たな境地を語る。僕も頷いて同意すると、レリエさんが首を傾げて疑問符を頭に浮かべていた。
勇気。言葉にすれば簡単なそれは、けれど真の意味で体得するのはひどく難しい。何をもって勇気とするのか、その判断基準が曖昧だってこともあるしね。
ただ、今回の場合で言う勇気とは至って単純な定義ではある。冒険者にとっての勇気、という意味ならとてもシンプルなものだからねー。
「たとえ死地にあっても前に踏み込み、僅かな希望にすべてをかける心持ち。言うは易く行うは難しの典型でござってなこれ、実際にできるかどうかって話だと案外、難しいことなんでござるよね」
「……そうだね。今の踏み込みだって、同じことができる冒険者がどれだけいることか」
視線を前に、怯むことなく前に進める精神性。眼の前に広がる未知に怖がることなく、道なき道を歩いていける信念。それこそが僕達冒険者にとっての"勇気"なんだ。
そしてそれを今、シアンさんは見事なまでに示して見せてくれた。リンダ先輩の一撃必殺の大斬撃に、あえて突進することでね。
振り下ろされる前に極端に密接して攻撃を封じつつ牽制と攻撃に転ずる──理屈通りで言えばこれ以上ない大斬撃対策だ。すさまじいスピードで馬鹿げた威力の斬撃を繰り出してくる敵に、正面から挑める度胸があればね。
普通の冒険者はなかなか、そこまでの度胸は持てないだろう。無謀と紙一重だもの、気持ちはわかる。
けどそれを思いつき、実際に行動に移せる者にこそ未知なる景色が広がっているんじゃないかと思うんだよねー。勇気こそが冒険者の道行きを照らす、一筋の光なのだから。
そういう意味で今回、シアンさんはそれこそ真の冒険者としての第一歩を踏み出せたんだと思うよー。
「ぐ、ぅ……! おのれ、エーデルライト……!!」
「勝負……あり、です。武器を、捨て……投降、なさい……リンダ・ガル!」
悔しげに、憎悪さえ込めた視線を投げかけるリンダ先輩へと、なお油断することなく剣を突きつけて投降を呼びかけるシアンさん。
息こそ切らしてないものの体が微かにふらついている。今度こそもう限界だな、これは。僕とサクラさん、レリエさんは彼女に近づく。
サクラさんが戦い終えた勇気ある冒険者の肩を抱き、優しく引き寄せた。
心からの嬉しさと敬意を込めた声で、話しかける。
「よくやったでござる、シアン。あとは拙者らでテキトーに手打ちしておくでござるよ」
「サクラ……か、勝てたわ、なんとか……」
「見てたでござるよ、大したもんでござるー。シアンこそ拙者と杭打ち殿を率いる、新世界旅団の団長に相応しいと確信したでござる。ござござー!」
「あ、りがとう……ふ、ぅ」
「シアン!」
大変な試練を乗り越えた、実感をようやく持てたんだろうねー。糸の切れた人形のように全身の力が抜けたシアンさん。その身体を、レリエさんがすかさず抱きとめる。ナイスー。
そのままお二人さんには後方に下がっていただいて、じゃあここからは僕とサクラさんの出番だねー。
サクラさんによる指導の一環として利用したところはあるけど、それはそれとしてこの狼藉は高くつくよ、先輩方ー?
さしあたって僕はすかさず、地面に落ちた刀に手を伸ばそうとした先輩の足を踏みつけた!
「があっ!? き、貴様……!! よくも私を足蹴に!!」
「先輩! 杭打ち、あなたなんてことを!!」
「最低! やっぱりあなたは冒険者じゃ──」
「うるさいよ」
決着がついてなおキャンキャン吠えるなと、弱めにだけど威圧をかける。それだけで息が止まったみたいに全身を硬直させてしまう程度で、戦いもしなかった人達が粋がってるんじゃあないよー。
取り巻きの二人に比べればまだ、真っ向勝負を挑んだだけリンダ先輩はマシっちゃマシかもね。容赦なく踏みつけてるけどー。
もちろん、仮にも三度目の初恋だった人を踏みつけるのに抵抗がなかったわけじゃない。ただ、今の僕にはもう、この人はシアンさんを傷つけようとした差別主義者でしかないから。
足蹴にして負け犬呼ばわりすることに、大した躊躇もありはしないよ。
「……君の負けだ」
「くっ……!! おのれ、おのれおのれっ!! 貴族に野良犬が、冒険者を騙るクソどもが、よくもこの私をっ!!」
「よくそこまで自分を大層に扱えるもんでござるなー。親の教育ってやつでござるか? いっぺん面ァ見てみたいもんでござるよ、どうやったらここまで見苦しい輩に育てられるのでござるー? って質問したいでござる」
「ヒノモト女ァッ!! 我が両親への侮辱は許さんぞォーッ!!」
じゃあ侮辱されるようなことしないでよ、娘さんのあなたがさー。
ひたすら自分の都合のいいことしか言わないんだから、いい加減嫌になってくるよー。
まあ、サクラさんの物言いもさすがにキツすぎというか。リンダ先輩のことはリンダ先輩の話であって、会ったことも見たこともない親兄弟をあげつらうのも違う気はするよー。
ヒノモト流の煽り文句なんだろうか? ワカバ姉も大概、度を超えた弄りをしがちだったなあって思い返すなあ。それでやりすぎて、レジェンダリーセブンの中でも随一に地雷の多いミストルティンに殴り飛ばされてたんだった。懐かしー。
「……失せろ」
「く、くそっ……」
威圧で抵抗の意志を殺いだことを確認して、先輩の手から足をどける。ついでに転がってる刀は遠くに蹴っ飛ばしておこー。
さすがにここまでされてはすっかり意気も挫けたようで、力なく呻き、彼女はのそのそと這いずって取り巻き二人に介抱された。
率直に言えば惨めったらしい敗者の姿だ。せめてもう少しまともな理由で喧嘩を仕掛けてきていれば、僕だってここまで辛辣にならずに済んだかも知れないのにねー。
本当に残念だよー。
「リンダ・ガル……杭打ちさんは、そして我々新世界旅団はオーランド・グレイタスを拉致などしていない。彼は彼の信念のもと、冒険者としてマーテルさんとともにはるかな旅に出た」
「嘘をつくなっ……杭打ちめが卑劣にも拉致をしたのだ! そう仰っていたのだ、あの方がっ!!」
「あの方……?」
気になることを言うね、あの方ってどちらの方かな?
さっきも思ったことだけど、先輩方にとんでもないデマを吹き込んだ輩が確実にいるようだ。結果として僕らが多大な迷惑を被ってるわけだし、ここはぜひとも聞き出してその方の拠点を杭打ちくんでぶち抜いてやりたいところだよー。
シアンさんやサクラさんもちょっと目を細めて耳を澄ましているね。思うところは僕と似たようなものだろう。特にシアンさんなんて危うく大怪我だ、僕より怒り心頭かもしれない。
唯一、古代人のレリエさんだけはひたすらシアンさんの心配をしている。ああ、優しいよー尊いよー。やっぱり素敵な人だよー惚れそうー惚れてるー。
思わず素敵な彼女に見とれていると、そのうちにリンダ先輩が悔しさと憎しみをまぜこぜにした叫びをあげた。
デマの出処……あの方とやらの名前をついに出したのだ。
「あの方……! プロフェッサー・メルルークが! たしかに仰っていたのだ! 第一総合学園一の天才にしてエウリデ一の賢者の言うことだ、間違いないに決まっている!!」
「…………教授が?」
プロフェッサー・メルルーク──モニカ・メルルーク教授。
僕にとっても馴染み深い名前のその人が、まさかのデマを吹き込んだ犯人だとリンダ先輩は言った。
僕がオーランドくんを拉致してマーテルさんを国に引き渡した──なんて、意味の分からないデマをリンダ先輩に吹き込んだ張本人、モニカ・メルルーク教授。
プロフェッサーとも呼ばれて第一総合学園の学生のみならず、エウリデや諸外国の人達からも尊敬されている才女たる彼女は、僕にとっても縁深い人である。
「何しろ彼女も元調査戦隊メンバーで、何を隠そう僕の相棒こと杭打ちくんを製作してくれた人だからねー。今でも週一くらいのペースで杭打ちくんのメンテナンスや改良をしてもらってるし、仲が悪いって感じでもないよー」
敗北したリンダ先輩を、生徒会の二人がえっちらおっちら担いで遁走して後、僕達もシアンさんを担いで迷宮から出て拠点に戻っていた。
サクラさんが借りている一軒家──なんと僕の家のある通りの一つ隣の通りにあるという、まさかのご近所さんだー! ──にお邪魔して、シアンさんの回復を待ちながらもモニカさんについての話をしているのだ。
彼女の来歴と僕とのつながり、特に杭打ちくん絡みで今も親交があることを打ち明けて僕は、だからこそと告げる。
「あの人が僕に対して悪意をもってデマを撒いた、その可能性は限りなく低い……けど」
「けど? 何か懸念があるでござるか?」
「彼女の助手をしている彼がね……モニカ教授のお兄さんで同じく元調査戦隊メンバーの、ガルシア・メルルークっていうんだけど。ぶっちゃけ僕のこと憎んでるんだよねー」
肩をすくめる。そう、あるとすれば教授でなくその兄ガルシアさんだ。彼なら僕に対して悪意ある噂を、僕に対して憎悪を抱く者に吹き込むことだって平然とやるだろう。
彼とのつきあいはそれこそ調査戦隊入ってすぐからのことなんだけど、その時点ですでに僕らの仲は最悪だった。
僕はその頃まともな人間では断じてなかったし、彼は彼で、レイアに淡い想いを抱いているから構われっぱなしの僕は気に入らなかったしで、ひたすら喧嘩を売ってきてたりしていたのだ。
そうなるとその辺の機微を察して適当にあしらう、なんて当時の僕にはできなかったわけなのでまあ……毎回喧嘩を買っちゃうわけでしてー。
そもそもレジェンダリーセブンはおろか調査戦隊メンバーの中でも最下位に近い、ぶっちゃけ教授の助手扱いで入団した彼だ。毎回毎回何をして来ても何一つ問題なく半殺しにできたし実際に半殺しにしちゃっていたんだよね、僕。
今考えるとあの頃の僕はいったい何を考えてたの? と言いたくなるような蛮行で、やる度にレイアはじめ幹部陣から"人間になりたいなら少しは加減しろ! "と叱られてたのも今なら理解できる。我ながら恥ずかしい過去だよー。
しかもそうやって幹部達、とりわけレイアに庇われることさえもガルシアさんには屈辱だったみたいで。さらに憎悪は加速して、結局致命的な仲違いをしたままここまで至ってしまっているってわけだった。
「何回か菓子折持って謝罪に行ったんだけどねー……馬鹿にしてるのかーってそのまま戦闘に持ち込まれて、やむなく防戦しちゃったりしてさ。彼の実力そのものは今でも調査戦隊メンバー最下位クラスだし、どんなに手加減したって負けるつもりでもない限りは勝っちゃうわけでー」
「下らぬ嫉妬ではござらぬか。それで今度はそのことを逆恨みして、ソウマ殿の悪評を撒いていると。カーッ、しょーもねーみみっちーやつでござるなあ!」
「典型的な男女関係のトラブル……ソウマくんにその気はなくても相手方の受け取り方が悪く、拗らせてしまったパターンなのね……そのうち新世界旅団にも同じこと、起こるのかしら」
「うーん、そこはシアンの舵の取り方次第じゃない? あっ、スープできたわよ、飲める?」
「ありがとう、レリエ」
みっともない嫉妬とバッサリ切り捨てるサクラさんと対照的に、いずれ新世界旅団でも似たようなケースが起きるのではないかと危惧するシアンさん。
どこのパーティーにも男女関係の縺れってつきものだからねー。レリエさんが手渡してきたスープを飲みながらも、そうなった時のことを考える彼女の姿はすでに立派な団長だよー。
ともあれ、モニカさんはともかくガルシアさんとはそんな感じで険悪な仲だから、彼がデマの発信源で、それをリンダ先輩はモニカさんの意見だと勘違いした可能性も大いに考えられるわけだねー。
うーん、迷惑ー。そのデマがなければいくら先輩でもピンポイントに僕が犯人だ! なーんて思うことはなかっただろうし、言っちゃうと今回の騒動の元凶がガルシアさんって線もあり得るよー。
「とりあえず今度の日曜、教授のラボに行く予定だからその時に確認してみるよー。場合によっては戦闘になるかもねー」
「それならソウマくん、私ももちろん同行します。リンダ・ガル達を扇動したことについて新世界旅団としても、断固たる態度で抗議する必要がありますので」
「団長が行くってんなら副団長も行かなきゃでござるなー」
「それなら団員も行かなきゃね! 教授かあ、どんな人だろ?」
なんかみんなして一緒にカチコミにいく流れになっちゃった。まあいいけどモニカさん達びっくりするかもねー、Sランク冒険者にエーデルライトのお嬢さんに古代人までやってくるわけだしー。
案外リアクションのいい教授の驚き具合を想像してちょっと楽しみになりながらも、僕らはそうやって3日後、教授のラボを訪ねることとなったのだ。
翌日、僕は新世界旅団とは関係なしに冒険者活動を行っていた。レリエさんをも引き連れて二人で、爽やかにも朝の町にて清掃活動を行うのだ。
迷宮に潜るだけが冒険者の仕事じゃない。たとえば町の中だけでも美化活動や治安維持活動、あとお使いとか迷子の犬猫探し、果ては欠員が出た現場仕事の助っ人なんかも折に触れて行うことがあるんだよねー。
特にこの町はエウリデでも一番、冒険者が多いもんだから町のどこをどう切り取っても冒険者がいて、何かしら社会貢献系の依頼をこなしている。
今だって僕らの他にも見える範囲に数人、同じ様に清掃活動に従事してる冒険者を見かけるしね。
住民との関係を良好に保つのも冒険者活動には重要だから、顔と名前を売るって意味でもこの手の仕事は地味に大切なんだよーってレリエさんに説明すると、彼女はいたく感心した様子で頷いていた。
「冒険者が日常の、生活基盤の深くまで組み込まれてる社会構造ってわけね……ホント、ファンタジー的な異世界に迷い込んだみたいだわ」
「僕らからしたらレリエさんこそ、ファンタジー的な異世界からやって来た人なんだけどねー。はい、箒と塵取り。ゴミ袋は隅っこに置いてるから、こまめに捨てちゃってねー」
「はーい! いやー、こういう依頼のほうが性に合うかも!」
この手の活動を嫌がったらどうしようかなー、仕方ないし見学でもしといてもらおうかなーって若干不安視してたんだけど、彼女的にはどちらかというとこの手の依頼のほうに適正があるみたいだった。
今後新世界旅団が大規模パーティー化していく上で、こういう町内活動にこそ精を出したいって人の存在はとても重要だから助かるよー。
みんながみんな迷宮! 冒険! 未知! バトル! なーんて脳筋ばかりだとそっち一辺倒になっちゃって、どこの町に移っても近隣住民からの支持を得られにくいかもしれないからね。
冒険者も冒険活動も結局は既存の社会の中に組み込まれたものだから、社会貢献を疎かにして自分達のやりたいことだけをやってるってわけにもいかないんだよねー。
そこを考えると、こっちの仕事を率先して受けてくれるレリエさんのような人は大変に有用だよー。僕もこの手の仕事はしなくもないけど、戦力的価値を考えるとどうしたって冒険メインになるからねー。
これはシアンさんやサクラさんも喜ぶぞー、と思いながらも僕も箒を手に取り、さっささっさと地面に落ちているゴミを纏めていく。いつものマントと帽子、杭打ちくんを背に担いだスタイルで箒を動かしてるのは我ながらコミカルだね。
二人でパパパっと片付けていくと、不意にレリエさんが声を潜めて僕に、話しかけてきた。
「それにしても、ここっていわゆるスラム……なのよね? 行く宛のない人達が辿り着くっていう、難民地区的な」
「そうだねー。事情は人それぞれだけど平民として表をうろつけなかったり、国の政策で追放されたり、そもそも他所の国や地域からやって来て居場所がなかったりする人達が屯して作り上げられた区域だねー」
別段隠す話でもないので頷く。いかにもここは町の中でも特に雰囲気の違う、通称スラム区域だね。
ゆえあって他に行くところのない人間が集まって次第に生活区を形成した、貧民のたまり場みたいな場所だ。貴族でもなければ市民登録をした平民階級でもない、法の外の身分に属する人達が概ね貧民としてこの辺の区域にて過ごしていると思ってもらっていい。
こう言うといかにも治安の悪そうな印象を受けるスラム区域だけれど、実のところそこまで治安が悪いわけでもない。
いや、貴族街や平民区域に比べると明らかに良くないんだけど、道を歩いてたらいきなり襲われてしまう! みたいなこの世の終わり的な光景が広がっているってわけでもないんだねー。
レリエさんが興味深げに、けれど警戒心は保ちつつあたりを見回して言う。
「やっぱり……でも、私の思うスラムとはちょっと違うわね。なんていうか、思ったより綺麗っていうか」
「古代文明にもあったのー? こういうスラムって感じのところー」
「あったし、ものすごかったみたいよ実際。道を歩くだけで身ぐるみ剥がれて乱暴されて殺されて、場合によっては遊び半分で拷問にかけられたりしたとかしないとか。私の知識の中にそういう物騒なの、あるわね」
「ひぇっ……」
怖いよー! 古代文明超怖いよー!?
夢が崩れてくよ、僕の思う古代人ってのは理性的で教養豊かで優しく強い文明人なのにー!
思いもよらない恐ろしい話に、思わずゾッとしてしまうよー。
ああ、よかったー今あるこの世界がそこまで物騒じゃなくてー。古代文明の話を聞くについ、そう思っちゃうねー。
スラムなんてどこの国のどんな町にも大なり小なりあるものだけど、さすがに今聞いたような地獄が広がってる場所はないはずだよー。いや、でもあったらどうしよう、震えるー。
「す……少なくともここのスラムは安全だよー。冒険者達がほぼ毎日治安維持のために巡回してるし、そうでなくともスラムはスラムで経済圏を構築してるしー。平民区域ともコラボしたりすることもあるんだよー?」
「そうなんだ……単に貧民というよりは、比較的貧困層とされる人達の生活圏ってわけね。道理ですれ違う人達がどうも呑気というか、平和な匂いがするなーって思ったのよ」
「そ、そう……なんだ……」
それってつまり、古代文明のスラムは平和じゃない匂いがしてたってことですよねー?
古代文明っていろいろすごい。そんなことを考えながら僕は、箒で掃除を続けるのだった。
一口にスラムって言っても結構エリアは広いから、僕らをはじめ何人かの冒険者達で分担しての清掃活動を行う。
ちなみにこの活動にはスラム界隈の自治会も参加していて、ある種の交流会も兼ねたりしているよ。
まったくいないとは言い切れないけど、それでも身分を気にしない人が大半な冒険者はそれゆえ、スラム界隈とも割と距離が近いんだねー。
「ふう。この辺もすっかり綺麗だなー」
「ありがとよ冒険者さん、お陰で気持ちよく路上で寝れるぜ」
「いや路上で寝るなよおっさん!」
「ちげぇねえ! ガハハハ!!」
ほら、あんな風に和気藹々と冒険者がスラムのおじさんと談笑している。こうした美化活動を行う上での一番のメリットと言えるのかもしれないねー、この交流ってやつは。
冒険者側としてもスラム側としても、この機会に人脈を広げることは大切だ。どっちも持ちつ持たれつな関係だからね。
とりわけスラムで未だ燻っている有望な人を冒険者にして、仮に大成でもさせられたらどっちも嬉しい話だったりするよー。引き入れた冒険者は自慢の弟子ができて名声も得られるし、スラム側も社会貢献に寄与しつつ大成した冒険者から寄付してもらえたりするからねー。
「実際、スラム出身の冒険者で有名な人も数多いし。玉石混交の可能性を秘めた土地として、このスラムを見込んでいる冒険者もいるよー」
「なるほどねー……それこそ杭打ちくんみたいなパターンもあるわけなんだぁ」
「あー……いや僕はちょっと扱いが違うんだよね、実のところ」
サッサッと箒でゴミを纏めて塵取りで回収し、ゴミ袋に詰めながら僕とレリエさんは話し込む。
この仕事とにかく楽ちんなんだよねー。この手の美化活動は頻繁に行われているから目を疑うほど散らかってるわけじゃないし、さっきも言ったけど治安だってそこまで終わってないから暴漢やら変質者も日中なら出やしない。
ましてや町中なのでモンスターなんてどこにもいないし、まったくもって平和そのものなお仕事なんだ。何も考えず手を動かすだけだし、こうして雑談しながらでもできちゃうほどだ。
そんなわけで話す最中、来歴に軽く触れる感じになったから僕は少しだけ言葉を濁した。
スラム出身の冒険者。たしかに僕はその括りに入るパターンなんだけど、実際のところは違うんだよね。だからスラム内でも僕の扱いは、若干腫れ物って感じだったりもするんだよー。
新世界旅団の団員として、仲間であるレリエさんには少しだけ話しておこうかな。
僕自身にも分からない、僕の生まれ育ちってやつを。
「僕、物心ついて孤児院に流れ着くまでずーっと迷宮内で過ごしてたから、厳密にはスラム出身ですらないんだよねー」
「え……め、迷宮内で過ごしてた? え、どういうこと?」
「そのままの意味。気づいた時には地下40階層半ばにいて、モンスターと戦い勝っては血肉を啜って生きてたの。一人きりでねー」
「な…………!?」
絶句するレリエさん。大体の人がこの話を聞くとこういう風になるから、あんまり話したいことでもないんだよねー。
ぶっちゃけ今でもあの頃はあの頃で普通だったし、別に不憫がられる感じでもなかったと思ってるし。過度に憐憫されがちでちょっと犯行に困るのだ。
そう、僕はどうしたことか物心ついた頃には迷宮内にいた。それも当時は人類未踏階層もいいところだった、地下44階という幼子からすれば地獄のような空間に住んでいたんだ。
さらにはそこで数年、モンスターと殺し合いして勝ち続け、彼らの血で喉を潤し肉で飢えを凌いできたわけだね。
マジで僕以外の誰も人間がいた痕跡がなかったあたり、物心つく前からもすでにそういう暮らしをしてたんじゃないかなー?
あの辺のモンスターも大概化物ばかりだったけど、特に苦戦した様子もなく片っ端から殴りつけては解体して食べまくってたし。
「で、そこから何年かしてすくすく育った僕はフラフラ~と上の階層に登っていって地表に出てね? そしてたまたまスラムに流れ着いて、孤児院の人達に保護されたんだー」
「…………そんな、ことが。赤子が、たった一人でそんな迷宮で、生きてきたなんて」
「だから僕はスラムの子とは言いにくいわけ。なんなら迷宮で育ってモンスターを食らってきたわけだし、分類的にはモンスターに含まれかねないよねー。迷宮出身なんて、モンスターくらいなものだしー」
若干の自虐をも込めて笑う。昔こそなんの疑問にも思わなかったし今でもたしかにあの頃の生活を普通に思っているものの、世間一般とは致命的なまでにズレた生まれ育ちをしたって自覚も同時にある。
モンスターを食べるってのも、迷宮内に長期間籠もる場合は選択肢として挙げられがちだけど……さすがにそれを日常とする人なんてどこにもいないからね。まして僕の場合、全部生で食べてたし。まんま、野生の獣だよー。
人間の形をしてるだけで、僕もモンスターなのかもねー?
最近になってちょっと危惧してる僕の正体をあえて軽く告げると、レリエさんは痛ましげに近づいてきて、僕の肩をマントの上から抱き寄せ、顔に顔を寄せてくれた。
顔が近い! 吐息が当たるーいい匂い!
「それを言うなら私だって迷宮出身よ。それもわけも分からず数万年前からやってきた、モンスターより意味不明な存在。ね、お揃いね私達!」
「レリエさん……?」
「……モンスターなんかじゃないわよ、君は。私の恩人で、同僚で先輩で、それでとっても可愛くて強い素敵な男の子だもの。自分で自分をモンスターなんて、言っちゃ駄目なんだからね?」
「…………うん。ありがとー」
励ましてくれる彼女に、ニコリと笑って礼をする。
僕は僕だ、生まれ育ちに関わらずソウマ・グンダリだ。それはわかった上で、でも……
今の、彼女の言葉は優しくて温かかったよー。そのことが嬉しくて、僕は静かに微笑んだ。
粗方掃除も終わって、ゴミ袋を回収業者に渡して今回の依頼も終わりだ。スラムの自治会から借り受けていた箒と塵取りを返却して、僕らはんんー! と背筋を伸ばして達成感を味わっていた。
あとはギルドに戻ってリリーさんに報告して、報酬をもらうばかりだね。こうした町内活動は半ば慈善事業のためお金による支払いじゃないんだけれど、代わりに手拭いとかハンカチとか果実水をもらえたりする。
いわゆる現物支給だね。意外と嬉しいものをもらえたりするからこれはこれでありがたいよー。
「さ、それじゃあ帰ろうかしら? 良いことしたあとはきもちいいわねー」
「だねー。でもちょーっと待ってレリエさん、途中で寄りたいところがあるからー」
「へ? 寄るところ?」
目に見える範囲にあるゴミをほとんど回収して、綺麗になった往来に満足げに頷くレリエさんを呼び止める。僕はここからギルドに直帰せず、ある施設を経由して帰りたいと考えていた。
別にこのまま帰ってもいいんだけど、せっかくだし顔を出したいからねー。ついでにレリエさんのことも紹介しておこうかと思うよ、もしもの時の避難先になってくれるかもだし。
訝しむレリエさんに僕は、笑って言った。
「僕が8歳の時からほぼ2年くらい、お世話になってた孤児院が近くにあるんだ。身寄りのないレリエさんのこともある程度紹介したいし、そうすれば帰る場所の一つになってくれるかもしれないしねー」
「孤児院……さっき言ってたわね、迷宮から脱出したあと、その施設の人達に保護されたって。この近くにあるんだ……」
「スラムじゃ唯一の孤児院だよー。身寄りのない子供達を集めて育ててる、地域一帯の中でも不干渉施設に定められてる場所だねー」
軽く説明しながらも案内がてら歩き出す。スラムの中でたった一つ建てられたその孤児院は、3年前から地元一帯の暗黙のルールとして不干渉が定められている。
いくらスラムだからって、身寄りない子供を育ててる施設を巻き込むのは良くないって自治会が保護に動いてるんだねー。
同様の不干渉指定施設は他にもあって、病院など医療施設に教会など宗教施設、学校など教育施設などが当てはまるねー。
その辺への配慮はいろいろあって割と本気で、自治会が予算を割いて冒険者を雇ってたりするほどに真剣に取り組んでたりする。
そうした活動のお陰で何年か前までの孤児院みたく、借金取りがしびれを切らして無法を働く、なんてケースが激減したのは素晴らしい成果と言えるだろう。
社会的に弱い立場の人達が、唯一の居場所でまで脅かされることのないようにしたことで、スラム全体の治安も向上したんだから世の中っていろいろ繋がってるんだなーって感心するよー。
「──着いた。ここだよ、レリエさん」
10分くらい歩くと孤児院に到着した。レリエさんにこちらでございと手で示す。
赤い屋根、白い壁、広いお庭もついた3階建ての大きな施設だ。屋敷と言ってしまってもいいかもしれない。四方を壁に囲まれており、警備の冒険者もいる正門には、ここの孤児院の正式名称が書かれた看板がかけられている。
"オレンジ色孤児院"という名前の書かれた古びた看板だった。
「広い……し、大きいわね。それに綺麗というか、新築? 看板だけがやけに古いけど」
「ご明察ー。実は去年に新築移転してるんだよねー、この孤児院。借金も返済し終えて寄付金を貯めたり使ったりできるようになったからさ、少しでも子供達に住みよい場所にしたいってことで思い切って1から建て替えたんだよー。看板は昔の名残だねー」
やっぱり看板だけは歴史あるものを使いたいからねーと笑う。レリエさんはへぇーって感心しながらも、清潔に保たれた孤児院施設をじっと見ていた。
実のところ、孤児院新築には僕の意向が思いっきり絡んでたりする。何せ借金返済から新築費用まで全部僕が資金源みたいなものだからねー、パトロンって言っちゃってもいいかもしれない。
元々調査戦隊にいた頃から資金援助はしてたんだけど、追放されたと同時に借金を完済でき、以後渡してきたお金はささやかな額ながらすべて院の運営に用いてもらってきた。その一環として僕から、そろそろボロっちいから建て替えなよーって言ったわけなんだねー。
それを受けてここから少し離れた、また別の土地にあった旧孤児院からこちらの新孤児院に移り住んだって流れだ。
土地から建築代、内装工事やお庭の管理維持その他税金関係もろもろの処理まで含めて結構なお値段だったけど、それでも僕が数年間ずーっと渡してきた寄付金でギリギリどうにかなったから良かったよー。
まあ、その辺の詳しい話をレリエさんにしても仕方がないし、内心で自分の成し遂げたことにちょっぴりむふーって悦に浸るに留まる。
新築した孤児院にはこれまでも何度も顔を出してるけど、職員さん達も子供達もみんな明らかに元気そうで楽しそうで、我ながらいいお金の使い方ができたなーって誇らしい。
今日もみんな、笑顔でいてくれるかなーと思いながら、僕はレリエさんを連れて正門へと向かった。