「ここは何かしらのコンプレックスを抱えた者だけが行き来できる世界。そして若葉さんをこの世界に呼んだのは他でもない、私なのです。」
 「え!?あなたが…?いったい何故…」
 
 突然の展開に困惑しきっている私だったが、一か八かのチャンスと割り切って頼み込んだ。

 「あの!私を元の世界に帰していただけませんか?」
 
 すると返ってきた答えは…

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 私は田村若葉。現在も正体不明のあやかしのような異世界(?)で絶賛迷子中の女子大生だ。このところ色々な人に聞き込みを行ったり、この世界の美味しいコーヒーをご馳走になったりしているものの、元の世界に帰る手がかりは今のところゼロ。もういっそこのままこの世界に永住するってのもありかも。そしたらこの世界の美味しいコーヒー飲み放題!…っていやいや何言ってるんだ私は!

 そうして目的地も特に決めてない状態で街を散策していると、ある1軒の建物が目についた。

 「これは…なんの建物?」
 
 その建物は小さくて古そうであり、一言で言えば「事務所」のようだった。特に名前とかも書かれておらず、何をしているところなのかな?営業しているのかな?と言う感じのさびれた建物が街のはずれにあった。もちろん入るわけない、入る理由もメリットも何もないと思いつつ通り過ぎようとした時…

 「おや、私の事務所に何か御用ですか?」
 「ひゃ!?」

 いきなり足音もなく背後から肩を触られ、声をかけられた。思わずびっくりした私は別人のような声を上げ、後ろを振り向いた。するとそこに立っていたのは背の高い男性であり、赤色のスーツにキツネのお面をかぶっていた。

 「おや、これは失礼。びっくりさせてしまいましたね。」
 「あ、いえすみません…」 
 「ところで、私の事務所に何か御用ですか?」
 「へ?事務所…?」
 「はい、ここは私の事務所です。」

 なんと、ここはこの人の事務所だったのか…。だったらなおさらここに居続けるわけにはいかない。さっさと立ち去ろう…と思ったその時

 「…!?この人は…」
 「?」

 一瞬、仮面の男は何かを言いたげだった。しかしそのまま続けた。 

 「ところでお客様、この世界では見ない顔ですねぇ。もしかして迷い込んだとかですかぁ?」
 「あ、それは、その…」
 
 いや迷い込んだで当たりなんだけど、とても個性的な格好をした人を前になんて言ったらいいのか…。まずこの人がどんな人なのか分からなさ過ぎて、正直私はかなり戸惑っていた。するとキツネ仮面の男は思いもよらない提案をしてきた。

 「それにお客様、なんだか疲れた顔をしているように見えますね。良ければ私の事務所で休んでいきませんか?」 
 「い、いえとんでもないです!私急いでいますので…」
 「急いでいる…なるほどです、元の世界から戻る手がかりを探すために急いでいる…ということですね」
 「は!?」
  
 なぜ私の考えが分かった!?これにはさすがに驚きを隠せなかった。すると男は、仮面の奥から笑顔を見せながら…

 「でしたら私の事務所に来てください。」
 「え…どういうこと…」

 よくわからない言動のまま、私は事務所にお誘いしていただくことになった。この世界のことだから事務所の中も摩訶不思議な感じになっているのかな?と思ったけど、案外普通だった。不動産や車販売の営業店舗のような見た目で机と椅子、本棚に加えて壁にテレビが置かれていた。

 「ようこそいらしてくださいました。ここが私の事務所です。さ、そちらの椅子にかけてください」
 「あ、ありがとうございます…。」
 
 私は案内されるまま椅子に座った。そしてキツネ仮面の男はそのまま奥の部屋に行った。お茶でも用意しに行ったのかな?…あたりだった。正確にはコーヒーだったけど。

 「こちらコーヒーです。冷めないうちにどうぞ」
 「ありがとうございます」

 そうして私はこの世界特有のコーヒーを口にした。うん、めっちゃ美味しい。…って待って!てことはまた酔って変なことするのでは…?まさか…酔った私に変な事とか!?

 「?どうかされました」
 「あ、いえ…」
 
 …いや、何かわかんないけどこの人はそんなことしなさそうな人だなって、直感で分かった。そしてもう1つ驚いたことが、このコーヒー、酔わない?ので思わず私は聞いてみた。

 「あの、このコーヒー、アルコールは入っているんですか?」
 「入っていますよ。ノンアルコールですがね。」
 「な、なるほどです…」

 酔わないのはそういうことか。とりあえず私が心配していたことは起こらなさそうで良かった。そして私の向かい側にキツネ仮面の男が座ると開口一番、とんでもないことを言い出した。

 「まず最初にお客様…いえ、田村若葉さんにお詫びしておきたいことがあります。あなたをこの世界に連れてきたのは、この私なのです。」
 「へ…????」

 私はいろんな意味で頭が真っ白になった。私をここへ連れてきた?この人が?いやそれもだけど、今この人、私の名前を言わなかった!?私名乗ってないのに…

 「おや、なんで私の名前を知ってるんだって顔してますね」
 
 エスパーかよこの人は…。

 「今言ったように、あなたをここに連れてきたのは私です。ですので名前くらい知っていて当然です。」 
 「え、そういうもの…?」

 まあこの際そんなことはいいや(いや本当は良くないけど)。私が次に聞きたいことはこれだった。

 「あの、どうして私をここに連れてきたんですか?」
 「そうですね、もちろんそれはあなたには説明する義務があります。ですがその前にこの世界の事について簡潔に説明しておく必要があるでしょう」
 「この世界の事…‼」
 「この世界ですが…」

 それは私もずっと知りたかったことだ!まさかこんな急展開で知ることができるようになるなんて…!息をのむように私は前のめりに、真剣にキツネ仮面の顔をじっと見た。
 「ごっめん☆忘れちゃった!てへぺろ~」
 「…」

 気づいたら私の右手が、なぜか異様にパワーがあふれてきた。
 
 「あ、うそうそ冗談冗談!だからそんな怖い顔しないで?殴ろうとしないで?」
 「…」

 その言葉に免じて私は拳をしまった。この人やっぱりいろんな意味で変だ。

 「取り乱してすみません。この世界ですが簡潔に言いますと、何かしらのコンプレックスを抱えた人だけが来れる世界なのです。」
 「コンプレックス?」
 「具体的に言えば男性で身長がすごく低いとか女性で身長がすごく高いとか、とにかく太っているとか、生まれつき障害があるとか…もちろん本人が気にしていなかったらそれはコンプレックスではないのですが、そういった人は決して多くはない。ゆえにそうした人には言えない、恥ずかしい悩みを持った者だけが来ることができる世界なのです。」
 「コンプレックス…」

 その言葉を聞いて、私も心当たりがあった。…私にもある。人には死んでも言えないような深刻な悩みが。そんな私だからこの世界に来れた…ってことか(正確には連れてこられた)そして見ただけでは全然気づかなかったけど、この世界の人たちってみんな何かしらのコンプレックスがあったんだ。初めて会った男性も岩を置いていた人も、カフェの店員も…。彼らも何かしらの悩みがあるってことだよね。

 「あの、私以外の他の人は、どうやってこの世界に?」
 「彼らも例外ではありません。コンプレックスのある人はみんな私がこの世界に連れてきました。」
 「そうなんですね」
 「そして話を戻しますが、あなたをこの世界に連れてきたのは彼らと同じ理由もあるのですが、あなたの場合は加えてお願いしたいことがあり、この世界に連れてきました。」
 「お願い事?」
 「そうです」

 いきなりお願い事と言われ、さらにびっくりした。一体この世界に来たばかりの私にお願い事って…?するとキツネ仮面の男はこれまた予想外な事を口にした。

 「見ていましたよ。田村さんは見た目に反してものすごい力をお持ちですね。その圧倒的な能力でこの世界をもっと盛り上げていただけませんか?」
 「へ?この世界を盛り上げるって…」

 なんか絶対変な事されるなこれ…。正直に言うとこの時点での私は全く気乗りじゃなかった。それも当然だろう。いきなり全く面識ない人に連れてこられて、しかも頼み事までされるなんて…。断ろうと思ったが、1つの考えが私の頭に浮かんだ。この人が私をこの世界に連れてきたってことは…元の世界に帰す方法も知ってるってことだよね?そうだよね?もしそうだとしたらこの案件は引き受けるべきだ。もちろん条件付きで。

 「わかりました。この世界を盛り上げるという案件、引き受けます。」
 「本当ですか、それは大変嬉しいです!」
 「ただで受けるとは言いません。まずこの世界を盛り上げるって具体的にどうすればいいのですか?」

 当然の質問をした。するとキツネ仮面の男は答えた。

 「簡単です。あなたの怪力を使って荷物を運んでもらったり人助けに加えて、時にはちょーっと危ない仕事もしてもらいます。うふふ」
 「…。」

 危ない仕事って何…?やっぱり受けるのやめようかな。なんて冗談はおいといて、私はもう一つ確認すべきことがあった。

 「…まぁ、わかりました(いや全然わかってないけど)。そしてもう一つお願いなのですが、この世界を盛り上げるという仕事が終わったら、私を元の世界に帰してください。」
 
 これがメインテーマだ。今の私にとっては、ちゃんと帰れるかどうかが重要な問題だった。それに対しキツネ仮面の男は数秒間考え込んでいたが、それから返ってきて返事はこれだった。

 「承りました。ただしこの案件は継続的にお願いしたいことなので、仕事があれば来てもらう…というのはいかがでしょうか?」
 「えっと、つまり…?」

 あー、なんだかこれ嫌な予感がする。とってもめんどくさい展開が待っていそうな。

 「田村さんの現実世界に帰るというのと、この世界を盛り上げるという2つの希望を叶えるために、田村さんが自由にこの世界とあなたの世界を行き来できるように私が手配する…というのはいかがでしょうか?」
 「この世界を、行き来…」

 まあ、思っていたよりはめんどくさいことではなかった。だけど、それでもどうすべきかというのは迷っていた。確かにこの提案に乗れば元の世界には帰れるけど、でもまたこの世界に来なくてはならない。そして何より私にこれから課せられる仕事と言うのが正直言って分からなくて怖い。やっぱりもう少し聞いてみよう。…と思ったその時

 (ドサッ)
 「え…?」
 「田村さんにはこの本と、アラームを差し上げます。」
 
 なぜか1冊の本とアラーム機が私の手元に飛んできた。アラーム機は小学生が防犯対策としてランドセルにつける、防犯ブザーそのものだった。

 「これは…?」
 「その本はこの世界とあなたの世界を行き来するための本です。開けただけでいつでも2つの世界を行き来することができます。信じられないならこの後すぐに私の前で本を開けてみてください。」
 「は、はぁ…。」

 うん。もちろん信じられないので後で開けてみよう。

 「そしてそのアラーム機は仕事の依頼など、何かあった時に呼び出すためのものです。肌身離さず持っておいてくださいね?」
 「は、はぁ…。」
 「では、説明は以上です。それではその本を開けて、あなたの世界に帰っていただいて結構ですよ?」
 「あ、はいわかりました。」

 早速本を開けて帰ろうとする。するとまた呼び止められた。

 「大切なことを言い忘れてました。スマートフォンはお持ちですか?」
 「え、はい」
 「5秒間だけ貸していただけませんか?」
 「…何するんですか?」
 「アプリを入れるだけです。」
 「…アプリ」
 「お仕事を受けていただいた後、その報酬としてポイントをチャージしていただくためにアプリを入れていただく必要があります。そのポイントはこの世界での買い物や飲食など、あらゆるサービスを利用する際に使用できるものです。まあ、あなたの世界で言うところの『マネー』みたいなところでしょうか」
 「な、なるほどです。では…」
 
 そうして私はスマホを差し出し、キツネ仮面の男は一瞬でアプリを私のスマホに入れてくれた。ほんとに5秒だった。どうやって入れたんだ?という疑問を持ったが、そんなことより私は秒でも早く帰りたかった。さて今度こそこれで帰れる!…ちょっと待った!私からも伝えておくべきことがあった。

 「あの、私の本業は学生です。普段は授業があるのでその時はお仕事は受けられないです。夕方とかでしたら基本大丈夫ですが…」
 「なるほどです。学生さんでしたか。これは失礼。では夕方あたりに声をかけさせていただきます。」
 
 これにて説明会終了!(いや、何の…?)そして今度こそ私はキツネ仮面の男の前で本を開いた。すると突然本の中身が光り出し、私はとっさに目をふさいだ。しばらく光は続き、光が消えた頃に私が目を開けた時は、なんとそこは私がさっきまでいた現実世界に戻っていた。

 「こ、ここは…私、ちゃんと帰って来れたんだ!」

 しかもちょうどあの世界に行く前の場所だ。なるほど、最後にいた場所に戻ってくるのか。ということはこれからそれぞれの世界に行く時、本を開ける場所とかはきちんと決めておいた方がよさそうだ。

 こうして私は無事(?)に現実世界への生還を果たした。これからめんどくさいことが待っているって思うとやっぱり心はすっきりしなかった。けど今は帰って来れたという安堵感に浸りたかった。とにかく本当に良かった…。そしてさっきの世界で渡された本とアラーム機、そしてスマホに例のアプリはちゃんとそれぞれあった。どれも大切なものだし肌身離さず、鞄の中に入れておこう。

 とりあえず今日はもう疲れたので、今日あったことは夢だと思って忘れるつもりで家に帰って寝ることにした。…いや、ほんとに夢であってほしい!だって何されるかたまったもんじゃないから。

 そしてこれから私はあっちの世界で波乱万丈な人生を迎えることになるとは、この時は思ってもいなかった。