2016年10月24日

 「ねえ聞いた?あの先輩の話」

 知らないっていうのはそれだけで幸せなんだと思えてしまう。
 表出している部分だけを知って人となりを理解した気になって、どうしてそうなってしまったのかなんて考えもしなくて。

 ———ううん、私だけじゃない。先輩のことを理解していた人なんて最初からいなかった。その裏にどれだけ暗いものを背負っているのか知ろうともしなかった。

 「彼はここにいる先生たちよりも大人びていて、僕たちが大人になるにつれて失ってしまったものを失くさずに持ち続けている。そして厄介なのは彼には先が見えすぎているということ。これから起こる事、何を失って何を手に入れるのか、それすらも明確に理解してしまっている。そんなのがどれだけ苦痛かなんて計り知れない。
 僕らみたいな社畜と比べたら、彼の方がよっぽど辛くて苦しい生き方だよ。だって僕らはそれが嫌でこうやって自分自身を騙して正当化しながら生きているんだからね。
 一つはっきりと言えるのは、いつか必ず彼は壊れてしまうのだということ。
 大袈裟な表現だと思うかもしれないけど、これは文字通りの意味だよ。絶対にそうなる。誓ってもいい。だってあの在り方は人が生きていくために必要な機能を削ぎ落したものだからね。
 君が彼のことをどう想っているのかは知らないけど、彼の隣に立つという事が何を意味しているのかよく考えた方が良い。生半可な気持ちで関わろうとすれば、余計に彼の退路を断つだけだ」


 あれからもう十年経った。

 先生にはどこまで見えていたんだろう。こうなることもわかっていたんだろうか。私が関わった事で少しはマシな未来になっているのだろうか。
 先生の言っていたことは全て正しかった。その通りになったし、それ以上の暗いものを背負っている事を理解した。
 善悪とか正しさとか、良い事なのかとか悪い事なのかとか。私には難しい話は完璧に理解できないけど、一つだけ明確に否定できることがあった。だから、私はここにいる。ここまで来れた。それだけは胸を張って誇れる。

 失ったものは戻らない。起きた事を無かった事にはできない。
 だからこそ何気ない一つ一つの選択に価値が生まれる。それは尊いものなのだと意味を持つ。

 努めて笑顔に。心の奥まで届けるためにあの頃を思い出しながら———


 「さて、今日もたくさん先輩の武勇伝をお話するのでちゃんと聞いてくださいね!」