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連休が明けたその日、いつものように弁当を持って踊り場へ向かっていると、後ろから追いかけてくる足音が聞こえた。

「古津さん」

足音の主である瑞樹に呼び止められて振り返る。右手に弁当袋を提げた彼が、2段飛ばしで階段を駆け上がってきた。

「新崎くん。――この前は、来てくれてありがとう」
「いや。どんなもんかなって気になっただけだよ」

当たり前のように、二人並んで階段に座る。今日の彼の弁当にも、焼いたウインナーが入っている。いただきます、と手を合わせて箸を手に取った。

「……アイドルのライブって、初めて観たんだけどさ。すごいね。熱気も、パワーも、盛り上がりも」
「うん。ステージに立つわたしたちだけじゃなくて、ファンの人たちも一緒になって作り上げるの。聴いてもらう、受け取ってもらうだけじゃなくて、わたしたちもたくさん、観客席からいろんなものを受け取ってるんだ」
「テレビや映画の仕事だと、リアルタイムで目の前から受け取れる反応ってほぼないから、羨ましいなって思ったよ。それに、やっぱり古津さんはアイドルなんだなあって実感した」
「えっと……それは、どういう」

唐突な評価に気恥ずかしく思いながらも聞き返すと、瑞樹は口の中のものを飲み込んでから美月に向き直った。

「あんまり自覚してないかもしれないけど、古津さん、かなり記憶力いいよね。俺が並んでる間に握手していた人たちのこと、ちゃんと一人ひとり覚えてたでしょ」
「でも、それは……やっぱりアイドルなら当然のことだと思うから、忘れないようにしなきゃと思ってて」
「帰る前に他の子たちの様子も少し見たけど、古津さんがやっぱり一段上だったよ。俺のことだってすぐに新藤ミズキだって気づいたじゃん。それって、かなり強いアドバンテージだと思うよ」
「あ……」

握手会が決まった時の社長の表情を思い出す。わざわざ美月に向き直って激励を口にしたのは、そのあたりを見抜いていたからだったのだろう。
そういえばライブのあと、さやかたちからも言われていた。

「一番最後まで列が連なっていたのは美月だったね」
「でも、人数としてはそんなに多くなかったと思うよ。途中、列が途切れたタイミングも何度かあったし、繰り返し並んでくれた人も多かったから。それに、みんなのところに行ったあとにわたしのところに並ぶ、って人も少なくなかったから、遅くまで人がいたってのもあると思う」
「人数だけが全てじゃないよ。何度も来てくれたり、他のメンバーと握手しても美月と話したいって思った人がたくさんいるってことでしょ。アイドルとしてはやっぱり“単推し”だったら嬉しいなって思うけど……わたしたちは、この街のためのアイドルでもあるわけだから、たくさんの人にめいっぱい愛される存在じゃなくちゃいけないと思うんだ」
「そうだね、さやかの言うとおりだと思う。アイドルファンや個々のファンだけじゃなくって、〈ウィークエンドウィロー〉として、もっともっとたくさんの人に広く知ってもらって、受け入れられて、好きになってもらわなくちゃいけないもん。そのためには今のファンの人たちの心をしっかり掴んでおくことが大事だけど、美月のおかげできっと今日、それは達成できてると思うの」

そうは言っても素直に喜びきれない美月に、絵里奈が笑いかけた。

「美月、いつもSNSやネットニュースなんかでわたしたちへの反応を見てたもんね。もともと頭がいいから情報収集が得意なのもあるだろうけど……そもそも美月がファンの人たちの心を知ろうとしていたからこそ、ファンの人たちはその努力家でひたむきな魅力に気づいたんだと思うよ。わたしも、握手会だったらきっと美月には勝てないと思ってたし」
「そうなの?」
「うん。美月のその力は当たり前じゃない。気負うことなく、当たり前にそうやって周りの声を、評価を、言葉を探して受け止められるところは、誇るべきものだよ。社長もマネージャーも、もちろんわたしたちも、前から気づいてたよ。気づいていなかったのは美月だけ」

人それぞれ、輝ける場面は異なるのだ。美月にとって最強のフィールドは握手会だった。
自分にはまだ、居場所がある。アイドルとしての魅力を、価値を、力を、まだまだ大きく強くしていける――やっと心の底からそう感じることができた。
自分にまだ足りていなかった自信をようやく手に入れることができたような気がした。

「……俺も、また頑張ってみようかなと思ってて」

しばらく互いに何も話さずにいたが、ふいに瑞樹が呟いた。

「また、演じることをやりたいなと思ったんだ。古津さんの握手会の後に。自信が足りないんじゃないか、なんて、この前偉そうに言ったけど、それは俺も同じで……でも、自信を手に入れた古津さんが本当に眩しくて」
「新崎くん……」
「だから、もう一度俺もそっち側に行きたくなったんだ。見てくれる人の活力になれるような、誰かの生きる理由になれるような人生がいいなって。演技や表現の勉強をして、いろんなことを蓄えて、またあの世界にチャレンジしたい」

消えそうな呟きだった声に、少しずつ強さが宿っていった。まるで話しながら決意を固めたようだった。

「すぐ東京に戻るの?」
「それは考え中。今はオンラインでも勉強できるし、何よりせっかく縁ができたこの街からすぐに離れるのは勿体無いような気がして」
「それなら、高校はここにいなよ。その間にこの街のいいところをたくさん教えてあげる。それでさ、わたしたちがうんと有名になったら、同じくらい有名になった新崎くんと、この街のPR大使とかになるの。どう?」
「いいね、それ。楽しみだな」
「任せてよ。なんたってわたし、この街のためのアイドルなんだから。その時は、わたしの握手会に来たって話もしてくれていいからね」

屋上へ繋がるドアの窓から、晴れ渡った空が見える。山脈に重なる空の裾は、美月の衣装と同じ、透き通った色をしていた。






Fin.