芹野は授業の準備をしながら思い出す。
 優等生と呼ばれる芹野が違反行為に至ることはない――が、過去に一度だけ、一つ上の先輩数名が指導対象となり、特別室に連れ込まれていく場面を目撃したことがある。
 どうやらクラスの生徒をいじめていたらしい。
 最初は不貞腐れていた様子だったが、半日後には当事者たちは真っ青な顔で出てきてからしばらく怯えていた。その一方で、一緒に出てきた教師はやけにすっきりとした顔をしていたのを覚えている。
 一体あの部屋で何が行われていたのか、誰も知らない。

「毎日じゃないけど、違反者は毎週出ているんだ。それでもあの特別室で何をされているのか、誰も口を割ろうとしない。お前もそんなところに入れられたくないだろう」
「……確かに」

 話を聞いて考え込む浦辺。しかしすぐにニッと口を緩ませる。

「クッソ気味が悪ぃな、この学校」
「え?」
「特別室から出てきたらお利口さんになっているなんて、そんな簡単に心境も性格も変わるわけねぇよ。そして、それを誰も止めない環境も気持ち悪い。まるで命を狙われて怯えながら生活している犯罪者みたい」
「……口は慎んだほうがいい。密告されることだってあるんだ。全員敵だと思ったほうがいい」
「へぇ? 従うだけ無駄だって、わかっているくせに?」

 吹っ掛けてくる浦辺を小さく睨んだところで、次の授業の担当教師が入ってきた。何事もなく授業は始まると、全員が黙ったまま板書を写していく。
 ふと、横目で浦辺を見る。板書すらせず、ただ黒板を眺めていた浦辺に、芹野は呆れて思わず目を伏せた。

(皮肉なものだ。羨ましいなんて感情が、まだ俺の中にも残っていたらしい)

 不気味なほど静かな教室。ノートか黒板にしか目を向けない生徒たち。制服の色味以外、味気ない世界。
 その中でも浦辺は一段と目立っている。見た目だけではない、存在自体が嫌でも目に入ってくる彼を、芹野の目はなぜかこの生活を楽しんでいるように見えた。
 放課後には大学進学に向けたプロジェクトの最終調整がある。己のかけている部分を補うための授業だと聞いているが、実際に何をするのか、具体的なことは通達されていない。
 もしあの特別室から出てきた先輩たちのようになってしまったら、きっとその後に見る世界はとても息苦しいものだろう。

(隕石、落ちてこないかな)

 いつもの口癖を頭の中で呟く。隕石が降ってくるどころか、一秒後も何も変わらない世界にうんざりしながら、教科書に目を移した。