周囲を見回すと円を囲うような形で樹木があり、ここは森の中の開けた場所のようだった。中心にはキラキラと陽光を反射している泉があり、僕達はそのすぐそばにいる。その泉の奥に天を突くほど高い巨木があり、その根っこは水に浸かっていた。そしてその泉の水は川となって流れ出ている。
「ふふっ。ここ綺麗な場所でしょ」
「そう……だけど。ねぇアオ、ここは一体何なの? 僕は夢か幻覚を見ているのかな。それとも天国?」
とても幻想的な場所であの世と言われても驚きはなかった。
「ううん違う。ここは端的に言えば異世界。この世界はね、私達がいた世界の裏側に存在しているんだ」
「異世界……って」
そう簡単に信じられるものではなくて。それに、確か僕は飛び降りたはずで。まさか、アニメやゲームと同じように転生したとでも言うのだろうか。
「受け入れられないのも無理はないと思う。でも、少なくとも夢じゃないことはわかったはずだよ。だってめっちゃ痛かったでしょ」
確かに衝撃的な痛みだった。もし寝ていたなら即刻覚めてもおかしくはない。
「ゆっくり飲み込んでいけばいいよ。この世界で過ごしていけば実感も湧くと思うし」
「……じゃあ仮に、異世界だとして僕は何故ここにいるの? どうしてアオもここにいるの?」
「ユウが神様に選ばれたからだよ。私と同じく」
「いやいや、何で僕が……」
自分がそんな大層な人間だとは思えなかった。
「きっとユウの優しさが認められんだと思うな」
「優しい……?」
違う、違う、違う。アオの言葉で冷静な思考が戻ってきた。僕は人を死に追いやったんだ。それも目の前の子を。
「僕は……アオを……葵を苦しめて――」
「止めてっ!」
悲痛な面持ちになったアオが、大声で制止してくる。
「もう、いいんだよ。私はね辛い過去を捨てたの。だからユウもあっちのことなんて忘れて」
アオは両手をにぎにぎしながら、優しくそう語りかけてきた。
「捨てたって……」
「それにね、私は葵じゃないの」
「え?」
何を言っているのかわからなかった。言葉を持っていると、彼女はまた明るい微笑を向けてきて。
「この世界ではミズアって名乗っているの。もう葵なんていないんだよ。だから葵って呼ばないで。……、まぁアオはいいけど」
「なん……で」
「ユウもさ、嫌なこととか忘れようよ。そしてこの世界で新しい自分になろっ」
説明されとも理解出来なかったし、したくもなかった。幼馴染のはずなのに知らない人のように見えてきて。さっきまで感じていた壁の存在がわかった気がした。
「……それは無理だよ」
何度も何度も植え付けた自分の罪をさっぱりなくすなんて出来なかった。
「……だよね〜。私も最初そうだった。でも、いつかそうなる時が来ると思う。お仕事をしていればね」
「お仕事……?」
「そそ。神様がこの世界にユウを呼んだのはある役目を担って欲しいからなんだ。ちょっとこっちに来て」
手招きされる。僕はぎこちなくそばに寄った。
「足痺れちゃってさ〜。ちょっとごめんね」
アオは正座を止めると慎重に足を伸ばして、テデイベアーのように座り直した。
「そんな長時間膝枕してたの?」
「ユウってばぐっすりだったもん。強引に起こそうとしたんだけど、すっごく心地よさそうでさ〜。ふふっ、相変わらず寝起きが悪いんだね」
「ご、ごめん。それとありがと」
僕はどちらかと言えば夜型の人間で、対して彼女は朝型だ。小学生の頃はたまに起こしに来てもらっていた。
「どういたしまして。ってそんなことより、ちょっと見ててね」
そう言うとアオの右の掌に突然、淡い紫に光ると剣の柄のようなものが現れた。青色で真ん中に白の丸い水晶みたいなのが取り付けられていて紫色に光っている。そして何より柄の先には刃が無かった。
「ど、どうなってるの?」
「ふふん、びっくりしたでしょ」
アオはサプライズに成功させたように喜んだ。
「そしてユウにこれをあげる」
「これは……?」
もう一つ取り出すとそれは色違いの黒で、水晶が色褪せていた。
「ロストソードっていうの。神様の力が入ったお仕事道具だよ」
渡されて手に持つと水晶が淡く紫に光りだす。手触りは少しざらつきがあり、ひんやりとしていて思ったよりも軽かった。
「というか、さっきのマジックみたいなの何?」
「ふっふっふ。なんとこの武器の力で呼び出したのです。ちなみに、すでにユウも使えるようになってるよ。仕舞いたいって強く思えば仕舞えるんだ。そして取り出したいって思えば出せるよ」
言われるがまま試してみると本当に消したり出現させたり出来てしまった。
「す、すごい! これどうなってるの?」
「ふふっ。この武器の特殊能力で、所有者が仕舞いたいと思うと粒子となって、その人の体の中にあるソウルに入るの」
「ソウル?」
また新たな単語が飛び出してくる。色々訊いてしまうけど、アオは嫌な顔一つせず教えてくれる。
「ソウルはあらゆる生物の中にあって、そこにはその生物のあらゆる情報が入っているんだ。そしてこの世界の生物は、ソウルから身体ができていて当然心臓もそこから生まれてる」
ソウルはどんな形をしているのだろうか、何となく青くて丸い透明な物体を想像した。
「ソウルはその人の全てだから、ソウルの情報を操作するとそれに合わせて身体も変わっちゃう。ロストソードはソウルに入って情報を書き換えて、身体の一部となって出したり仕舞ったりできるようにしているんだ。普通は無理だけどこれは神の力があるから可能らしいよ」
「何かゲームみたいだね」
正直はっきりと理解できているわけではないが、データを弄ってキャラクターの性能を変えるみたいなことが起こなわれているという感じだろうか。
「他にもロストソードには、この世界を生きれる便利な機能があってね。例えば耳にしたり話したりする言葉や見たり書いたりする文字とかも翻訳してくれるんだ。それに――」
アオは僕から視線を外して僕の背後を見た。どうやら誰かコチラに来ているようで足音がしてきて。
振り返ると少し離れた所に、二メートルくらいありそうな人がいた。ただその人には、熊のような丸い耳が付いていた。
「あ、あれって……?」
「だーいじょぶだよ。そこにいて」
もう痺れが直ったのか、勢いよく立ち上がるとその人の元へ向かった。
「おや、ミズアさん」
「こんにちは~クママさん」
クママという可愛らしい名前の彼は、背は高くて痩身、猫背でいる。顔つきは儚げで幸薄そうな感じでいるのだけど、頭には硬そうな紅の二本の角を持っていて、瞳はルビーのような色で、白のシャツに黒の短パンというシンプルな服装だった。首には藍色のネックレスをつけている。
「お祈りに来たの?」
「ええ、それに彼がどこかに行ってしまったので探すついでに」
喋り口調は穏やかで、優しげな低音の声でいる。それにアオの言う通り言葉は完全に理解できていた。
「亡霊化はまだ、だーいじょぶそう?」
「正直、時間はなさそうです。ですが、アイリさんと一緒に頑張っていて、前進はしています」
「そっか~。やばかったら遠慮なく教えてね」
クママさんはコクリと頷くと、話を終わらして泉の方に歩く。途中、僕の存在に気づいていて目が合うと会釈してくれたので、こちらも返した。それから、泉の前に来ると巨木に向かって一礼し一度両手を上げてから、胸の辺で掌を閉じて目を瞑る。どうやら祈っているようで、数秒その状態を続けた後、ゆっくりと目を開け、踵を返した。帰っていくクママさんにアオは笑顔で手を振ると、彼もまた振り返してそのまま森の奥に行ってしまった。
アオは見送った後こちらに戻って来る。
「驚いたでしょ。角に耳があるもんね」
「……彼は何者?」
「この世界には、ああいう動物の特徴持つテーリオ族っていう人々がいるんだ。奥底には野生の力を持っていてね、すっごく強いんだよ。彼はデスベアーの力を持ってる」
デスベアーって何とも強そうな名前だ。彼の雰囲気とは真逆だけれど、きっとすごく強いんだろう。
「それと亡霊って聞こえたんだけど」
「よく聞いてくれましたっ」
ただ質問しただけなのに謎に褒められた。
「それこそ私達がいる理由なんです!」
「というと?」
「ロストソードにはこの世に残ってしまった死者を解き放つ力があるの。霊は生者と死者双方向の未練によって生まれちゃう。最初は、死者と繋がっている関係者と私達しか見えなくて透けている。でも長くいるとどんどん亡霊になっていって徐々に実体化するの。そして理性を失って暴れ出し人々に危害を加えちゃうんだ。その前に開放する」
亡霊や死者、それは他人事とは思えなかった。
「開放って剣で攻撃するとか? 剣先無いけど」
「まずは未練を解消する。でないとめちゃくちゃ強くて手が付けられないんだ。そうしてから、霊を生者から切り離す。離すと亡霊になっちゃうけど、弱くなっているからそのまま剣で倒せば万事解決」
「……まさか僕もこれで?」
どのようにこの剣を使えばいいのかわからないし、何より戦える気がしない。
「だーいじょぶ。弱めたら簡単だから。それにめちゃくちゃ強い私もいるしね」
「で、でも。未練を解決するっていうのも……」
僕は自ら命を捨てた人間だ。まだ生きたいと願っている人を引き離す資格があるのだろうか。
「それこそ問題ないよ。だってユウの優しさは私が一番わかってるもん」
「僕の……優しさ……」
そう言ってアオは僕の手を握って立ち上がるよう引っ張ってくる。それに助けられながら腰を上げた。
「明るさが人を前向きにする。小さな頃、引っ込み思案だった私にそれを教えてくれたのはユウだよ!」
「……」
「だからきっとだーいじょぶだよ。さぁ、行こっ!」
手を繋がれたまま僕は抵抗することもなく彼女の後ろを歩き、森の中に入っていく。アオの柔らかく包んでくる手はとても温かったけど、冷たい不安にまでは届かなかった。
僕達は森の中を進んだ。当初は前にいたアオだけど、今は隣りにいて横に広がって歩いていた。
木と木の間はある程度の間隔が開いていて、空から降り注ぐ陽光が葉と葉の隙間を通り木漏れ日が下まで届いている。地面は木の根が張り巡らされていて歩きづらさがあるものの、踏みしめる土はふんわりとしていた。とても静かで、葉がこすれる音と足音、そして僕らの話し声だけがある。
「それにしても、ユウは前よりももっと大きくなったね。いくつくらいなの?」
「今のはわからないけど、去年の健康診断では176センチだった」
「うひゃ~。高校生くらいでも大っきくなるんだね……」
アオは爪先立ちしてみたりして、同じ高さになろうとするも届かない。中学の頃なら、同じ高さになっていたのを思い出す。
「私は身長も胸も変わらなかった」
そこからアオは自分の身体の特に胸あたりを見ると、ガクリと項垂れる。すごい悲哀を感じた。
「この世界には、そういうことが出来る技みたいなのは無いの?」
「それが無いんだよ〜。魔法はあるんだけどな〜」
「魔法はあるんだね」
さらっとその存在を明かされた。まぁロストソードを見たから予想はしていたけど。
ただ剣と魔法があるファンタジー世界なら僕の着ている制服は非常に場違いな気がしてきた。
「……それ高校の制服?」
「うん。今日から学校だったから」
「そういえばそっかぁ。すごく似合ってると思う」
彼女は純粋に褒めてくれているのだろうけど、僕は喜びづらかった。
「というか、この服って浮かないかな?」
「多少は珍しいだろうけど、だーいじょぶ。今から行く街はそんな感じの服もあるし」
「そういえばどこに行くの?」
「イシリスの街。イシリスの国で最も栄えていて、色んな人がいるんだ。王様がいるお城もあるよ」
しばらく森を進むがほとんど景色が変わらない。ずっと同じところをぐるぐるしているような錯覚を抱く。
「そこにはまだ着かないの?」
「もうちょっとかかるかな。森を出ると平原があって、少し歩いてこの島の端っこまで行くとゴンドラみたいなのがあるから、それに乗って行く」
「島? ゴンドラ?」
何やら現代的な名前が飛び出してきた。
「この世界にあるイシリスを含めた五つの国は全部浮遊島で、雲の上にあるんだよっ。びっくりでしょ!」
「……嘘でしょ? 何か急に息苦しくなってきたような」
「あははっ、それは疲れのせいでしょ。快適に過ごせるように結界が貼られているもん」
かれこれ十五分くらい動き続けている。あまり運動してなかったせいで、多少息が上がってきた。
「それでゴンドラっていうのは?」
「この島の南端と北端にある、島と島を行き来するためのマギアだよ。形とかもほとんど向こうの世界のと同じかな。あ、マギアっていうのは魔法で動く機械みたいなもののこと」
「魔法の機械……」
この世界の輪郭くらいは見えてきた気がする。神様や魔法の影響が強くて、結構文明も発展しているみたいな感じかな。
「それとさ、ずっと気になってたことがあるんだけど」
「遠慮せず、このミズア先生に何でも聞いて」
「……まだ手を繋いでないと駄目なの?」
そう、歩き始めてから僕の右手はアオの左手の中にあり続けている。手汗もすごくなってきました、そろそろ離したかった。
「森を出るまではこのまま。だって、この森にはこわーい魔獣がいるんだから」
「ま、魔獣?」
「この世界の動物の総称かな。牛とか馬とかもそれの中に入ってる。当然凶暴なのもいるし、ここは特に多いんだよ。ヤバいのは色でわかるんだけど。赤とか青系統の身体を持つ魔獣は危険、白とか黒の魔獣は安全。黄色は手出ししたら襲ってくる感じ。紫はこの世界では高貴な存在だから関わってはいけないの。まぁ激レアだからほぼ会わないけどね」
そんな事実を伝えられ、思わず周囲をキョロキョロして警戒してしまう。だけど、やっぱり生物の気配は感じられなくて。
「おかしいな。いつもなら二体くらいには襲われるのに」
「う、運がいいのかな」
「いや、もしかしたら――」
ドシンと右の方向から重い足音がした。間髪おかず大地を揺るがすような咆哮が耳を突き刺した。
「グラァァァ!」
まるで突然現れたかのようで、足音と振動がどんどん接近してきて、その正体がはっきり視認できるようになる。僕の背をゆうに超える巨大な藍色の毛皮を持つ熊のような生物がいた。血を染めたような色のギョロッとした目や大きな手には五本の凶刃な爪がギラついている。
「……あれって青系統の魔獣?」
「ううん。あれは魔獣じゃなくて霊。彼はクママさんと一緒に未練を持っているの。魔獣みたいな姿はテーリオ族が変身したものだよ」
確かによく見てみると、二本の角や紅の瞳というか特徴は一致している。あれがデスベアーの力なのだろうか。
「ユウは私の後ろにいて。隙を作って逃げるから」
「わ、わかった」
手を離して僕は、後方の茂みの方に逃げた。
「見ててね、生まれ変わった私の強さ」
アオは右手にロストソードを出現させる。すると水晶が強く輝くとパープルの剣身が伸びた。
「刃がっ……!」
「使用者のソウルを使って刀身を出現させるんだ。そうなると半霊状態になって、霊にもこの剣があたるんだ。この状態を長く続けれないんだけどね」
「グルゥアア! ツブス!」
その巨体に似つかわしくない速度でアオに接近。丸太のような左腕を振り下ろす。
「よっと」
軽々とバックステップで躱す。間髪いれずに霊は攻撃を繰り返すが、スカートをひらひらと揺らして、縦横無尽に動き回るアオに当てることは出来なかった。
「す、すごい」
僕は戦闘の状況に合わせて移動しながら戦闘を見守る。
「グゥぅ」
また攻撃を回避された霊は、疲れからか動きが鈍る。その隙をアオは見逃さなかった。
「はぁぁぁ!」
ロストソードが橙色の光を溜め込み、剣を斜めに斬り下ろすと、刃から斬撃が放たれた。それに対し霊は腕をクロスさせガード。強い衝撃波が起きて森をざわめかせる。
「やっぱ、硬いな〜」
「……このテイドか?」
刺々しい重低音の声であざ笑う。身体にはほとんど傷が無かった。
「……デスクロー」
両手の爪は血が滲むように赤黒く染まり、離れているこの距離でもその強さを感じて肌がビリビリとした。当たれば命はないかもしれない。
「アオっ!」
「だーいじょぶ! ミズアは強いんだから!」
「オワりだぁぁぁ」
二本の紅の爪がアオ目掛けて襲いかかる。
「ほいっと」
まるで重力を感じさせない跳躍で霊を飛び越えて回避。デスクローは地面に当たり、激しい振動と爪痕が刻まれた。
「グゥ……まダダァァ」
「ううん、そろそろ終わりにするよ。この師匠お手製ミズアちゃん人形で!」
ポッケから掌サイズのデフォルメされたイエローカラーのアオのぬいぐるみを取り出した。
「いけっ!」
「フザケルナァァ!」
再び遠くから見ても圧迫される勢いで彼女に迫る。それに対してとても小さなミズアちゃんぬいぐるみが走って立ち向かう。
そして互いに肉薄した時、ぬいぐるみが霊の顔に向かってジャンプ。それを防ごうとその華奢なミズアちゃんを無惨な凶爪で貫いた。けどその瞬間、ミズアちゃん人形が強烈な光の爆発を起こす。
「ヌゥぅぅ」
あまりの眩しさに霊は目を抑えて、その場フラフラしだす。
「目を覚まして!」
アオはまたロストソードを両手で持ち振りかざすと、今度は桜色に刀身が輝き出した。さっきの橙色の技よりも強い煌めきに美しさを持っていて。その力はさっきのデスクローよりも上で、こちらまでそれが伝わって鳥肌が立ち始めた。
「せいやぁぉぁぁ!」
天に剣を掲げ真っ直ぐ振り下ろす。桜色の斬撃がデスベアーを飲み込む。剣撃が通った地面は抉られて周辺の木立を倒していく。光が収まると五メートルくらいは吹き飛ばされた霊がいて地に膝をつけている。ただ、身体は多少傷がついている程度でいて。
「あ、あれを耐えてる?」
「逃げるよっ!」
「うわぁっ」
圧倒的な力を呆然と眺めていると、戦い終えたアオに強く右腕を捕まれて、思いっきり引っ張られながら走らされる。もうロストソードはアオの中に入ってしまったようだった。
「あ、あのままで大丈夫なの?」
「ショックを与えたからしばらくすれば正気に戻ると思う。まだ、半亡霊みたいな状態だから」
後ろを見ると、デスベアーはすでに立ち上がっていてゆっくりではあるけど、こちらに近づこうとしていた。
「嘘でしょ? あんな攻撃を受けたのに」
「未練を解消しないと、霊を開放するのは難しいんだよ~」
強引に解決することは不可能に近いことだと身にしみて理解できた。もちろん、感情的にもそうするべきではないのだけど。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
僕達は全速力で森の中を駆ける。木の根や落ちてる枝に足を取られそうになりながら、アオのペースに無我夢中でついていった。
「森を抜けるよ」
そして、気づけば開けた場所が見えてくる。最後のスタミナを振り絞りそこまで足を動かし続けた。
「よーし、ここまでくればだーいじょぶでしょ」
そこは広大な平原で、黄緑色の絨毯が敷き詰められている。自分よりも高い物が何一つなくて解放的な気分になった。そして立ち止まったことでどっと疲れが押し寄せ、緊張も急激に解けて力が抜けて寝転がった。
「はぁ、はぁ、はぁ。疲れた」
「おっ、いいね〜」
めちゃくちゃ余裕そうなアオも僕の隣で横になった。どうしてあんな戦って走ったのに息一つ切れていないのか。
「ねぇユウ」
「な……なに……」
「暖かくて心地いいね」
こっちは呼吸を安定させるのに必死だと言うのに、アオはとてもリラックスしている表情でいる。
「ふぅ……」
段々と落ち着いてくると、走った後の爽快感とじんわりとした気分の良さが脳内を満たしていく。
「ねね、もうちょっとこうしていようよ」
「……そうだね」
視界には澄み切った青空があって、穏やかな風が涼しさと草の匂いを運んでくる。こういう状況じゃなければ昼寝をしたい気分だ。
だから、昼寝までは行かなくとも僕は体力が回復するまでゴロゴロとしていた。
休み終えてから上体を起こすと、少し遠くの前方の空の少し上に巨大な島が見えた。
「あれがイシリスの街?」
「そう。もうちょっと歩けばゴンドラに着くから、頑張ろ」
アオはぴょんと立ち上がると服についた草を払って、僕に手を差し伸べてくる。素直に手を取って僕も起き上がった。そして繋いだまま足を動かし移動を開始。
「ええと……ここにもヤバイのが?」
「いないけど、何が起こるかわからないからね。でもだーいじょぶ。私がユウを守るから」
「あ、ありがと」
何だか嬉しいような情けないような気持ちになる。
そんな風に近くで守られながら、草原の上を進んでいった。度々、魔獣を見かけるのだけど、それらは白や黒色をしていて、その姿は牛だったり豚だったり、鹿だったりと少し違いはあるものの前の世界でも見覚えのあるものばかり。もちろんの襲われることもなかった。
「もしかしてゴンドラってあれ?」
「そう結構近いでしょ」
十分もかからず島の端が見えてくるのと同時に人工的な物体をはっきり視認できた。それは丸っぽい長方形のフォルムで濃い青色をしている。大きな窓がついていて、中は数十人くらい乗れそうな広さだ。地面に置かれていて、上にあるはずの動くための網はなかった。そのゴンドラの少し離れた右隣には、同じくらいの大きさの擦り跡も残っている。
「これって動くの?」
「もちだよ。さぁ乗って」
アオが右側面のドアに手をかざすと自動で開く。一緒に乗り込むと、今度はゴンドラの頭の方の窓をコツンと叩くと、ゲームで出てきそうな水色の丸い魔法陣が浮かび上がった。それがぐるぐると回りだすと、ゴンドラが浮かび上がりゆったりと動き出した。
「ま、まさか空を飛んでるの?」
「魔法があるんだから、空飛んでもおかしくないでしょ」
「そ、そうかもしれないけど」
想像していても現実に起きて驚くのは仕方ないと思う。窓から下を眺めると、もうそこに地面は無くて、白い雲が広がっていた。高い所にいるという記憶からビルから飛び降りた瞬間を思い出してしまい、窓から顔を離した。
「気分悪くなっちゃった? ここ座って」
「う、うん」
ゴンドラのお尻部分に座るスペースがあって、アオと一緒にそこへ腰を下ろした。
「ユウって高所恐怖症だったけ?」
「ううん、何でもないんだ。ちょっとここから落ちる想像をしただけで」
「あははっ、そういうことか〜。でも安心してこのゴンドラは落ちたことがないんだよ」
内部では揺れたり風の音がしたりすることはなかった。スイスイと飛び続けて、イシリスの街まで半分というところまで来る。
「空を飛ぶ魔法があるなら、乗らなくても自分で飛んで島に行くことはしないの?」
「空飛ぶ魔法はめっちゃ高度で魔力を使うし、それを維持し続けなきゃならなくて大変なんだって。しかも島と島は離れてるし長時間だから現実的じゃないの」
「燃費が悪いんだね」
ひとえに魔法といってもちょちょいのちょいって感じじゃないみたいだ。
「昔にはそれが出来た超人がいたみたいだけど。でも、そんな選ばれた人しか無理。そんな時、ある人が誰でも行けるようにこれを作ったんだ。このゴンドラの内部には大量の魔石っていう魔力の源が入っていて、それを効率的に使う仕組みが施されてるの。それにさっき魔法陣が出たでしょ? 魔法って呪文が必要なんだけど、覚えるのがすっごく大変。だから、呪文で作られた魔法陣を刻印することで、体内にある魔力をちょっと流すだけで発動するようになってるんだ」
「……すごいイノベーションだね」
ファンタジー世界でこの単語を使うとは思っていなかった。というか、あの魔法陣って文字で作られていたのか。
「ちなみに、その人は私の師匠なのです!」
「本当に?」
そういえば、あのぬいぐるみを出したとき師匠お手製とか言っていた。
「しかも、街についたらまずはその人のマギア店に行くの。店の名前は『マリア』っていうんだ、可愛いよね」
「マギアって、魔法の機械だっけ。アイテムを補充しに?」
「ふっふっその店にはもう一つの姿があるのです。それはですね、私達ロストソードの使い手の拠点でもあるのでした〜」
そう言いながら、ロストソードを手に出してブンブンと左右に振り回した。
そうこうしている内に前を見るともう街に近づきつつあって、後方を振り返るとさっきまでいた島は遠くにある。
「そろそろだよ」
ぱっと見の街並みは、道路がコンクリートのようなもので綺麗に舗装されていて、様々な形の家々があり、人々の服装も色とりどりだった。
街の中に入ってすぐにゴンドラは地面に着陸。ドアが再び開き僕達は外に出た。すると、ゴンドラはドアをひとりでに閉めるとそのまま元の場所に戻っていく。
「取り残されてる人を防ぐために片道になってるの。行きはその隣のゴンドラでね」
隣接して同じくデザインのゴンドラがあった。それに、どうやらここはゴンドラの発着場のようで、様々な色のゴンドラが並んでいた。
「それじゃお店に行こう!」
発着場には外に出るためのテーマパークに入るようなゲートがあって、窓口に黒色のスーツを着て白の丸い帽子を被ったお姉さんがいる。そこを通るのだけど、ペコリとお辞儀されるだけで止められることはなく通過した。
「ここって利用する時に料金がかかるんだけど、私達は特別に無料で使えるんだっ」
「そんな特別待遇を受けるほど重要なお仕事なんだね……」
より重圧がかかってくる。若干逃げたくなるのだけど、その先はないので圧に立ち向かうしかなかった。
街の中はそこそこの人通りがあって、ファンタジーの世界というよりも現代に近い街並みだった。真ん中に大きな道があり、左右の両端に三人分くらいの幅の道がある。真ん中には、馬車やメカメカしい人形の人力車、バスのような乗り物が行き交っていて、両端の道に歩行者が闊歩していた。周囲を見回すと建物のほとんどが民家のようなのだけど、西洋風な家や和風の家、モダンな四角い家なんかもある。すれ違う人は、普通な人だけじゃなくて、獣の耳を持つテーリオ族や耳が尖っているエルフのような人もいた。服装も、冒険者や戦士のような服の人もいれば、アオの言う通り洋服や和服何かを着ているような人もいて、中にはコスプレのようなメイド服の女の子がいた。
感想を一言で表すならそれは。
「カオスだ」
「すごいでしょ。私達と同じ世界から向こうから来た人の影響で、色んなのがあるんだよ。もちろん私もその一人。この国の王様が新しいもの好きでどんどん取り入れちゃうんだよ〜」
僕達は左側の歩道を歩いてお店に向かっていた。田舎から都会に上京した人のようにキョロキョロしながら。前からゴミ袋を抱えたおばあさんが歩いてくるのだけど、その人はパワードスーツみたいなのを着用していて、軽々持っていた。
「そうそう、イシリスの街について教えておくね」
彼女によると、この街は東西南北でエリアが分かれているらしく、セントラルパークという広い公園を中心にして、今歩いている西は住宅エリア。南は商業エリアでイシリス商店街があって、北に城がそびえ立っている。東には、テーマパークやスポーツのためのスタジアム、そしてシンボルのイシリスタワーがあるとか。
「師匠のお店はこの西エリアにあるの。ここを曲がるよ」
大通りから外れ細い小路に入る。道は砂利で周辺の建物は古めかしいものばかりで手入れされておらず、ほとんどが空き家のようだ。ここに入った途端に、活気は失われていて、別の世界にすら思えてくる。
「ここだよ」
しばらく道なりに真っ直ぐ進んでいると開けた場所に出て、そこにはポツンと紫の三角屋根の大きな家がそこにはあった。広々とした空間にあって、その家がもう一軒立ちそう。
近づくとドアは木製で、その横には『マリア』という看板が置いてあった。
「ただいまー師匠」
「おかえり、ミズア」
店内はウッド内装のカフェのような感じの落ち着いてオシャレな雰囲気だった。棚が沢山あってその上に色々なマギアが売りに出されている。奥にはカウンターがあってそこに女性が一人いて。
「連れてきたよ」
「こ、こんにちは」
師匠と呼ばれたその人は二十代後半くらいの美人だった。紫の長い髪を伸ばして、同じ色の綺麗なアーモンド型の瞳をしている。大きな胸を腕で抱えていて、何より特筆すべき点は白衣を着用していることだった。その出で立ちは師匠というより博士だ。
「待っていたわ日景優羽くん。私はアヤメよ。よろしくね」
アヤメさんは全てを見透かしたように目を細めて微笑
「どうして僕の名前を……?」
「いやー神様が君をこっちの世界に君のことを連れてきたって言っきたからねー」
友達から聞いたみたいな感じで、すごいことを言ってくる。
「師匠は神様と繋がれる唯一の人なんだ。この世界に異変が起きた時に使命を授かる役目があるの」
「す、すごい……!」
「ニヒヒっ。ありがとう。だけれど、君も役割を与えられたその一人。それに今の私は、解決するための道具を作ったり、住む場所を提供したり、サポートしているだけ。大したことはしていよー」
アヤメさんは特徴的な笑い方をしながら、くしゃっと人懐っこい笑顔を作る。しゅっとした美人で大人びた雰囲気とは打って変わって親しみやすさを感じた。それに、どことなく話し方とかアオに似ている気もする。
「とりあえず、色々あって大変だっただろうし、二階の一番奥に君の部屋があるから少し休んでいきなよー」
カウンターの向う側にあるドアを指し示す。その時、右腕に付けている紫のブレスレットがチラリと姿を見せた。
「あ、それと少し休んだらこれを使って」
「は、はぁ……」
手渡されたのは両手に収まるミニチュアの望遠鏡だった。覗き込む部分に魔法陣がある。
「部屋には私が案内するよっ」
「う、うん」
ガチャリと開けた先には真っ直ぐ廊下が伸びており、その両壁にいくつか部屋に通じるドアが付いている。そして一番手前の左側に階段があった。アオから説明を受けて、階段の少し先の右側の扉には居間、さらにその向こうに左右に一つずつあり、左にはトイレ、右には洗面所と浴室。一番奥に一つ扉が佇んでいてそれがアヤメさんの部屋らしい。
一段の幅が広い階段を上がり二階に来ると、まず少し進んだ突き当りに正面に扉があって、真中に白の薄い魔法陣がある。そこから左に通路が伸びていて、右側に等間隔に三つの部屋があるようだった。
「ユウ部屋は一番奥だよ」
ピンクの魔法陣の部屋、オレンジ色の魔法陣の部屋、最後に黒の魔法陣が刻印された部屋の前に。
「この魔法陣は何?」
「鍵の役割だよ。色が薄いと開いていて、濃いと鍵がかかってるの」
今は色が薄い。スライド式のようで右から左に動かすと開いた。
「中からこの部屋の鍵を閉めると、この部屋を開けられるのがユウになるから、忘れずにね」
「わ、わかった」
「私の部屋は隣だから困った事があったらいつでも来てね」
アオとは一旦別れて、僕は部屋の中に入りドアを閉めた。言われた通り魔法陣に触れると色が濃くなる。
部屋の内装はすごく簡素なものだった。六畳半ぐらいの広さで、僕が住んでいた部屋とほぼ変わらなかった。床は木製のしっかりとしていて、歩いても軋むことはない。入口から右側の奥にある窓際に白いベッドが置かれていて、その小窓から光が入り込んでいる。左側の奥には細長いクローゼットがあった。上に観音開きの扉があり、下に二つ引き出しがついている。天井には照明がぶぶら下がっていて、スイッチを探すと入口付近に小さなグレーの魔法陣があり、触れると黄色になったのと同時に照明から白い光が部屋を照らした。
ベッドに座ると低反発の柔らかな感触が伝って、そのまま背中から倒れ込んだ。
「はぁ」
自分の部屋というものを与えられるとこれからも生き続けていくのだと実感が湧いてくる。正直、目が覚めてからは非現実的なことしか起きていなくて、どこか夢の中にいるように地に足がついていなくて、色々受け入れていたけど、ここにきて思考が冷静になってしまって、現状に不安とか恐怖が形となって現れてきた。アオがいるから幾分かマシだけど、心の壁を感じてもいて心細い。
「そういえば」
一度上体を起こして、手に持っていた望遠鏡のことを思い出す。ベッドのシーツの上に置いて、魔法陣をタップ。すると、向かいの白い壁に光が放たれて、アヤメさんの姿が投影された。それはプロジェクターみたいなアイテムだったみたいだ。
「やぁやぁ、驚いたかな? 先ほど君に渡したものは、この世界にやってきた人にいちいち説明するのがメンドイから開発したマギア。これから今何が起きていて何をするのか詳しく説明していくよー」
どうやら録画された映像のようで、アヤメさんが身振り手振りで、落ち着きなく説明が開始される。
「この世界では今、亡霊化という異変が起きているの。生者と死者、互いの未練で死者がこの世に霊として留まり、長くいると亡霊となり人々に危害を加えてしまうね」
ここはアオからも説明を受けているし、実際にその霊も見てわかっている。
「それは、五十年くらい前から引き起きていて、その原因は魔法にある。実は元々この世界には魔法は無くて、君が生きていた世界と似た状況にあったんだ。けど、この世界に関わる五体の神の内の一体が、魔法という神の力を持ち込んでしまった。そして、中でもある一人に強大な力が与えられ、その人間は魔王と自称して世界を滅ぼそうとした」
魔王がいたのか。割と近代的だったので、その単語で一気に異世界という感覚が出てくる。
「それに対して、世界の均衡を保つため他の神も特別な力を与えた勇者という存在を作った。そして戦いの結果、魔王は倒せたけれど地上は汚染されて、残ったのは空へ逃れた五つの国のみ。そして現在まで続いているの。ちなみに、魔法を持ち込んだ神は追放されて、代わりに地球で人間を生み出した神が管理しているよー」
だから向こうの世界から人が呼べているのだろうか。
「そんで話は戻るのだけど、魔法が存在することは本来想定されていなくて、世界のバランスはすごくギリギリの所で保たれているの。だからか、たまーに不具合が起きてしまう。その一つが亡霊化。なので、直接関与出来ない神の代わりに解決してもらうため、君が呼ばれることになっているんだ」
要は世界のバグを修正するということらしい。何だかスケールが大きくて気圧される。
「以上で説明は終わりっ。君の活躍を期待しているよ!」
最後にそう締めくくると映像が止まった。
「期待って言われてもなぁ」
勝手に呼び出されているのにと若干苛立ちを感じた。
「ユウ〜、ちょっといいかな?」
コンコンと扉をノックされる。僕は返事をしてスライドして開けた。
「ど、どうしたの?」
そこにいたアオは、白の生地にミカンが描かれたTシャツにオレンジの短パンというラフな姿でいた。
「少しお話がしたくて。入ってもいい?」
「いいけど……」
了承すると彼女はベッドに直行してそこに腰掛けた。隣に座ってと指し示され、僕は鍵をしっかりと閉めてから、ベッドに少し間を開けて座る。
「映像は見た?」
「うん。何が起きてるのとか理解出来た」
壮大なため感覚として馴染んではいないけれど。
「この先もやっていけそう?」
「……正直自信はないよ。それにそもそも、歩くことを諦めたつもりだったからさ。先があるなんて……」
今ははっきりと、これはリアルで地続きの世界なのだと認識出来ていた。その不安を吐露するとアオは頭をポンポンとしてきて。
「だーいじょぶだよ。私が支えてあげるから安心して。私の明るさできっとユウを笑顔にしてみせるから」
その言葉は心強かったしとても嬉しい。でもやっぱり、その光は近づきがたい眩しさがあった。
「ユウワくん、開けるよー」
「へ?」
アオと会話をしていると、外からアヤメさんの声がして、そのすぐ後には扉が勝手に開けられて入ってきた。
「か、鍵……は?」
「ニヒヒっ。これは私の開発したものだからねー。まぁマスターキーみたいなものだよー」
若干セキュリティに疑惑が生じてきた。本当に大丈夫なのだろうか。
「それよりも、君に少しお願いをしたくてね」
「何ですか?」
「ロストソードの仕事は戦闘も発生するから、バトルのための服が必要なんだけど……私的にその制服を戦闘用に改良したくてねー」
制服はあまり好きじゃないから気乗りはしなかった。
「……他のじゃ駄目ですか?」
「駄目ではないけど、その制服がいいんだよねー。これは開発する私のモチベが理由なんだけどね。それに、一回ミズアにセーラー服でお願いしたんだけど、断固拒否って感じだったからねー」
「……」
アオは顔を背ける。やはり過去を想起させられたくないみたいだ。
「頼むよー。戦闘服にすると、ロストソードみたく君の一部になって、すぐに着替えられるようになるから、面倒くさくはないからさー」
「……わ、わかりました」
「おおっ、ありがとう! それじゃあ、そこのクローゼットに君のための服が沢山あるから、着替えてその制服を持ってきてね。絶対だよー!」
そう念を押してからアヤメさんは部屋を出ていった。
「私も下で待ってるね」
少し元気なく微笑むとアオも外に出た。それを見届けてから、僕はクローゼットの上の部分を開けた。するとそこには、結構な数の着替えの服やズボンがハンガーにかけられている。下の引き出しを開けてみると、そこには下着類が詰まっていた。とりあえず、白のインナーシャツを取る。それから、どの服にしようか色々見てみる。
「……これ可愛いな」
目を引いたのは、黒の生地に、ワンポイントで熊を抱きしめているピンクの魔法使いみたいなミニキャラの少女が描かれた長袖の服だった。ズボンは同色の少しゆったりとしている長ズボンを選択。それに着替えてから、制服と望遠鏡を持ち僕は一階に降りて店の方に行った。
「ユウ……その服って」
僕を見るなりアオは少し引きつった顔をして、アヤメさんは笑いをこらえるように手で口を抑えている。
「ぷふっ……ユウワくん、どうして、その服に?」
「いや、普通に可愛かったので。まずい感じですか?」
「い、いえ……。すごく似合っていると思う……ふふっ」
何が面白いのだろうか。アオに助けを求めるも、苦笑いするだけだった。
「というか、ユウってぬいぐるみとか可愛いの好きだよね」
「うん。そういえば、アオはメカメカしいのが好みだったっけ」
幼馴染で長く一緒に過ごしていたけど、嗜好に関しては影響を与えることがなかった。小さな頃、僕はぬいぐるみとかで人形遊びをして、アオは特撮おもちゃでごっこ遊びをよくしていたらしい。向こうの世界では、毎日ベッドのぬいぐるみと一緒に寝ていた。
「ふむふむ。ならこの人形を上げようかなー」
アヤメさんは商品棚にあった、ミズアちゃん人形をくれる。アオが使ったものと同じデザインで、至近距離でみると特徴が上手く捉えられていることがすごくわかった。めっちゃ可愛い。
「ありがとうございます!」
「あっ、そういえば師匠、新開発のマギア見せてよっ」
「そうだったねー。ちょっと取ってくるよ。ユウワくん制服預からせてもらうね」
アヤメさんに制服と望遠鏡を受け取ると、一旦奥に下がってから、少しして戻って来る。そして彼女は両手で四角い箱を持ってきた。
「これは、トビデルオモイハコ。蓋にあるピンクの魔法陣を触りながら、誰かを強く思い浮かべる。そしてその相手が開けると中にあるハートが飛び出る。思いの強さに比例してその勢いは変わるんだー」
「す、すごいっ! 試してもいい?」
アオは好奇心で瞳を輝かせて、その箱を手に抱える。
「じゃーユウワくんのことを思い浮かべてみよっか」
「ぼ、僕のことを?」
アヤメさんは実に愉快そうに笑っている。だが、僕としては全然飛び出さなかったらすごいショックを受けるかもしれなくて怖い。
「……じ、じゃあやってみるね」
アオは多少照れた様子で指を蓋に触れさせた。起動したのかピンクに発光して、少しするとその光が収まった。
「ミズア、もうだーいじょぶだから彼に渡して」
「はい、どうぞ」
箱は鉄っぽい手触りで思ったよりも重かった。
「あ、開けるね」
おずおずと箱の蓋を開ける。全て開け終えると拳くらいの大きさのハートが見えて。
「ぐわっ!」
その瞬間にハートがものすごい勢いで飛び出し顔面に直撃した。その衝撃で受け身を取ることもできず背中から地面に倒れて、さらに後頭部に痛みが走った。
「ご、ごめんユウ! 大丈夫⁉️」
顔を真っ青にしたアオが駆け寄って必死に僕を呼びかけてくる。でもその声はどんどん遠くなっていって意識が朦朧としてくる。
「すみません! 妹が霊になってしまって相談……ってどうしたんですか!」
野太い男性の声を認識したのを最後に僕の意識は途切れた。
幼い頃の夢を見た。それは過去の記憶で、普段なら思い出せないものだったけど、夢の光景はすごくはっきりしている。
「よいしょ、よいしょ」
そこは近所の公園で、僕は四人の友達と砂場遊びをしていた。スコップで穴を掘ったり、ちょっとした家みたいなのを作ったりしていた。
「……」
ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れた所で遊びに加わりたそうに見つめているアオがいた。小さい時の彼女は引っ込み思案で、積極的な子ではなかった。いつも口をきゅっと閉じていて、表情も硬くてあまり友人もいない状態でいて。けれど話しかけると、とても嬉しそうにして色んな表情を見せてくれた。
小さい僕は、砂場の作業を一旦中断してアオへ距離を詰める。そして、ぎゅっと握っていた手を掴んだ。
「アオちゃん、一緒に遊ぼ?」
「……いいの?」
「うん!」
頷くと彼女はパァッと表情を輝かせる。それから、僕達は共に砂場に行って一緒に家を作っていった。
「ユウくん、楽しいね!」
そう無邪気に笑う。僕はそんな彼女の表情を見るのが好きだった。
*
「うぅ……ここは?」
「おはよう、ユウワくん」
目を開けるとさっき見た白い天井があった。横には小さな椅子に座っているアヤメさんがいる。身体の上にはふんわりとした黒の掛ふとんが乗っていて、それをはがして上体を起こした。
「ええと……」
何故こうなっているのか逡巡すると、後頭部に痛みが走る。それの痛みで置かれている状況を思い出した。
「ごめんねーミズアの君に対する思いが相当強かったみたいでさ。……売りに出すにはもう少し改良しないといけなさそうだなー」
人差し指をくるくる回しながら独り言を呟きながら考え込みだす。
「あ、あの。思いの強さって、ネガティブなことも含むんですか?」
「そうそう、二つ含んだ総量で決まるんだ」
つまり、めちゃくちゃ僕のことを恨んでるという可能性もあって。そう考えると血がすうっと引いていった。
「っていうか、頭だーいじょぶそ? 十分くらい意識を失っていたけれど」
「まだ多少痛みますけど、問題ないと思います」
頭を触って確認しても、少し腫れているだけで血が出ているわけでもなさそう。
「そういえば、アオはどこに?」
「あの子は、さっき来た依頼者さんのお話を聞いてるよー」
「依頼者?」
尋ねるとアヤメさんは霊に関する依頼だと教えてくれた。
それを聞き終えると部屋のドアが開かれて、アオが中に走り込んできた。
「ゆ、ユウ! 目が覚めたんだね!」
不安げだったアオは僕を見るなり、一転して安心したように破顔した。それは、幼い時に見た光景と似通っていて。
「体調の方は大丈夫? どこかおかしな所とかはない?」
「うん。少し痛みが残るけどだーいじょぶ。なんてね」
アオやアヤメさんの言い方を真似してみる。アオは焦っていると、普通の言い方になるらしいので、少しからかいを込めて。
「良かった、本当良かったよ〜! また私のせいでユウのことを……ごめんね」
「うわわっ……」
だけど赤面させられるのは僕の方だった。だって、アオに抱きしめられたのだから。
恥ずかしさやら嬉しさやらで血の巡りが加速して身体が熱くなる。アヤメさんの方を見ると、ニヤニヤと眺めながら、両手でハートマークを作ったりもしてきて。
「お、落ち着いて」
「あっごめんね、つい」
「う、うん」
少し気まずい空気が流れて僕は顔を俯かせた。チラリと様子を伺うと、アオも頬を紅潮させていて。そしてすぐそばにいるアヤメさんは、僕と視線が合うとウインクをした。
「ねぇ、ミズア。依頼の事はどうだったのー?」
「そ、そうだった。お話をしてきたんだけど、何だか少し難しいそうで……」
「ほほー? 話してみてなさいな」
アオは頷く。立った状態のまま話し始めそうだったので、僕はベッドから身体を出して縁に座り直して、僕の隣に座るよう促した。
「ありがとね。それでなんだけど……」
そこからアオの説明が始まった。
「来てくれたのはアリアケ・カイトさん。土木関係のお仕事をしている人で、家族は妹さんだけ。二人で暮らしていたんだって。そして、その妹のレイアちゃんが霊になってしまったそうなの」
「妹さんが……」
「カイトさんはすごーくレイアちゃんを愛していたみたいなの。だから深い未練を持ってもおかしくないよね。しかも、唯一無二の家族だし」
アオはどこか遠くを眺めた。
「それでミズア、何に問題を感じているのー?」
「実は、そのレイアちゃんが死んでいる事に気づいていないみたいで……未練云々よりもどう伝えればいいかがわからなくて」
「確かにそれは難しいね」
どれだけオブラートに包んでもすごいショックを与えてしまって、未練解決どころじゃなくなるかもだし、かといって伝えなければ亡霊化してしまう。
「それと今レイアちゃんは、霊になってからずっと部屋の中にいるみたい。カイトさんが何とか外に出ないようお願いしているんだって。いつまでもつかわからないみたいだけど」
「ふむふむ……それは早めに行かないとねー。亡霊化のこともあるし」
そう一度言葉を切ってから、パンと掌を叩くと。
「よしっ。じゃあとりあえず二人でレイアちゃんに会ってきなよー。時間も無さそうだし、まずは行動あるのみ」
「ぼ、僕も?」
「モチのロン。大変な戦いも起きなさそうだし、初めてのお仕事にはぴったりだと思うなー。ミズアとも一緒だしさ」
アオと目を合わせると、一回頷いてくれて大丈夫だよと伝えてくれる。正直、まだ僕みたいな人間が、ロストソードを振るって良いのかわからなかった。でも、やらなきゃいけないことだともわかっていて。
「わ、わかりました。頑張ります」
僕は覚悟を決めてそう宣言すると、それを聞いたアオはあの頃みたいに表情を輝かせる。それだけで、間違ってないと思えた。
僕達はカイトさんが待っているという居間へ入った。中は長方形で僕の使う部屋三つ分くらいの広さがある。三つのエリアに分かれていて、左にキッチンがあり、真中には大きな丸い机があって、右側にくつろげるようなソファが、背の低い四角い椅子を囲うように並んでいる。そしてカイトさんはソファに座って、水を飲んでいた。
「おっ、君さっき倒れていた子じゃないか。大丈夫かい?」
「は、はい。元気なりました」
僕を見るなり立ち上がると近寄ってきて親しく話しかけててくれる。
カイトさんは顔の彫りが深く鼻が高くて、眉毛は太く陽気さを感じさせる水色の瞳を持ってる。同色の髪は短髪でスッキリとした印象があった。身長は僕とほぼ変わらないのだけど、筋肉質で大きく感じてしまう。年齢は二十代後半くらいだろうか。
「そりゃあ良かった。それで、どうして倒れていたんだい? もしかして、ミズアさんを怒らせたとか?」
「そ、それは……」
何と説明すれば良いのかわからず言葉に詰まる。
「ニヒヒ、彼はミズアの強い思いをぶつけられちゃったんだよー。そりゃあものすごいね」
「し、師匠!?」
「はははっ。そんなに思われてるなんて君は幸せものじゃないか」
やばい、すごく全身がむず痒い。アオも顔を赤らめながらアヤメさんを恨めしそうに睨んでいる。
「でも、思いは伝えられる時に伝えないと駄目だよな。いつ別れが来るなんてわからないんだし」
「それわかるな。私も伝えられなかったことあったから」
「僕も……それわかります」
まだ言えずにいることは沢山あって。その相手は眼の前にいるのだけど、ちょっぴり遠くにいる。
「まぁ、俺の場合は少し迷惑がられているんだけどな。俺としては伝えきれていないんだが」
「それって……妹さんのことですか?」
「ああ。レイアは最高に良い子で究極的に可愛いんだが、照れ屋なのか愛を伝えると冷たくあしらわれてしまってな。それもまた魅力でもあるけど」
多分すごく面倒くさいんだろうなと、容易にレイアちゃんの気持ちを推測出来た。
「そのレイアちゃんのことだけど、とりあえず会ってみてどうしようか考えようと思っているの。行くのは私とユウの二人で」
アオがそう伝えるとカイトさんは少し逡巡した後に強く頷いた。
「わかった、よろしく頼むよ!」
話がまとまり僕達は店を出て、カイトさんの案内で家に向かった。
お店から大通りに出て住宅エリアを歩くけど、改めて街を眺めると都市の郊外といった感じで、自然と人工物が上手く混ざっている。歩道には花壇や木が飢えられていて、その中には桜があった。それを見ると実家のような安心感がある。
「こんにちは、ミズアちゃん」
「ミズアちゃんやっほー」
「やっほー」
人とすれ違う度にアオは挨拶されたり、話しかけられたりしていた。年齢も幅広くて色んな人に認知されているようで。
「すごいなミズアちゃん。大人気だ」
「そんなことないよ〜。それにさっきこの街に帰ってきて歩いてた時は話しかけられなかったし」
「それは多分、今普通の服装でいるからじゃないか。それにこの街の救世主なんだし、もっと胸を張っていいと思うぞ」
一体何の話をしているのかわからないでいると、それに気づいたカイトさんが説明してくれる。
「少し前に街で亡霊が暴れ出して危機に陥ったんだ。そこでそれを止めたのがミズアちゃんだった」
「それで救世主」
「そんな皆大げさなんだよ〜。それに、本当は亡霊化の前に助けられたら被害も防げたんだし」
謙遜しているという感じではなくて、悔恨が言葉に滲んでいた。
「だからそうなる前に、レイアちゃんのことも何とかしないと。ねぇカイトさん、あなたの未練を教えてくれない?」
目的地までの道の途中で横断歩道があった。信号は無くて、車道を通るバスなどが通り過ぎるのを待つため立ち止まる。
「正直、心当たりが多すぎわからないんだ。強い未練と言えばレイアを死なせてしまったことだな。……レイアが死んじまったのは俺のせいでもあるから」
「聞かせて欲しいな」
カイトさんはとつとつと身に起きたことを語りだした。
「その日、俺とレイアはエルフの村に遊びに行った。レイアは家でゆっくりしていたかったみたいだけど、俺はあの自然あふれる場所を見せたくて、何とかお願いして来てもらったんだ」
車両の数が減ってきて渡れるようになり僕達は再び歩を進める。
「だが、そこで事件が起きた。エルフの村で過ごしていた俺達だったが、その村で暴れ出したテーリオ族の奴がいてな、俺達はそれに巻き込まれたんだ」
この道を真っ直ぐ進んだ先に大きなアーチがあって、その上にセントラルパークと書かれている。その手前に十字路があって、カイトさんは右の道に曲がった。家々が並んでいて、右側の四つ目の三角屋根で二階建ての家の前で止まる。
「そいつは目についた人を襲っていて、その中に俺達がいた。それで俺はレイアを守ろうとした。でも、相手は恐ろしく強くて逃げることもできなくて、駄目だった。……なんて、話していたら着いちまったな」
「その人は、捕まったんですか?」
「いーや。まだ逃げているらしい。何せ、村近くには迷いの森があって、そこに隠れられると簡単には見つからない」
そんなきつい状態なのにカイトさんはその素振りがなかった。それは、過去のアオとの姿が重なって。
「じゃあ入ってくれ」
「お、お邪魔しまーす」
家の中に入ると、他者の人の家の独特な香りが鼻腔をくすぐった。広さは二人で住むには少し持て余しそうな印象を受ける。
「レイアは二階にいるんだ。……今更だがあいつは人と関わるのは得意じゃないから、会ってくれないかもしれないんだよなぁ」
案内されて階段を上り四つある部屋の三番目の扉の前で止まる。
「レイア、お客さんが会いに来てくれたんだけど、開けてくれないか?」
カイトさんは気遣うような口調で呼びかけた。
「良いよ。鍵は開いているから」
落ち着いた感じの少女の声が返ってくる。カイトさんはそれを聞き届けほっと一息つくと内開きの扉を開けた。
「……こんにちは」
そこには勉強机で本を読んでいる小学生高学年くらいの女の子がいて、僕達が入ると顔を上げてコクリと礼儀正しく会釈をして挨拶してくれた。
カイトさんと同じく、大きな目と長く伸ばされた髪の色が爽やかな水色をしている。顔立ちも非常に整っていて大人びており、どこか兄妹の繋がりも感じさせる。ただ、快活なお兄さんとは反対にレイアちゃんは静謐な佇まいでいた。
「やっほーレイアちゃん」
部屋に入るなりアオは一気に距離を縮めようとにこやかに挨拶する。僕もそれに続いた。
「さっきも言ったが二人はレイアに会いに来てくれたんだ」
「……どうして? それに最近兄さんは人に会って欲しそうじゃなかったのに」
「あー、それはだな」
レイアちゃんは小首をかしげる。カイトさんが言葉を詰まらせると、瞳にはどこか警戒の色を帯び始めた。
「えっとね〜、私達はお兄さんのお友達なんだけど、あなたのことを聞いて会ってみたくなったんだよ〜」
それに気づいたのかアオはレイアちゃんのすぐそばに寄って、目線を合わせるため身体を屈めて訳を伝える。
「あれ、あのミズアさん?」
「えっ!」
「ロストソードで街を救った人ですよね」
名声が知れ渡っているなと感心してしまうけど、それどころじゃない。ロストソード使いを知ってるということはそこから死のことを察知されてしまう。
「ああいや、その人はミズアって人じゃないよ。その、アオイって言うんだ。似ているけどね」
話を合わせるよう目配せすると、不満げではあるものの首肯した。
「そうなんだ~。ただの一般人だよ~」
「そっか。兄さんにそんなすごい友達なんているわけないよね」
何とか誤魔化せたようで一安心。カイトさんは傷ついた顔をしていた。
「……なぁユウワくん。本当のこと言ってびっくりさせたいんだけど」
「だ、駄目ですっ」
何を言っているんだこの人は。
「それでどうかな? 私達とお話してくれないかな」
「……いいですけど、兄さんは出ていって」
「そ、そんなぁ」
レイアちゃんの冷ややかな言葉の刃がカイトさんを斬り裂いた。それにやられて、意気消沈と語るように肩を落として部屋から出ていってしまう。気の毒だった。
「……お兄さんは好きじゃない?」
「別に嫌いってわけじゃ……ちょっとメンドイいけど」
「あはは、気持ちはわかるけどさ。でもいつかはお兄さんに素直な思いを伝えてあげてね」
優しく囁いてそう諭す。それがすごくお姉さん的な振る舞いで、大人になったんだなと物寂しさが忍び寄ってきた。
「……うん」
「ふふっ。いい子いい子」
優しく髪を撫でて上げると、レイアちゃんはくすぐったそうに目を細めた。何だかいい感じの雰囲気になっていて、入り込む隙が見つからず棒立ちで眺めるだけになってしまう。アオはもう彼女の心を掴んだようで。
「ってそんな所で突っ立っていないでこっちきなよ〜」
「は、はい。えっと僕はユウワ。よろしくね」
「ちょっと固くない〜? もっと元気良くしないと怖がらしちゃうよ?」
無茶言わないで欲しい。昔ならまだしも、成長してからはそんな事はできないでいるんだ。
「大丈夫です。私も同じだから」
「同じって?」
「私、あんまり表情を表に出せなくて冷たいって思われて、友達もいないから」
その告白に僕とアオは見合わせ同じことを思ったのか微笑した。
「じゃあ、私達と今からお友達になろうよ!」
「お友達に? 本当に? でも会ったばかりだし……」
レイアちゃんは不安と期待が入り交じった視線を僕とアオを交互に向けてくる。
「時間なんて関係ないよっ。私はレイアちゃんと仲良くなりたいの」
「僕も友達少ないから、なってくれると嬉しいな」
「う、うん! お友達……えへへ」
雪解けみたいに純粋な笑顔が溢れた。それは僕の好きな姿で。
「あの、私二人にお願いしたいことがあるん……ですけど」
「タメ口でだーいじょぶだよ」
「二人と一緒に色々な場所に行ってみたい」
思わぬ提案にまた顔を見合わせる。レイアちゃんには待ってもらって、小声で作戦会議を始めた。
「アオどうしようか。外に出たら自分が霊って気づいちゃうかも」
「そうだけど……もしかしたらこれが未練なら叶えてあげたいし」
「でも、霊って気づかないまま終わらせてもいいのかな」
あーだこーだと悩むも答えは出そうになくて。そうしていると、椅子から立ち上がったレイアちゃんはアオの服の裾を掴むと。
「お願い。私、お友達になれた証が欲しい」
「うぅ、それはずるいよ〜! わ、私カイトさんに外に出るって言ってくる!」
「え、ちょっ」
可愛さに負けたアオは部屋から飛び出していった。レイアちゃんの二勝目だ。
「やっぱり迷惑だったかな……」
罪悪感からか目を伏せる。この子は、幼い頃のアオに良く似ていた。だから、昔の自分をトレースして行動に移す。
「そんな事ないよ。逆に友達として頼ってくれて嬉しい。だから、安心して甘えて」
信じてもらえるよう不格好に笑いかけた。レイアちゃんは呼応するように相好を崩す。
「ねぇ、ユウワくんとアオイちゃんはどういう関係なの?」
「幼馴染だよ。本当に小さい時からずっと一緒だった。でも、三年くらい離れていて、最近再会したんだけど、大人っぽくなってて、しかも救世主とか言われてたりして、何だか遠くにいった……気が……」
ついそう口に出してしまう。その過ちに気づいた時にはもう遅かった。
「いや、今のはなんと言うかその」
リカバリーをしようとするも言葉が出てこなかった。僕は無力感に苛まれながらレイアちゃんの反応を見るしかなくて。
「大丈夫だよ」
「へ?」
「レイアちゃん! お兄さんから許可取ってきたよ!」
大丈夫、その意味を問おうとするもアオが帰ってきてしまい、質問する間が遮られる。
「本当? アオイちゃんありがとう」
「ふっふっふ。お兄さんに願いを叶えてあげたら優しくしてくれるかもって言ったら、快くオーケー出してくれたよ」
「それでいいのか……?」
神経を尖らせないといけない案件なのに、その場の勢いで動きすぎている気がして、非常に不安だ。
「さぁ行こう!」
「おー!」
さっき会ったばかりとは思えないほど息ぴったりに二人は外へ。その姿は姉妹のようだった。
「……」
そして展開についていけず、ポツンと部屋に残される。
「ユウ、早く来なよ~!」
考えてもどうにもならないと思い、彼女達を追いかけた。
僕達が訪れたのはセントラルパークだった。そこには大きな公園のようで、円を描くように芝生が広がっていた。中心には噴水と女性の銅像がある。銅像は両手で丸いアナログ時計をかかげていて、針は二時を示している。外周には芝生を囲うように舗装された白い道があって、そこを歩く人やロボットみたいな人形の人力車、馬車が通っていて、反対にバスは通れないみたいだった。芝生の上には楽しげに遊ぶ子供やベンチに座って本を読んでいるエルフの人、鍛錬をしているのかシャードーボクシングをしている猫耳テーリオの人もいる。そこでは年齢とか種族とか関係なく自由に過ごしていた。
「……」
彼女は同い年くらい子供達が遊んでいる様子を羨ましそうに眺めている。
「ここで遊びたい?」
「ううん、歩いて見るだけでいいの。次は商店街に」
南の方へ道なりに歩いていくと、パークと商店街の境界に大きなアーチがあり、そこにイシリス商店街と書いてあった。くぐると一気に賑やかになってきて、さらには美味しそうな香りが漂ってくる。
「……お腹すいた」
「そーいえばまだお昼ご飯食べてなかったね」
色々ありすぎて食欲まで意識が回っていなかった。一度空腹を認知してしまうともう止められなくて。
「……あれって焼き鳥屋さん?」
左手から香ばしい匂いがやってきて、それをたどると焼き鳥という旗が立った出店があった。
「そうそう! めっちゃ美味しいんだよ。買っていこうか」
「うん。えっとレイアちゃんも食べる?」
「私はいいよ。お腹空いてないから。あそこで待ってるね」
そう言ってレイアちゃんは端っこに行ってしまった。
「おじさん、来たよ〜」
「おおミズアちゃん! それに隣の子は、新しいロストソードの使い手さんかな」
「は、はい」
店主さんは恰幅の良い中年の男性で、スキンヘッドに赤いハチマキをしている。
「私はいつものお願いね。ユウはどうする?」
「えーと……やっぱり同じので」
メニューにはかわとかレバーとかももとか見知った単語がほとんどだけど、同じかどうかわからない。挑戦よりも安全な方を僕は選んだ。
「はいよっ。街の救世主様には、おまけして五百イリスでいいぞ」
「ありがとう〜おじさん太っ腹〜」
「はっはっは。見た目通りだろ?」
アオはそんな常連のやり取りをしながら、少し薄い紫の硬貨を渡した。それと引き換えにかわとねぎまのセットの二つが来る。
「はいっこれユウの分。それじゃまた来るね〜」
「あいよっ。あんたもまた来てくれよな」
「はい」
二本の焼き鳥を手渡される。持ち手が熱くて長く持てそうになかった。ただ、いい感じに焦げ目が付いた肉やネギが長く味わいたいとも思わせてきて。
「お待たせ〜レイアちゃん」
「それ、兄さんと良く食べてた」
「やっぱり食べる?」
その提案には頭を振ってレイアちゃんは再び歩きだしてしまう。
「……美味しい」
まずはかわの方を口に運ぶ。柔らかな食感と噛むと溢れてくる肉の甘味が口に広がって頬が緩んでしまう。半分くらい食べてから反対にあるねぎまの方を口に入れる。まとめて食べると肉のジューシーさとネギの甘さが組み合わさって、飽きずにいくらでも食べれてしまいそうだ。
そして何より食べ歩きという状況がより美味しく感じさせてくれる。
「ユウって美味しそうに食べるよね」
「そうかな?」
「見てると食べ物がより美味しそうに見えちゃうよ」
何か恥ずかしい。僕は顔を背けながら食べることにした。
「ユウワくん照れてる」
「て、照れてないっすよ?」
「ふふっ兄さんよりもわかり易すいかも」
何だろうすごい負けた気分になる。カイトさんには失礼かもだけど。
「ねぇレイアちゃん。本当に歩いているだけでいいの? あそことかぬいぐるみとか売ってるけとど」
「あっちには木刀とかドラゴンのキーホルダーとかあるよ?」
「何その修学旅行生ライナップ」
目をつける店で好みがすごくはっきりしてしまう。
「私は色んな人がいて楽しいこの雰囲気の中に、友達といるだけでいいよ。だから、私のことは気にしないで、お店に行っても大丈夫だよ」
本当にしっかりした子だし、年下なのに気を使わせてしまって申し訳なくなる。
僕達はそれからレイアちゃんの言葉に甘えて気になる商品や食べ物を買ったりしながら、歩き回った。
「ふぅーとりあえず回りきったかな」
一通り見終えてからセントラルパークに戻り芝生の中にあるベンチで休憩を入れることにした。
「何か私達の方が楽しんじゃってる気がする」
「だね」
僕とアオは色々食べたり、気になるものを買うか買わないかで悩んだりして歩いた。結局、僕は雑貨屋に売っていた黒色のニワトリみたいなぬいぐるみを買って、アオは木刀と光るメタリックなドラゴンのおもちゃを買っている。
「レイアちゃんは楽しい?」
「うん。おしゃべりしながらだったし楽しいよ」
嬉しそうにそう答えてくれて少し安心する。
「それにしても、ユウはぬいぐるみ好きだね」
「いいでしょ別に」
男っぽくないとは自覚している。でも、このクロハネという鳥のぬいぐるみのふわふわさと丸い白の目がキュートで、一目惚れしてしまったのだから。
「てか、すごく愛しい感じで見てるけど、それさっき食べてたやつだよ」
「え……え? マジっすか」
「ふふっ」
レイアちゃんに笑われてしまう。何でよりによって食べたばかりの魔獣を選んでしまったのだろうか。つぶらな瞳を見るとすごい罪悪感が込み上げてくる。
「あ、これお釣り」
「はいよー」
「てかこのお金ってさ」
僕はアオから貰って余った千イリスを返して、少しレイアちゃんから距離を取り小声で気になったことを訊いてみる。硬貨の価値は色の濃さで変わるようで、表面の数字が大きくなる度に濃くなっていた。気になった点はその硬貨に描かれた女性の顔のことで。
「この顔って、アヤメさんに似てるんだけど」
「そりゃー師匠だし。何せこの世界で神の声を聞ける人で、国教であるイリス教のトップ。さらに百年以上は生きてる人だしね」
「ひゃ、百年?」
凄さのスケールが違い過ぎる。というか、言動とか見た目が年齢と身分とかけ離れていて、同じ人なのかと思ってしまう。
「神の力でこの世界を守る役目の代わりに長生きして見た目も若くなるようにしているみたい」
「……何かそういう凄い人ってもっと豪華な場所に住んでるのかと」
「師匠がそういうの好きじゃないんだよ。それにイリス教のトップだけど、その役目は二番目の人がやってるからね」
だからひっそりとマギアの店主をしているのか。でも、その情報を入れてしまうとまた話す時には緊張してしまうかも。
「何のお話をしてるの?」
「ごめんね。ちょっとお仕事の話を。そろそろ、次に行こっか」
「うん。次はあっちに行きたい」
彼女が指さしたのは東のエリアの方向。僕達は再びそこへと足を動かした。
東のエリアは大きな施設がいくつもあって、遊ぶ場所とし使われていることを容易に想像出来た。最初に目に入ったのはサッカーのスタジアムのような形をしている建物。
「あそこはね、腕自慢達が戦ったり、魔法の実力を競ったり、色んなスポーツの試合をしたりする場所なんだよ。ちなみに、私は剣術大会で優勝したんだよっ」
アオは褒めてと褒めてといった期待の視線を送ってくる。
「凄いじゃん。流石だね」
「アオイちゃん、かっこいい」
「えっへへー」
照れながら、手に持った木刀で僕の持つぬいぐるみのクロくんをコツンと叩いてくる。
「私はここで兄さんとよく魔法対決を見てたなー」
レイアちゃんは思い出のスタジアムを瞳に映す。
満足するまでそれを眺めてから、次に少し先にあるイシリスタワーの足元に訪れた。レンボーな体でツリーのように上にいくと細くなっている。ただ、工事中で中には入れないようで、よく見ると少しボロボロだった。
「これって255メートルくらいあるんだよ。今は修理中で入れないんだけどね」
「何か事故でもあったの?」
「前話したけど、亡霊が暴れちゃってここも被害を受けたんだ」
近くにいた、赤色の制服を着用している男子生徒二人組がてっぺんからの景色について話す声が聞こえてくる。どんなものだろうと見てみたいと思った。
「兄さんが今はこのタワーの修理のお仕事をしてるって言ってた」
「すごいね、あんな高い所に」
「うん……。よくあそこに登ってたからタワーが無くならなくて良かった」
レイアちゃんは目に焼き付けるようにじっと見つめてから視線を落とす。
「もういいかな。どんどん次に行こ」
それから真っ直ぐ向いて次の目的地に進んでいく。僕達はレイアちゃんを挟む形で隣にいて、また歩き回った。そこには遊園地みたいな場所やサーカスハウス、酒場などの施設があって、色んな年代の人が楽しめそうな場所だった。
空は朱に色づき始めた頃、最後に来たのが学校だった。そこは東エリアの一番奥にあって、物々しい校門の先に広い敷地の中に三階建てで横に長い校舎がある。しっかりしたレンガ造りで、小さなお城のような出で立ちだった。下校時間なのか、続々と門から生徒が出てきている。
「ここはイシリス学校。ある程度裕福な人が学びにくる場所だね」
「何でここに?」
他のは娯楽性が強かったりして、場違いに思えた。
「義務教育とか無いからね。将来のお仕事のためとか学びたい人がお金を出して来るから、ある意味娯楽ではあるんじゃない?」
アオの学校を紹介する声はとても冷えていた。その理由は考えるまでもなくて。
「レイアちゃんはここに通っていたの?」
「うん。兄さんが将来のためって。勉強はついていけたけど、全然学校には馴染めなくて一人ぼっちだったから、途中で行かなくなったの」
学校を睨むように目を細める。それは不満と苦しみの二つの色を帯びていた。
「ならどうしてここに――」
「最期だから」
食い気味にはっきりとそう答えた。
「最期だから好きなのも嫌なのも見ておかないとって思って」
そう言って学校を見据えるレイアちゃんの眼差しには確かな覚悟があった。
「レイアちゃんは……やっぱり」
彼女があの時に僕に言った大丈夫という言葉の意味がようやく理解できた。
「うん、本当はわかってた。私が死んじゃってること」
「うぇぇぇ!? 気づかなかったよ〜!」
「黙っててごめんなさい。でも、兄さんのために気づかないふりをしなくちゃいけなくて」
僕達は一旦場所を変えて、近くにあったベンチに座って話すことに。
「それで、お兄さんのためって?」
レイアちゃんの左隣に腰掛けて尋ねてみる。その向こうにいるアオは下唇に人差し指を当てて考え込んでいた。
「私が死んじゃって兄さんは凄く悲しんでいて、自分の命を捨ててもおかしくなくて。いつもと変わらず、死んだことに気づいてないふりをすれば、間違いは起きないって思った。それに、対応に困って少しでも長くいれそうだったから」
レイアちゃんは胸に手を当てて、痛みをこらえるように本当のことを口に出す。
「でも、アオイちゃん達が来たから終わりにしなきゃって。街を歩いたのは、最後にお別れをするため。二人のおかげで楽しくバイバイできて、一つ思い出を貰えた。だから、もういいんだ」
「レイアちゃんっ」
「っ……」
アオは小さな身体を強く抱きしめた。最初は戸惑っていたけれど、次第に優しく包まれた彼女からすすり泣く声が出てくる。
「すごーく頑張ったんだね……辛かったよね。もう我慢しないでいいんだよ」
「……ぐすっ。消えたくない。まだここにいたいよぉ」
「うん、うん」
レイアちゃんはアオの胸の中で感情を爆発させる。僕は安心して気持ちを出せるよう彼女の頭を撫で続けた。
空は見上げると夜が迫っていて藍色に変わりつつあった。
*
「急いで帰らないと」
泣き止んだ頃にはもう夜で僕達は急いでレイアちゃんを家に送り届ける。その道中に、少しスッキリとした表情のレイアちゃんに未練を尋ねた。
「私の未練は、兄さんが私なしでも生きていけるか不安なことかな」
家に着くと涙で目が腫れている妹の姿に、カイトさんは理由を訊いてきたが、一旦本当のことは話さないでおこうということで誤魔化した。
それから店に戻り、少ししてから三人で夕食を食べた。アヤメさんが作ってくれて、それは日本にもあるような肉じゃがで。僕の好みをアオから聞いてみたいで作ってくれたらしい。美味しいのはもちろんの事、安心感のある味だった。でもそれが表情に出たらしく、そこを二人にすごくからかわれることに。ただ、和やかな食卓はとても久しぶりで幸せだった。
食後にはお風呂に入って、歯磨きをしてから自分の部屋に戻った。特にやる事もないのでベッドに横になる。
「ユウ、ちょっといいかな?」
「アオ……?」
扉を開けると無地の水色のパジャマでアオがいて、少し暗い表情をしていた。
「ってその服……ふふっ」
だけど僕の着ている服を見た瞬間に微笑した。それは、さっきまで着ていた服の女の子が大量に描かれたパジャマだった。
「それ着てるといつか後悔するかもよ?」
「え、何か呪いとかある感じ?」
「そうじゃないけど、まぁいいか。入るね〜」
返答は待たずに入ってから、さらにベッドにダイブ。
「ちょっ……」
「あ、ぬいぐるみここに置いてたんだ」
アオは枕元にあった、クロハネとミズアちゃんぬいぐるみをしげしげと眺める。
「そんなことより、何かあったの? 暗い顔してたけど」
「……まぁね」
寝転がったままぬいぐるみを真上に投げてキャッチを繰り返す。
「何かさ〜本当に未練を叶えて大丈夫かなって、考えちゃうんだよね。もう少し待っても……なんて」
正直同じ考えは頭をよぎった。あの涙を見たら躊躇ってしまいそうになる。
「わかるけど……レイアちゃんは凄い覚悟を持って僕達に話してくれた。だから、その想いを尊重すべきだと思うな。ってずっと先輩なアオに言うことじゃないかもだけど」
「あははっそんなことないよ〜。おかげで少しの迷いが無くなった。ごめんね、急にこんな話して」
「いいや、役に立てたなら良かった」
初めてとはいえ何も出来ていなかったから、本当に嬉しい。
「ねぇ、これからも色々相談に乗ってね。私、ユウがいると甘えたくなっちゃうみたいだから……」
「えっ、それってどういう?」
「き、気にしないで。それじゃ、おやすみなさい!」
その質問はひらりと躱されてしまい、アオは自分の部屋に戻ってしまう。
「アオ……」
その意味が様々な可能性があり、ついもんもんとしてしまってしばらく眠れなかった。
*
起きたのは十一時くらいで、少し眠が浅かったのか寝起きは良くなかった。パジャマを脱いで、クローゼットから昨日と同じデザインの服に着替える。洗面所で顔を洗ってから居間に行くと、アオがソファでくつろいでいた。
「おそようございまーす」
「おはよう」
眠りから覚めて意識戻った時に、もしかしたら夢か幻覚で向こうの世界に戻ってしまうんじゃないかと恐れがあった。でも、アオの顔を見て安心する。
「もうお昼近いけど、朝ご飯食べる?」
「大丈夫、あんまり朝食べられないから」
「いっぱい食べないと大きくなれないよ〜?」
僕は大きな机の方にある椅子に座る。それからボーッとしていると、アオが棚から水が入った取っ手のついた白のカップを出してくれた。
「これ、ユウのね」
「ありがとう。そういえばアヤメさんは?」
「お店で暇そ〜にしてる。用があるなら呼んでくるけど」
ただ気になっただけなので大丈夫と伝えて、水を一口飲んだ。
「……」
起きがけの緩やかな時間が流れる。アオと一つ屋根の下で過ごすというのは、不思議な感じだけど、日常的にも思えた。これは幼馴染の慣れだろうか。
「そうそう、少ししたらカイトさんが来るかも。朝に家に来て、レイアちゃんのことで話したいって」
「本当のこと話したのかな」
「う~んどうだろう? ま、考えても仕方ないし気軽に待とうよ」
昨夜の相談で言っていたように吹っ切れたようで、リラックスした感じでいた。僕はどんな話があるのか色々考えてしまって、少し緊張してしまう。
それから昼食を済ませて、少しすると居間の扉が開かれ、神妙な面持ちのカイトさんが現れた。
「ここに座って」
彼には前回と同じ場所に座ってもらい、僕とアオはその対面に。
「どうしたの、話があるなんて」
「ああ。レイアのことなんだが……」
そこで一旦言葉を切って、何度か言葉を出そうと口を開けたり閉じたりする。そして、一度呼吸を大きく吸込むと。
「レイアは……霊であることに気づいていたのか?」
疑問形であったけど、その言葉には確信めいた響きがあった。