桃奈さんが立てた作戦を実行すべく、僕とギュララさんは村には戻らず、あの泉の所で夜を過ごした。魔獣も訪れるらしいので、僕達は交代制で寝たり起きたりをして、警戒しつつ無事に朝を迎えれた。

「……やっと朝になった」

 硬い地面の上で寝ていたことで身体のあちこちが痛い。昨夜受けたものと比べれば大したことはないけれど。

「酷い顔だな、そこの泉で洗ってこいよ」
「は、はい」

 ギュララさんは僕より先に起きていて、完全に目が覚めているといった感じだった。僕は彼にそう言われて、泉までふらふらと歩いて、顔にかける。冷えた水がハダを刺してきて、その感覚で頭にかかっている霧が晴れてきた。

「ユウワ、ずいぶんと眠そうだが大丈夫か? クマとかすごいぞ」
「も、問題なしです!」

 ある程度意識がはっきりとしているけど、やはり睡眠の時間も質も足りなくて少しぼーっとしていて。

「作戦についても頭に入っているな?」
「はい。と言っても僕がやる事はほとんどないですけどね」

 それにこの作戦は複雑なものじゃない。僕の役割は寝っ転がるだけだ。

「そろそろ合図が来る頃じゃないか」
「あれ、見て下さい」

 村の方から空に火球が放たれた。それが、桃奈さんからの作戦開始の合図だ。

「よし、じゃあそこに転がっておけ」
「あの、少し思ったんですけど。このままだと説得力が薄れる気がして」
「確かに傷も無いからな。ユウワ、歯を食いしばれ」

 ギュララさんがゆっくりと右腕を上げてこちらに寄ってくる。僕はぎゅっと口を噛み締めて。

「……ぐふっ!」

 僕の左頬に拳が練り込んだ。そして、その威力に耐えられず地面に殴り飛ばされた。

「そのままそこにいろ。後はあいつが来たらだな」
「……」

 ギュララさんは向き直り、クママさん達が現れる森の奥をじっと見据えて待つ。

「作戦の前に一つ訊いてもいいですか?」
「何だ?」

 地面にうつ伏せになりながら顔を彼の背中に向ける。

「この作戦が上手くいけば、あなたは消えてしまいます。……怖くはないですか?」
「何を訊くかと思えばそんな事か。俺はお前と違って正常な感覚があるからな。……そりゃあ怖えよ」
「そう、ですよね」

 確かにほっとけば亡霊となってしまうけど、僕らがやっている事はある意味、自殺を促しているようなもので。神に与えられた役割を全うすることが正しいのか少し疑問に思ってしまう。

「だが、普通に死ぬより今の終わりが決まっていて、しかもやり残した事を済ませて消えるほうが、良い気分でいられる。恐怖よりもそれが上回ってる」
「ギュララさん……」
「それにとっくに覚悟はできてる。だから心配すんな。お前やモモナと出会って、未練も果たせるんだ、もうそれ以上の贅沢は出来ねぇよ」

 僕を一瞥するとやんちゃな笑みを向けてくれた。
 それからは、話すこともなく見合わせることもなく、僕達は彼らの訪れを待ち続けた。

「……来たか」

 奥からクママさんを先頭にアオや桃奈さん、そして林原さんが現れる。唯一事情を知らないクママさんは怒りを滲ませた表情で、ギュララさんと対峙した。

「ギュララ、僕と戦うためにそんな非道な行動に出るとは思わなかったよ。ヒカゲさんを開放しろ!」

 そう作戦とは、僕がギュララさんに誘拐されてしまい、開放条件はクママさんが戦うことだと嘘をつき、救うために戦わざるを得なくするというもの。桃奈さんが村に戻ってそのことを彼に伝えて、他の二人には本当の事を言っている。
 この作戦において、僕は人質の演技をしなくてはならない。

「うわー、はやくたすけてー」
「ハハハ、ヨクキタナ。コイツをカエシテほしければ、俺と戦うんだな」
「……」

 事情を知っている三人が凄い引きつった顔をしている。やばい、思ったよりも演技が難しい。凄い棒読みになってて、緊迫感が完全にむさんしていた。

「くっ……どうしたら!」

 ただ、ターゲットであるクママさんは信じ切っていて、ものすごく葛藤していた。それに安心するも、騙している心苦しさもあって。

「クママさん、ユウを救える人はあなたしかいないの。だからお願い」
「それに、悪の道に堕ちたあいつの目を覚まさせされるのは、友人であるクママさんだけよ!」
「わーたすけてくださーい」

 二人の声かけと棒読みのヘルプに背を押されたように、動けないでいたクママさんは一歩、また一歩と進んだ。

「やる気になったか?」
「ああ。僕のせいでヒカゲさんを苦しめてしまった。でも、あの時と同じような失敗はしたくない! はぁぁぁぁ!」
「くくっ」

 クママさんはネックレスを握る。すると眩い紫に光に全身が包まれた。

「すご……」

 光が収まるとそこには、変身したギュララさんをも超える大きさで、二足歩行の藍色の巨大熊がいた。丸太のような両腕で両足を持ち、凶暴そうな顔つきに紅の瞳が嵌っていて、頭には二本の角が伸びている。大きな熊の手からは殺人的な五本の爪があり、ギラギラと光っていた。

「ようやくだな……」

 ギュララさんはその姿を見上げてニヤリと笑って、クママさんと同じく変身した。

「さぁ、こいよ!」
「うらぁぁぁぁ!」

 クママさんは手を握りしめて極太の右腕を引き絞って殴りかかった。

「ぐぬぉ!」

 顔面に叩き込まれたギュララさんはその威力にノックバック。それに追撃するように今度は左腕が腹に強襲。

「ガハッ……」

 反撃する間もなく二連撃を受け、身体を抑えながらたまらず距離を取った。

「やればできるじゃねぇか。なら今度はこっちからだ!」

 態勢を立て直したギュララさんが一気に迫り、背丈の高い相手の顎にアッパーを喰らわす。

「うぉ、でも!」
「おいおい、受けられるのかよ」

 圧倒的な首の力でその顎とアッパーが拮抗していた。クママさんはその腕を振り払うと、タックルをぶつける。

「ぐぉぉ」
「うらぁぁぁ!」

 よろけた隙にさらに殴る蹴るで何度も攻撃していく。ギュララさんは防戦一方で、腕をクロスさせて防御するしかなく、反撃できない。
 まさかここまで力の差があるなんて驚いてしまう。

「怪獣バトル凄いな〜カッコいい!」
「あたし、見てられないわ」
「……」

 向こう側にいる三人もそれを見て、釘付けになってたり、目を覆ったり、無表情で傍観していたりしている。

「おらぁ!」
「うおっと」

 ギュララさんが相手を押しのけて何とか攻撃の嵐を突き放した。

「そろそろ、終わりにするよ」
「くくっ、いいぜ来いよ!」

 クママさんは左手の爪を、ギュララさんは右手の爪を互いに向ける。

「「デスクロー!」」

 そう叫ぶと二人の爪が赤黒く染まり、その力の余波が周囲にもピリピリと伝わってきた。

「はぁぁぁ!」
「おらぁぁ!」

 同時に地面を蹴って肉薄する。クママさんは腕を振り下ろし、ギュララさんは振り上げた。
 そして赤黒い軌跡が最後まで描かれたのは、上から下へのものだった。

「くくっ、これは大丈夫だな……」

 ギュララさんは倒れた。そうすると変身も解除されて元の姿に戻る。クママさんも人の姿になると、僕の方に近寄ってきた。

「ヒカゲさん大丈夫ですか!」
「あ、はい。あの」
「頬が腫れて……すみません僕のせいで」

 とても申し訳無さそうに謝罪されてしまう。いよいよ、苦しさがピークに達して。

「違うんです! 謝るのはこっちの方なんです!」
「ヒカゲさん?」
「嘘だったんです、誘拐されたとか。クママさんを焚きつけるためのでまかせだったんです。本当にごめんなさい」

 クママさんはぱちくりと何度か瞬きした後、表情が驚愕の色に変貌して。

「えええええ!」

 腹の奥底から驚きの声を上げた。