「お~~。人がいっぱい集まってる」

 昼休み。
 幼等部の生徒たちは、学院にある『石の卵』を見に行くことにした。
 『石の卵』は、学院の東側にある『春の丘』と呼ばれる場所近くに存在する。
 美術品を飾るような台座の上に、まるで置物のように置かれた一見何の変哲もない石をみるために、人が集まっているのは異様な光景だった。

「『見に行こうぜ』って言ったけど、柵があるしここまでしか近付けないんだよなあ……」

 しかも近くで見ようにも、『石の卵』の周りには柵が設けられており、近付けなくなっているのだ。

「前来たときはここまでではなかったんだけど……。講義が始まったのもあって、見に来ている人間が増えているのかもしれない」
「なるほどなあ。やっぱ一度は! って思うもんなあ。勇者の伝説の剣みたいな」
「わかる! 俺が近付くとさあ、石の卵がひび割れて、中から現れたフィンゴットが、俺に頭を垂れる……とか。ロマンでしかない」
「わかる~~!」

 少年達は声を弾ませて頷く。

「でもさ俺、よく分からないんだけど……。そもそもなんで卵が『石』なんだ? 石みたいに固い、とかじゃなくて、これって実際石なんだろ?」
「普通に考えたら、外敵から身を守るため――かな。フィンゴットとレイザールの卵は、石の内側にあるって言われている。因みにこの石について、以前削ろうとした人がいたみたいなんだけど、血のような赤い石粉がでて、凶行にでた人がその後事故にあったのもあって、今は人を近寄らせないようにしているらしい」
「怖っ! なんだよそれ、呪いみたいじゃん!」

 その反応は最もだった。
 それでまるで、触れてはならない呪いの卵だ。 

「でもまあ、こういう話は……人を近寄らせないために作られた怪談という可能性も高いと思うけどね。何しろ『最も高貴』とされる生き物の卵だ。不用意に近づくのは、命が惜しければやめておけという警告かもしれない。ただ――卵の中に卵、は本当だと思う。レオン王子のレイザールも、石と卵の殻が回収されているからね。まあ、『主を待ち続けて千年、卵は石になった』なんて話もあるけど」
「……おいおい。その話が本当なら、どんなに頑張っても無理じゃんか」

 レオンは『賢王』レオンの転生者とされている。
 そんな彼と同等の素質だなんて、『やっぱり無理なのかなあ』と肩を落とした子どもを前に、本を抱えた気弱そうな少年が小さく手を上げて意見を述べた。

「僕は大体こういうのって、大抵手順が必要だと思うんだ」
「……『手順』? どういうことだ?」
 言葉の意味が分からず、少年たちは首を傾げた。

「だって、『宝探しの話』っていうのはさ、暗号を解いてっていうのが普通でしょ? 冒険して、試練を乗り越えた者だけが宝を手にできる――っていうさ。僕は、フィンゴットも同じだと思うんだ」
「宝って言えばそうかもしれないけど……でもあの卵のどこに、『暗号』とやらがあるんだよ?」
「……それは」

 本を抱えた少年は、言葉を詰まらせた。
 『石の卵』はよく磨かれた赤鉄鉱《ヘマタイト》のような、つるりとした石肌を晒している。

「冒険小説の読み過ぎなんだよ。お前、普段運動なんてしないくせに」
「なんだよ。夢見たっていいじゃんかっ!」
「まあ、夢を見るタダだからな」
「なんだと……!」
「まあまあ、二人とも。こんなとこで喧嘩なんて駄目だよ」

 喧嘩が起きそうになった、まさにその時。
 
「どけどけ! 俺様に道を譲れっ!」

 荒々しい声とともにどたどたという足音が響き、乱暴に押しのけられて人が転ぶ音とともに、悲鳴のような声が上がった。

「何!?」「押さないで、いたい!」「きゃあっ」「何なの!? 一体!」

 ローズがちらりと視線を送ると、身長の低い小太りのいばりくさった態度の男が、意地の悪そうな両脇の男二人に人を押しのけてさせて道を作っていた。
 
「あ……ああ、わわ……っ!」
 人の波に押され、リヒトは自分の方に倒れてくる少女を庇おうとして、そのまま後方へと倒れ込んだ。

「えっ」
 情けない声と同時、リヒトが倒した柵の音が響く。
 少女の頭を庇うように抱きとめていたリヒトは、自分の顔スレスレで交差する鉄の柵に思わず息を呑んだ。

「……っ!」
 少し間違えば危ないところだった。
「ご、ごめんなさい! リヒト様!」
「だ、大丈夫だ……それより、怪我はないか?」

 少女に声をかけて笑いかけるも、リヒトは手をわずかに震えさせていた。
 『正直怖かった』と言える状況ではない。
 ローズは静かにその光景を眺め、男たちを避けるように開けられた道にわざと足を踏み入れ、男の前に立った。

「貴様、早くそこをどけ! 俺様を誰だと思っている!」
「失礼しました。そうですね……。一体どちら様でしょうか?」
 
 ローズは振り返ると、まるで最初からそこにいたかのように不敵な笑みを浮かべて、男に尋ねた。

「えっ? ……ろ、ローズ様!?」
 長い黒髪に、赤い瞳。
 花紋章の刻まれた聖剣を手にした女性など、この世界に一人しかいない。
 男は目を大きく見開いて頭を下げた。

「た、大変失礼しました。ローズ様だと分かっていればこんな真似しませんでした! ろ、ローズ様のことは、以前よりお慕いしておりました。是非この機会にお見知りおきを……っ!」
 
 無礼を働きながらも、男はローズの手に自分の手を伸ばした。
 まるで舞踏会で手に口付けて、男が女に挨拶するかのように身を屈める。
 しかし男の唇が手に触れようとしたところで、ローズは低い声で呟いた。
 
「――随分と、荒っぽい真似をなさるのですね」

 ローズは男を、冷ややかな目で見下ろしていた。
 今のローズは騎士というよりは、『水晶の王国の金剛石』と呼ばれる『公爵令嬢』のようだった。
 ドレスや手袋《グローブ》を身に纏う淑女のような声で、ローズは悲しげに呟いた。

「……残念です」
「えっ」

 魔王を倒してその名を広く知らしめたローズの女性的な声に、男は頬を赤らめてから顔を上げ――侮蔑の目に気付いて体を震わせた。

「私を思ってくださる方の中に、こんなにも身勝手な方がいらしたなんて」

 「最低」「身の程知らず」ローズの言葉と同時、男を責めるような声が周囲から上がる。

「も……申し訳ございませんでしたああああ!」
「お、お待ち下さいっ!」
「我々を置いていかないでくださいっ!」

 男はぷるぷる震えると踵を返してその場を去った。
 情けない謝罪をしながら全力で走る男の背を、取り巻きたちが追いかける。

「逃げてやんの。かっこわる~~!」
「ローズ様、かっこいい!」
「流石剣神様です!!」
「いえ、私は何も……」

 軽く文句を言ったつもりが、何故か尊敬のまなざしを向けられローズが困っていると。

「何を騒いでいる」
 よく知る声が聞こえて、ローズは振り返った。
 
「騒がしいと思えば……。もめ事の中心には、いつも俺のよく知る人物がいるようだ」
「…………」
「全く、こんなところで何をしているんだ。相変わらず、そそっかしいな。君は」

 だがロイは、ローズには軽く視線を向けただけで、柵を倒して尻餅をついていたリヒトの前で足を止めると、ふっと笑ってリヒトに手を差し出した。

「……五月蠅い。いろいろあったんだよ」

 リヒトは、大国の王であるロイの手を、当然のように取った。――まるで、親しい友人でもあるかのように。
 その光景を見ていた周囲の人間たちが少しざわつくのを、ローズは静かに観察していた。

 『賢王』レオンの弟でありながら、幼等部行きになった出来損ないの王子――その事実は変わらなくても、ロイがリヒトを認めているとすれば、話は変わってくる。

 周囲から一目を置かれているベアトリーチェがユーリを認めることで、ユーリが高く評価されているように。
 それにロイはこれまでも、才能がありながら評価されずに埋もれていた人間を、何人も世界に羽ばたかせている。
 人の才能を見抜くことが出来る大国の王。それが、ロイの世界での評価だ。
 だからこそ、ロイと人前で仲が良さそうに演じることが出来れば、周囲はその人間に興味を持つ。

 ――まあ、リヒト様はそんなことは微塵も考えてはいらっしゃらないでしょうが……。

 相変わらず、少し間の抜けた素のリヒトを見て、ローズは苦笑いした。
 どう考えても、リヒトは無意識だ。
 だが、ロイはどうだろうか? そう思ってローズが二人を見つめていると、ロイが王らしい微笑みを浮かべて、ゆっくりとした口調でローズに尋ねた。

「ローズ嬢。俺に、何か言いたいことでも?」
「……いいえ」

 問いでありながら発言を許さない笑みに、ローズは静かに首を振った。


 ◇◆◇


「よし! これで準備は完璧だ!」

 その夜。
 自作の『発明品』を袋に詰め背中に抱えたリヒトは、忍び足で寮を抜け出すと、星空を仰いだ。
 高鳴る胸に手を当てる。
 ああ、これから俺の冒険が始まるのだ――と、思ったところで。

「――何が『よし』、なのです?」
「ひわっ!?」

 リヒトは背後から聞こえた声に、びくりと体を跳ねさせた。
 暗闇からの声というのもあって、驚きのあまり地面に両手両足をついて倒れ込む。
 冒険に期待して高鳴っていたはずの胸が、驚きと恐怖で、音が聞こえてきそうな程高鳴っている。

 こんなはずじゃなかったのに! どうしてこうなった――リヒトは自分の滑稽さに微かに痛む胸を押さえながら、勢いよく背後を振り返り、声の主に向かって叫んだ。

「ろ、ローズ!? なんでお前がここにいるんだよ!?」