自分の部屋に他人をいれたのはいつぶりだろうか。
 少なくとも、高校生になってからは一度もいれていないし、男の子をいれることなんて、この先も一生ないだろうと思っていた。

 視界いっぱいに見慣れた壁の模様が広がっている。後ろでは、五分ほど前から衣擦れの音がしていたけれど、もういいよ、と、いまようやく許可が出た。
 振り返る。そこには、セーラー服を、やや窮屈そうにしながらも、可憐に着こなし、不敵な笑みを浮かべた天使、ではなく、天国がおられた。

「どうだよ」
「………くやしい」
「はい?」
「……最高で、悔しいよ! 天使すぎる」
「何だそれ。想定外のリアクションだな。まあ、それならもっと褒めてくれてもいいぞ」
「いや、本当に。天国、めちゃくちゃ可愛い! どうしよう、可愛いすぎるね」

 この高校のセーラー服が着たいから、四季のを貸してほしい。

 踊り場でそうお願いされたときは、何を言ってるんだこの男、と身構えた分、脱力しながら思った。
 さすがに、校内は嫌で、わたしの家まで来てもらうことになった。正直なところ、セーラー服を着た天国をこの目で確かめる瞬間までは、ひたすらげんなりしていたのだが、いま、天国のあまりの可愛さに、そんなことは一瞬で吹っ飛び、不覚にも興奮してしまっている。
 それこそ、街で天使を見つけたときのように。

 わたしと天国では身長差もそれほどなく、サイズに心配はなかったけれど、彼、予想をはるかに上回る素晴らしい着こなしをされている。
 天国の方も、部屋にある全身鏡で自分の姿を確認して、スカートをひらひらさせながらくるんと一回転なんかして、浮かれている様子だ。

「いっこ、夢かなった。やっぱり、おれに似合うな」
「似合う!」
「四季すみのさん、尾行してくれて、どうもありがとう」

 興奮冷めやらぬまま、どういたしまして! と言いかけて、踏みとどまる。

「……それは、ちょっと待って。どういうこと? ……え、ぜんぶ、罠だったとか?」
「待て待て、違う。隣の街だったし、知り合いなんていないだろうし、いてもおれだってことはばれないだろうって、土曜はふつうに油断してたよ。でもお前にばれたから。言いふらされると鬱陶しいなと思って声かけたけど、そういうんじゃないんだってわかって。おれの土曜の恰好も可愛いって褒めてくれて。結果的に、相手が四季でラッキーだったってことだよ」
「……後半のラッキーが何なのかよく分からないのだけど」

 セーラー服の天国は、彼に制服を貸すため、すでに私服に着替え直していたわたしを指さして、「要するに、四季。その服も、めちゃくちゃ可愛い」と言った。
 いま着ているのは、お気に入りのセレクトショップでお小遣いをはたいて買った「花束と魔女」という名の黒のワンピースで、胸元のところやスカートの部分に色とりどりの花の刺繍が施されている。大好きな一着だ。

「春に、クラス会があっただろ。そのときの私服見て、四季ってファッションセンスいいんだなって思ってたから」
「そのとき言ってくれればよかったのに」
「おれって人見知りだから?」
「どこがですか? ……まあ、でも、もうこの際だから言っちゃうけど。わたしも、実はね、同じクラスになってから、天国にちょっとだけ親近感抱いてたよ。わたしと同じで、ひとりでも平気でいるひとだなって。それだけだけど」
「別にそんなこともないけどな。ただ、仲良くする相手をかなり選ぶだけで」
「ふぅん?」

 なんだ、なんだ。
 昔からの仲のように、気さくに話せてしまっているじゃないか。それも、自分の部屋で、自分のセーラー服を着たクラスメイトの男の子と。
 冷静に考えれば奇妙だが、どういう状況であれ、自分が身につけているものやファッションセンスを褒められるとうれしいのは、お互い様らしい。
 天国の声でつくられた「可愛い」という言葉は、今までの人生の中で、時折、男の子から押し付けられてきた「可愛い」とは違って、どこを切ってもその言葉通りであるように感じた。

「そういうことなら、天国由玖くん、話は変わってきちゃいますね」

 踊るようなステップで、部屋のクローゼットを開ける。くるんと振り返り、天国にウインクまでしてしまうのだから、わたしは単純だ。だけど、わたしは自分の単純さがそこそこ好きだ。

「天国に似合う服、たくさんあるかも。着てみる?」
「……いいの?」

 ここにきて遠慮してみせた天国が可笑しくて、少し笑ってしまった。

 それから、わたしと天国は、夕方のあやしい光に照らされた部屋で、束の間のファッションショーを楽しんだ。天国によりお洋服の新しい組み合わせ方もいくつか見つかり、大いに盛り上がり、彼を尾行してよかったなとわたしだって思ってしまった。
 部屋に散らかしたお洋服たちをふたり、一枚ずつ丁寧に畳んだりハンガーにかけたりしていたら、そういえば、と天国が切り出す。

「土曜に、おれが入った古着屋、四季も好きだと思うよ」
「……シャル・ウィ・ダンス?」
「うん、そう。行ったことあったか?」
「ないない。え、行きたい。今度、一緒に行こうよ」

 深く考えることなく流れで誘ってしまってから、今の発言は大丈夫だったかなと不安になった。だけど、天国は特に気にする様子もなくスカートの皺を伸ばしながら、「いいよ」と頷いた。

「メッセージアプリ、クラスのグループから天国のアカウント追加していい?」
「どうぞ」
「……誘うとき、踊りませんか? って言うね」
「じゃあ、おれもそうする」

 面倒なことになりそうだったので、両親が仕事から帰ってくる前に、天国には出て行ってもらうことにした。わたしは家の前で、学ランに身をつつみ直した天国の背中が消えるまで見送った。

 そのうち、少し冷静さを取り戻し、土曜から今までに、わたしと天国のあいだで起こったことをひとつひとつ考えてみた。
 すべてが急で、取りこぼしていることはどうしてもあるだろう。だけど、天国と距離を縮められたことは結果としてうれしいことだと思った。同時に、穏やかな落胆もあった。

 もしも、天国が男の人を好きであったなら、恋について話してみたかった。
 おりちゃんのことが、恋愛として好きなんだけど、どうしたらいいかな。天国は、どうやって、相手にアプローチしているの。
 人目も憚らず、自分の恋について口にして、真っ当に盛り上がることができるひとたちのようにはいかなくてもいい。だけど、わたしも、自分を偽らなくても済むような相手と、恋のお喋りを一度くらいはしてみたい。