「ヴィクトリア。朝ですよ。起きてください」

 鳥の声が響く。
 カーテン向こうから、柔らかな朝日が射し込んでいる。
 誰かに優しい声で朝を告げられて、ヴィクトリアはゆっくりとまぶたを押し上げた。

「ん……? カー……ライル?」

 意識がまだはっきりしない。ヴィクトリアは寝ぼけ眼を擦って、友人の名前を呼んだ。

(ここは、一体どこだろう?)

 ルーファスに寝室でおやすみを告げて――それから眠った記憶はあるが、何故ルーファスではなくカーライルが自分をおこすのか、ヴィクトリアは分からなかった。

「私の私室ですよ。昨晩はこちらに泊まったでしょう?」
「へ!?」

(待って。それって、一体どういうことなの?!)

 ヴィクトリアは混乱して、急いで立ち上がろうとして――寝台の上で躓いた。

「危ない!」

 大きめのパジャマだ。
 ぶかぶかの服のせいで、転んだヴィクトリアの体を、カーライルは慌てて抱きとめた。

「……何をしているんですか」
「だ、だって……」

 カーライルの胸元に顔を埋めるような形で体を支えられて、ヴィクトリアは気恥ずかしさでカーライルを真直ぐ見ることが出来なかった。

「仕事ばかりで疲れていたのでしょう。無理もありません。魔王として貴方を認めさせることは、平坦な道ではありませんでしたから」

 しかしいつもならヴィクトリアをからかってくるはずのカーライルは、何故か優しい眼をしてヴィクトリアにそう言うと、静かに彼女の体を抱きしめた。

 壊れ物を抱きしめるようなそんな腕の力は、いつもの強引なカーライルとはまるで違う。
 何が起きているか理解できない。
 自分を脅してこない、甘いだけのカーライルなんて、変な薬でも飲んだんじゃないかとヴィクトリアは思った。

(と、いうか……。今の私はまだセレネで魔王として認められていないし。じゃあ、これは夢ってこと?)

 夢。
 そう思えば、ヴィクトリアは全てが納得がいくような気がした。
 穏やかな表情をした優しいカーライル。
 なんだか慣れないけれど、いつもの強引な彼よりは、ヴィクトリアは好ましく思えた。
 だが――……。

「横になってください」

 当然のようにお姫様抱っこされて、寝台に寝かされたヴィクトリアは体を強張らせた。

「えと、その、あの……」

 いつものカーライルに同じことをされようものなら殴って反抗しているところだが、夢の中の紳士的なカーライルだとヴィクトリアは強く出れなかった。
 
 ヴィクトリアが反応に困っていると、カーライルは人差し指を軽く一周させた。
 するとどこからともなく無数の糸が現れ、ヴィクトリアの体は糸に拘束されてしまった。

「え?!」

 油断していたらこれだ!
 動けなくなったヴィクトリアは、カーライルに騙されたと思って睨み付けた。

(しおらしいと思ったら、ついに監禁にまで目覚めたって言うの!?)

 五〇〇年前から頭がおかしいことは理解していたが、まさか彼に蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされる日が来るなんて! 夢とはいえ捕食される未来が頭をよぎり、ヴィクトリアは体を震わせて、精一杯の声で叫んだ。

「カーライル。いっておくけど、私は監禁なんて絶対嫌だからね!」
「今日も執務、ごくろうさまでした。疲れたでしょう? 最近知ったのですが、デュアルソレイユにはこうやって、一度体を圧迫して緩めることで、血の流れを良くするという治療法があって――…………って、は?」
「えっ?」
 
 すらすらと話をしていた紳士的なカーライルは、ヴィクトリアの言葉を聞いて固まった。

「監禁? 一体何を言っているんですか?」

 『何言ってるんだこの人は』――怪訝な顔をしたカーライルに見下ろされ、ヴィクトリアは顔を真っ赤に染めた。

(おかしい。納得いかない。これじゃまるで、自分の方が頭がおかしいみたいじゃない!)

「だって貴方が体を糸で拘束するなんて、それ以外考えられないし……」
「……昔の私ならそうしたかもしれませんが、今はそんなことしませんよ」 

 カーライルはそう言うと、糸をほどいてはあと深い溜め息を吐いた。

「……貴方は私の思いを受け入れてくれたのに、これ以上貴方に無理強いする理由がどこに?」

 カーライルはそう言うと、ヴィクトリアの手を取って、その手に輝く指輪にキスをした。
 よく見ると同じ指輪が、カーライルの指にも嵌められていることにヴィクトリアは気が付いた。

「愛している。ヴィクトリア」
 いつもとは違う、毒気のない甘い笑み。
 恋人に愛を囁くようなそんな声――。

「わああああああああっ!!!」

 ヴィクトリアは跳ね起きた。

(何今の!? 今の誰!? あれが本当にカーライルなの!?)