和正と婚姻して半年以上経った頃だ。
突然、和正からとても大事な話があると告げられた。巫女の務めも今日だけは休んで欲しいとまで言われてしまった。

(とても大事な話ってなんだろう?なんか怖い…)

朝の日課である神社でのお祈りだけして、今日の巫女の務めを休ませてもらうことにした。
癒しの異能を待つ人達に申し訳なかったが、和正のどこか深刻そうな表情を見たら断るわけにはいかなかった。
どこか胸騒ぎがする。そのせいで夜もよく眠れなかった。なんとなくだがいい話ではないそんな予感がする。
もし、何かの大病を患ってしまっているなら隠さずに私に言って欲しい。癒しの異能を使えば治せるから。
だが、雰囲気からしてそうではないだろう。何か悪意がこもっている気がしてならなかった。
私は逃げ出したい気持ちを押し殺しながら和正が待つ部屋の戸を開けた。
部屋の中には顔を青ざめた和正とその隣には何故か玲奈が居た。玲奈はいつも以上に勝ち誇ったかの様な表情を私に向けていた。

「あ…陽子…ごめんな…急に…」
「それはいいの。それよりもどうして玲奈がここにいるの?まさか大事な話って玲奈も関係しているの?」
「あの…それは…えっと…」
「も〜〜!和正様ったら怖がっちゃって〜。代わりに私が話してあげるね⭐︎」
(え?なんなの?どうゆうこと…?!)

すると、玲奈は自分のお腹を大事そうに擦りながら私に告げてきた。

「実はぁ、私のお腹の中に和正様の子供がいるの♪」

玲奈の甘ったるい声で告げられた事。和正の子供という言葉が私を唖然とさせ言葉を失わせる。
嘘だ。きっと玲奈が私を陥れようとしてるだけだ。和正が私を裏切るなんてありえない。
必死にそう言い聞かせるも、すぐにその希望が打ち砕く言葉が和正によって発せられた。

「本当なんだ…玲奈ちゃんが言った事は全部本当なんだよ。彼女のお腹に僕の子がいる」
「な…なに…言ってるの…?子供がいるって…!!」

つまり、私に隠れて彼らは愛し合っていたのだ。その結晶ができてしまった。
愛している筈の和正が遠くなってゆく。
なんとなくそんな予感はしていた。
前までは迎えに来てくれたり、二人きりで出かけることも多かったのにいつの頃からか少なくなった。
だが、きっと彼も忙しいのだと勝手に決め付けて、和正に限って私を裏切る筈がないと問い詰めようともしなかった。
その結果がこれなのだと現実を突きつけられた。到底受け入れることなんてできない。
何で返したらいいのか分からないでいると、突然、和正が私に向かって勢いよく土下座してきた。

「か、和正?!!」
「たのむ!!僕と離縁して欲しいんだ!!!」
「………は?」

離縁。まだ結婚して一年も経っていないのに何を言っているのだろう。
どうして私から離れようと必死になるの?
私が和正の子を宿そうとしなかったから?
もっと構ってあげられなかったから?
玲奈の方が魅力的だったの……?

「可哀想なお姉様。でもぉ、お姉様が悪いのヨォ?」
「私が…?!」
「だってぇ、和正様ずっと子供を欲しがっていたのにお姉様は巫女のお仕事ばかりで構ってあげられてなかったじゃない?だ・か・ら、私が代わりに作ってあげたの。和正様の可愛い赤ちゃんをね♪」

うふふっと笑いながら和正に擦り寄る玲奈に吐き気を覚える。満更でもない和正にもだ。
二人の歪過ぎる思想に目眩を覚えてしまった。

「そうだとしても、こんなこと許されるわけないでしょ!!私は絶対に離縁なんて……!!」
「まさか私の可愛い赤ちゃんからお父さんを奪うつもり?」
「陽子…実はお義父さん達も知ってるんだ。お義父さん達も僕達の離縁を望んでる。だから言う事を聞いてほしい」

身勝手過ぎる理由ではいそうですかわかりましたなんて言えなかった。
もうこの家族に何を言っても通用しない。子供を盾にしてるから尚更だ。一刻も早く二人のそばから離れたかった。
私は立ち上がり、部屋を出ようとすると和正が腕を掴んで引き止めてきた。

「……離縁なんて無理よ。掟のこと忘れた訳じゃないでしょ?」
「ああ。分かってる」
「龍神の神社の宮司は龍神の巫女としか結ばれてはいけない。だから貴方達は」
「……譲ってあげて欲しいんだ。異能と巫女の名を玲奈ちゃんに…。玲奈ちゃんを身籠らせた責任を果たすには陽子の協力がないとできない」
「っ…本当貴方達って最低ね!!ふざけ過ぎてる…!!」

和正の手を振り払い、外に向かおうとした時だった。
隣の部屋で話を聞いていたであろうお父様達が勢いよく戸を開けて入ってきた。蔑む目を向けるお父様に私は疑問をぶつけた。

「お父様!お継母(かあ)様!!私は絶対に和正さんと離縁なんてしたくありません!!どうして玲奈に私から全てを奪うのを許したのですか?!!私は…っ!!」

すると突然、私の右の頬に強い衝撃が走った。私はあまりの勢いに思わず床に倒れ込んだ。ゆっくり頰に痛みが走ってゆく。殴られたのだ。

「我儘を言うな!!妹の幸せを願えないのか!!貴様は!!」
「そ…そんな…私は…!!!」
「可愛い私の玲奈に異能と巫女の名を渡し、和正さんと離縁しろと言ってるでしょ?何度も言わせないで頂戴」

お父様とお継母様はいつも以上に冷たい目線を私に向ける。
私はそれでも彼らの言う通りにはなりたく首を横に振ると、またお父様に平手打ちをされる。両方の頬が鏡を見なくても赤くなってると分かるぐらいに。
どうしてこの人達は私の幸せを奪おうとするのだろう。
お母様達から受け継いだ異能と巫女の名も、私の味方であると言ってくれた愛する和正さえも。
全て玲奈に奪われようとしている。誰も助けてくれなかった。

「陽子。たのむよ。俺のことが大切なら言う通りにしてくれ」
「お姉様。この子からお父さんを奪わないでよ。それにぃ、私が巫女の異能を持った方が龍神様も喜ぶと思うの」

絶望する私に選択肢はない。抵抗しても事態は変わらない。先に宮司の子を宿した方が勝ちなのだと全員から言われている様に感じる。何も生み出さないお前に巫女である筋合いはないとも。
この後の記憶は朧げだ。
ただ、震える手で離縁状に記入した事と、紙に涙が落ちて滲んだ事だけは覚えている。
お母様が亡くなる前の優しかったお父様はもういない。
ずっとひとりぼっちで泣いていた私を明るく励ましてくれた大好きな和正は此処にはいない。私の目の前にいるのは、玲奈の可愛さに目が眩んだ男だけ。
玲奈にだけはこの力を渡したくなかったのに。龍神様とお母様が託してくれた異能を。優しくて美しいこの異能を彼女にだけには触らせたくなかった。
けれど、もうその願いも叶わない。
地獄と化したこの家で私は静かに悔しさと寂しさで泣くしかなかったのだった。








一羽の白鷺が身勝手な女の愚行によって全てを奪われた哀れな巫女を静かに見守る。本当はすぐにでも駆けつけたかった。
だが、まだ彼女の気持ちが夫にあるのと、この家を離れる気がまだないと知っているから動けなかった。
きっと、今の彼女に助けの手を差し伸べても握る事はないだろうと。

「陽子。君の心からあの愚男(ぐかん)が消えたらすぐに迎えに行く。あの愚かな妹と両親にも罰を与えねばな」

白鷺は悔しさを滲ませながら空へ飛び立ってゆく。
夜空を飛ぶ中、白鷺はある事を思い出す。

(あの親子…もしかしたら…)

玲奈とその母親の行動と外見を見て何か引っかかるものがあった様だった。あの蛇神・瑪瑙から全てを奪い逃げおおせたあの女。父に教えてもらった女によく似ているのだ。

(もしあの女の一族の者だったら今度こそ瑪瑙様の仇と親父との約束が果たせる…!!)

白鷺は、父親との約束である瑪瑙の積年の恨みをようやく果たせるかもしれないと希望を見出しながら愛する巫女の少女の無事を願い夜空を駆けた。