「準備できたの-?」
母親の声は私をうたた寝から引き戻した。目をこすり時計に目をやる。夜8時。
「んー、まだ、、、」
目をこすった私は、まつ毛が濡れていることに気付いた。あれ、なにか夢でも見てたのかな。ひと伸びする。
荷物をキャリーケースに詰めていたところ、勉強机に付いている引き出しの奥から何かを見つけ読んでいた。そこから記憶がないから、多分その間に眠くなって寝てしまったのだ。ふと手の中に何か掴んでいるのを感じた。ミサンガだ。
最初は真っ青に白の編み込みが入っていただろうデザインは、黒ずんでいたり色褪せたりしていて、ところどころ汚れている。結び目の部分の糸はほつれ、今にも崩れてしまいそうなほどである。
「ねぇ!海行こうよ!」
頭の中で彼女の声が響いた。懐かしい。私は思わずふっと笑った。
「あら、そんなの持ってたっけ?」
母親は私がミサンガを持っていることに気付いた。
「やだ、彼氏?いいわねー。そういうの」
「違うよ。家庭科の授業で作ったやつ」
「なーんだ。あ!ここもちゃんと片付けときなさいよ?もー、こんなに沢山出しっぱなしにして、、、」
ぶつぶつ文句を言いながら洗濯物をたたむ母親を横目に、私は荷詰めの続きをする。
しばらくすると、スマホのバイブレーションが聞こえ、電話が鳴っていることに気付いた。スマホをもって慌てて外に出る。外はまだ3月で、冬の寒さをだらだらと引き継いでいた。冷たい風に思わず身を縮め、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もしもしー?荷造り終わったの?午後からやるって言ってたでしょ?』
電話相手の声は少し呆れているようだ。
「そうだけど、まだ終わってないや、、、」
『やっぱりねー』
はー。とため息が電話越しから聞こえる。
『あんたねー、明日の電車朝早いんだから、寝坊したら知らないからね?』
「んー」
『なに、どうしたの』
さすがだ。私の異変に数回の応答だけで気付いた。
「荷物まとめてたらあのミサンガ出てきたよ」
『懐かしっ』
相手は少しテンションが上がったのか、声が大きくなった。
『あれからもう半年以上も経つのかー。結局あんた捨てなかったのね』
「まぁ、お守りみたいなものだから。これで大学受験乗り越えられたようなものだよ」
『なにそれ。でも確かに、あんた頑張ってたねー』
「死ぬかと思ったホントに」
私が受験勉強を思い出して心の底から言うと、電話越しに相手は笑った。
『よく合格したよ。しかも東京って!最高じゃん、イケメンわんさかいるよ!紹介してね』
あまりにひどい頼みに、今度は私が笑った。
「はいはい。覚えてたらねー」
『ちょっと!最優先事項でしょうが!親友の頼みをそうやって適当に!』
「うるさいなー」
二人で笑い合う。笑い終わった後のなんともいえない空気のなか、足元の砂利をサンダルで擦って、じゃりじゃりと音を立たせた。次の言葉を互いに待っている。
『じゃ、さっさと終わらせなよ?』
相手は分っている。これ以上だらだらと話していてもその時は来てしまうのだ。私もそれに気付かないほどじゃない。だから
「頑張る。じゃ」
と短い言葉で電話を終わらせるのだった。
電話を切って家に入ると、温かい空気が全身を包む。あ、これまた寝ちゃうかも。しかし明日は東京に行ってお兄の家に着かなければならないのだ。朝一の電車に乗っても東京に着くのは夕方である。気を取り直して最後の荷詰めに取り掛かった。
彼女がこの街を去ってから半年以上が経った。このミサンガと色褪せてほしくない素敵な思い出だけを残して。
私は彼女との約束のために、堂々と胸を張れるように、東京の大学進学を目指して勉強し続けた。今年の2月には晴れて合格し、来月に入学式を控える。できればもう二度とあんな経験はしたくないと切実に思う。
今日は、この街で過ごす最後の高校生としての日。午前中から友達と遊んで、帰って来てから荷物の整理と荷詰めをしている。もっと早くやればよかった。この夜が明けた明日の朝、電車に乗って東京へ向かうのだ。
私は彼女に出会った瞬間をいつまでも忘れない。あれは出会いの季節から少し経った、初夏のことだった。
母親の声は私をうたた寝から引き戻した。目をこすり時計に目をやる。夜8時。
「んー、まだ、、、」
目をこすった私は、まつ毛が濡れていることに気付いた。あれ、なにか夢でも見てたのかな。ひと伸びする。
荷物をキャリーケースに詰めていたところ、勉強机に付いている引き出しの奥から何かを見つけ読んでいた。そこから記憶がないから、多分その間に眠くなって寝てしまったのだ。ふと手の中に何か掴んでいるのを感じた。ミサンガだ。
最初は真っ青に白の編み込みが入っていただろうデザインは、黒ずんでいたり色褪せたりしていて、ところどころ汚れている。結び目の部分の糸はほつれ、今にも崩れてしまいそうなほどである。
「ねぇ!海行こうよ!」
頭の中で彼女の声が響いた。懐かしい。私は思わずふっと笑った。
「あら、そんなの持ってたっけ?」
母親は私がミサンガを持っていることに気付いた。
「やだ、彼氏?いいわねー。そういうの」
「違うよ。家庭科の授業で作ったやつ」
「なーんだ。あ!ここもちゃんと片付けときなさいよ?もー、こんなに沢山出しっぱなしにして、、、」
ぶつぶつ文句を言いながら洗濯物をたたむ母親を横目に、私は荷詰めの続きをする。
しばらくすると、スマホのバイブレーションが聞こえ、電話が鳴っていることに気付いた。スマホをもって慌てて外に出る。外はまだ3月で、冬の寒さをだらだらと引き継いでいた。冷たい風に思わず身を縮め、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もしもしー?荷造り終わったの?午後からやるって言ってたでしょ?』
電話相手の声は少し呆れているようだ。
「そうだけど、まだ終わってないや、、、」
『やっぱりねー』
はー。とため息が電話越しから聞こえる。
『あんたねー、明日の電車朝早いんだから、寝坊したら知らないからね?』
「んー」
『なに、どうしたの』
さすがだ。私の異変に数回の応答だけで気付いた。
「荷物まとめてたらあのミサンガ出てきたよ」
『懐かしっ』
相手は少しテンションが上がったのか、声が大きくなった。
『あれからもう半年以上も経つのかー。結局あんた捨てなかったのね』
「まぁ、お守りみたいなものだから。これで大学受験乗り越えられたようなものだよ」
『なにそれ。でも確かに、あんた頑張ってたねー』
「死ぬかと思ったホントに」
私が受験勉強を思い出して心の底から言うと、電話越しに相手は笑った。
『よく合格したよ。しかも東京って!最高じゃん、イケメンわんさかいるよ!紹介してね』
あまりにひどい頼みに、今度は私が笑った。
「はいはい。覚えてたらねー」
『ちょっと!最優先事項でしょうが!親友の頼みをそうやって適当に!』
「うるさいなー」
二人で笑い合う。笑い終わった後のなんともいえない空気のなか、足元の砂利をサンダルで擦って、じゃりじゃりと音を立たせた。次の言葉を互いに待っている。
『じゃ、さっさと終わらせなよ?』
相手は分っている。これ以上だらだらと話していてもその時は来てしまうのだ。私もそれに気付かないほどじゃない。だから
「頑張る。じゃ」
と短い言葉で電話を終わらせるのだった。
電話を切って家に入ると、温かい空気が全身を包む。あ、これまた寝ちゃうかも。しかし明日は東京に行ってお兄の家に着かなければならないのだ。朝一の電車に乗っても東京に着くのは夕方である。気を取り直して最後の荷詰めに取り掛かった。
彼女がこの街を去ってから半年以上が経った。このミサンガと色褪せてほしくない素敵な思い出だけを残して。
私は彼女との約束のために、堂々と胸を張れるように、東京の大学進学を目指して勉強し続けた。今年の2月には晴れて合格し、来月に入学式を控える。できればもう二度とあんな経験はしたくないと切実に思う。
今日は、この街で過ごす最後の高校生としての日。午前中から友達と遊んで、帰って来てから荷物の整理と荷詰めをしている。もっと早くやればよかった。この夜が明けた明日の朝、電車に乗って東京へ向かうのだ。
私は彼女に出会った瞬間をいつまでも忘れない。あれは出会いの季節から少し経った、初夏のことだった。