起立性調節障害の私が家族に思っていた事

最初に薬を処方された。
ミドドリンという血圧をあげる薬。
私は薬がとても苦手だった、ミドドリンは小さい薬だけど私は時間をかけて飲んでは顔を顰めていた。

だけどいつまで立っても薬の効果はなかった。

両親は最初私を無理やり叩き起こしていた。
文字通り私を叩いて。

私は寝ている間の記憶はない。寝起きの記憶もなく寝起きは態度も悪いと自認している。
だけど正直言ってあれは酷く怖かった。
両親は毎朝私を叩いた。
何度も何度も私を叩いた。お腹に背中、そして顔までも叩かれて気付いたときには薄っすらと痣になっていた。
朝起こしに来る両親が怖くて私は泣き叫んでいた事もあったと思う。
だけど両親はいつも通り私に大声で叫びながら私を叩き起こすのだ。
正直顔を叩かれておきた朝は両親のことを内心酷く怖がっていたと思う。

でも私はなんとも言えなかった。
両親は私を学校に行かせるために頑張っていた。
両親は暴れる私に何度も蹴られたといっていた。
両親は私のことを愛してくれていたんだと思う。
両親は虐待をしたいわけでもしているわけでもなかったから。

それからだと思う。私が家族を怖がり出したのは。
5つ上の兄は起立調節障害を患ったこともあったがこのときにはもうほぼ完治しているようなものだった。
兄は私に言った。
「サボらず学校に行け」と。
「両親を怒らせるな」と。
正直、意味がわからなかった。
兄は私の気持ちをわかってくれるかと思っていた。
だけど兄が吐いた言葉は私を責める言葉だった。
兄は、私の味方にはなってくれないとわかり私は静かに絶望した。

私はすぐにまた絶望することになる。
その相手は二歳上の実の姉だった。
姉とはどちらかといえば仲は良い方であった。
でも私との性格は正反対だった。
真面目で几帳面で優秀な姉と自由人で大雑把で平凡な私。
姉も起きることは苦手ではあったが学校にはちゃんと行って優秀な成績を収めていた。
そしてそれはコツコツと自習をしていたのを私は知っている。
「学校ちゃんと行って勉強しなよ」
私は勉強が嫌いでコツコツと努力をすることが苦手だった。
「サボるなよ」
でもそう言われると私は酷く泣きたいような感情があった。
別に勉強は嫌いだったけど学校が嫌いだったわけではなかった。
仲の良い友達はいて、一人ぼっちになることはなかった。
部活だって所属していて先輩後輩同級生と仲良く出来ていた。
大好きな先生との昼休み喋りに行くのも楽しかった。

私じゃないのに私の感情を勝手に想像しては私を傷つけて。
そんな家族を私は酷く怖かった。