「麻衣は、レイチェルと違って純粋なんだ。これ以上、からかうのは止めてもらえないか?」

 少し怒っているような声で言うと、レイチェルはすぐに体を離してくれた。

「ごめん、ごめん、麻衣ちゃんが可愛いから、ついからかっちゃった」
「ちゃんと考えて行動しろよ」

 俺は責めるような目をすると、レイチェルは麻衣の手を握る。

「さ、中に入ろッ!」
「え、あ、はい」

 逃げるようにして家の中に連れて行く。麻衣は戸惑いながらも抵抗せずに進んでいった。

 自由気ままに行動するのは変わってないな。付き合っていた頃に何度も振り回されたことを思い出す。あの頃は、俺も麻衣みたいに戸惑いながら色んなことを経験したな。不思議なことに嫌な思い出はないから驚きだ。

「お義兄さん~」

 家の中に引きずり込まれる麻衣の声が聞こえたので、思い出に浸るのを中断する。もう終わったことだ。今は、麻衣と一緒に新しい生活、経験を楽しむべきだろう。

 これからも続く麻衣との生活に期待しつつ、俺もレイチェルの家に入っていった。

◇ ◇ ◇

 玄関に入ると甘い花の香りがした。ヒールやパンプスといった女性用の靴が数人分あるので、俺たちより先に来た人がいるようだ。

 通路の左側に開けっぱなしになったドアからは話し声が聞こえてくる。レイチェルに連れられて麻衣は部屋に入っていく。姿が見えなくなる一瞬、助けを求めるように俺の顔を見ていた。

 取って食われるわけじゃないので心配はしていないが、大人に囲まれるのは不安だろう。靴を脱いでスリッパに履き替えると、急いで料理教室が開催される部屋に入った。

「うぁー。肌すべすべねー!」
「目がぱっちりでかわいい~ これでメイクしてないの?」
「髪は染めないの? 金髪も似合うと思うわよ」

 麻衣はマダムの方々に囲まれて質問攻めにあっていた。両手を小さく振ってわたわたと焦っている。目がグルグルと回っていそうだ。レイチェルは俺が入室した事に気づくと、こっちを見た。

「麻衣ちゃんはこっちだよ!」

 その声でマダムが一斉に俺を見た。上から下までじっくり品定めされると、にやっと笑顔を浮かべて視線は麻衣に戻る。

「かっこいい彼氏じゃない~!」
「一緒に料理教室に通うなんて素敵ね!
「私の旦那に見習わせたいわ!」

 どうやら俺を麻衣の彼氏だと勘違いしているようである。すぐに否定されると思ったが、顔を真っ赤にさせて黙ったままだ。

 全てを知っているレイチェルは、この状況を楽しんでいるようでニヤニヤと笑っているだけ。

「しかも、彼は私の元彼なんですー!」

 はぁ!? 誤解を訂正するどころかさらに火種を入れやがったッ!!

 結婚して恋愛に飢えているのか分からないが、マダムの声が一際大きくなる。

「三角関係!?」
「修羅場よ! 修羅場!」
「包丁だけはダメだからね!」

 などと、訳の分からない盛り上がり方をしている。女性はいくつになっても恋愛話が好きなのだろうか? 収まる気配はない。これ以上放置していたら収拾が付かなくなる。覚悟を決めてマダムの集団に近づく。

「こっちにおいで」
「お義兄さん」

 麻衣の手を取って抱き寄せる。特に抵抗はなかった。耳元で「大丈夫だった?」とささやくと、急に顔が赤くなって俺の胸に顔を埋めてしまう。

「あら、兄妹だったの?」
「義妹の麻衣と、義兄の優希です。今日は体験できました。よろしくお願いいたします」

 小さく頭を下げて挨拶を終える。少し距離を取って落ちつこうと思って背を向けようとすると、マダムの一人に肩を掴まれた。

「それで、レイチェルはちゃんの元彼って話は本当なのかしら?」

 どうやら見逃してはくれないようだ。どうしても、この手の話を続けたいらしいけど、他人に話したいことではないので適当にはぐらかそうと口を開きかける。

「久しぶりじゃないー! 優希君、元気にしてた?」

 黒い髪を後ろで縛ったピンクのエプロンを着けた女性が入ってきた。レイチェルの母親だ。優しそうに見える垂れ目をしていて胸が大きく、一見すると包容力があるように見えるが、人をからかうのが好きで子供っぽい性格をしている。性格はレイチェルと似ているのだ。

 すーっと近づいてくると腕を組んでくる。柔らかいものがあたって非常に気まずい! 旦那がいるのにいいのか!?

「レイチェルと別れて何年経ったっけ? 顔を出してくれないから寂しかったな~」
「明日香さん、お久しぶりです」

 話を変えるべく挨拶をしたのだが、レイチェルの母、明日香さんには効果はなかった。

「今、レイチェルはフリーなんだけど、もう一度付き合ってくれない? 私、息子が欲しかったんだ!」

 周囲からマダムから悲鳴に似た歓声が上がった。レイチェルに集まって事情を聞き出そうとしている。

「盛り上げるために、わざと言いましたね?」
「あら、そんなこと言われた悲しいわ。さっきの発言は本音よ」
「だとしてもレイチェルに迷惑をかけるのはよくないと思いますよ」
「迷惑? そんなことないわよ。すごく嬉しそうじゃない」

 明日香さんに言われて、レイチェルを見る。マダムの勢いに押されつつも、笑顔を浮かべながら応対していた。

 昔から付き合っていたから分かるが、あれは本心からでたものである。