私はワタシが嫌いだ。
みんなの前での私は、常に笑顔で、ポジティブ思考。割とサバサバしてて、執着心や嫉妬深さとは無縁の人。本当の私はネガティブ思考で、これといった取り柄もなくて、人一倍執着心が強くて、嫉妬深い。有難いことに友人関係には恵まれていると思う。でも、本当の私を知ったらみんな離れていってしまうだろう。時々不安になる。不安になるくらいなら最初からありのままの自分で接すればいいと頭では分かっているけど、実際そうは上手くいかない。偽ってるわけじゃないし、みんなを騙したいわけじゃないし、二重人格とかでもない。それでも、私はワタシを好きになれない。

私がワタシを嫌いだと自覚したのは小学五年生の頃。その頃は、よく寝る前やお風呂など独りになる時間に「死」について考えていた。「死後の世界はどんなところか」「死んだらどんな感覚なのか」そんなことを毎日考えていた。考えてる途中、私の頬は涙で濡れる。毎回のように泣いている。私は泣きながら思った。
「私は私が嫌いだ。」
「こんなことを考えている自分が嫌いだ。自分で考えてるのに泣いてる自分が嫌いだ。」
そう思った。ある日、母に相談してみた。しかし、母は言った。
「泣いてんの?泣くぐらいなら考えんなよ」
そんな冷たい母に私は嫌悪感を抱いた。それと同時に思った。
(私だって考えたくない。でも、考えないって口で言うほど簡単じゃない。そもそもこういう時って親は慰めるものじゃないの?やっぱりお母さんは私を愛してないのかな。愛してくれる親の元に生まれたかったな。)
こんなこと思ってしまう自分も嫌いだ。

小学五年生の冬休み。私が精神的に追い詰められた時。私は死のうとした。台所の包丁をお腹に刺そうと思った。でも、刺す直前に思った。
(私が死んでも涙を流しながら悲しんでくれる人はいるのかな。)
私はいないなと思った。
そう思ったら哀しくて涙が出てきた。刺すのを辞めた。
私は初めて「孤独」を感じた。幼いながら生きる意味がわからなくなった。
誰かに愛されたい。私を必要として欲しい。私のために泣いてくれる人が欲しい。
そんなこと思ったって何も変わらないこともわかってる。周りの友達には恵まれているから、友達とやりたいこと、行きたいとこがあるからまだ生きてみたいなんて思ってしまう自分もいた。この出来事は誰にも話せないまま高校生になった。

高校に上がっても友達に恵まれている。あの日以降死のうと思ったことなんてない。今でもワタシを好きになれないけど、私なりに好きになれるように頑張ろうと日々思うのだった。