「ねぇ、どこ行ってたの?先生も心配してたよ」
教室に戻ると、花楓が私の方に歩いてきた。
「ちょっと、友達と話してた」
「ふーん。前言ってた年下の?まぁ、なんともないならよかったけど」
なんだか少し不機嫌だ。……めんどくさい。
「なに、どうしたの?」
「授業サボってまで話せる相手って、好きな人とかかなーって」
でた。また恋バナ。
前まで友達として花楓のことは好きだったのに。最近の花楓は苦手だ。友達がいないとグループワークとか班決めとかが不便になる。それに、クラスに友達がいないとなると先生も家族も悲観的な方向で心配するし。むやみやたらに切り捨てるなんてできないのが学校生活でめんどくさいところ。
「違うよ。好きな人なんていないから」
「またそんなこと言って。本当は誰にも話したくないほど好きな人がいるんでしょ」
そう、私を小突く。本当、めんどくさい。
天野くんといる方が何倍も楽だ。友達は正直、天野くんがいれば十分だと思い始めている自分がいる。
最近知り合ったのに喜怒哀楽を見せられるほどの友達になれたと思える天野くん。
去年から仲がいいけど、一緒にいると話が詰まるし喜怒哀楽を作らないといけない花楓。
どちらが自分的に楽かなんて、天秤にかけなくてもわかること。
「話したくなったら聞かせてよ。ゆきの好きな人の話」
「そう言う花楓は、好きな人いるの?彼氏とか」
まぁ、ここまで人に詮索するならいないわけないだろうけど。さあ、どう出る?
「いるわけないじゃん。だから私はみんなの恋バナ聞いて胸きゅん補充してるんだよ。だから早く、ゆきの恋バナ聞かせてね」
当然、みたいな顔をしていた。聞いた途端、虫唾が走った。この人と仲良くするには、これからは恋バナが必須ということか。なんだかどんどん、花楓といるのが嫌になる。
「……うん。頑張るね」
何を頑張るんだろう。みんなと同じ恋愛ができるように?それとも、嫌われる可能性は置いておいて、悪い噂が広まるかもしれない、学校に居ずらくなるかもしれないリスクがあるのに本当のことを話す努力をするってこと?
「頼んだよ。私をときめかせてよ」
嬉しそうに笑った。
鬱陶しい。胃がムカムカする。吐きそう。呼吸が苦しい。イライラする。いいことが何一つない。
「……はは」
必死に作った笑顔で、絞り出した歪んだ笑い声で。花楓のことを見た。花楓はまだニコニコ笑っていて、今はこれ以上一緒にいられないと確信した。イライラをぶつけてしまいそうだ。
「私、ちょっと体調悪いから今日は帰るね」
「え、大丈夫?」
「先生に言っといて。お願い」
荷物を持って、教室を出た。こんなに人といるのがしんどいのは初めてだ。
正門に続く道を歩くあいだも、これからこんな調子なのかと考えるだけで足がふらついた。
「七瀬先輩!」
「え、天野くん?」
私の名を呼んで確実に走って駆け寄ってきているのに、足音が全くしなかった。でも、天野くんが来てくれたからか、少し息がしやすくなった。
「どうしたの?もうすぐ授業始まるのに」
「七瀬先輩が帰るのが見えたので、心配で」
「でも……」
「大丈夫です。気にしないでください」
一緒に学校を出ようとしているくせに、天野くんは荷物を何一つ持ってこなかった。お昼のときと一緒だ。
「送ります」
「でも天野くん、荷物は?また取りに戻ってくるんでしょ?」
私の質問に、天野くんはバツの悪そうな顔をした。それなのに私より先に、駅の方へと足を向ける。
「いいんです。僕、常に置き勉してるんで、荷物という荷物ないんで」
それでもやっぱり躊躇してしまって後を追えない私の方を振り返って、「ほら、行きますよ」と笑った。優しすぎるというか、お節介というか。それでも嫌とは思えない。この差は多分、相手への思いやりなんだろうな。やっぱり思いやってもらうには、自分からその人を思いやる必要があるのだろう。
「ありがとう、天野くん」
ときにその優しい思いやりを受け取るのも、ひとつの思いやりな気がした。
天野くんに駆け寄って、隣を歩く。
「何かありましたよね、この数分の間に」
信号待ちのとき、私の顔を覗いて眉を下げる。
「鋭いなー……」
「そうなんです。僕、意外と鋭いんです」
心配混じりの笑顔で、天野くんは私のことを目を逸らさずに見た。その顔をされると、つい話してしまう。天野くんみたいに頷いて聞いてくれると安心するから。その優しさに甘えてしまう。
「……そうだったんですか」
「なんかほんと、ごめんね。今日はこんな話ばっかり」
「いいんです。僕が七瀬先輩の落ち着ける場になれるならそれはすごく嬉しいことですから」
よかった。私が同性愛者で。そうじゃなかったらきっと本当に、天野くんのことを好きになっていた。それで好きな人がいることに傷ついて、こんなに大事に思う友達ができることなく、天野くんを失っていた。
「優しいね、天野くんは」
「優しいのは、大事な人にだけですよ」
電車に揺られながら、天野くんはまた、ゆっくり目を逸らした。
「あの、もしよければ」
「ん?」
「もし、よければ……なんですけど」
もごもごと言葉を濁しながら、席に座る私の前につり革を持って立つ天野くんは、左右を気にしながらも私の方を見る。
「どうしたの」
そんなに気にしなくても、この時間はそんなに人も多くないから座ればいいのに、なんて。今の会話と全く関係ないことを思った。
「僕が彼氏になります。七瀬先輩の」
……ん?今ちょっと、処理しきれないことが聞こえた気がする。
「あの、七瀬先輩?」
「ごめん、一瞬待って。天野くん、今なんて?」
そうだ。もう一度聞いてみよう。それがいい。必死に頭を回し、この結論に至った。
「僕が七瀬先輩の彼氏になります」
堂々と、電車内でよくそういうことを言えるなと、なんだか感心してしまった。周りの人もチラチラとこっちを見ている。絶対注目を集めてる。
「ちょっと待って。天野くん、早まらないで」
公共の場で振るみたいなことをするのは少し気が引けたけど、でもつい一時間くらい前に好きな人の話を聞いたばかりだ。
「どうしたんですか?」
天野くんはきょとんとしていた。なにか問題でも?みたいな、そんな顔。
「どうしたも何も、天野くんついさっき好きな人がいるって話してくれたばっかりじゃん」
「あぁ……。それなんですけど。僕も振られたも同然なんです。彼女、好きな人いるみたいで。さっき、嬉しそうにその人の話聞かせてくれたんです」
うそ、やらかした。傷を抉ってしまった。
「……この数分で?」
ちがう、こういうことを聞きたいわけじゃないのに。つい、思った以上に唐突で気付いたときにはもう、そう聞いたあとだった。
「はい、まぁ……。なので、大事な人のために時間を使えば失恋の痛み?みたいなの考えなくてもいいかなって」
「でも、いいの?告白したら実は、なんてことない?」
もしそうなら、私がその可能性をへし折ることになる。それだけはしたくない。
「ないです。彼女は年上の彼のことが好きみたいなので」
そうなんだ。それなら、年齢的にありえないのか。……だからといって、それなら、とすんなり受け入れられるなんてことにはならないけど。
「でも私、まだその人のこと好きだし。天野くんとは一番の友達でいたいって思ってる」
これで引くかと思いきや、今度はなにか閃いた顔をした。あんまり私の事情に巻き込みたくないんだけどな……。
「じゃあ、彼氏のフリ、させてください。その代わり、僕も割と人見知りなので、七瀬先輩のの友達に会うのはNGってことで」
どっちも引かない。天野くんに関してはもうよく分からない理由だけど、全然引いてくれない。
「本当にそれでいいの?後悔しない?」
そろそろしつこいと思われそうだけど。しつこいと思ってやめてくれたらそれが一番だから。
「いいんです。彼氏のフリをするには、僕結構優良物件ですよ?」
全然私の意向を汲んでくれることもなく、むしろ今度は売り出しを始めた。周りの目もさらに痛くなる。こういう誰が聞いているのかわからないような場所で、告白まがいなことをされたらもうそろそろ断り続けるのもなんだか申し訳ない気がしてきた。その理由が私のためだから、尚更。
「……天野くん、フリ、お願いしてもいい?」
私の負けだ。本当に付き合うわけじゃないし。私だけじゃなくてちゃんと天野くんにもメリットがあるなら、いいか。
「はい。任せてください。ちゃんと誰もがときめく恋バナになるような彼氏(仮)になりますから!」
ガッツポーズまでして喜ぶ天野くんは、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「調子いいなぁ」
こうして、春なんて必要ないと思っていた私に偽物ではあるけど、春がやってきた。