緊張しながら約束の中庭のもみじの木の下へ向かうと、慶汰くんはもうそこで、綺麗に染まった赤いもみじを見上げて待っていた。
「慶汰くん」
「ゆき先輩。おはようございます」
なんだろう、この感じ。今、ここで話を始めたら引き返せなくなる。もう会えなくなる。そんな予感がした。それがどういうことなのか、考えつくのは一つ。
私の中から慶汰くんが出られなくなるのではないか、ということ。
「その子はもう呼んだ?」
「まぁ、はい。なんとか」
あ、呼べたのか。それならきっと、誰かに入って呼んでいるから、出られなくなることはなさそう。
それならきっと、この予感は的中することはないだろう。
「じゃあ、入る?」
未知の体験をこれからすると思うと、ドキドキしてしまう。身体がガチガチに固まってしまう。
「ちょっと待ってください。最初にゆき先輩と話すために、ちょっと早めに来てもらったんです」
コートを着て、マフラーをぐるぐる巻きにしている私と、半袖のワイシャツを身につけた慶汰くん。まるで違う世界で生きる人みたいだ。
「言い出しづらくて、こんな呼び出し方になったんですけど」
呼吸を整えた慶汰くんは、入りからもう、話し方がおかしかった。無理に笑っているように見える。それはやっぱり、緊張しているから?
「うん?」
「昨日の今日で、こんなことになるなんて思っていなかったんですけど」
すごく力を込めて話してくれる。
悔しそうに手を握りしめていて、触れられなくても手の骨格がわかるほど。
「僕、本当は成仏できていないだけなんです。期限付きで今、ここにいられてるんですけど、延長してもらっていて。今日までに未練をなくさないと成仏できないって案内人の人に言われているんです」
「ちょっと待ってよ。まだ慶汰くんから離れる準備、できてないよ」
素直じゃない。まだ離れたくないって、それだけを言えればいいのに。回りくどい。
「僕だって、まだゆき先輩と離れる準備はできていないです。昨日、ゆき先輩があの友達と話しているときに、案内人の人がいきなり、そう言いに来たんです。もう十分だろって」
まだまだこれからってときにお別れなんて。何かをする前から、予想は的中してしまった。
「だからいきなり、あんなに辛そうな顔をして、あんなに寂しそうにグラウンドを見てたんだね」
昨日の慶汰くんの顔が、走馬灯のように浮かんだ。実はおばけです、と話してくれて、まだ二十四時間も経っていない。
「だから、今日は僕の未練を晴らすために呼び出しました」
「でも、未練があるうちはここにいられるんでしょ?成仏しないってことは、ずっとここにいられるって、ずっと友達としてそばにいられるってことじゃないの?」
閃いたように提案したけど、慶汰くんはゆっくりと首を横に振った。目に涙を溜めて、堪えるように顔をしかめていた。
「今日の午前八時三十分までに成仏できないままここに残ったら、今度は怨霊になるんです。誰かを不幸にするためにここに残るなら、未練を晴らして消えたほうが僕に合っている気がして」
その選択は確かに、慶汰くんらしい。慶汰くんなら、絶対にその選択以外選べない。
それに、慶汰くんがその選択をしてくれて嬉しいとまで思った。残るか消えるかの、生きている人で言ったらきっと、生きるか死ぬかの究極の二択が突きつけられたのと同じなのに、自分よりも他人を大切にする、いつも通りの慶汰くんがそこにいたから。
「じゃあ、しょうがないね。寂しいけど。寂しくて、胸が苦しいほどだけど。でも、私も慶汰くんには、誰かを不幸にする道を選んでほしくないから」
少しだけ、人を不幸にする慶汰くんを想像してみた。きっと一回目からげっそりして、つづける度にどんどん痩せ細って、最終的には皮と骨だけになってしまいそうだ。おばけだから、そこは別に、影響はないかもしれないけど。
「それに、私がいつか慶汰くんと同じ場所に行ったとき、誰かを不幸にしつづけてきた慶汰くんよりも、今日未練を晴らした慶汰くんに会いたいから」
だから、いいよ。まだ本当は別れがたいけど、ちゃんと笑顔でお別れしてあげる。
「僕も、また会ったとき、恥ずかしくない自分でいたいと思いました。本当は少し揺れたんですけど、やっぱりこの選択をしてよかったです」
時計が時を刻む音が聞こえる。慶汰くんの腕から、やけに大きくその音は鳴り響いている。
「今、何時?」
「あと十五分です」
「そっか」
この二ヶ月間、色々なことがあった。
友達を嫌いになった。逃げた先で、慶汰くんと出会った。一緒に昼休みを過ごして、恋人のふりをしてくれて。結局ただの友達だったけど。幸輝に告白をされた。慶汰くんは、振る側の私を応援してくれた。初めて隠してきたことを打ち明けて、大切な人の秘密を知った。
最後は、その大切な人のために、この身体を使う。最後まで、友達として隣にいさせてくれることが嬉しかった。嬉しい。慶汰くんの力になれることが。こうしてギリギリまで、一緒に穏やかな時間を過ごせることが。
「本当は、誰も来ないです。ゆき先輩と、最後にこうして話す時間がほしくて、昨日話せなかった秘密を伝えたくて嘘つきました」
きっと、その秘密が慶汰くんの未練。それは言われなくても想像がついた。
「うん」
時間が進む。別れの時間が近づく。
「……そろそろ、始めないとですね」
「……うん、そうだね」
私たちは向かい合って、笑い合った。
「ゆき先輩。最後にハグ、してもいいですか?」
頷くと、腕を広げて少しづつ私に近づいてくる。一歩、また一歩。ゆっくり、確実に。
「僕は多分、今から話すことを伝えたら、すぐに消えると思います。でもゆき先輩には絶対、後悔して欲しくないから」
私の背中に手を回す慶汰くんが、昨日と同じ言葉を口にした。私も、そっと、感覚で慶汰くんの背中に手を回す。
感じないはずの温もりが、私を包み込んだ。
「ねぇ、慶汰くん。私と出会ってくれてありがとう。慶汰くんがいなかったら、今の私はいないよ」
たくさん助けてもらった。たくさん勇気をもらった。たくさん思い出をもらった。くだらないけど、青春と言える思い出を。
「こちらこそ、ありがとうございました。本当に幸せで、楽しかったです。たまに、自分が幽霊だってことを忘れる瞬間があったんです。それほど、ゆき先輩と過ごす時間は僕をおかえりって迎え入れてくれたような温かさがありました」
ねぇ、今どんな顔してる?もう一度、最後に顔を見たい。見たいけど、言えなかった。慶汰くんの顔をもう一度見てしまったら、別れたくなくなる気がしたから。
「私、慶汰くんのこと、大好きだよ。一生忘れないって約束する」
だから、もう少しだけ、あと少しだけ。このままでいさせて。そう願う私の願いは届かず、慶汰くんが息を吸う音が耳に届く。
「ちょっと待って」
そう私が止める前に、一足早く慶汰くんは残りの『秘密』を口にした。耳元で話す慶汰くんの声が、一言一言しっかりと聞こえる。最後の方は、涙ぐんでいた。言葉を一つ口にする間に、たまに嗚咽が聞こえた。
「ありがとう、ゆき先輩」
私の目から、つーっと涙がこぼれた。目を開けると、腕の中にはもう、慶汰くんの姿はなかった。
足の力が抜けた。涙が溢れて、洪水のように溢れて止まらない。声を上げて泣きながら、空を見上げた。赤いもみじの隙間から、太陽の光が差し込んでいた。
ただ、綺麗だと思った。朝、慶汰くんが見ていた景色はこんなに綺麗だったんだ。
涙を拭いて、立ち上がった。慶汰くんの、『後悔してほしくない』という言葉を抱きしめて。
私は、人生を全うすると決めたのだから。次に慶汰くんに会ったとき、恥ずかしくない自分でいられるように。
今はまだボロボロで、すぐには無理かもしれないけど、いつかは絶対そうなってみせる。
大切な一生の友達に、恥じない自分でいられるように。
「慶汰くん」
「ゆき先輩。おはようございます」
なんだろう、この感じ。今、ここで話を始めたら引き返せなくなる。もう会えなくなる。そんな予感がした。それがどういうことなのか、考えつくのは一つ。
私の中から慶汰くんが出られなくなるのではないか、ということ。
「その子はもう呼んだ?」
「まぁ、はい。なんとか」
あ、呼べたのか。それならきっと、誰かに入って呼んでいるから、出られなくなることはなさそう。
それならきっと、この予感は的中することはないだろう。
「じゃあ、入る?」
未知の体験をこれからすると思うと、ドキドキしてしまう。身体がガチガチに固まってしまう。
「ちょっと待ってください。最初にゆき先輩と話すために、ちょっと早めに来てもらったんです」
コートを着て、マフラーをぐるぐる巻きにしている私と、半袖のワイシャツを身につけた慶汰くん。まるで違う世界で生きる人みたいだ。
「言い出しづらくて、こんな呼び出し方になったんですけど」
呼吸を整えた慶汰くんは、入りからもう、話し方がおかしかった。無理に笑っているように見える。それはやっぱり、緊張しているから?
「うん?」
「昨日の今日で、こんなことになるなんて思っていなかったんですけど」
すごく力を込めて話してくれる。
悔しそうに手を握りしめていて、触れられなくても手の骨格がわかるほど。
「僕、本当は成仏できていないだけなんです。期限付きで今、ここにいられてるんですけど、延長してもらっていて。今日までに未練をなくさないと成仏できないって案内人の人に言われているんです」
「ちょっと待ってよ。まだ慶汰くんから離れる準備、できてないよ」
素直じゃない。まだ離れたくないって、それだけを言えればいいのに。回りくどい。
「僕だって、まだゆき先輩と離れる準備はできていないです。昨日、ゆき先輩があの友達と話しているときに、案内人の人がいきなり、そう言いに来たんです。もう十分だろって」
まだまだこれからってときにお別れなんて。何かをする前から、予想は的中してしまった。
「だからいきなり、あんなに辛そうな顔をして、あんなに寂しそうにグラウンドを見てたんだね」
昨日の慶汰くんの顔が、走馬灯のように浮かんだ。実はおばけです、と話してくれて、まだ二十四時間も経っていない。
「だから、今日は僕の未練を晴らすために呼び出しました」
「でも、未練があるうちはここにいられるんでしょ?成仏しないってことは、ずっとここにいられるって、ずっと友達としてそばにいられるってことじゃないの?」
閃いたように提案したけど、慶汰くんはゆっくりと首を横に振った。目に涙を溜めて、堪えるように顔をしかめていた。
「今日の午前八時三十分までに成仏できないままここに残ったら、今度は怨霊になるんです。誰かを不幸にするためにここに残るなら、未練を晴らして消えたほうが僕に合っている気がして」
その選択は確かに、慶汰くんらしい。慶汰くんなら、絶対にその選択以外選べない。
それに、慶汰くんがその選択をしてくれて嬉しいとまで思った。残るか消えるかの、生きている人で言ったらきっと、生きるか死ぬかの究極の二択が突きつけられたのと同じなのに、自分よりも他人を大切にする、いつも通りの慶汰くんがそこにいたから。
「じゃあ、しょうがないね。寂しいけど。寂しくて、胸が苦しいほどだけど。でも、私も慶汰くんには、誰かを不幸にする道を選んでほしくないから」
少しだけ、人を不幸にする慶汰くんを想像してみた。きっと一回目からげっそりして、つづける度にどんどん痩せ細って、最終的には皮と骨だけになってしまいそうだ。おばけだから、そこは別に、影響はないかもしれないけど。
「それに、私がいつか慶汰くんと同じ場所に行ったとき、誰かを不幸にしつづけてきた慶汰くんよりも、今日未練を晴らした慶汰くんに会いたいから」
だから、いいよ。まだ本当は別れがたいけど、ちゃんと笑顔でお別れしてあげる。
「僕も、また会ったとき、恥ずかしくない自分でいたいと思いました。本当は少し揺れたんですけど、やっぱりこの選択をしてよかったです」
時計が時を刻む音が聞こえる。慶汰くんの腕から、やけに大きくその音は鳴り響いている。
「今、何時?」
「あと十五分です」
「そっか」
この二ヶ月間、色々なことがあった。
友達を嫌いになった。逃げた先で、慶汰くんと出会った。一緒に昼休みを過ごして、恋人のふりをしてくれて。結局ただの友達だったけど。幸輝に告白をされた。慶汰くんは、振る側の私を応援してくれた。初めて隠してきたことを打ち明けて、大切な人の秘密を知った。
最後は、その大切な人のために、この身体を使う。最後まで、友達として隣にいさせてくれることが嬉しかった。嬉しい。慶汰くんの力になれることが。こうしてギリギリまで、一緒に穏やかな時間を過ごせることが。
「本当は、誰も来ないです。ゆき先輩と、最後にこうして話す時間がほしくて、昨日話せなかった秘密を伝えたくて嘘つきました」
きっと、その秘密が慶汰くんの未練。それは言われなくても想像がついた。
「うん」
時間が進む。別れの時間が近づく。
「……そろそろ、始めないとですね」
「……うん、そうだね」
私たちは向かい合って、笑い合った。
「ゆき先輩。最後にハグ、してもいいですか?」
頷くと、腕を広げて少しづつ私に近づいてくる。一歩、また一歩。ゆっくり、確実に。
「僕は多分、今から話すことを伝えたら、すぐに消えると思います。でもゆき先輩には絶対、後悔して欲しくないから」
私の背中に手を回す慶汰くんが、昨日と同じ言葉を口にした。私も、そっと、感覚で慶汰くんの背中に手を回す。
感じないはずの温もりが、私を包み込んだ。
「ねぇ、慶汰くん。私と出会ってくれてありがとう。慶汰くんがいなかったら、今の私はいないよ」
たくさん助けてもらった。たくさん勇気をもらった。たくさん思い出をもらった。くだらないけど、青春と言える思い出を。
「こちらこそ、ありがとうございました。本当に幸せで、楽しかったです。たまに、自分が幽霊だってことを忘れる瞬間があったんです。それほど、ゆき先輩と過ごす時間は僕をおかえりって迎え入れてくれたような温かさがありました」
ねぇ、今どんな顔してる?もう一度、最後に顔を見たい。見たいけど、言えなかった。慶汰くんの顔をもう一度見てしまったら、別れたくなくなる気がしたから。
「私、慶汰くんのこと、大好きだよ。一生忘れないって約束する」
だから、もう少しだけ、あと少しだけ。このままでいさせて。そう願う私の願いは届かず、慶汰くんが息を吸う音が耳に届く。
「ちょっと待って」
そう私が止める前に、一足早く慶汰くんは残りの『秘密』を口にした。耳元で話す慶汰くんの声が、一言一言しっかりと聞こえる。最後の方は、涙ぐんでいた。言葉を一つ口にする間に、たまに嗚咽が聞こえた。
「ありがとう、ゆき先輩」
私の目から、つーっと涙がこぼれた。目を開けると、腕の中にはもう、慶汰くんの姿はなかった。
足の力が抜けた。涙が溢れて、洪水のように溢れて止まらない。声を上げて泣きながら、空を見上げた。赤いもみじの隙間から、太陽の光が差し込んでいた。
ただ、綺麗だと思った。朝、慶汰くんが見ていた景色はこんなに綺麗だったんだ。
涙を拭いて、立ち上がった。慶汰くんの、『後悔してほしくない』という言葉を抱きしめて。
私は、人生を全うすると決めたのだから。次に慶汰くんに会ったとき、恥ずかしくない自分でいられるように。
今はまだボロボロで、すぐには無理かもしれないけど、いつかは絶対そうなってみせる。
大切な一生の友達に、恥じない自分でいられるように。