しばらく話し込み、映画の話題が尽きかけたのにもかかわらずポップコーンの底が見えずどうしたものかと困っていたとき、少し離れた所から小学校低学年くらいの女の子と幼稚園児くらいの男の子が私たちの方を見ていることに気がついた。

 チケット売り場の列から離れた所にいるお母さんと思われる女性の右手と左手をそれぞれ握っていて、その視線は今は私が持っているポップコーンのカップに向けられている。

 食べたいのかな、むしろ余ってしまうから食べて欲しいと思いながら可愛い二人を見ているとその三人にチケットを買い終えた男性が声をかけるのが見えた。

「あ、藤田先生」

 もしゃもしゃとポップコーンを食べていた真人君が呟いた。

 あれが授業の余った時間で話していた奥さんと七歳と三歳のお子さんだ。奥さんは美人だしお子さんも二人とも可愛い。その可愛い二人のうち男の子の方が私が持つポップコーンを指差すと藤田先生と奥さんも私たちの方へ視線を向ける。

 私はとっさにポップコーンの入ったカップで顔を隠した。大きいサイズを買っておいて良かった。

「……詩織さん?」

「……なんか恥ずかしくて」

 悪いことをしているわけではないけれど、学校と関係ない場所で先生に会うのはなんだか気恥ずかしくてなるべく避けたい。

 そんな私の思いもむなしく藤田先生は二人のお子さんの手を両手に握って私たちの方に近づいてきた。奥さんの姿はいつの間にか見えなくなっている。

「こんにちは」

 真人君が立ち上がって挨拶をするともう逃げ場はないので私も立ち上がって会釈をする。

「ああ、こんにちは。二人で来たのかい?」

「はい。藤田先生はご家族で……あれ?奥さんは」

「この近くの美容室を予約していてね。もう向かったよ。待っている間に子供たちに映画を見せておくんだ……」

 先生と真人君が話をしている間に私は二人のお子さんの相手をすることにした。弟君の方は私が持つポップコーンに夢中で食べたそうにじっと見つめたり手を伸ばそうとしているがお姉ちゃんがそれを咎めている。

 でもお姉ちゃんの方も本当は食べたいと思っているのは表情から読み取れてとても可愛らしい。

 食べさせてあげたいけれど勝手に食べさせるわけにもいかないと思い、さりげなくポップコーンの入ったカップを見えづらいように隠して二人に目線を合わせて二人に話しかける。

「お名前はなんていうの?」

春喜(はるき)

「……(しおり)です」

「栞ちゃんっていうの? 私も詩織っていうの」

「そうなの? お揃いだ……」

 笑顔で栞ちゃんに話しかけると欲望と理性が争って難しい表情をしていた栞ちゃんも笑顔になってくれた。

「藤田先生、食べさせてあげても良いですか? 私たち食べきれなくて」

 私が隠しきれていないポップコーンをずっと見つめている春喜君に耐えきれなくなって藤田先生に尋ねると春喜君はもちろん栞ちゃんも輝いた目で先生を見つめる。小さい子供の純粋な目ってなんでこんなにも可愛いのだろうと思う。

「ああ、いいのかい?」

「はい、ほら二人ともおいで」

 ベンチに座り直して両隣に栞ちゃんと春喜君を座らせる。二人とも嬉しそうに私の手元にあるポップコーンを食べ始め、その楽しそうな光景に私も幸せな気分になる。私も真人君も加わってしばらく四人でポップコーンを食べ続けた。

 藤田先生の話相手を真人君に任せ、私は春喜君や栞ちゃんの可愛い姿に癒される至高の時間だった。

「パパ! 早く行こう!」

 ポップコーンの処理が終わると春喜君はベンチから飛び出してシアターへ向けて走り出す。

「あ、こら」

 私があっと思った瞬間には藤田先生が素早く動いて春喜君を抱きかかえた。真人君もさすがの反応の速さで動き出そうとしていたがお父さんには敵わなかったようだ。

「急に走り出したら危ないだろう?」

「うん、ごめんなさい」

 優しく𠮟る藤田先生と素直に謝る春喜君。いつもの姿とは違ってお父さんをしている先生は私も真人君も笑顔になってしまう微笑ましさがある。

「元気があるのは良いんだけど好奇心旺盛すぎて、手を握っていないとすぐにどこかに行ってしまうんだよ」

 春喜君と手を繋いで照れくさそうにしながらこちらに戻ってくる先生が空いた手で栞ちゃんを手招きする。

「それじゃあそろそろ映画が始まるから。ポップコーンありがとな」

 春喜君と栞ちゃんは先生と繋いでいない方の手を私に手を振ってくれる。私も自然と笑顔になって手を振り返すと、その姿を真人君に見つめられていることに気がつく。

「詩織さんって子供好きなの?」

「え? そうかな……そうかも。中学生のときに職業体験の授業で幼稚園に行ったときすごく楽しかったし。目がキラキラしてて可愛い。真人君は?」

「嫌いじゃないけど、可愛いっていうより心配な目で見ちゃうかな。ほら、さっきの春喜君みたいに小さい子って突然思いもよらない行動したりするでしょ?」

 それはそれで良いお父さんになりそうなんて考えてみたりして。

 でも確かにその通りで、小さい子は安全な室内ならまだしも屋外や人の多いところではずっと手を握っておかないと危ない。

 お互いの幼稚園の頃の思い出を語り合いながら映画館を出ると時刻は午前十一時半、お昼ご飯にしても良いし少し早い気もする時間だが相談の結果近くの書店に行くことにした。二人とも映画の原作を読みたいという意見で一致した結果だ。

 駅前の書店は私のお母さんが働いている百貨店の中にある。一フロアすべてが店舗となっているこの町最大規模の書店にはありとあらゆるジャンルの本が揃っており、映画の原作を手に入れた私たちは参考書コーナーへ足を踏み入れる。

 国数英の参考書はすでに持っているけれど理科や社会はまだ持っていない。文系の私は理科はともかく社会、特に歴史はもう少し力を入れておきたい。

 そう思って日本史の参考書を物色していると視界の端で真人君がとても真剣そうな表情で英語の参考書コーナーの前に立っているのが見えた。その手にはリスニングの問題集が握られている。

 映画の原作に加えて私は日本史の参考書と問題集を、真人君は英語のリスニングの問題集と日常英会話の教材を購入して書店を出た。将来はアメリカに行くことを見据えての物だと簡単に想像できる。

「真人君は将来アメリカに行くんだよね?」

 百貨店を出たところで私が尋ねると真人君はビクッと体を震わせて、寂しげな表情で私を見る。

「……うん、夢だからね」

「寂しくなるね」

「……今日は寂しい話はやめておこうよ。楽しいお出かけだからさ」

「そうだね、ごめん。そうしよっか」

 それもそうだ。まだ二年も先の話で今から寂しがることはない。先ほどの映画のように離れ離れになってもきちんと再会の約束をできるような関係になれば良い。

 私が真人君以外の人を好きになることなんてありえないし、真人君にも私以外の人を考えられないくらいに好きになってもらえるよう残りの二年間で頑張ればその約束もできるはずだ。

「そろそろお昼にしよう。俺、行きたいお店があるんだ。きっと詩織さんも気に入ってくれると思う」

 迷いなく歩みを進める真人君の隣を歩くと、お父さんと伊織の後ろをお母さんと並んで歩いた思い出が蘇る。

 百貨店を出て夕食のためにお気に入りの喫茶店に向かう道中は心もお腹もワクワクしていて、新しい建物ができたり、建物は同じでも入っているお店が変わったりと変化する街並みを見るのも好きだった。

 その頃とはほとんど変わってしまって、ほんの少しだけ面影が残る同じ道を歩くといつの間にか時が経ってしまったのだと実感する。

 足を止めた真人君に合わせて私も足を止める。私たちの目の前にはあの頃とは変わらない外観のお気に入りの喫茶店。

 土曜日のお昼時ということもあり店内にはお客さんが溢れていたが偶然にも私たちが座れるだけの席が空いていたようだ。

 まさかここに来ることになるとは思ってもおらず、驚きと感動で店内で足を止めてしまった私を真人君は席まで優しくエスコートしてくれた。

「ここは……」

「伊織に聞いていたんだ。駅前に行くならお昼はここにすると詩織さんが喜ぶって」

「そうなんだ。伊織が……うん、嬉しい」

 私の大切な思い出を伊織も大切に思っていてくれたであろうことも、真人君が私が喜ぶプランを考えてくれたこともたまらなく嬉しい。家族との思い出を真人君とも共有できているみたいだ。

「注文しようか。何にする?」

「私はやっぱりオムライスかな……」

「俺もそうしようかな。パンケーキも頼む? メニューの写真だとそんなに大きくは見えないけど、二人で半分にする?」

「うん。私ひとりじゃ食べきれないと思うからその方が良いかな」 

 しばらくして運ばれてくるオムライスはあの頃と変わらず、ケチャップたっぷりのチキンライスの上に半熟トロトロの卵が乗せられていて懐かしくて美味しい。見た目も匂いも味もあの頃のままだ。

「こういう卵のオムライスって初めてだ」

「私もこのお店以外では食べたことないかも。お母さんにうちでも作ってよって伊織と一緒におねだりしたこともあったけど無理って言われちゃって。それでも食べたいってわがまま言って泣いちゃって、お母さんたちのこと困らせて結局このお店に連れてきてもらったこともあったなぁ」

「そうなんだ。詩織さんと伊織が……あんまり想像できないな。俺が知らない昔の頃は結構わがまま言ったりしてたんだ」

「そうだね。今みたいに落ち着いたのは五年生になった頃からだからちょうど真人君は知らない頃だね。その前は伊織と一緒になって結構やんちゃしてたかも」

「へえ、見てみたいなその頃の詩織さんも。写真とかあったりする?」

「だ、駄目。恥ずかしすぎるから絶対駄目」

「それは残念」

「……あとで伊織にお願いして見せてもらおうとか思ってるでしょ?」

「そんなことは……ちょっとはあるけど」

「駄目、絶対」

「……分かったよ」

 分かったよと言いながら怪しく微笑む真人君を見て、私は初めて真人君を信用できないと思った。あとで伊織にはきつく言っておかないといけない。

 やがて運ばれてくる大きなパンケーキは私が子供の頃よりも少しだけ小さく見える。私が成長しただけか時の流れのせいで色々変わってしまったのか。

 でもそんなことがどうでも良いと思えるくらいに真人君とくだらない話をしながらパンケーキを分け合っている今が幸せだ。今こうして幸せを享受できているのは支えてくれた皆のおかげであり、折れなかった私自身のおかげでもある。

 寂しい話はなしにしようと決めたのに、二年後までにもっと深い関係になると決めたのに、それでもやっぱり思ってしまう。

「ずっとこうしていられたらいいのに」

「……そうだね」

 つい漏れ出てしまった呟きは真人君の耳にも入ってしまったようだ。高校生の私たちにとって進路選択による別れは必ずあるものでどうしようもない。

 それでもこんな風に思ってしまうのは今が楽しいからに他ならず、私は生まれて初めて時が経つことが恨めしいと思った。

 昼食後は二人とも初めてというゲームセンターで遊んでみたり、スポーツ用品店に入って真人君が変なTシャツを買う様を見届けたり、帰りのバスの時間まで公園を散歩してみたり、まるで本当のカップルのデートのような時間を過ごした。