3
皇樹が去り、俺と未奈ちゃんは、入ってすぐのベンチに隣り合って腰掛けた。
「練習試合の後はありがとう。それとさっきは、……うん、何だか見苦しいものを見せちゃった感じよね」
座ってすぐ、未奈ちゃんは平静な調子で沈黙を破った。
「秀が試合を見てるって気づいて、気合いを入れ直して必死でプレーして。だけどちょっと頑張る方向が違って、空回りして交代になって。んで試合後、過去最高に落ち込んでいるところに羽村の暴言。正直ほんとにきつかった。不覚にも泣きそうにまでなった。だからあんたが羽村に噛みついてくれて、本当に救われた」
未奈ちゃんは穏やかな微笑みで、淡々と言葉を紡いでいく。
「そっか、インサイドハーフか。コンバートは考えてもみなかったな。頭の片隅に置いて練習に臨んでみる」
「そうだよそうだよ。俺たち若いんだからさ。目の前に広がるは無限の可能性。何にでもチャレンジしていかないと」
思いつくままの身振り手振りとともに、俺は熱弁を振るった。未奈ちゃんはふうっと息を吐き、再び話し始めた。
「私と秀はね、親同士が仲良くて四歳の春に同時にサッカーを始めて、ずっとチームの二大エースだったの。秀はトップ下で私はウイング」
聞きに徹する俺は、あおいちゃんとの一幕を思い出し始めていた。
未奈ちゃんは小六で、ライバルの皇樹に勝てなくなったって話だったけど──。
「でも、それもいつまでもは続かない。小学校高学年にもなりゃあ、男女の運動能力の差はどうにもできないほど大きくなるからね。当然私も例外じゃなくて、学年が上がるに連れて秀に歯が立たなくなっていった。二大エースの一翼は、ナンバー3の男子と同じところまで落ちていったの」
どこまでも淡々とした口調で独白は続く。
「で、話は変わるけど。幼馴染の私と秀はずーっと気心の知れた悪友で、いっつも一緒に馬鹿やってたのよね。そうすると、自然と私らはそういう方向の噂になるの。最近の小学生はませてるからね。楓を見てるとほんとにそう思う。ああ、話がずれたわね。周囲の影響をもろに受けて、私たちはだんだん互いを意識するようになったわけ」
語調が少し照れた感じになってきた。語りが核心に入ったと感じた俺は、続きを聞く覚悟を固める。
「ある日、私と秀を含んだチームの四人で、呉五の五個上の先輩が出場する強豪高校同士の練習試合を観に行くって話になったの。それで、いざ当日になったら、私たち以外の二人がドタキャンしたのよ。どういう意図かわかるわよね? うん、まあそういうこと」
いい感じの仲の二人を、ひっつけちゃおうってわけだね。小六ぐらいが一番、やりそうな企みだ。
「解散すんのも不自然だしそのまま二人で隣り同士で観戦したの。私の心臓はバクバク。向こうもおそらく、おんなじ感じだったと思う。
試合を見終えた私たちは一緒に歩いて帰り始めた。頭は働かなくてぐるぐる、会話は全くない。で、分かれ道。秀は小さく、私の名前を呼んだ。それで私は顔を上げて、宣言した。宣言してしまったの。『私は、あんたにサッカーで勝つの。全部が、そこから始まるから』って。自分で聞いてて、ほんと生意気極まりない声だった」
未奈ちゃんの横顔は平静なものだが、語る声音は後悔に満ちていた。俺は返す言葉が見つからない。
「それから秀とまともに話せないまま私は卒業して、竜神中学に入った。決め手の一つは、秀が所属するサンフレッチェのジュニア・ユースの提携校なこと。だけどもう秀との関係はぐちゃぐちゃで、中学でもたまに話す機会があったけど、どうにもぎこちないのよね」
言葉を切った未奈ちゃんは、ふわりと微笑んだ。
「でももう吹っ切れた。さっきの態度からもわかるように、秀は私に愛想を尽かしてるし、私もそんな人を追いかけ続けるほど暇じゃあない。私の人間関係は秀だけじゃないのよ。情け容赦ゼロの暴言から私を守ろうと、めちゃくちゃやりやがる馬鹿もいてくれるしね」
未奈ちゃんは満足げな顔になり、すうっと背筋を伸ばした。澄んだ瞳で空を見上げて動かない。俺の思考はフル回転を始める。
最後の一文って俺のことだよね。ここに来て俺の好感度急上昇? 恋のジェットコースター、いよいよ頂点に達しちゃった感じ? これっていわゆる「大チャンス」ってやつでは。
「未奈ちゃん、俺は……」
「うん、やっぱそう来るか。あんたはどこまで行ってもあんただった」
熱を込めた俺の発言に、未奈ちゃんは柔らかく言葉を被せてきた。俺を見つめる眼差しはどこまでも優しい。
「残念ながら私はまだ、あんたに恋愛感情までは抱いてない。でもあんたは良いやつよ。鬼寮官の決めた門限をぶっちぎって、こうやって喋ってたいぐらいにはね」
いつも通りのパワフルな表情で未奈ちゃんは断言した。
「ごめん、知らなかった。男子寮は門限十時なんだけど女子寮はもっと早いの?」
俺は慌てて尋ねた。
「八時半。だから私はもう帰るわ。門はもう閉まってるけど、友達に開けて貰えば何とかなる。寮監に見つからないようにする必要はあるけど」
即答した未奈ちゃんは立ち上がった。
すると、「未奈ちゃん! 寮でどこにも姿が無いと思ったら、こんな所にいたのね!」と、焦った調子の女の子の声がした。
振り向くと、少し離れたところに制服姿のあおいちゃんが立っていた。はっとしたような表情をしている。
「──ってなんで星芝くんも? ……未奈ちゃん、星芝くんと逢い引きしてたんだ。それもこんなに遅い時間に。これっていわゆる不順異性交遊だよ、未奈ちゃん。寮官にばれたら大ピンチだよ」
焦った調子であおいちゃんが喚いた。
「ちょ、ちょっとあおい? あんたとてつもない勘違いをしてるわよ。誰がわざわざ鬼寮官の決めた門限をぶっちぎってまで、こんな色呆け男と喋るっていうのよ」
あたふたって感じで未奈ちゃんは答えた。さっきの俺への台詞と内容が真逆である。
「いやいやあおいちゃん。合ってる合ってる大正解だよ。未奈ちゃんは照れてるだけだよ。このことはもうガンガン広めまくって、学校中の常識にしちゃおうよ」
「ちょっとあんた。何を既成事実化しようとしてんのよ。調子に乗るのにも限度があるでしょうよ」
未奈ちゃんから射貫くような視線が飛んでくる。
「あはは。何だか二人とも仲が良いね。未奈ちゃん、幼なじみの誰かさんにはご執心で、告白なんか月五回ペースでされてる割に男友達が少ないから心配してたけど、これからは大丈夫そうね」
気易い口調で告げると、あおいちゃんは柔らかい笑みを見せた。
未奈ちゃんはふうっと、呆れたような様で溜め息を吐いた。
「それじゃあ今度こそ帰るわ」と、未奈ちゃんは歩を進め始めた。
「明日からのBチーム生活、せいぜい頑張りなさいよ。あんたの今の腕前じゃあベンチ入りさえできないわよ。せいぜい死ぬ気で猛練習するのね」
後ろを向いたままの未奈ちゃんに、俺は手でメガホンを作って大言壮語する。
「あったりまえだよ。こないだの男子Bは未奈ちゃんたちに三点も献上してたけど、俺がレギュラーに就いたら一点も取らさないよ。覚悟しといてね」
未奈ちゃんは何のレスポンスもせずに、あおいちゃんと並んで公園から出て行った。
俺は過去最高に幸せで、隅から隅まで満たされた気持ちだった。
やっぱりサッカーは最高だ。もちろん未奈ちゃんも最高だ。最高尽くしの竜神サッカー部で、俺はぜーんぶを手に入れちゃうよ。
皇樹が去り、俺と未奈ちゃんは、入ってすぐのベンチに隣り合って腰掛けた。
「練習試合の後はありがとう。それとさっきは、……うん、何だか見苦しいものを見せちゃった感じよね」
座ってすぐ、未奈ちゃんは平静な調子で沈黙を破った。
「秀が試合を見てるって気づいて、気合いを入れ直して必死でプレーして。だけどちょっと頑張る方向が違って、空回りして交代になって。んで試合後、過去最高に落ち込んでいるところに羽村の暴言。正直ほんとにきつかった。不覚にも泣きそうにまでなった。だからあんたが羽村に噛みついてくれて、本当に救われた」
未奈ちゃんは穏やかな微笑みで、淡々と言葉を紡いでいく。
「そっか、インサイドハーフか。コンバートは考えてもみなかったな。頭の片隅に置いて練習に臨んでみる」
「そうだよそうだよ。俺たち若いんだからさ。目の前に広がるは無限の可能性。何にでもチャレンジしていかないと」
思いつくままの身振り手振りとともに、俺は熱弁を振るった。未奈ちゃんはふうっと息を吐き、再び話し始めた。
「私と秀はね、親同士が仲良くて四歳の春に同時にサッカーを始めて、ずっとチームの二大エースだったの。秀はトップ下で私はウイング」
聞きに徹する俺は、あおいちゃんとの一幕を思い出し始めていた。
未奈ちゃんは小六で、ライバルの皇樹に勝てなくなったって話だったけど──。
「でも、それもいつまでもは続かない。小学校高学年にもなりゃあ、男女の運動能力の差はどうにもできないほど大きくなるからね。当然私も例外じゃなくて、学年が上がるに連れて秀に歯が立たなくなっていった。二大エースの一翼は、ナンバー3の男子と同じところまで落ちていったの」
どこまでも淡々とした口調で独白は続く。
「で、話は変わるけど。幼馴染の私と秀はずーっと気心の知れた悪友で、いっつも一緒に馬鹿やってたのよね。そうすると、自然と私らはそういう方向の噂になるの。最近の小学生はませてるからね。楓を見てるとほんとにそう思う。ああ、話がずれたわね。周囲の影響をもろに受けて、私たちはだんだん互いを意識するようになったわけ」
語調が少し照れた感じになってきた。語りが核心に入ったと感じた俺は、続きを聞く覚悟を固める。
「ある日、私と秀を含んだチームの四人で、呉五の五個上の先輩が出場する強豪高校同士の練習試合を観に行くって話になったの。それで、いざ当日になったら、私たち以外の二人がドタキャンしたのよ。どういう意図かわかるわよね? うん、まあそういうこと」
いい感じの仲の二人を、ひっつけちゃおうってわけだね。小六ぐらいが一番、やりそうな企みだ。
「解散すんのも不自然だしそのまま二人で隣り同士で観戦したの。私の心臓はバクバク。向こうもおそらく、おんなじ感じだったと思う。
試合を見終えた私たちは一緒に歩いて帰り始めた。頭は働かなくてぐるぐる、会話は全くない。で、分かれ道。秀は小さく、私の名前を呼んだ。それで私は顔を上げて、宣言した。宣言してしまったの。『私は、あんたにサッカーで勝つの。全部が、そこから始まるから』って。自分で聞いてて、ほんと生意気極まりない声だった」
未奈ちゃんの横顔は平静なものだが、語る声音は後悔に満ちていた。俺は返す言葉が見つからない。
「それから秀とまともに話せないまま私は卒業して、竜神中学に入った。決め手の一つは、秀が所属するサンフレッチェのジュニア・ユースの提携校なこと。だけどもう秀との関係はぐちゃぐちゃで、中学でもたまに話す機会があったけど、どうにもぎこちないのよね」
言葉を切った未奈ちゃんは、ふわりと微笑んだ。
「でももう吹っ切れた。さっきの態度からもわかるように、秀は私に愛想を尽かしてるし、私もそんな人を追いかけ続けるほど暇じゃあない。私の人間関係は秀だけじゃないのよ。情け容赦ゼロの暴言から私を守ろうと、めちゃくちゃやりやがる馬鹿もいてくれるしね」
未奈ちゃんは満足げな顔になり、すうっと背筋を伸ばした。澄んだ瞳で空を見上げて動かない。俺の思考はフル回転を始める。
最後の一文って俺のことだよね。ここに来て俺の好感度急上昇? 恋のジェットコースター、いよいよ頂点に達しちゃった感じ? これっていわゆる「大チャンス」ってやつでは。
「未奈ちゃん、俺は……」
「うん、やっぱそう来るか。あんたはどこまで行ってもあんただった」
熱を込めた俺の発言に、未奈ちゃんは柔らかく言葉を被せてきた。俺を見つめる眼差しはどこまでも優しい。
「残念ながら私はまだ、あんたに恋愛感情までは抱いてない。でもあんたは良いやつよ。鬼寮官の決めた門限をぶっちぎって、こうやって喋ってたいぐらいにはね」
いつも通りのパワフルな表情で未奈ちゃんは断言した。
「ごめん、知らなかった。男子寮は門限十時なんだけど女子寮はもっと早いの?」
俺は慌てて尋ねた。
「八時半。だから私はもう帰るわ。門はもう閉まってるけど、友達に開けて貰えば何とかなる。寮監に見つからないようにする必要はあるけど」
即答した未奈ちゃんは立ち上がった。
すると、「未奈ちゃん! 寮でどこにも姿が無いと思ったら、こんな所にいたのね!」と、焦った調子の女の子の声がした。
振り向くと、少し離れたところに制服姿のあおいちゃんが立っていた。はっとしたような表情をしている。
「──ってなんで星芝くんも? ……未奈ちゃん、星芝くんと逢い引きしてたんだ。それもこんなに遅い時間に。これっていわゆる不順異性交遊だよ、未奈ちゃん。寮官にばれたら大ピンチだよ」
焦った調子であおいちゃんが喚いた。
「ちょ、ちょっとあおい? あんたとてつもない勘違いをしてるわよ。誰がわざわざ鬼寮官の決めた門限をぶっちぎってまで、こんな色呆け男と喋るっていうのよ」
あたふたって感じで未奈ちゃんは答えた。さっきの俺への台詞と内容が真逆である。
「いやいやあおいちゃん。合ってる合ってる大正解だよ。未奈ちゃんは照れてるだけだよ。このことはもうガンガン広めまくって、学校中の常識にしちゃおうよ」
「ちょっとあんた。何を既成事実化しようとしてんのよ。調子に乗るのにも限度があるでしょうよ」
未奈ちゃんから射貫くような視線が飛んでくる。
「あはは。何だか二人とも仲が良いね。未奈ちゃん、幼なじみの誰かさんにはご執心で、告白なんか月五回ペースでされてる割に男友達が少ないから心配してたけど、これからは大丈夫そうね」
気易い口調で告げると、あおいちゃんは柔らかい笑みを見せた。
未奈ちゃんはふうっと、呆れたような様で溜め息を吐いた。
「それじゃあ今度こそ帰るわ」と、未奈ちゃんは歩を進め始めた。
「明日からのBチーム生活、せいぜい頑張りなさいよ。あんたの今の腕前じゃあベンチ入りさえできないわよ。せいぜい死ぬ気で猛練習するのね」
後ろを向いたままの未奈ちゃんに、俺は手でメガホンを作って大言壮語する。
「あったりまえだよ。こないだの男子Bは未奈ちゃんたちに三点も献上してたけど、俺がレギュラーに就いたら一点も取らさないよ。覚悟しといてね」
未奈ちゃんは何のレスポンスもせずに、あおいちゃんと並んで公園から出て行った。
俺は過去最高に幸せで、隅から隅まで満たされた気持ちだった。
やっぱりサッカーは最高だ。もちろん未奈ちゃんも最高だ。最高尽くしの竜神サッカー部で、俺はぜーんぶを手に入れちゃうよ。