終章 Dreams come true

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 二十分のゲームの五本目と六本目は、両チームともサブのメンバーが出場した。結果は男子Cの惜敗だった。
 だけど、俺もしっかり観戦したよ。自分が出る試合にしか興味がない奴は、サッカー選手失格だからね。
 六本目の後、俺たちは、円になってクール・ダウンをした。その後すぐに荷物置き場の前にいるコーチの下に集まって、立ったまま話を聞き始めた。
「おう、お疲れ。どこぞの小癪な調子乗りの猪口才な活躍もあって、試合の結果自体は、残念だった。まあでも君らはよくやったよ。全員、得る物は大きかっただろ。また明日から頑張っていこうや」
 すっきりした顔のコーチは、爽やかな労いの言葉を投げ掛けた。というか、「小癪な調子乗り」って、間違いなく俺だよね。
「それと、星芝。お前、明日からB。絶対に落ちてくんなよ。生意気をこいて上に行ったお前の顔なんか、俺らは誰一人として二度と見たくないんだからな」
 コーチ口だけで笑った。皮肉っぽいけど愛のある台詞だ。
 俺は、「当然っすよ。俺を、誰だと思ってるんですか」と嘯いた。軽く出ちゃった涙がごまかせてれば良いんだけどね。
 俺が言葉を切ると、コーチの表情はニュートラルに戻った。
「明日の朝練は通常通り行う。遅れんようにしろ。以上、解散」
「「ありがとうございました」」
 綺麗に揃った挨拶の後、俺が部室に戻ろうとすると、誰かが背中を、ぱんっと叩いた。振り向くと五十嵐さんが、屈託のない笑みを浮かべていた。
「やったな星芝! おめでとう! 努力が実ったな。気合いを入れていけよ。Bは、うちよりずっときついからな」
「ありがとうござっす。五十嵐さんには、ほんっとお世話になりました」
 五十嵐さんの寛大さに恐縮する俺は、小さく頭を下げた。
「協力関係を結んだ仲間を踏み台にして、昇格かよ。星芝、お前。ずいぶん舐めた真似してくれたな」
 低い怒りの声に振り返ると、沖原が、佐々と並んで立っていた。どちらも白けた面持ちである。
「四本目はカンペキにしてやられたけどよ。俺も、今日で、なんか掴んだぜ。ホッシーと川崎あおいにゃきっちり倍返ししてやっからよ。首をジャブジャブ洗って待っとけっの」
 佐々の報復宣言もマジ切れ調だけど、二人とも実際は怒っていないはずである。だって俺は、自分の実力をコーチに示すっていう、正当な方法で上に行くわけだからね。まあ、示し方は若干、イレギュラーではあったんだけどさ。
 口で負けたくない俺は、かっと見開いた目で二人を見返す。
「誠に残念ながら、お前たちは俺に引き離される一方だよ。なぜなら、俺は亀だからね。瞬足のアキレスすら追い縋れない、スペシャル・タートル。他の追随を許すはずがねーんだよ」
 俺の渾身の決め台詞を聞いた二人は、思わずって感じで毒気がなく笑った。すぐに沖原が、呆れたような感心したような感慨を述べる。
「よりによって自分を亀にたとえるかよ。まったく、お前は最後まで我が道を行くよな」
 佐々たちの後ろでは、釜本さんが、いつも通りの仏頂面で部室に向かって歩いていた。和解しても、俺と釜本さんの関係は味気がない。
 まあ心の底では理解し合ってるし、ノー・プロブレムなんだけどね。
「哲学的な褒め言葉、どうもありがとう。まあでもさ。お前らと組めて、良かったよ。これからもお互い、頑張ってこーぜ」
 俺が頬を緩めて返事をすると、二人は柔らかくはにかんだ。深い充実感を得ながら俺は、今日の練習試合を振り返る。
 大体は思い通りに行ったけど、ゾーン状態の未奈ちゃんとの聖戦には勝てたとは言い難いね。でも俺、もう負ける気はないよ。次にやる時は完全完璧に抑えてやるんだからさ。
 男子Cのメンバーは、女子のグラウンドからは遠い部室へと歩いていく。女子Aもミーティングが終わった様子で、今の俺の右前に位置する部室へと引き上げてぞろぞろと行っていた。
 目の前には未奈ちゃんの姿があり、世界の終わりのような暗い面持ちをしていた。俺の喜びもわずかにしぼむ。その時だった。
「男子の三軍野郎にファールして代えられる、か。まーったく、情けないったらねえよな。なーにが『超絶姉妹』だぁ! 姉のほうは美人さで有名なだけで、メンタル極弱フィジカル0のただのヤリマン女じゃねえか!」
 グラウンドの出口のあたりから、粗野な感じの男の声がした。一瞬にして空気が凍りつく。
 俺は声の主に目をやった。羽村だった。制服を着ている。チーム配属が不服でサッカー部を辞めて暇になり、練習試合を見に来たのだろう。
 未奈ちゃんが固まった。羽村に向ける横顔は唖然としたような風だった。
 怒り心頭の俺は、全力疾走で羽村に近づいた。ダンッと一歩手前で止まると、胸ぐらを掴む。
「てめえ、今なんつった!」大声で叫びつつ、羽村を視線で殺さんばかりの眼力を込めて睨む。
「おう、何度でも言ってやるよ! 水池未奈は女子サッカーの希望でも何でもねえ! お前も直にやり合ってわかんだろ! テクとスピードはそこそこだが好不調の波が激しく、タッパもパワーも精神的な強さも、コンスタントに自分で点を取る術も持ってねえ! 不十分な実力を、類い希なる美貌と妹の天才っぷりとで埋め合わせて粋がっちゃってるビッチ女だっつってんだよ!」
 完全に興奮状態の羽村は唾を飛ばして喚いてきた。完全に頭にきた俺は、一瞬手が出そうになった。だが踏みとどまった。俺には高校三年間で成し遂げなければならない使命があるし、未奈ちゃんも俺が停学処分等の罰を食らったら悲しむだろう。
 代わりに俺は、羽村を黙らせるべく全力で息を吸い込む。
「いいか! よーく頭に刻み込んどけ! 未奈ちゃんはこんなところじゃ終わらねえ! 左ウイングとしてだってまだまだ伸びるし、逆足ウイングが主流だってのなら右へのコンバートだってありだ! 器用な選手だからシャビみたいに、身体能力では劣るインサイドハーフとして大成する可能性だってある! それとメンタル面は問題0だ! 俺は知ってるんだよ! 未奈ちゃんのサッカーへの思いのとんでもない強さをな! 入部試験での出来事を逆恨みしてんのか知らんけど、くだらない野次を飛ばしてる暇があったら家に帰って、ちょっとでも生産性のあることに勤しめってんだ!」
 俺は言葉を切り、羽村への睨みをいっそう強めた。すると羽村は不服そうな面持ちで舌打ちをし、俺の手を払いのけて早足で去って行った。
 羽村の姿が消えるなり、どこからともなく拍手が起こった。呆気に取られながら周囲を見回していると、未奈ちゃんが視界に飛び込んできた。拍手はしていなかったけど、労うような慈しむような微笑で、俺を見つめていた。